【伏黒恵】あなたに聞きたいことがある。
「なぁ、伏黒の父ちゃんと母ちゃんってどんな人だったんだ?」
体術の授業。の休憩中。
なんとなしに虎杖は伏黒にそう尋ねた。
自分の事をあまり話さない伏黒に、姉がいたと知ったのはつい最近のこと。
そのためか、虎杖は彼の両親のことが気になった。
「あんまり覚えてない」
「えっ!?なんか、ごめん……」
「いや、気にしなくていい」
あまり触れていい事ではないと思った虎杖は思わず謝ってしまった。
だけど当の本人が何も気にしていないために虎杖はそれ以上言葉を紡ぐのをやめた。
幼い子供たちを置いて、他の女を作り蒸発したと思っている伏黒はあまり父親という存在にいい印象は持っていない。
そもそも、伏黒は自分の父親の姿を知らないでいた。
そのために両親と過ごした記憶は何一つなく、幼い記憶と言えば姉である津美紀と保護者である五条と過ごした日々だけ。
だからと言ってそれが不幸せだと思った事がない。
「小さい子供を一人にしてしまうなんてひどい親だね」なんて言われても、ピンとこなかった。
禪院家に売られる予定らしかったが、五条のおかげで伏黒という名字で、姉である津美紀との日々を送れている今、五条には感謝していた。
その津美紀は呪いによって寝たきりになってしまったとしても。
「案外、酷いのは俺の方かもしれない」
「え?」
ぽつりとつぶやいた言葉は虎杖には聞こえなかったようだ。
そのことに伏黒は安堵した。
俺は、両親の事を全然覚えていない。
全然知らない。
なんでいなくなってしまったのかも。
俺はそんな事すら知らないんだ。
そう考えると、酷いのは、一体どっちなんだろうか。
答えのない疑問を抱きながら。
伏黒は青い空を見つめた。
◆◆◆
その日の夜。
夢の中にいた伏黒は自然と目が覚めた。
時計を確認すればまだ夜の2時を過ぎた頃で。
なぜこんな中途半端な時間に起きてしまったのかと冴えた頭で考えていた。
その時。
どこからか自分の名前を呼ぶような、声が、伏黒の耳に届いた。
「……み、……恵」
「五条、先生……?」
伏黒を下の名前で呼ぶのは高専内では禪院真希か五条悟のみ。
しかし声の低さからすると男のもの。
ということは、もしかしたら担任である五条がなにかしら用があって、自分を呼んでいる可能性が高いと伏黒は踏んだ。
ベッドから起き上がり、部屋の扉を開ける。
しかしそこには誰もいない。
暗い廊下だけが広がっているだけだった。
だけど、自分を呼ぶ声はずっと聴こえている。
「なんなんだ……」
不審に思いながらも、名前を呼ぶ声が聞こえる方へと歩を進めた。
高専を出て、敷地内の山の中。
その奥の方まで、伏黒は歩く。
こんな山奥から、彼の部屋まで声が届くはずがないという疑問を抱くこともなく伏黒はただただ声のする方へと歩き続ける。
「聞こえてるよ、なんだよ」
近づいてくる声に、答えるように。
伏黒は声を出した。
がさがさと草木を分けて何かがやってくる。
いつでも式神を出せるように構える伏黒の前に一人の男が姿を現した。
「あ?俺のガキかと思ったら、違うのが出て来た」
唇に傷のあるガタイのいい男は、伏黒を見下ろしている。
今にも舌打ちをしそうな勢いの男は伏黒を見るなり、踵を返し。
「恵!!どこだ!!出て来い!!」
「おい……」
「パパ!!」
なぜこの男が自分の名を呼ぶのか到底理解できない伏黒は男に声をかけた。
しかしそれはもう一つの声によって遮られた。
と同時に。
伏黒は目を見張った。
目の前には、幼い伏黒の姿があったからだ。
見間違うはずがない。
5、6歳ほどの小さな少年は、伏黒自身だった。
「パパ、やっと見つけた。どこ行ってたの」
「それはこっちのセリフだ。どこ行ってた」
「どこにも行ってないよ。ずっとここにいたよ」
「はぁ。なにわけのわかんないこと言ってんだ」
二人のやり取りをただ見るしかない伏黒は、目の前の男が自分の父親であることを確信したが未だに信じられないでいた。
なぜ、ガキの自分が。
なぜ、目の前に父親が。
ぐるぐると思考回路は回り続ける。
そんな伏黒を男は横目で見た。
「恵。この兄ちゃんが一緒に遊んでくれるってよ。よかったな。俺は家で寝てるから暗くなる前に帰って来いよ」
「おい、ちょっと……!!」
「悪いな、俺は眠いんだ」
そう言って男はひらひらと手を振ってどこかへ行ってしまった。
残される伏黒とチビ黒。
お互いに顔を見合わせて、伏黒は深いため息を吐いた。
「……なにして、遊ぶ?」
子供の扱いなど慣れていない伏黒。
しかも相手は幼い頃の自分。
ますますどう接すればいいのかわからずにぎこちなくなってしまう。
ちらりと、見下ろせばチビ黒が服の裾を掴んで俯いていた。
「……僕、誰でもよかったわけじゃない」
小さく零れた声に。
伏黒もまた俯いた。
「そうだな。"俺"は、父さんと一緒がよかったんだ」
◆◆◆
「あの、起きてくれませんか?」
あの後、伏黒はチビ黒に少し待つようにと言い残し、男を探した。
男は家で寝ていると言っていたが、少し離れた場所で大木を背に寝ていた。
それを見つけて、イラっとした伏黒は歩幅を広めて近づき声をかけた。
「あ?なんだお前。恵はどうした?」
「向こうで、玉犬出す練習するって言ってました」
「ああ……。にしてもよくここがわかったな」
「探しました」
「へぇ。お前、名前は?」
恵、と名乗りそうになった伏黒は少し考えたあと「悟」と恩師の名前を出した。
なぜその名前を出したのか伏黒自身もよくわかっていない。
男は一瞬目を丸くしたあと、にやりと笑う。
「俺の知り合いにも同じ名前の奴が要るんだけどよ、こいつがまた六眼持ちの無下限の術式を使う奴でな。生意気なんだぜ」
「そう、ですか」
「こう見えてあのチビの父親なんだ、俺。あいつの術式見たか?」
「はい、少しだけ……」
「へったくそだろ。相伝術式受け継いでんのに、まだ玉犬すら出せねえの」
「そうですね……」
「笑っていいともみたいな反応すんな、お前」
「は?」
「はは、気にすんな」
ケラケラ笑う男に、伏黒は少しだけ戸惑いを見せながらも一つの疑問を投げつける。
「どこかに、行くんですか?」
「……なんでそう思う」
「なんとなく。そんな気がして……」
「どうだろうな。ただ、仕事が入った。しばらくはあいつの所には帰らないだろうな」
「……」
「せめてあいつが玉犬を出せるまではと思ったが、世の中そううまくはいかねえみたいだ」
その言葉に、伏黒は生唾を飲み込んだ。
逆を言うなれば、玉犬を調伏したなら男はチビ黒の前から完全にいなくなると言う事だろう。
「もし、調伏したら、あんたはあの子を置いていくんですか?」
「………置いていくんじゃない。売りに行くんだよ」
にたり、と男は笑った。
伏黒はぐっと唇を噛み拳を握った。
目の前の男の言葉に。
伏黒はここに来る前のチビ黒との会話を思い出していた。
チビ黒は男の去った場所を見つめながら小さな声で呟いた。
「もし、もし僕が玉犬を上手に出せないままだったら。パパはどこにも行かないでくれるかな」
もし、そうだったら。
禪院家に売られるなんて選択肢は生まれなかったかもしれない。
もし、相伝術式を継いでなかったら。
もし、そうなら俺は……。
そんな風に思ってしまっても。
受け継いだからには。
そういうわけにもいかない。
たられば、なんてものは。
ただの願望に過ぎない。
伏黒は小さく息を吐いた。
目の前でニヤニヤ笑う男を殴りたい衝動を抑え、チビ黒の元へと向かった。
チビ黒は練習で疲れたのか、切り株に寄りかかって寝ていた。
寒くないだろうかと思い伏黒は玉犬を出し、チビ黒を包むようにと命をだした。
「……ん」
「悪い、起こしたか」
玉犬の温もりに目を覚ましたチビ黒はじっと式神を見つめる。
その小さな手を式神へ伸ばし優しく撫でた。
「僕も、この式神知ってる。まだ上手に出せないけど」
「奇遇だな。俺も最初はてこずった。でも、こいつらは俺が最初に出せるようになった式神なんだ。だからすごく頼りにしてるし、大事にしてる」
「僕も、おにいさんみたいに、上手に出せるかな」
「出せるよ。一緒に練習するか?」
チビ黒の表情が明るくなった。
その頭をわしわしと撫でる伏黒はチビ黒に式神の調伏の仕方をおしえてあげた。
その様子を少し離れた木の陰で、男がじっと見つめているのも知らずに。
目の端に男の姿が映ったのを伏黒は見逃さなかった。
急いで走ってその背中を追う。
「ちょっと、待て!!」
「見てたぜ」
少しだけ弾む息を整える伏黒を目に映しながら男は笑って言った。
「チビに調伏の仕方教えてやったんだな。感謝するぜ。おかげで俺は一人で行ける」
「…………」
何か言わなくてはいけない。
だけど何を言えばいい。
行かないでくれなんて。
そんなこと今更。
言いたい言葉は喉に突っかかって音として出ない。
俯いて、眉間に皺を寄せ、唇を噛む。
そんな伏黒の様子を見て、男は伏黒に近づき見下ろし伏黒の頭に手を乗せた。
「どうした"恵"。また泣いてんのか」
はっと顔をあげた。
男は目を細めて伏黒を見ている。
その瞳に、伏黒の鼻の奥が少しだけツンとした。
「すぐ泣く癖、どうにかしろよ。女に嫌われるぜ」
「……俺、は」
「なんだ、チビ。はっきり言え」
「俺は、あんたにとっては荷物だったか?」
伏黒の言葉に、男は一瞬だけ黙った。
しかしふっと笑って。
「そうだな。荷物かと言われればそうだし金と見れば荷物なんかじゃない」
「クズだな」
「はははっ。だけど、これだけは言える。お前は俺の愛した女のガキだ。誇りに思え」
「なんだそれ……」
ふは、と思わず笑みがこぼれた。
こんなクズの癖に何を誇りにしろと言うのだろうか。
幼い子供を置いてどこかに行ってしまうような酷い親の癖に。
それでも胸を張れと言う男の事を、伏黒はどこか誇らしさを感じた。
「……俺からもお前に聞きたいことがある」
「なんだよ」
「取り残されたお前がどう生きたかは知らねえ。俺は、お前と一緒にいたほうがよかったか。それとも売った方がよかったか」
男の問いかけに思い出すのは、小さかった頃の記憶。
突然父親がいなくなり寂しさでたくさん泣いた。
津美紀にもたくさん世話を焼かせた。
辛い日々の方が多かったのは事実だった。
だけど、伏黒ははっきりと答えた。
「もし、あんたと一緒でも禪院家に売られたとしても。たぶん俺は俺の幸せを、津美紀の幸せを、そういうものを知らずにいたままだったと思う。だから、俺は、このままでいい。伏黒恵のままで」
「……禪院じゃなくて伏黒か。よかったな。またどっかで会えるといいな」
背を向けて男は伏黒の前から姿を消した。
静かな山の中。
もう誰も伏黒の名前を呼ぶ者はいない。
寮へ戻る途中、チビ黒がいるか気になったがチビ黒の姿も無かった。
それがどこか寂しく嬉しかった。
◆◆◆
「おい、伏黒!!ふーしーぐーろー!!」
身体を揺さぶられ、夢の中から覚醒する。
ゆっくりと目を開けると目の前には虎杖の姿があった。
「いた、どり……?」
「珍しいな、お前がこんな時間まで寝てるなんて。遅刻してんぞ」
「……まじかよ」
虎杖の言葉に時計を見れば時刻は10時を回っていた。
確かにこれは遅刻だ。
大遅刻だ。
深いため息を吐く伏黒に、虎杖はどこか楽しそうに笑っている。
「いい夢見てたのか?」
「は?」
「すごい幸せそうな顔をしていたからさ」
「あー……忘れた」
「わかる!!夢ってすぐ忘れるよな、なんでだろ」
いい夢だったことに違いはないのだが、内容が思い出せない。
まだ寝ぼけている頭を起こすために首を振ってベッドから降りる。
どんな夢だったかは忘れた。
だけど、胸の内はどこか温かい。
「虎杖」
「んー?」
「たぶん俺の親父、すげえクズ野郎だったと思う」
「え、何急に。どうした」
「なんでもねえ」
なぜか、ふいに口からそう出た。
伏黒自身もなぜその言葉が出たのかわからなかったが、無意識のうちにでたならば多分そうなんだろうな、と思う事にした。
今、アンタに聞きたいことがある。
アンタは今どこで何をしているんだろうな。
窓から覗く空はどこまでも青く、どこまでも澄んでいた。
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