スピカの魔法方程式
#1
第一章 一話 白銀の春
「さあ、立ち上がりなさい。魔法使い見習いとして。この先己の信念を、想いを捨ててしまうことがないように」
その言葉は、瞬間は、決して忘れられないものだった。
十人十色のクラスメイトたちの姿も、響く華やかな音楽さえ霞んでしまうような、学園長先生のひとこと。そこから、私の学園生活は始まった。
いつか、両親のような魔法使いに。夢を、希望を、魔法をその手で紡ぐ、憧れてきた存在になれたら。ただそれだけを思っていままでを歩んできたあたしの、第一歩。
今は会えないお父さんだって、いつか届くように。
鼓動の高鳴りを感じて、指先まで震える。
心地よい風が鼻先をくすぐり、ほてった頬を冷やす。五感ぜんぶで感じることが、隅々まで記憶に焼きつく気がした。
緊張までも吹き飛んで、やっと清々しい気持ちだけが胸に残った。
うん、あたしは絶対叶えるから。
一人前の魔法使いになる。今はまだ届かない場所にも行く。これから増えていく願い事だって、全部。
だから見ていなさい。そう、誰に言うでもなく誓った。
***
心中でそんな決意をしたことさえ、今でも忘れていない。
2年生の春。まだ、花の甘い匂いが漂う時期。始業式を終えたばかりだ。
「やあやあっ、浮かない顔をしてどうしたんだい? 悩みごとがあるなら僕に話すといい、必ず助けになってあげよう」
「手を取るな気色の悪い!」
その浮かない顔はあんたのせいだと言いたいのを飲み込んで、掴まれた手を振り解き再び向き直る。
「あれ、そういえば自己紹介はしたのだっけ? では改めて、僕はツルギ──」
「ノワール、でしょう。知ってるわ」
そう、こいつはツルギ・ノワール。あたしの、今年のルームメイトだ。
「うん、ご名答」
月光を束ねたような白銀。何もかも見透かすような鋭い双眸に、宵闇に漬け込んだような瞳。馬鹿みたいに気崩したパンツスタイルの制服。
なにより、その浮ついた言動。
去年も違うクラスだったから知らなかったのだけれど、こいつは噂に聞くより何十倍もうざったくて、同じ空間にいるだけで辟易してしまうような奴だったらしい。
「あぁ、またそんな暗い表情をして……。せっかくのかわいいお顔がもったいない!」
一旦目の前の女の言葉をミュートして、脳の隅にある記憶を呼び起こす。
噂、というのは確か──実技の授業で無詠唱で魔法を披露したとか、あるいはイケメンの誰々に告白された──みたいな。
根も葉もない噂たちによると、彼女は所謂天才らしい。
けれどなんだかそれも理解できてしまうような、異質なオーラがあるのも事実だった。
「んん、もしかして僕のことを考えてくれているのかい?」
「違……いはしないけれど、あんたが期待するような感想は断じて抱いていないわ。天才で有名人様のあんたの武勇伝の噂を、ちょっと思い出してただけ」
「ふぅん、残念だなぁ……スピカ・フレーヴァくん?」
彼女は細い首を傾けて、子犬のようにはにかんだ。
「ったく、わざとらしいわね。無駄話はここらにして、さっさと荷解きを終えてしまいましょうよ」
「任せたまえよ。僕はそこそこ、魔法が得意なんだ……♪」
黒いブレザーの裏ポケットから細身の杖を取り出して、格好つけるようにひと振り。鼻につく仕草。
なのに惹かれてしまうこの引力は、いったい何なのだろうか。
「それっ」
なんとなく、予想はつく。魔法で荷物を整理整頓しようとしているのだ。
あたしもまだ、本格的な無詠唱なんてお母さんのしか見たことない。……あんたの魔法とやらを、見せてもらおうじゃないの。悔しいけれど、興味深い。
閃光が舞った。
いえ、というのは例えで、けれどあたしには実際そう見えた。杖に沿えた細い指先が魔力を操るのを、見えないはずなのに眩い光を見ていた。それが、彼女の魔法だったのだ。
あっという間に彼女の大荷物──ゆうにあたしの三倍はある──の中身は宙へ舞って、備え付けの収納に収まっていく。ノート、服、得体の知れない物体。
それにしても、どうしてこんなに多いのやら。
「…………」
——魔法の才能は、確かみたい。
こんなあたしよりずうっと、彼女は『できる』子なのだ。劣等生なんてレッテルとは、正反対のところで生きてきたのだろう。
心臓がきゅっと締まる感じがする。
こんななんの自慢にもならないような魔法だって、あたしはまだ時間かけて魔法陣を描いて、魔力を消費して、それでやっとできるかもわからないのだ。それを、こんな軽々と、涼しい顔で。きっとこの女は、あたしみたいな格下の前で失敗したとしても、ヘラヘラ笑っていられるのだろう。
なんでこいつよりも真面目に、ちゃんとやってるはずのあたしが——と思ってしまうのも無理はない、そう思いたい。だってそんなのあまりにも、報われないもの。
途端に、さっきまで品定めするような気でいた自分が恥ずかしくなって、静かにつま先を縮こまらせた。
「……い…………おぅい、スピカくん?」
「っな、何?」
はっと前を向くと、その吸い込まれてしまいそうな瞳が目の前にあった。
思わず一歩後ずさる。後ろめたいのとは違うけれど、自分が居た堪れなくなって、目を逸らすしかなかった気がした。
「君の荷物もあらかた片付けてしまったのだけれど……この子は?」
この子、という言葉が指したのは、その視線の先にいたのは。
「……ムゥ」
丸っこい、つぶらな瞳をこちらに向ける生き物。ぽってりとしたフォルムに気の抜けた顔つき。
紛れもなく、憎っくきあたしの使い魔だった。
その言葉は、瞬間は、決して忘れられないものだった。
十人十色のクラスメイトたちの姿も、響く華やかな音楽さえ霞んでしまうような、学園長先生のひとこと。そこから、私の学園生活は始まった。
いつか、両親のような魔法使いに。夢を、希望を、魔法をその手で紡ぐ、憧れてきた存在になれたら。ただそれだけを思っていままでを歩んできたあたしの、第一歩。
今は会えないお父さんだって、いつか届くように。
鼓動の高鳴りを感じて、指先まで震える。
心地よい風が鼻先をくすぐり、ほてった頬を冷やす。五感ぜんぶで感じることが、隅々まで記憶に焼きつく気がした。
緊張までも吹き飛んで、やっと清々しい気持ちだけが胸に残った。
うん、あたしは絶対叶えるから。
一人前の魔法使いになる。今はまだ届かない場所にも行く。これから増えていく願い事だって、全部。
だから見ていなさい。そう、誰に言うでもなく誓った。
***
心中でそんな決意をしたことさえ、今でも忘れていない。
2年生の春。まだ、花の甘い匂いが漂う時期。始業式を終えたばかりだ。
「やあやあっ、浮かない顔をしてどうしたんだい? 悩みごとがあるなら僕に話すといい、必ず助けになってあげよう」
「手を取るな気色の悪い!」
その浮かない顔はあんたのせいだと言いたいのを飲み込んで、掴まれた手を振り解き再び向き直る。
「あれ、そういえば自己紹介はしたのだっけ? では改めて、僕はツルギ──」
「ノワール、でしょう。知ってるわ」
そう、こいつはツルギ・ノワール。あたしの、今年のルームメイトだ。
「うん、ご名答」
月光を束ねたような白銀。何もかも見透かすような鋭い双眸に、宵闇に漬け込んだような瞳。馬鹿みたいに気崩したパンツスタイルの制服。
なにより、その浮ついた言動。
去年も違うクラスだったから知らなかったのだけれど、こいつは噂に聞くより何十倍もうざったくて、同じ空間にいるだけで辟易してしまうような奴だったらしい。
「あぁ、またそんな暗い表情をして……。せっかくのかわいいお顔がもったいない!」
一旦目の前の女の言葉をミュートして、脳の隅にある記憶を呼び起こす。
噂、というのは確か──実技の授業で無詠唱で魔法を披露したとか、あるいはイケメンの誰々に告白された──みたいな。
根も葉もない噂たちによると、彼女は所謂天才らしい。
けれどなんだかそれも理解できてしまうような、異質なオーラがあるのも事実だった。
「んん、もしかして僕のことを考えてくれているのかい?」
「違……いはしないけれど、あんたが期待するような感想は断じて抱いていないわ。天才で有名人様のあんたの武勇伝の噂を、ちょっと思い出してただけ」
「ふぅん、残念だなぁ……スピカ・フレーヴァくん?」
彼女は細い首を傾けて、子犬のようにはにかんだ。
「ったく、わざとらしいわね。無駄話はここらにして、さっさと荷解きを終えてしまいましょうよ」
「任せたまえよ。僕はそこそこ、魔法が得意なんだ……♪」
黒いブレザーの裏ポケットから細身の杖を取り出して、格好つけるようにひと振り。鼻につく仕草。
なのに惹かれてしまうこの引力は、いったい何なのだろうか。
「それっ」
なんとなく、予想はつく。魔法で荷物を整理整頓しようとしているのだ。
あたしもまだ、本格的な無詠唱なんてお母さんのしか見たことない。……あんたの魔法とやらを、見せてもらおうじゃないの。悔しいけれど、興味深い。
閃光が舞った。
いえ、というのは例えで、けれどあたしには実際そう見えた。杖に沿えた細い指先が魔力を操るのを、見えないはずなのに眩い光を見ていた。それが、彼女の魔法だったのだ。
あっという間に彼女の大荷物──ゆうにあたしの三倍はある──の中身は宙へ舞って、備え付けの収納に収まっていく。ノート、服、得体の知れない物体。
それにしても、どうしてこんなに多いのやら。
「…………」
——魔法の才能は、確かみたい。
こんなあたしよりずうっと、彼女は『できる』子なのだ。劣等生なんてレッテルとは、正反対のところで生きてきたのだろう。
心臓がきゅっと締まる感じがする。
こんななんの自慢にもならないような魔法だって、あたしはまだ時間かけて魔法陣を描いて、魔力を消費して、それでやっとできるかもわからないのだ。それを、こんな軽々と、涼しい顔で。きっとこの女は、あたしみたいな格下の前で失敗したとしても、ヘラヘラ笑っていられるのだろう。
なんでこいつよりも真面目に、ちゃんとやってるはずのあたしが——と思ってしまうのも無理はない、そう思いたい。だってそんなのあまりにも、報われないもの。
途端に、さっきまで品定めするような気でいた自分が恥ずかしくなって、静かにつま先を縮こまらせた。
「……い…………おぅい、スピカくん?」
「っな、何?」
はっと前を向くと、その吸い込まれてしまいそうな瞳が目の前にあった。
思わず一歩後ずさる。後ろめたいのとは違うけれど、自分が居た堪れなくなって、目を逸らすしかなかった気がした。
「君の荷物もあらかた片付けてしまったのだけれど……この子は?」
この子、という言葉が指したのは、その視線の先にいたのは。
「……ムゥ」
丸っこい、つぶらな瞳をこちらに向ける生き物。ぽってりとしたフォルムに気の抜けた顔つき。
紛れもなく、憎っくきあたしの使い魔だった。