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存在価値

「将来の夢は何ですか?」
幼かった頃は、嫌気が差すほどにしつこく大人たちから尋ねられた事柄。
「お寿司屋さんで働きたい!」
「デザイナーになりたい!」
「科捜研の女みたいになりたい!」
年齢によって、私が描いてきた将来の自分像は変わってきた。だが共通しているのは、それはあくまで「夢」でしかなかったこと。

幼い頃に見た夢を思い返してみよう。自分は何であの時、あの職業に就きたいと考えたのか。そこに「現実性」は存在しなかった。楽しそうだから。格好良いから。それだけだった。だが、決して働くことは簡単ではない。国際情勢、国内情勢、景気変動、そして自身の年齢。どれくらいの家に住みたいのか、或いはアパート・マンションに住むのか。その為にはどれだけの財力が必要なのか。結婚はするのか。子供を産むなら何人の予定か、それに必要な費用はどれだけか。大人の世界は、憧れだけでは通用しない。大人たちは子供が憧れるほど、スマートな生き方はしていない。よく見ろ。「憧」は「児童」が抱く「心」だ。

私も嘗てはそうだった。子供用の玩具なのにやたらリアルな紙幣や硬貨を見ると、高揚感を抱いたものだ。私が思うにそれは、偽物とは言えお金の持つ価値ゆえのではなく、大人らしさの象徴ゆえのものだったのではないか。異論は認める。

もう暫くの間は、そうやって大人に憧れる子供でいるつもりだったが、いつの間にか自分は成人に区分されてしまった。つまり、嘗て描いた夢が目の前に迫ってきている。それなのに。
「自分は将来〇〇になりたい」
同じく自身の将来を描いている筈なのに、そこには夢がない。〇〇になって沢山の人の役に立ちたい。間違いなくそれは私の勉強する原動力ではあるけれど、沢山の現実性がそれの邪魔をする。万が一にも職を失えばどうしよう。その時に既に親が亡くなっていたら、一人っ子である自分は誰を頼ればいい。その時に自分に子供がいたら、どうやってやり繰りをしていくのだろう。泡のようにブクブクと湧き出てくる不安を、一つ一つ拭い去っていく。
「何をやっているんだろう、自分は」
時折、惨めな気分になる。勉強したからといって必ずしも上がるわけではない成績。そして刻一刻と迫りくる受験への不安感、いや違う、受験結果への不安に苛まれる日々が続く。

あれ……?

いつの間に自分は、外側に価値を求め始めたっけ?

子供たちは一般的に小学校に入ってから競争というものを知らされる。賢い子は褒められる。足が速い子は注目を浴びる。容姿が良い子はモテる。生まれてからずっと、「自分自身」という価値を信じて疑わなかった我々は、他者からの評価を知るようになった。そしていつからか、「あの子を見習え」という言葉の呪いの操り人形になっていく。自分が言うのもなんだが、自分は「見習え」と言われる側の人間だった。特に頑張ってきたわけではなかったが、偶々友人たちより成績が良かったからだ。光栄なことに、「〇〇小学校で一番賢い」と生徒・親から認識されていた。だがそれも、中学受験をして名門中等高等学校に入学した途端、終わった。見習われた自分の姿はどこにもない。自分よりもずっとずっと賢い人に出会い、模試でも芳しくない成績を残すようになった。きっとそれ以降だ。「勉強が出来る子」という外部から与えられた価値に、自分が束縛され、そこから逃げ出す勇気も持っていないということに気が付いたのは。

昔、私は自分の何に価値を見出していただろうか。もう、忘れてしまった。いや、価値という概念のことなど微塵も考えていなかったかもしれない。空は何のためにある。雲は何のために浮かぶ。空や雲に尋ねても、きっと理由は特にないと答えるだろう。人間社会に毒される前の私は、自然と一体だったのかもしれない。

でも価値評価社会に放り込まれたお陰で、知ったことがある。それは、価値など沢山あって見方によっては価値があるともないとも言えることだ。私は、武道が長けている人、絵画に長けている人、理数系科目に天才的な人など、実に多種多様な才能を持った友人たちに囲まれている。私が竹刀を持とうものなら部品を壊しまくり、筆など持てば抽象画を大量生産し、理数系科目なら「のび太第二号」の称号を頂くだろう。その代わり私は語学に関しては人よりは得意なつもりだ。我々学生は、人よりも突出した才能を持っていればそれが何であろうと評価される(スリ能力、詐欺能力などは当然別として)。だが、そういった評価は我々の存在価値にはならない。なってもらっては困る。

存在価値を「存在しているだけの価値がある」と定義するならば、人によって異なって当然の能力を存在価値にされたら、たまったもんじゃないことは理解に容易いだろう。「あなたは〇〇が苦手なんだから、存在してはいけません」などと言われてたまるか。

そもそも存在価値はあるのか。もしもこの世界に、自分以外に誰も存在しないのだったらと仮定してみよう。喋り相手もいなくて、赤の他人と呼べる人達すらいない。一見寂しそうだが、もしもそれが当たり前の環境だったなら。生きるべき理由もないし、死ぬべき理由もないから、取り敢えず死ぬまで適当に生きてこう。多分、そんな感じになる。この場合、存在価値はないけれど生きていくことになる。別にそれでも構わないのではと個人的には思うのだが、「私に存在価値を見出だせないまま生きています」と発言すれば間違いなく命のダイヤルをオススメされてしまう。

私はここに、善の仮面を被った残酷な社会一面を見てしまう。何故、存在価値がないことが死に直結すると世の人は考えてしまうのだろう。裏返せば、価値が無いのなら死ぬべきだという思想が奥深くまで浸透しているのかもしれない。

果てしなく広がる真っ黒な宇宙には、幾千幾万幾億もの星屑が浮かぶ。地球から見えるもの、見えないもの。地球から見えるから存在しているというわけではなく、偶々そこにあるだけ。星屑たちはそこに存在する意義を見出だせずに自ら消え去ることもなく、淡々と輝き続ける。他者からの価値の支配に嫌気が差したとき、夜空に浮かぶ名もなき星屑に多少は励まされるのかもしれない。そんな事を思い巡らしながら、今日も私は生きる。名前も顔も知らない赤の他人に紛れて。

2026/01/05 14:06

花火
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