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明日の風にのって

【プロローグ】
「え!?ちょっと待ってください先生!倉橋ってあの倉橋ですか?男子100mで全中優勝した倉橋蒼がうちの高校に?なんで!?」
運動部の掛け声があちらこちらから聞こえる校庭に田畑祐介の声が響く。
「詳しいことは俺もわからん。ただ教頭先生に、陸上部に入るかもしれないのでよろしくと言われただけだからな。」
「よろしくって…。」
「部長のお前にも色々と迷惑かけるかもわからんから伝えといた。他のやつには言うなよ。」
いつも寅さんとみんなに慕われているこの人がなんだか頼りなく見えてきた。じゃあよろしく、と校舎に戻っていく顧問、柏原寅太郎の背中を見ながら祐介は何も言えずにただ呆然としていた。


【第一章】
◎倉橋蒼
あーあ、高校ってつまんなそ。
入学式から約一週間がたった。高校生活にも慣れつつある。俺はコミュニケーションっていうのがあんまり得意じゃないんだけど、最初は積極的にいろんな人に話しかけたし、愛想よくしていた。でもそろそろ限界。疲れた。
「蒼!はい。」
ぴょいっと振り向いて俺と目を合わせてきたのは同中の鎌先颯馬だ。こいつはいつもなんとなくぴょんぴょんした感じのやつなんだよな。
「なに?」
「なに、じゃなくてプリント。後ろに回して。」
「あぁ。」
颯馬の手にはプリントの束がある。1枚取って後ろに回した。「がおいち部活動勧誘会」と書かれている。
部活かぁ。どうすっかなぁ。


【第二章】
◎倉橋蒼
無意識のうちに足が陸上部のほうへ向かっていることに気がつきため息をついた。
結局俺は陸上しかできないんだな。
俺は小さいときから走ってきた。長い距離でも短い距離でも、走ることは生活の一部だった。小学生のときは当たり前のように毎日走っていたし、クラスメイトが放課後に公園でバスケやサッカーをするのと同じ、遊びのような感覚だった。それが変わったのは中学生のときだ。中学1年生で最初の大会で男子100mに出場した。小学生のときは決めていなかった専門種目を初めて決め、なんかホンモノって感じだな、とワクワクしていた。2、3年生とも走る「共通」だから順位とかは気にせずに楽しんでこい、と先輩や顧問から背中を押されてスタートラインに立ったあのとき、どんな気持ちだったのか記憶にない。でも何も考えずに走っていたんだろうな、ということだけはわかる。俺にとって最後で最後かもしれない、何も考えずに走れたレースの結果は、なんと2、3年生を押しのけた優勝。そのまま県大会、南関東大会と進んだ。自分ではどれほどすごいことなのか理解できていなかったが、当時の周りの騒ぎ様は凄まじかった。しかし、神童だ、天才だ、50年に一度のスプリンターだと目の色を変えてもてはやすのは大人だけで、部の先輩や1年生からは嫌味や嫌がらせがとんできた。「走る」ことのせいで嫌な思いをたくさんしたし、大会で「走る」ときは常にそれの重さを感じていた。でもそれ以上に全力で走りきったときの、あの爽快感は最高だった。俺がそれにのめり込めばそれだけ部内で吹き荒れる嵐はひどくなった。居場所がなくなり存在も認められなくなり、ますます陸上にのめり込んだ結果が全中優勝という目に見える形になったことに俺は戸惑いと不満を覚えていた。
俺が好きな陸上はこんなんじゃない。こんな気持ちで走る100mは面白くない。俺が3年間走り続けたのは何だったんだ?
そんな気持ちのまま夏が終わり秋が過ぎ、冬になった。何校もの学校から陸上で推薦をもらっていたが、全部断った。勉強ができない俺にとっては大チャンスだったので、担任からは何度も推薦を受けるように言われたが、頑なに首をふり続けた。ある日、校長先生から直接理由を聞かれたときは、少しし考えてこう答えた。
「推薦を受けたら3年間陸上部にいなきゃいけない。高校でもずっと陸上を続けるかどうかわからないので。」
校長先生は納得したのかしてないのか
「なるほど。」
と一言話すとそれ以降何も言ってこなかった。最後まで反対する教師たちや両親の声を聞きながらも、俺は近くの公立高校を受験し、合格した。誰からも喜ばれない悲しい合格だった。
あんなに陸上に苦しめられた。俺が陸上のために多くのものを費やしたのに、結果得られたのは少しの快感とチームメイトからの嫌がらせだけ。まったくのハイリスクローリターン。そう毒づきながらも、蒼は胸の奥でかすかな期待を感じ取っていた。俺は期待してるんだな。今度は大丈夫、高校のチームメイトはみんないい人だって。でもよく考えてみろよ。中学のときの先輩や同輩だって最初は優しかったじゃないか。それなのに俺が先輩たちより秀でていると分かった途端に睨まれただろう?無視されただろう?今回だってきっとおんなじ。そこまで考えて俺は首を振った。今日はもう帰ろう。これ以上ここにいても仕方ない。蒼が背中を向けたそのとき、
「ねぇ、ちょっと。」
と声をかけられた。蒼が振り向くと、丸顔の人の良さそうな人がニコっと笑っていた。
「さっきから陸上部の練習見てたよね?興味あるの?」
「え、いや、まあ。」
するとその人の顔がパッと輝いた。
「マジ?見学おいでよ!あ、俺は陸上部の部長の田畑祐介です!」
断る隙もなく、こっちこっちと手招きしながら田畑さんは歩き出してしまった。
「そういえば、クラスと名前は?」
自分の体がキュッと固まるのを感じた。名前言ったらバレるかも。いやでも言わないほうが変だしな。
「1年2組の、倉橋蒼です。」
しかし予想と反して
「倉橋くん、よろしく!」
と返されただけだった。もしかして知らないのか?でもまあ、むしろそのほうがいいな。
陸上部の練習風景はなんだか懐かしくて、でも新鮮だ。ウズウズしている自分を感じながら、冷静に物事を見つめる自分もいた。もし俺が陸上部に入ったとして、親になんて言われるだろう。結局陸上をするんじゃないか、それなら推薦を断った意味がないだろう、なんて言われそう。それにあの部長は知らない感じだったけど、いつかは絶対俺が全中優勝したって知られるわけだし。
「君が倉橋くんかね?」
「へ?」
蒼が振り向くと知らない先生が立っていた。
「陸上部の顧問をしている柏原だ。ちょっと来てもらえないか?」
「はあ。」
ノコノコとついていくと職員玄関前で柏原先生がピタリと止まった。
「単刀直入に聞く。君、陸上部に入る気があるのか?」
蒼は何も言えずにうつむいた。そんなことを聞かれるかもしれないと考えてはいたが、こんなに鋭い目線が向けられていては答えにくい。
「えっと…まだわからないです。高校で陸上をやるかわからないから推薦を断ったし…。よく考えないといけないと思ってるので。」
こんな答えでいいのかなと思いながらしどろもどろに話した。
「そうか、それでいいと思う。よく考えてくれ。1つだけ念のために言っておく。意味が分からなかったら忘れてくれ。」
そう言って柏原先生は大きく深呼吸をした。
「ウチには明るくて思いやりのあるいいやつしかいないぞ。みんな仲良くやってるから、安心しろよ。」
えっ。
「じゃあ。」
と言って柏原先生はさっさと歩いていってしまった。柏原先生は俺の中学のときのことを知っているのか?もし知ってるとしたらどうやって?混乱したが、いくら考えても答えは出てこない。その後も見学を続けたが、特に気になることもなく帰る時間になった。家の自分の部屋に入った瞬間にどっと疲労に襲われ、ベッドに倒れ込みそうになる。しばらくぼーっとしているとコンコンとノックの音が聞こえて、兄の颯が入ってきた。
「よお、蒼。疲れてんじゃん。」
「別に。何しに来たの。」
「冷たいなぁ、悲しい。まあいいや、漫画借りていい?」
「どーぞ。」
「なぁ、部活どうすんの?陸上すんの?見学とか仮入部とか、した?」
「質問が多いな。」
「いいから教えろよ。」
颯はこういうやつだ。俺がどう思ってるかなんてどうでもいい。普通はウザいはずなのに颯は頭が良くてイケメンだからウザさがないんだよね。笑顔がキラキラしててかっこいいし。
「今日は陸上部の見学した。仮入部期間は来週からだって。」
「ふーん。お前、陸上部入んの?」
「いや…まだ考えてる。」
「考えるまでもないだろ。どうせお前は陸上やるんだよ。だろ?」
「うーん。」
そう言われるとそんな感じがしてきてしまう。
「じゃ。母さんが夕飯って言ってたぞ。」
颯が部屋から出ていっても俺はしばらくぼーっとしていた。ぼーっとしながら考えていた。柏原先生はチームみんな仲良くやってるって言ってた。この高校には同じ中学の先輩は居ないみたいだし、そもそも高校生なんだからそんな幼稚なことはしないはずだ。大丈夫。それに、俺が勝手に自惚れてるだけで先輩たちみんな俺より速いかもしれない。いや、きっとそう。俺はもう一度、陸上をやり直せる。やろう。そこまで考えると急にやる気が湧いてきて、階段を一気に駆け下りた。冷たくなった夕飯を食べ、風呂に入る。そのまま部屋のベッドに寝転がって、目をつぶった。気がついたら眠っていた。
……………だよ。
……………んだよ。
え?誰かなんか言った?
…………嫌われ者なんだよ。
え?
お前はいつだって嫌われ者なんだよ。
頭をガツンと殴られた気がした。目が覚めるとやけに頭が痛い。眠気は全くなくて、頭はクリアに冴えている。時計を見ると6時だった。いつも起きるよりも1時間早いけれど、かまわず立ち上がる。朝ご飯を食べないで家を出た。なんでそんなことしたのかわかんないけど、なんかそのほうがいいかもって思った。あ、弁当を忘れた。財布には300円しか入っていない。これじゃあパン1個しか買えない。まあ、でもいいか。時間だけはたっぷりあるからと俺はゆっくりゆっくり歩いた。キラキラ輝く朝日が眩しくて歩きにくくて、でもそれを俺は欲してる。たっぷり時間を使って学校に着いてもなんだか夢の途中みたいで、現実味がなかった。もしかして昨日のことは全部夢だったのかもしれない。そうだ、夢だったから陸上をやり直せるなんて甘っちょろいこと考えられたんだよ。早すぎて誰もいない教室でそんなことを思った。1時間目から4時間目まで、起きているのに眠ったような蒼を誰も相手にはしなかった。1人だけ、あれはたしか英語教師が、何を言っても、はあ、としか答えない蒼を殴ろうとしていたがそれすら気にならなかった。昼休みになると様子のおかしい蒼を心配して何人かがよってきたが、それも煩わしくて蒼は教室を出た。購買でメロンパンを買って屋上に上がる。小雨が降っていて誰もいないかと思ったら、知ってる顔がいた。陸上部の部長の田畑さんだ。
「おぉ、奇遇だな!一緒に食おうよ!」
と無理矢理隣に座らされ、俺がパン1個しか持ってないと気づくと、パン1個だけはさすがにきついでしょ、とカレーパンを手渡された。
「俺さ、屋上好きなんだよね。なんか広いしさ、ワクワクしない?ロマンがある!」
ロマン?なんかガキっぽいこと言うんだな。
「今ガキっぽいって思ったでしょ?俺そういうのわかるんだよ、よく言われるからね。」
「へぇ。」
そんなことないですよ、というべきなのかもしれないが、話すが億劫で冴えない返事しかできない。
「そういえば、倉橋くんはなんの種目に興味あるの?」
「え?」
あ、そうか陸上のことか。
「えっと、100mです。」
「そっかあ、やっぱ100mは人気だねぇ。ハードルとかどう?」
やっぱりこの人は俺のこと知らないんだな。100m全国優勝のやつに向かってハードルどう?なんて普通聞けないよな。俺は聞けない。いや、でも高校の陸上部の部長が全中優勝者の名前を知らないとかあるのか?知らないのが普通なのかな。思わず口を開いた。
「あの、俺のこと知らないんですか?」
「え?知ってるよ。1年2組の倉橋蒼くんでしょ?」
「いや、そういうことじゃなくて…。」
なんかもう色々面倒に思えてきて、言っちゃおうと決めた。多分陸上部には入らないし。
「俺、100mで全中優勝してるんですよ。」
「知ってるよ。」
「え!?」
知ってる?この人今知ってるって言った?
「あの、知らないんじゃなかったんですか?」
「知らないわけないじゃん。特に倉橋くんは中1から活躍してるからよく知ってるよ。」
「じ、じゃあなんで名前聞いたときなんも反応しなかったんですか?」
「反応?別に顔知ってたし、だから倉橋くんって知ってて名前聞いたんだけど。」
どういうことだ?わざと知らないふりをして声をかけたってこと?
「聞く必要ないかなとも思ったけど、他の人は聞いてるのに倉橋くんだけ聞かないのなんか変かなと思って。ほら、不公平って良くないでしょ?」
なんだこの人は。あんたのほうがよっぽど変だよ、と言おうとして、相手が先輩というのを思い出した。何も言わずに田畑さんを眺めていたら、田畑さんが急に笑い出して、気がついたら俺も一緒に笑っていた。こんなに笑ったのは久しぶりだ。2人で笑っているせいかなぜかテンションが上がってて、口が勝手に動いていた。
「俺、中学のときに部内でイジメられてたんですよ。」
「へぇ。」
「先輩が始めて、同学年のやつらもそれに乗っかってやり始めて、3年間ずっと。顧問がおじいちゃんでボケてたんでバレなくて。まあ無視してれば済んだんですけど、一番困ったのはアレですね。大会の日にスパイク盗まれて。」
自分でもびっくりするほどするすると言葉が出てくる。
「結局その大会出れなくて、さあ帰るぞってなったときにバッグの横見たら返されてたんですけど。そんときから大会の日は必ずスパイクを肌身はなさず持ってるようにしました。」
「それさ、その、なんていうか。」
田畑さんが話し始める。
「そんな環境でも部活やめなかったのはなんでなの?俺だったらやめちゃうかなって思うけど。」
なんでなんだろう。途中退部ってカッコ悪い?違う。いじめられてるから退部するのは逃げるみたいで悔しい?いや、違う。じゃあなぜ。
「えっと、そりゃいじめられるのは嫌だけど、走るっていう行為自体に罪はないっていうか。なんか、つまり、だから。」
必死に答えを探す。いや、俺はこの答えをもっと前から知っていたんじゃないか?ほら、すぐそこに、俺の答えが。
「走るのが面白かったから。好きだったから。」
ポロリとこぼれ出た本音に泣きそうになった。涙を必死に堪えて話す。
「俺は、俺は好きなんです。陸上が。だからこそ陸上のせいで、みんなにいじめられたりしたくない。嫌な思い出をつくりたくない。陸上を嫌いになりたくない。陸上が嫌いになるのが怖い。それに、なにより。」
声が震える。
「なにより、陸上を楽しめなくなるのが、怖い。」
少し間があいて、
「俺も怖いよ。」
と、田畑さんが言った。
「部長なのにさ、俺よりタイムが速い後輩がいっぱいいて、焦ってばっかりで楽しくなくて、自分が嫌になる。」
この人が?この能天気で天然そうな人でもそんな悩みがあるんだな。
「でもさ、記録とか他人とか考えてもきりがないんだよね。」
記録。他人。
「だから俺は“今”だけ見てる。今の一本、今の動き、それだけ。“今”には記録も他人もなにもない。」
今。
「そうすると、不思議と怖いって思わなくなる。これやろう、あれやりたい、ってそういうことばっかり考えてる。」
田畑さんが少し笑った。
「俺が1年のときの部長がそういう人でさ。毎レースビリだけど、毎レース自己ベスト出してたんだ。」
毎レースビリで、毎レース自己ベスト?すごい人だな。
「気づいたら、みんなその人のこと大好きになってた。」
さあさあと風が吹き抜ける。いつの間にか雨がやみ、太陽が顔を出している。
「そういう人のことを強いって言うんじゃないかなって俺は思ってる。俺は、強くなりたい。」
田畑さんの口調が軽くなった。
「無理に入れとはもちろん言わないよ。でも、ウチの部は騒がしいけど居心地がいい、楽しい場所だよ。」
「はい。」
俺は清々しい気持ちで返事をした。
「あ、そうだ。俺、もうお腹いっぱいだからあげるね。」
そう言って、あんぱんを手渡された。「じゃあね。」
田畑さんは歩いて扉の方へと向かう。そのとき、コツンと音がして田畑さんが何かを落とした。近寄って見てみるとシャーペンだった。
「落としましたよ。って」
もういないじゃん。これどうすんだよ、とシャーペンを恨めしく思いながらあんぱんの袋を開けようとすると、袋に何かの紙が貼ってあることに気づいた。なんだこれ。
部活動入部届。
なんだよ、それ。マジで、もう、笑っちゃうよ。じゃあまさか、シャーペン落としたのわざと?無理に入れとは言わないって言ってたじゃん。ちゃっかりしてんな、あの人。そう思いながら俺はシャーペンを手に取った。紙に必要事項を記入していく。明日、シャーペンと一緒に渡そう。そう決めて俺は立ち上がった。

作者メッセージ

ふと思いつきました!読み切りです!陸上経験者として陸上の知識のことは自信を持てます…文章の読みやすさ、上手さはじしんにいですが…。まあ読んでくれた人ありがとう!是非コメントください!

2026/06/16 18:05

ワイワイ
ID:≫ 2itqYsMRYjRRs
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陸上高校天才100m青春短編読切

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