「どうした。立ち上がれ。それだけか?お前の実力は」
虚しい夜風が周囲の木の葉を揺らす。
乾いた砂と硝子の破片のような小石で擦り切れた皮膚。
血が滲んで震える両手で懸命に身体を支え、地面に転がった刀に右手を伸ばす。
伸ばせど伸ばせど届かない。
身体に力が入らない。
決して美しくはない思い出の片々が、まるで脳細胞が死の間際に覚醒したように、音もなく静かに甦る。
たった一人で、広大な白い砂漠に浮かぶモニターに映る一人の少年の生き様を、眺める俺がいる。
「お前の命も、とうとう今宵でおしまいか?」
凍てついた風はより一層強く、野次馬の木の葉たちはざわめく。
違う―――!
「もう一回……お願い…します……」
掌に張り付く砂粒なんかを握り締めたくて、俺は刀を手に取ったんじゃない。最期に腐敗した香りを放つ地面に接吻をするために、俺は生まれてきたんじゃない。
俺が掴みたいのは、強さ。白狼として生まれ、後継者に相応しい力を手に入れる。それだけ。
力を振り絞って刀の柄を握り締める。もう片方の手と擦りむけた両足で、疲弊した重い体を起こす。ふらつく両足をしっかりと地面につけ、刀を構える。
「そうだ。お前はまだ、強くなれる」
大樹を背中にして立つ俺の師匠が、俺の刀の先を見てそう言った。武器は何も持たず、傷一つなく、その場で俺が師匠に襲い掛かるのを黙って待っている。
俺の師匠は、妖魔。俺たち白狼の宿敵であり、ゆくゆくは俺が初めて手に掛けることになる妖魔。なぜ俺が宿敵を師匠にしているのかも、いずれは自分の命を狙うことが定められている少年を鍛錬する師匠の気持ちも、何もかも分からない。
「刀の角度が2度低い。前方だけでなく背後にも意識を向けろ。後ろから殺られるぞ」
将来、如何に自分を上手く殺すかを宿敵の少年に教え込む。なんて皮肉な師弟関係だろう。
「お前の戦う相手は人間ではないのだ。油断すれば、お前は相手に殺されるのではなく、お前がお前を殺すことになる」
冷たい風が喉を通って肺に流れ込む。小さな針が大量に体内に突き刺さっていく。星の一つも浮かばない暗黒の夜に紛れる師匠の姿を睨む。俺と全く同じ色の瞳を宿す師匠は、空気という見えない鏡に映る俺自身みたいだった。ドクンと心臓が息をする。
「ロウよ。誰かに変えてもらうことを待つな。自分から変わりに行け」
「はい…!!」
俺は柄を強く握り締めた。その反作用で、柄の鮫皮が掌に食い込む。いつの日か、妖魔を斬る暗殺集団の長となってやる。足掻けど消せない夢を見る少年が、そう言っている。その夢が、たった今、目の前にある。
「うぅrrrらあぁぁ!!」
全身全霊で刀を振りかざし、俺は師匠に突進した。今夜、俺が師匠を殺してしまっても構わないとさえ思っていた。だが、まだ立派な牙も持たず産毛の生えた子供狼の戯言に過ぎなかった。
「あまり叫ぶな。無駄に体力を消耗する」
師匠はフワリと空に舞い上がると、目にも見えないほどの速さで俺から刀を奪い取った。そしてそのまま、大樹の頂上付近の枝に飛び乗った。俺の刀の切れ具合を確かめたのか、師匠は近くにあった枝をその刀で断ち切った。
「こっん……の野郎、卑怯者!」
師匠に斬り落とされた枝が、パサリと俺の足元に落ちて以降、静かに地面に横たわったままになった。
「残念だが、実戦に卑怯は通じない。その枝がお前の首でないことを感謝するんだな」
まるで紅蓮地獄のような夜。師匠の嫌みしか聞こえない夜。だけど、俺の心臓の鼓動が聞こえる夜。それならば俺は紅蓮となり、刀の光で照らそう。流れ星の行方を。
[水平線]
[水平線]
[水平線]
夜空を切り裂く稲光。稲妻が大樹を直撃した瞬間、俺の師匠が俺の目の前で崩れ落ちた。重かった刀は幾分か軽く、師匠は何だか小さく見えるようになった。
「なぜ……俺に殺されるのが分かっていて、その日を待ち続けるようなことをしたんですか。師匠」
この日、俺は初めて師匠に致命傷を与えた。俺は漸く、妖魔のいない平穏な夜を守れる白狼になった。死にゆく師匠の瞳の色は、段々と薄く濁っていく。色を失っていく唇が、諦めたように笑った。
「弱っちぃチビ狼に殺されたら、俺たち妖魔の誇りは保てないだろう。どうせ成敗されるなら、自分より強い相手じゃなきゃ……つまんねぇ死に様だ」
段々と師匠の姿が色褪せていく。か細い声で、途切れ途切れになりながら、師匠が最期の言葉を俺だけに遺した。
「天の才能を越えたな、ロウ」
ほんの最後の一瞬だけ、師匠は泣きそうな笑みを浮かべていたような気がした。
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