硝子の呼吸
保健室は静かすぎて、息をする音が粉になって床に落ちるようだった。
ベッドの端の蒼が、かすれた声で囁く。
「声を出すと……溶ける」
毎日通った。
彼女は日に日に蜃気楼のように薄くなり、指先を伸ばしても空気の膜に弾かれる。
呼んでも返事は、風が舌をなぞるようなざわめきだけだった。
ある日、窓の外を見つめた蒼が笑った。
「覚えてる? あなたが無視した子……ずっと影に閉じこもった子」
胸が凍りつく。
思い出したくない記憶が、僕の骨の間で砂のように崩れた。
次の日、保健室に駆け込むと、蒼はいなかった。
机に紙が一枚だけ。
『聞いてくれてありがとう』
声を出そうとした。喉が裂け、息だけが絹糸のように伸びて空中で切れる。
背後で笑う気配。振り返っても誰もいない。
「……聞こえる?」
空気より薄い声が僕の名を呼ぶ。
次の瞬間、あなたの耳にも同じ声が触れる——
振り向いても誰もいないのに、息は蜜のように重く絡みつき、声は粘土のように指の間から零れ落ちる。
読むたびに、あなたの声も、世界から静かに溶けていく。
クリップボードにコピーしました