「ねぇ、夜鳴き桜って知ってる?」
同僚の[漢字]絵里奈[/漢字][ふりがな]えりな[/ふりがな]が唐突にそう話を切り出したのは、古くからの友人でもある[漢字]愛菜[/漢字][ふりがな]まな[/ふりがな]と三人で居酒屋にいる時だった。
「ヨナキ……?」
「何それ? 夜泣きって、赤ちゃんがするあの夜泣きのこと?」
「違う違う。そっちの夜泣きじゃなくって、犬とか猫の鳴き声の方の“夜鳴き”ね」
「あ〜、そっちの夜鳴きか」
「実は今日さ、職場で面白そうな話聞いちゃったんだよねぇ」
右手に持った箸で唐揚げを一つ摘み上げると、ニヤリと口角を吊り上げた絵里奈は自慢げな表情を浮かべる。
どうやらすんなりと教えてくれる気はないようで、そのままパクリと唐揚げを口に含むと「うまぁ〜」なんて嬉しそうな声をあげている。
そんな絵里奈と知り合ったのは、今からちょうど三年前のこと。同期入社で同い年という共通点もあった私達は、すぐに意気投合するとちょっとした連休には小旅行なんかにも出掛ける程の仲となった。
最近では、私の幼馴染の愛菜も含めた三人で、よくこうして仕事終わりに集まることも少なくはない。
「で、夜鳴き桜って何?」
痺れを切らした私がそう声を掛ければ、夢中で唐揚げを頬張っていた絵里奈がその視線を私へと向けた。
「……聞きたい?」
そんな言葉と共にニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた絵里奈は、「どうしよっかな〜」なんて言いながら焦らす素振りを見せる。
「そりゃ勿論。面白い話なんて言われて気にならないわけないでしょ。……ね?」
「うん。勿体ぶらずに教えてよ」
同意を求めれば、すかさず同調の意思を見せた愛菜は少し不貞腐れたような表情を浮かべる。
そんな私達の様子を見て、「ごめん、ごめん」と軽く謝罪をした絵里奈は、気を取り直すと意気揚々と語り始めた。
なんでも、同県Y市にあるA公園に植えられている桜のうち、一本だけとても寿命が長く“夜鳴き桜”と呼ばれている桜があるらしい。
通常ソメイヨシノの寿命は六十年から百年程と言われている中、その桜は千年近くも生きているのだそうだ。
「で、なんで“夜鳴き”なの?」
「夜になると桜が鳴くんだって」
「鳴くって……動物じゃあるまいし」
「でもさ、ちょっと面白そうじゃない? 今度の週末にでも見に行ってみようよ」
案の定とでも言うべきか、怪異などといった類の話題が大好きな絵里奈は、そう提案をすると好奇心に満ちた表情でニッコリと微笑んだ。
そんな絵里奈に半ば強引に誘われる形でA公園へとやって来た私達は、夜桜を背景にまるで宴会のような賑わいをみせる敷地内を見渡すと、その美しさと人の多さに感嘆の声を漏らした。
「わぁ……! 凄い賑わってるね」
「ホント、予想以上だよね。結構本格的じゃん!」
「意外と人が多いんだね。……それにしても、夜桜って本当にいつ見ても綺麗だなぁ」
目の前の光景を眺めながらそう小さく息を吐くと、嬉しそうにはしゃぐ二人の姿を見てニッコリと微笑む。
「で、例の桜の木はどこにあるの?」
「……あ。えっとね、“入り口から見て右手にある一際大きい木”って言ってたから、アレじゃないかな」
ぐるりと周囲を見渡してそう答えた絵里奈は、私に向き直ると[漢字]揶揄[/漢字][ふりがな]からか[/ふりがな]うような表情を浮かべる。
「もしかして、ビビってる?」
「……まさか」
そんな絵里奈の言葉を軽く一掃すると、ここへ来た本来の目的でもある桜の木へと歩みを進める。
「またまたぁ〜、本当は怖いんでしょ? 痩せ我慢しちゃって」
「もう……そんなんじゃないってば」
「はいはい。そういうことにしときますよ」
こうしてすぐに人を揶揄うのは、出会った当初から変わらない絵里奈の癖だ。
「わぁ……! 近くで見ても凄い綺麗だね! ……あっ。あそこ空いてるよ、あそこでお花見しようよ!」
怪異を見に来たというのに、その目的をすっかりと忘れて楽しんでいる愛菜。その姿には、思わずクスリと笑みが溢れる。
そんな愛菜に促されるようにして場所の確保を済ませると、途中のコンビニで買ってきたつまみと酒類を広げる。
(いつもの居酒屋もいいけど、たまにはこうして外で呑むのもいいよね)
ましてや、こんなにも綺麗な夜桜を眺めながらの晩酌だなんて、むしろ最高のご褒美とも言える。そんな事を考えながらお酒を呑み進めていると、一足先にほろ酔い気分になった絵里奈がおもむろに立ち上がった。
少し浮足立ったような足取りで桜の木へと近づくと、目の前の幹に両手を這わせながら何やら確認している。
「どうしたの?」
そんな絵里奈の様子を見て不思議に思ったのか、疑問の声を掛けながら小首を傾げる愛菜。
「全然鳴き声なんか聞こえないよね〜」
「……ああ、あの話? やだ、もしかして本気で信じてたの? どうせただの噂だって。それより、せっかく来たんだからお花見楽しもうよ」
まるで愛菜の声など一切意に返していないのか、相変わらずペタペタと幹に触りながら歩き回っている絵里奈。その様子からは、怪異に対する並々ならぬ執着心を感じる。
そんな絵里奈にこれまでどれほど付き合わされてきたことか……数え出したらキリがない。
「もう……また始まっちゃったよ」
「そうだね」
ウンザリとしたような愛菜の声にそう答えると、二人で顔を見合わせて苦笑する。
こうして強引に絵里奈に付き合わされた挙句、放置されるなんてことは今に始まったことではない。今や慣れっこなのだ。
「……あっ! ねぇ見て! この木目、なんか人の顔みたいだよ!」
突然嬉しそうな声を上げた絵里奈の方を見てみると、満面の笑顔を浮かべながらこちらに向けて手招きをしている。
(これは……行かないと納得しなそうだな)
そんなことを思いながら重い腰を上げると、愛菜と二人で絵里奈の元へと近付く。
「ほら!」
自慢気に幹を指差している絵里奈の手元を見てみると、確かに人の顔のような木目がある。
「確かに……」
「わっ。ホントだ」
「ね? これ、人の顔でしょ!?」
「う〜ん……。確かに人の顔っぽいけど、“ぽい”だけで人の顔ではないんじゃない?」
「そうだよ。“ぽく見えるだけ”だって。不気味ではあるけどさ」
「何言ってんの! どう見たって人の顔でしょ、ついに本物の怪異だよ!」
「もう、やめてよ。私そっち系得意じゃないんだってば」
「得意じゃないって言いつつも、愛菜って意外と興味あるよね〜」
「そりゃ……話ぐらい興味はあるよ。でも、実際に見たくはないの!」
そんな二人のやり取りを横目に、私はもう一度木目へと視線を移してみた。
その木目はやはり人の顔のようで、まるでその表情は悲痛に顔を歪めているかのようだ。大きく口を開けたような木目はグニャリと歪んで恐ろしく、それでいてどこか嫌悪感にも似た感情が湧き上がってくる。
「ね? やっぱ人の顔に見えるでしょ?」
そんな私の様子に気付いたのか、絵里奈はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「──あまり不用意に近づくもんじゃないよ」
突然聞こえてきた声に振り返って見てみると、いつの間に来たのか私達のすぐ傍にいた一人の老婆。すっぽりと頭から風呂敷を被っているせいか、一瞬その全容を認識することができずに思わずギョッとする。
「え……?」
「わっ。ビックリしたぁ」
「お婆ちゃん、この桜の木について何か知ってるんですか!?」
興味津々といった感じで食い気味にそう尋ねると、そんな絵里奈に向けて穏やかな笑みを浮かべるお婆ちゃん。
「この桜の木はね、樹齢千年とも言われているんだよ。古くからこの土地を守り、人々に富と繁栄を授けてくださった。とてもありがたい木なんだ。それなのに、最近では怪異だなんだと噂されるようになってね……。確かに樹齢千年は珍しいことだけど、だからといって怪異だなんて。そんな罰当たりな目的で近づいたら、本当に祟られてしまうかもしれないよ」
「じゃあ、“夜鳴き桜”って言われてるのはただの噂ってことですか?」
「夜鳴き桜……? 随分とおかしな名前で呼ばれているんだねぇ。長い事この桜を見てきたけど、そんな話は一度も聞いたことがないよ」
「そんな……。あっ! じゃあ、これは!? この木目! 人の顔に見えますよね!?」
絵里奈の言葉を受けてまじまじと木目を確認すると、お婆ちゃんは再びその視線を絵里奈へと戻す。
「ただの木目にしか見えないけどねぇ……」
「そんなことないですよ! ほらここ! ここが口で、ここが目!」
尚も必死に説明し続ける絵里奈に、困ったような表情を浮かべながら薄く微笑むお婆ちゃん。
「もう、お婆ちゃん困ってるでしょ。やめなよ、絵里奈ってば」
「そうだよ。だから“ぽく見えるだけ”って言ったじゃん」
愛菜と二人で[漢字]宥[/漢字][ふりがな]なだ[/ふりがな]めると、「絶対人の顔なのに……」と文句を溢しながらも大人しくなった絵里奈。
「自分が見たいように脳が錯覚して見ているのかもしれないねぇ。木目が人の顔に見えるだなんて、まぁ、その手の話はよくあるからね」
「ですよね〜。ほら、いつまでも不貞腐れてないで、絵里奈も一緒にお花見しようよ」
「そうだよ。せっかく来たんだから、噂なんて気にせずに楽しもうよ。……あ、良かったらお婆ちゃんも一緒にどうですか?」
「いいのかい?」
「勿論です。この子……絵里奈って言うんですけど、この桜の木に興味があるみたいなんで、良かったらお話でも聞かせて下さい」
そんな私の提案に反対する声もなかったことから、一緒に呑むこととなった私達。いくら無害そうな老婆とはいえ、初対面で誘ってしまったのは少し強引すぎただろうか……?
そう思ってチラリと見てみると、すっかりと打ち解けている様子の三人。絵里奈に至っては随分とご機嫌だ。
「へ〜桜の味のする日本酒ですか!? 美味しそうですね!」
「うちは代々酒屋をやっていてね、この桜の木の恩恵でだいぶ繁盛しているんだよ。少し味見してみるかい?」
「えっ、今あるんですか!? じゃあ、是非!」
「私も一口もらってもいいですか?」
「愛菜ってば、お酒弱いくせに日本酒なんて飲んで大丈夫なの〜?」
「だって気になるじゃん」
そんな三人のやり取りを聞きながら、紙コップに日本酒を注ぎ始めたお婆ちゃんを静観する。
「[漢字]亜里沙[/漢字][ふりがな]ありさ[/ふりがな]は味見しないの?」
「うん、私はいいかな。少し酔っちゃって。愛菜もやめといたら? お酒弱いんだし」
「え〜、でもどんな味か気になるし……」
「またおぶって帰らせる気?」
「うっ。それを言われると何も言い返せない……」
気まずそうな表情をしながら眉尻を下げる愛菜を見て、クスリと小さく声を漏らす。
「それにほら、見てよ。なんかちょっと怪しくない?」
愛菜の耳元でコッソリとそう告げると、絵里奈達の方へと視線を向けてみる。
なにやら数珠のようなものを取り出して、絵里奈に向けてブツブツと唱え始めたお婆ちゃん。その姿はどう見ても異様で、お世辞にもまともとは言えない。
「え……。絵里奈、何してるの?」
「なんかね、富と繁栄のお祈りしてくれるんだって」
当の本人はその異様さを全く気にしていないのか、愛菜からの質問に上機嫌でそう答える。
「……ね? ちょっと不気味でしょ?」
「うん……やっぱり味見はやめとくよ」
そんなやり取りを愛菜と二人でコッソリとする。
「──さ、呑んでいいよ」
祈りが無事に終わったのか、お婆ちゃんに促された絵里奈は紙コップに注がれた日本酒をコクリと喉へ流し込んだ。
「……わぁ! 美味しい! ほんのり桜の味がして、甘口で凄く呑み易い!」
「うちの自慢のお酒だからねぇ。愛菜ちゃんも味見するかい?」
「あ……いや、私はやっぱりやめておきます」
「それは残念だねぇ」
チラリと私に視線を寄せたお婆ちゃんに軽く微笑むと、「この子、お酒弱いんで。私も遠慮しておきます」と口を添える。
そんな中、よほど気に入ったのかグビグビと日本酒を呑み進める絵里奈。いくらお酒に強い方だからとはいえ、そんな勢いで呑んでこの後大丈夫なのだろうか?
「ねぇ、もっとゆっくり呑んだら?」
「大丈夫、大丈夫〜」
今更私の助言など聞くような人ではない。どうやら絵里奈の好きにさせるしかなさそうだ。
そんなことを思いながら一時間程が経った頃。見事に酔い潰れた絵里奈は、一人ブルーシートの上で横になっていた。
「だから言ったのに……これのどこが味見なのよ」
ウンザリとした溜め息を溢しながらそう呟くと、クスリと声を漏らしたお婆ちゃんが口を開いた。
「相当気に入ってくれたみたいだからねぇ」
半分程の中身となった酒ビンを持ち上げると、嬉しそうな笑顔を浮かべるお婆ちゃん。
あれを絵里奈一人で呑んだのだから、潰れるのも無理はない。
「それじゃ、私はそろそろお暇しようかね。今日は楽しかったよ、ありがとね」
「あ、こちらこそ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
立ち去ってゆくお婆ちゃんを愛菜と二人で見送ると、もう一度絵里奈へと視線を移して大きく溜め息を吐く。
すると、突然むくりと起き上がった絵里奈がおもむろに桜の木を見上げた。
「……? どうかした?」
「鳴き声が聞こえる……」
「……え?」
「男の人の鳴き声……この桜の木から聞こえる」
まるでうわ言のようにそう呟く絵里奈を見て、不思議そうに首を捻る愛菜。
「何も聞こえないけど。ちょっと呑みすぎたんじゃない?」
そんな愛菜の声すら届かないのか、一心不乱に「鳴き声が聞こえる」と言い続ける絵里奈。その姿はとても異様で、まるで何かに取り憑かれているかのようだった。
──そんな絵里奈が行方不明になったのは、それから一週間程が経った頃だった。
一人、A公園へとやって来た私は、あの桜の木の前で足を止めると目の前の木目を眺めた。
「……本当だったんだ」
一つ増えた木目を眺めながらニッコリと微笑む。
当初は半信半疑ながらに来たものの、この木目を絵里奈に見せられた時には随分と驚いた。
「──上手くいったようだね」
突然の声に振り返って見てみると、あの日本酒を携えたお婆ちゃんがゆっくりと私の方へと近付いてくる。
「うん。ねぇ、もしかしてあの木目って……」
あの時絵里奈が見つけた木目に視線を移すと、それに気付いたお婆ちゃんは柔和な笑みを浮かべる。
「あの男はあんたたち母娘に手をあげていたからね……自業自得さ」
十年以上前に行方不明になった父の姿を思い浮かべる。
「やっぱりお父さんなんだ──ありがとう、お[漢字]祖母[/漢字][ふりがな]ばあ[/ふりがな]ちゃん」
「本当は[漢字]梓[/漢字][ふりがな]あずさ[/ふりがな]が教えることだったんだけどね。あの子は六年前に亡くなってしまったから……。亜里沙もいずれ結婚して女の子ができたら、その子が二十歳になった時に教えてあげるんだよ。一人でできそうかい?」
「うん。大丈夫だよ」
そう言ってニッコリと微笑めば、嬉しそうな笑みを浮かべる祖母。
今から五年前。二十歳の誕生日に祖母から聞かされたのは、代々女系家族にのみ受け継がれてきた古い風習だった。
生贄を捧げ、それにより長く生き続けてきた桜の木。そして、その桜から作った日本酒で財を成していった人々──。それが私の家系なのだと。
真新しい木目に視線を移してみると、そこに見えたのは泣き叫んでいるかのような絵里奈の顔。夜鳴き桜の噂を社内で流したのが、まさか私だったとは思いもしなかったはず。
こうして生贄の儀式をこなしながら嫌いな人を消せるだなんて、これ以上ない程に便利なお役目だ。私は一生、この家系に生まれたことに感謝するだろう。
そして長い年月を生きてゆく中で、私はまた新たに消したい“誰か”に出会うのだ。
「ねぇ──“夜鳴き桜”って知ってる?」
─完─