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宝石の涙記

#2

第二話 泉のほとりで揺れる影



 泉の水面は、朝の光を受けて淡く輝いていた。
 リリアは小鹿をそっと横たえ、両手を泉に浸す。水は驚くほど冷たく、しかし触れた瞬間に指先へと静かな温もりが広がった。

 「お願い……この子を助けて」

 祈るように呟くと、泉の奥底から微かな光が立ち上った。
 水面がふわりと揺れ、波紋が小鹿の体へと広がっていく。

 ――しゃらり。

 どこからともなく、鈴の音のような響きがした。

 リリアは息を呑む。
 泉の中央に立つ古木の葉が、風もないのに揺れ、淡い光をこぼしている。

 「……泉が、応えてる?」

 小鹿の体を包むように光が集まり、傷ついた脚にそっと触れた。
 その光はまるで優しい手のひらのようで、リリアの胸の奥まで温かさが染み込んでくる。

 やがて光が収まると、小鹿はゆっくりと身じろぎした。
 先ほどまで苦しげだった呼吸が、穏やかに整っている。

 「よかった……!」

 リリアが安堵の息を漏らしたそのとき――。

 「――珍しいものを見たな」

 背後から声がした。

 リリアは驚いて振り返る。
 そこには、いつの間にか一人の少年が立っていた。

 年の頃はリリアと同じくらいだろうか。
 黒に近い深い青の髪、琥珀色の瞳。森の影に溶け込むような落ち着いた雰囲気をまとっている。

 「だ、誰……?」

 リリアが身を引くと、少年は両手を軽く上げて見せた。

 「驚かせるつもりはなかったよ。僕はカイル。この森を見回っている者だ」

 「見回り……?」

 「森の異変を調べているんだ。最近、動物たちが妙に怯えていてね」

 カイルの視線が小鹿へと向く。

 「その子も、何かに追われたような傷をしていた」

 リリアは小鹿を見下ろし、胸がざわついた。

 「……何かって、何?」

 カイルは少しだけ言葉を選ぶように沈黙し、やがて静かに答えた。

 「“黒い影”を見たという者がいる。森の奥で、形を持たない何かが彷徨っているらしい」

 黒い影――。

 リリアの胸の奥に、ひやりとしたものが落ちた。

 「それにしても……君の涙、綺麗だった」

 「えっ……!」

 思わず声が裏返る。
 カイルは泉の光を受けて、どこか不思議そうにリリアを見つめていた。

 「アクアマリンの涙なんて、初めて見たよ。君はいったい……」

 リリアは胸元の革袋をぎゅっと握りしめた。

 「わ、わたしは……ただの村の子だよ」

 「そうは見えないけどね」

 カイルは微笑んだが、その瞳の奥には探るような光が宿っていた。

 そのとき、小鹿が立ち上がり、リリアの手に鼻先を寄せた。
 もう痛みはないようだ。

 「よかった……本当に、よかった」

 リリアが涙ぐむと、カイルは静かに言った。

 「君の力は、きっとこの森に必要になる。もしよければ……僕と一緒に来てほしい」

 「え……?」

 「森の奥で起きていることを確かめたい。君の涙が、何かの鍵になる気がするんだ」

 リリアは迷った。
 けれど、胸の奥で何かがそっと背中を押す。

 ――涙の色を知った少女が、世界の感情と向き合う旅が始まる。

 そう告げられているような気がした。

 「……わかった。わたし、行くよ」

 リリアは小鹿を見送り、カイルとともに森の奥へと歩き出した。

 朝靄はすでに消え、木々の間から差し込む光が二人の影を長く伸ばしていた。

2026/02/11 17:52

柘榴石#あべべ推し
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