閲覧前に必ずご確認ください
話によるためシリーズとしてのタグはつけませんが、暴力表現がある場合がございます。読む前に、1話ごとにチェックしていただくことをお勧めします。
黄昏時。暗い西の空に、仄かに黄金色が輝く時。その時間帯は大体17時から19時までと言われている。
そして蛍黒寮では、不定期に存在するある『儀式』は、この時間帯にしなければならない、と定められている。過去の亡霊たちが黄昏の、黄泉への道を示してくれるはずだから、と。これが、その時間帯が逢魔が時とも呼ばれる由縁である。
「毬藻」
〈おう〉
「見に行かなくていいのか」
〈…こいつを起こせるならな〉
そう言いつつ見やった先には、薄桃色の髪の毛をした彼が毬藻の肩で寝息を立てていた。慈しむ様に毬藻が頭を撫でると、かすかな唸り声と共に身じろぎをする。
〈……どうせ起きねぇし、お前が行けよ〉
「…まあ、支障はないが。私では、勘違いされるぞ」
〈……〉
「顔は似てないどいえども、朧げな視界では女に間違えられやすいのに変わりはない」
そうなると、繊細なあいつは更に傷ついてしまうから。
私の目をじっと見つめた毬藻は、諦めたように目を閉じて、髪の毛を掻き上げた。長い前髪の隙間から左目の眼帯が露になる。
〈…じゃあどうしろってんだ。見ての通り俺は動けねぇし、お前も無理。ここに幽霊なんざいねぇぞ。いっそのこと、契約獣を呼び出すぐらいしか…〉
「…その手があったか」
〈マジにやろうとすんな馬鹿キョーカ!〉
印式を組もうとした私の手を毬藻のアームが止める。不服な顔をするも、離してくれる気はないようで。
因みに、これまでの会話は全て小声である。
〈契約獣に何ができるってんだ。互いに触れられないってのに〉
「…?何を言っている。そんなもの、本体に来てもらえればいいだろう」
〈馬鹿言ってんじゃねぇお前、ここからどんだけ離れてると思ってんだ〉
「結界外の更に外だから、徒歩で来るなら1日以上はかかるな」
〈だろ、それに俺らが頼んだところで素直に話を聞く奴らじゃねぇ。断られるのは目に見えてる〉
「それもそうか」
〈少しは考えろ〉
ぺち、と頭をアームで叩かれる。叩かれた箇所に手をやりながら、ぽつりと声が弾む。
「…あいつはいつになったら、報われる」
〈……〉
「私たちのように、報いを受ける機会があったならまだしも。その『時』は、私たちがいる限り訪れない筈のものだ」
〈…その『時』があったとしても、あいつは自分を許さないだろうよ〉
あの意地っ張りは、きっと背負い続けるのだろう。報いを受けたとしても、亡霊として、悔いを残したまま生き続ける。いつかあの出来事が忘れ去られたとしても、ずっと。
〈『氷の魔印』は、罪を証明する証だから〉
魔印。体内印力量が一定数より多い者に刻まれる、印力の結晶。それはこの世の物質、現象の数だけ存在し、あらゆる因果を巡って、魔印が主人だと判断した者に刻まれる。魔印保有者となった者は固有の能力を発現させ、操ることが可能になる。その能力に適性があればあるほど、心臓に近い場所に保有者の印が刻まれる。
ある者は、保有者のことをこう表現した。『まるで、彼らは魔物の心臓をその身に宿した化け物のようだ』と。
「…間違ってはいない」
そう言って、京香は一枚、ページをめくった。力を入れすぎたのだろうか、そのページに皺が寄る。
「水面家に受け継がれている液体系統の魔印。それらの保有者でない者は水面家の人間にあらず。家訓である『純白』とは程遠い」
〈それに加えて。液体…しかもその中でも強力とされる水系統の魔印であるにも関わらず、『氷の魔印』の保有者だけは、非保有者と同じ扱いを受けた〉
目の前に御三家の情報を投影した毬藻は、その中の水面家のファイルをアームでタップし、新しく投影する。深緑の瞳が新緑の光に反射し、骨電動式のヘッドセットが機械特有の音とともに熱量を上げた。
〈…約七年前、珍しく3名の処刑があった。歴史はそこそこ長い蛍黒寮も第4回目だった処刑。夕焼けが眩しかった黄昏時、跳んだ首…もとい肉は、水面家の上3人〉
「…手をかけたのは、実の弟であった当時10歳だったカオルだっけね」
「おはよう」
〈起きたか〉
「昨日は遅くまで仕事しっとたから…居眠りしちゃった」
ふあ、と欠伸をかましながら伸びをした冬理は、眠気を飛ばすかのように頭を振った。
「俺行ってくるわ」
〈…すまんな〉
「私でも毬藻でも、今日はたぶん無理だ」
「知っとる。だから、誰にも似てない俺が行くんや」
上着のポケットに手を突っ込み、ソファーから飛び降りた彼は、赤く染まり始めた空を見つめた。窓から侵入してくる光は、少しずつ伸びて背の低いテーブルに影を作り出す。
「今日は、誰かさんの月命日やしな」
『氷の魔印』。それは、初めに水面家を呪った者が保有していた魔印だ。
水面家は御三家の中でも家訓を忠実に守り、その掟に従った血族間の結束は、獣を狩るハンター達の中でも最も強固だ。しかしその反面、血筋に関する差別が根付いており、血族の者でありながら掟に背いた者にはその時点で未来の保証などない。実際、水で錆びついた白に白を歪に塗り重ねた純白さに異議を唱えた者は過去に幾人かいたものの、その後の詳細は分かっていない。
それだから、あの悲惨な『事故』が起きたのであろう。カオルはまだ幸いだった。まだまだ、血の掟に染まり切れなかった兄弟がいたから。
「……『俺たちは、血から生まれとるんや』って…今となっては、意味だけは痛いほどわかるわな」
そう呟いて、過去の記憶に思いをはせる。
血統というものは、切っても離れられない関係であることは理解している。人というものは優越をつけたがる生き物だし、そして伝統というものにしがみついて生きる奴がいることも知っている。けれど、それを実際に目の当たりにしたとき、自分は耐えられなかったから。
だからこそ、それを受け入れて、消化して、けれども煮え切らなかった思いをまだこじらせている我らが末っ子に目をかけているのだろう。戦えるように、自分を守れるように、戦闘においての全ての基礎を叩き込んだのは他でもない自分だった。
「難儀なもんやな、人間って」
左の鎖骨に手を添える。制御がブレてしまったのか、感情の波に合わせてほんの微かに辺りに印力の波が漂った。それに応じて、手のひらの下から淡い桜色の光が漏れ出る。
(この力がある限り、俺は人間じゃない)
その戒めによって心の揺らぎが落ち着いてしまうのは、皮肉と言ったところか、それとも。
人の気配がして目を覚ます。部屋の戸に手がかけられる気配がしたが、起き上がれる気にはなれなかった。まだ頭痛いし。カーテンの隙間から零れる明るい光が眩しくて、目をつぶる。
「なんやねん、起きとんかいな」
「…たった今だよ。何の用、チビ冬理」
「チビは余計やあほんだれ」
枕元に立つと、チビに向けている後頭部を軽く手で叩かれる。その振動で頭が揺れて、思わず布団の中で縮こまった。
「…?頭痛いん」
「いたい…」
「あれまあ、悪いことしたな。どれどれ、ちょっと手入んで」
布団の中にほんのり暖かい手が入って来て、俺の腰のあたりをまさぐる。
「…へんたい」
「やかましいなボケェ」
俺の手首を探り当てると、布団の中から引っ張り出して指を添えた。
「顔」
「…」
向けていた方向と反対方向に急に首を回転させられて、コキリと子気味いい音が鳴る。結構痛かったんだけど。
親指の腹で瞼を捲られて、じーっと見つめられる。絶対今俺の顔不細工なんだろうな。
「あーあ、お前毬藻に怒られんで。最近碌なもん食ってないやろ」
「…なんで」
「何で言うても、こんな真っ白な瞼裏に不整脈なんかお前、自分貧血ですーて吹聴しとるようなもんやろ」
知るかよ。俺は生憎そういうものには詳しくないんだ。
「取り合えずお前、なんか食え。毬藻に軽く作ってもらうから。ここと下どっち」
「…こっち」
「待っといてよ。逃げるのは許さんからな!」
ぷんすこと放屁のエフェクトを頭から噴出しながら部屋を去っていくチビの背中を見ながら、扉ぐらい閉めてけよ、とため息をつく。まあ、もう仕方ないか。
布団を頭までかぶり、目を開けていたくなくて、目を閉じる。視界は真っ暗闇。この闇が心地いい。
ああ、光なんてものがなけりゃ、なんの色も見なくて済むのに。
この世界は美しく、残酷だ。
そして蛍黒寮では、不定期に存在するある『儀式』は、この時間帯にしなければならない、と定められている。過去の亡霊たちが黄昏の、黄泉への道を示してくれるはずだから、と。これが、その時間帯が逢魔が時とも呼ばれる由縁である。
「毬藻」
〈おう〉
「見に行かなくていいのか」
〈…こいつを起こせるならな〉
そう言いつつ見やった先には、薄桃色の髪の毛をした彼が毬藻の肩で寝息を立てていた。慈しむ様に毬藻が頭を撫でると、かすかな唸り声と共に身じろぎをする。
〈……どうせ起きねぇし、お前が行けよ〉
「…まあ、支障はないが。私では、勘違いされるぞ」
〈……〉
「顔は似てないどいえども、朧げな視界では女に間違えられやすいのに変わりはない」
そうなると、繊細なあいつは更に傷ついてしまうから。
私の目をじっと見つめた毬藻は、諦めたように目を閉じて、髪の毛を掻き上げた。長い前髪の隙間から左目の眼帯が露になる。
〈…じゃあどうしろってんだ。見ての通り俺は動けねぇし、お前も無理。ここに幽霊なんざいねぇぞ。いっそのこと、契約獣を呼び出すぐらいしか…〉
「…その手があったか」
〈マジにやろうとすんな馬鹿キョーカ!〉
印式を組もうとした私の手を毬藻のアームが止める。不服な顔をするも、離してくれる気はないようで。
因みに、これまでの会話は全て小声である。
〈契約獣に何ができるってんだ。互いに触れられないってのに〉
「…?何を言っている。そんなもの、本体に来てもらえればいいだろう」
〈馬鹿言ってんじゃねぇお前、ここからどんだけ離れてると思ってんだ〉
「結界外の更に外だから、徒歩で来るなら1日以上はかかるな」
〈だろ、それに俺らが頼んだところで素直に話を聞く奴らじゃねぇ。断られるのは目に見えてる〉
「それもそうか」
〈少しは考えろ〉
ぺち、と頭をアームで叩かれる。叩かれた箇所に手をやりながら、ぽつりと声が弾む。
「…あいつはいつになったら、報われる」
〈……〉
「私たちのように、報いを受ける機会があったならまだしも。その『時』は、私たちがいる限り訪れない筈のものだ」
〈…その『時』があったとしても、あいつは自分を許さないだろうよ〉
あの意地っ張りは、きっと背負い続けるのだろう。報いを受けたとしても、亡霊として、悔いを残したまま生き続ける。いつかあの出来事が忘れ去られたとしても、ずっと。
〈『氷の魔印』は、罪を証明する証だから〉
魔印。体内印力量が一定数より多い者に刻まれる、印力の結晶。それはこの世の物質、現象の数だけ存在し、あらゆる因果を巡って、魔印が主人だと判断した者に刻まれる。魔印保有者となった者は固有の能力を発現させ、操ることが可能になる。その能力に適性があればあるほど、心臓に近い場所に保有者の印が刻まれる。
ある者は、保有者のことをこう表現した。『まるで、彼らは魔物の心臓をその身に宿した化け物のようだ』と。
「…間違ってはいない」
そう言って、京香は一枚、ページをめくった。力を入れすぎたのだろうか、そのページに皺が寄る。
「水面家に受け継がれている液体系統の魔印。それらの保有者でない者は水面家の人間にあらず。家訓である『純白』とは程遠い」
〈それに加えて。液体…しかもその中でも強力とされる水系統の魔印であるにも関わらず、『氷の魔印』の保有者だけは、非保有者と同じ扱いを受けた〉
目の前に御三家の情報を投影した毬藻は、その中の水面家のファイルをアームでタップし、新しく投影する。深緑の瞳が新緑の光に反射し、骨電動式のヘッドセットが機械特有の音とともに熱量を上げた。
〈…約七年前、珍しく3名の処刑があった。歴史はそこそこ長い蛍黒寮も第4回目だった処刑。夕焼けが眩しかった黄昏時、跳んだ首…もとい肉は、水面家の上3人〉
「…手をかけたのは、実の弟であった当時10歳だったカオルだっけね」
「おはよう」
〈起きたか〉
「昨日は遅くまで仕事しっとたから…居眠りしちゃった」
ふあ、と欠伸をかましながら伸びをした冬理は、眠気を飛ばすかのように頭を振った。
「俺行ってくるわ」
〈…すまんな〉
「私でも毬藻でも、今日はたぶん無理だ」
「知っとる。だから、誰にも似てない俺が行くんや」
上着のポケットに手を突っ込み、ソファーから飛び降りた彼は、赤く染まり始めた空を見つめた。窓から侵入してくる光は、少しずつ伸びて背の低いテーブルに影を作り出す。
「今日は、誰かさんの月命日やしな」
『氷の魔印』。それは、初めに水面家を呪った者が保有していた魔印だ。
水面家は御三家の中でも家訓を忠実に守り、その掟に従った血族間の結束は、獣を狩るハンター達の中でも最も強固だ。しかしその反面、血筋に関する差別が根付いており、血族の者でありながら掟に背いた者にはその時点で未来の保証などない。実際、水で錆びついた白に白を歪に塗り重ねた純白さに異議を唱えた者は過去に幾人かいたものの、その後の詳細は分かっていない。
それだから、あの悲惨な『事故』が起きたのであろう。カオルはまだ幸いだった。まだまだ、血の掟に染まり切れなかった兄弟がいたから。
「……『俺たちは、血から生まれとるんや』って…今となっては、意味だけは痛いほどわかるわな」
そう呟いて、過去の記憶に思いをはせる。
血統というものは、切っても離れられない関係であることは理解している。人というものは優越をつけたがる生き物だし、そして伝統というものにしがみついて生きる奴がいることも知っている。けれど、それを実際に目の当たりにしたとき、自分は耐えられなかったから。
だからこそ、それを受け入れて、消化して、けれども煮え切らなかった思いをまだこじらせている我らが末っ子に目をかけているのだろう。戦えるように、自分を守れるように、戦闘においての全ての基礎を叩き込んだのは他でもない自分だった。
「難儀なもんやな、人間って」
左の鎖骨に手を添える。制御がブレてしまったのか、感情の波に合わせてほんの微かに辺りに印力の波が漂った。それに応じて、手のひらの下から淡い桜色の光が漏れ出る。
(この力がある限り、俺は人間じゃない)
その戒めによって心の揺らぎが落ち着いてしまうのは、皮肉と言ったところか、それとも。
人の気配がして目を覚ます。部屋の戸に手がかけられる気配がしたが、起き上がれる気にはなれなかった。まだ頭痛いし。カーテンの隙間から零れる明るい光が眩しくて、目をつぶる。
「なんやねん、起きとんかいな」
「…たった今だよ。何の用、チビ冬理」
「チビは余計やあほんだれ」
枕元に立つと、チビに向けている後頭部を軽く手で叩かれる。その振動で頭が揺れて、思わず布団の中で縮こまった。
「…?頭痛いん」
「いたい…」
「あれまあ、悪いことしたな。どれどれ、ちょっと手入んで」
布団の中にほんのり暖かい手が入って来て、俺の腰のあたりをまさぐる。
「…へんたい」
「やかましいなボケェ」
俺の手首を探り当てると、布団の中から引っ張り出して指を添えた。
「顔」
「…」
向けていた方向と反対方向に急に首を回転させられて、コキリと子気味いい音が鳴る。結構痛かったんだけど。
親指の腹で瞼を捲られて、じーっと見つめられる。絶対今俺の顔不細工なんだろうな。
「あーあ、お前毬藻に怒られんで。最近碌なもん食ってないやろ」
「…なんで」
「何で言うても、こんな真っ白な瞼裏に不整脈なんかお前、自分貧血ですーて吹聴しとるようなもんやろ」
知るかよ。俺は生憎そういうものには詳しくないんだ。
「取り合えずお前、なんか食え。毬藻に軽く作ってもらうから。ここと下どっち」
「…こっち」
「待っといてよ。逃げるのは許さんからな!」
ぷんすこと放屁のエフェクトを頭から噴出しながら部屋を去っていくチビの背中を見ながら、扉ぐらい閉めてけよ、とため息をつく。まあ、もう仕方ないか。
布団を頭までかぶり、目を開けていたくなくて、目を閉じる。視界は真っ暗闇。この闇が心地いい。
ああ、光なんてものがなけりゃ、なんの色も見なくて済むのに。
この世界は美しく、残酷だ。