「あっつ」
思わず口からこぼれて、慌てて唇を押さえた。会議前だというのに、もう空気が重たい。ここはどこにも属さない場所のはずなのに、今日はやけに南国みたいな熱気がこもっている。
いや、違うか。これは場所のせいじゃない。集まっている面子のせいだ。前回の終わり方、最悪だったからね。そりゃ、こうなっちゃうか。
…そういえば、前回広島達が東京とバチバチしてたけど、あの後、彼を納得させる資料、作れたのかな?
そっと、通路の向こう側を見ると広島や岡山が神妙な面持ちで座っていた。よし。触れないでおこう。
その時、東京が立ち上がった。
「定刻だ。これより、令和八年度第2回全国会議を始める」
低く、よく通る声。顔を上げると、議長席の東京がすでに資料を手にしていた。相変わらず小さいのに、空気の支配力だけは桁違いだ。ちょっと傲慢で、あんまり好きではない。
「今回の議題は防暑対策。昨今の気温上昇に伴い、労働効率の低下、インフラへの負荷増大が顕著になっている」
配られた資料をめくる。数字、グラフ、予測モデル。…うん、やっぱり可愛くない。資料を眺めつつ、ちらりと周りを見る。私たち九州勢は暑さに対する思いが他とは違う。
鹿児島は腕を組んで目を細めているし、私たちのリーダーである福岡はペンをくるくる回しながら何か企んでる顔。熊本は静かだけど、あれは内心燃えてるときのやつだ。大分だって何か言いたげに東京をチラチラ見ている。
「待ち」
案の定、待ったという声が飛ぶ。この声は確か…、
「その効率低下っちゅうんはな、どこ基準で言うとんねん」
大阪だ。終わった。この会議は荒れることが決定した。お先真っ暗な会議を予想して、私は資料に顔を埋める。東京は一瞬だけ視線を大阪に向け、すぐに手元のタブレットに目を落とした。
「全国平均だ。地域差は織り込み済みだが」
「それやと話にならんな」
大阪は机に肘をつき、にやりと不敵に笑う。
「西日本の暑さ、舐めとるやろ。湿度込みやで。体感温度っちゅうもんがあんねんで」
「大阪の言うとおりちゃいますか?」
大阪の言葉に京都が加勢する。普段は大阪の皮肉しか言ってないクセに。
「体感温度っちゅうものは、確かに測りにくいもんどすけど……そやさかいこそ、無視してええ理由にはならへんのちゃいますか?」
その言葉に、九州側が小さく頷く。うん、それはそう。私だって、日照時間や平均気温はトップ10位には入っている。東京の感覚に合わせられたら、たまったもんじゃない。でも東京は依然として表情を変えない。
「体感は指標として不安定だ。よって採用していない」
「はぁ!?」
一気に空気が荒れる。ああもう、だからそういう言い方。反感を買うって、分からないのかな?
「じゃあ聞くけどな」
今度は福岡が口を挟む。軽い調子だけど、目は笑ってない。
「熱中症搬送数、年々増えとーよね?あれも体感やけん無視すると?」
その言葉に、去年熱中症で搬送された人が多かった私の隣の大分や、少し離れたところに座っている佐賀、沖縄、岡山が同調するように頷く。
「無視はしない。だが」
「だが、何じゃ」
私の隣の鹿児島が被せ気味に言ったその瞬間、場の温度が一段階上がった気がした。まずい、と思った。
このままじゃ九州vs東京の構図になってしまう。それは私たちにとっても東京にとってもよくない。
「……あの」
小さく手を挙げる。誰も見てないかと思ったけど、東京の視線だけはちゃんと来た。怖い。
「発言、いいですか」
「簡潔に」
短い返答。冷たい。でも、拒絶ではない。一度だけ深呼吸する。
「その…防暑って、どこまでやるかが難しいと思うんです」
みんなの視線が集まる。う、ちょっと緊張する。
「例えば、北の方と南の方で必要な対策って全然違いますよね。でも、全部に合わせようとするとコストが…その…」
言葉を選びながら続ける。
「だから、地域ごとに“基準”を分けるのはどうでしょうか。全国一律じゃなくて」
少しだけ、間が空いた。東京が資料をめくる音だけが響く。
「続けろ」
「はい」
ほっとしつつ、言葉を継ぐ。
「九州とか西日本は、暑さ対策を前提にしたインフラ整備を優先して……逆に、そこまで必要ない地域は別のところに予算を回す、みたいな……その、メリハリをつける感じで……」
自分でもちょっとぼんやりしてるな、と思う。でも、言わないよりはいい。しばらくの沈黙。私は東京を見つめる。
「非効率だな」
ぴしりと切られた。ですよね~。合理主義の東京ならそう言うと思ってた。
「基準が複数存在すると管理コストが増大する。一元化した方が…」
「でも」
思わず言葉を重ねていた。自分でもびっくりするくらい、自然に。
「それで倒れる人が増えたら、意味ないと思います」
静かになった。さっきまでざわついていたのが嘘みたいに。東京がこちらを見る。その目は相変わらず、感情が読めない。
「具体的な数値は」
「えっ」
「地域別に基準を設けた場合のコスト増と、それによる損失回避の試算だ。それがなければ検討に値しない」
ああ、やっぱりそう来るよね。
「……今は、持ってません」
正直に言う。
「でも、作れます。たぶん、みんなでやれば」
そう言って、九州の方を見る。福岡がふっと笑って、肩をすくめた。
「しょんなかね。乗るばい」
熊本も大分も小さく頷く。鹿児島は無言だけど、否定はしてない。少しだけ、空気が緩んだ気がした。東京はしばらく黙っていたけど、やがて資料を閉じた。
「期限は一ヶ月だ」
その一言で、また空気が締まる。
「次回までに福岡経由で私に提出しろ。基準は問わない。私を納得させられるならな」
それだけ言うと、東京は席を立った。去り際、一瞬だけこちらを見た気がしたけど、気のせいかもしれない。
残された会議室で、大きく息を吐く。
「はぁ……」
「珍しいね」
隣から声がする。見ると、大分だった。
「自分から前に出るなんて」
くすっと笑う。
「たまには、ね」
九州はクセが強い人ばっかりだから、放っておくとすぐぶつかる。
「ちょっとくらい、間に入らないと」
窓の外なんてないはずなのに、なぜか南の空気を感じた気がした。あったかくて、やわらかい風。
やっぱり、暑いのは苦手だけど嫌いじゃないな。
思わず口からこぼれて、慌てて唇を押さえた。会議前だというのに、もう空気が重たい。ここはどこにも属さない場所のはずなのに、今日はやけに南国みたいな熱気がこもっている。
いや、違うか。これは場所のせいじゃない。集まっている面子のせいだ。前回の終わり方、最悪だったからね。そりゃ、こうなっちゃうか。
…そういえば、前回広島達が東京とバチバチしてたけど、あの後、彼を納得させる資料、作れたのかな?
そっと、通路の向こう側を見ると広島や岡山が神妙な面持ちで座っていた。よし。触れないでおこう。
その時、東京が立ち上がった。
「定刻だ。これより、令和八年度第2回全国会議を始める」
低く、よく通る声。顔を上げると、議長席の東京がすでに資料を手にしていた。相変わらず小さいのに、空気の支配力だけは桁違いだ。ちょっと傲慢で、あんまり好きではない。
「今回の議題は防暑対策。昨今の気温上昇に伴い、労働効率の低下、インフラへの負荷増大が顕著になっている」
配られた資料をめくる。数字、グラフ、予測モデル。…うん、やっぱり可愛くない。資料を眺めつつ、ちらりと周りを見る。私たち九州勢は暑さに対する思いが他とは違う。
鹿児島は腕を組んで目を細めているし、私たちのリーダーである福岡はペンをくるくる回しながら何か企んでる顔。熊本は静かだけど、あれは内心燃えてるときのやつだ。大分だって何か言いたげに東京をチラチラ見ている。
「待ち」
案の定、待ったという声が飛ぶ。この声は確か…、
「その効率低下っちゅうんはな、どこ基準で言うとんねん」
大阪だ。終わった。この会議は荒れることが決定した。お先真っ暗な会議を予想して、私は資料に顔を埋める。東京は一瞬だけ視線を大阪に向け、すぐに手元のタブレットに目を落とした。
「全国平均だ。地域差は織り込み済みだが」
「それやと話にならんな」
大阪は机に肘をつき、にやりと不敵に笑う。
「西日本の暑さ、舐めとるやろ。湿度込みやで。体感温度っちゅうもんがあんねんで」
「大阪の言うとおりちゃいますか?」
大阪の言葉に京都が加勢する。普段は大阪の皮肉しか言ってないクセに。
「体感温度っちゅうものは、確かに測りにくいもんどすけど……そやさかいこそ、無視してええ理由にはならへんのちゃいますか?」
その言葉に、九州側が小さく頷く。うん、それはそう。私だって、日照時間や平均気温はトップ10位には入っている。東京の感覚に合わせられたら、たまったもんじゃない。でも東京は依然として表情を変えない。
「体感は指標として不安定だ。よって採用していない」
「はぁ!?」
一気に空気が荒れる。ああもう、だからそういう言い方。反感を買うって、分からないのかな?
「じゃあ聞くけどな」
今度は福岡が口を挟む。軽い調子だけど、目は笑ってない。
「熱中症搬送数、年々増えとーよね?あれも体感やけん無視すると?」
その言葉に、去年熱中症で搬送された人が多かった私の隣の大分や、少し離れたところに座っている佐賀、沖縄、岡山が同調するように頷く。
「無視はしない。だが」
「だが、何じゃ」
私の隣の鹿児島が被せ気味に言ったその瞬間、場の温度が一段階上がった気がした。まずい、と思った。
このままじゃ九州vs東京の構図になってしまう。それは私たちにとっても東京にとってもよくない。
「……あの」
小さく手を挙げる。誰も見てないかと思ったけど、東京の視線だけはちゃんと来た。怖い。
「発言、いいですか」
「簡潔に」
短い返答。冷たい。でも、拒絶ではない。一度だけ深呼吸する。
「その…防暑って、どこまでやるかが難しいと思うんです」
みんなの視線が集まる。う、ちょっと緊張する。
「例えば、北の方と南の方で必要な対策って全然違いますよね。でも、全部に合わせようとするとコストが…その…」
言葉を選びながら続ける。
「だから、地域ごとに“基準”を分けるのはどうでしょうか。全国一律じゃなくて」
少しだけ、間が空いた。東京が資料をめくる音だけが響く。
「続けろ」
「はい」
ほっとしつつ、言葉を継ぐ。
「九州とか西日本は、暑さ対策を前提にしたインフラ整備を優先して……逆に、そこまで必要ない地域は別のところに予算を回す、みたいな……その、メリハリをつける感じで……」
自分でもちょっとぼんやりしてるな、と思う。でも、言わないよりはいい。しばらくの沈黙。私は東京を見つめる。
「非効率だな」
ぴしりと切られた。ですよね~。合理主義の東京ならそう言うと思ってた。
「基準が複数存在すると管理コストが増大する。一元化した方が…」
「でも」
思わず言葉を重ねていた。自分でもびっくりするくらい、自然に。
「それで倒れる人が増えたら、意味ないと思います」
静かになった。さっきまでざわついていたのが嘘みたいに。東京がこちらを見る。その目は相変わらず、感情が読めない。
「具体的な数値は」
「えっ」
「地域別に基準を設けた場合のコスト増と、それによる損失回避の試算だ。それがなければ検討に値しない」
ああ、やっぱりそう来るよね。
「……今は、持ってません」
正直に言う。
「でも、作れます。たぶん、みんなでやれば」
そう言って、九州の方を見る。福岡がふっと笑って、肩をすくめた。
「しょんなかね。乗るばい」
熊本も大分も小さく頷く。鹿児島は無言だけど、否定はしてない。少しだけ、空気が緩んだ気がした。東京はしばらく黙っていたけど、やがて資料を閉じた。
「期限は一ヶ月だ」
その一言で、また空気が締まる。
「次回までに福岡経由で私に提出しろ。基準は問わない。私を納得させられるならな」
それだけ言うと、東京は席を立った。去り際、一瞬だけこちらを見た気がしたけど、気のせいかもしれない。
残された会議室で、大きく息を吐く。
「はぁ……」
「珍しいね」
隣から声がする。見ると、大分だった。
「自分から前に出るなんて」
くすっと笑う。
「たまには、ね」
九州はクセが強い人ばっかりだから、放っておくとすぐぶつかる。
「ちょっとくらい、間に入らないと」
窓の外なんてないはずなのに、なぜか南の空気を感じた気がした。あったかくて、やわらかい風。
やっぱり、暑いのは苦手だけど嫌いじゃないな。