[太字][斜体][大文字][明朝体]一[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
[漢字]新月[/漢字][ふりがな]あらづき[/ふりがな][漢字]尊[/漢字][ふりがな]みこと[/ふりがな]は逃げていた。原因は彼女の容姿にある。彼女の髪は色が薄く、金髪に近い髪色。白い肌、瞳は浅葱色だった。異人だと思われても仕方がないだろう。女なのだが、それがわかる者は少ない。前髪で可憐な顔立ちを隠し、袴を履いていたのだ。
新月は東北のある家に奉公していた。しかし、この容姿に噂が立ち、異人だと矛先を向けられてしまった。奉公先の主人には異人を置いてはおけないと拒絶されていた。誰も新月に近づこうとしなかった。中には新たに矛先を向けてくる者もいたくらいである。
夜の間に逃げ切らねば。新月はそのことで頭がいっぱいだった。この日は朔日で月も出ていなかった。雪あかりを頼りに逃げ続ける。大粒の雪が舞い始め、足跡を消してくれた。一歩を踏み出すたびに足が新雪に埋まった。そして、すぐ後ろの追手は振り切っただろう。歩を緩め歩き続けた。
一ヶ月程たち、新月は江戸に来ていた。奉公で稼いでいた金で食べ物などを賄っていたが、それも尽きそうになってきている。旧暦十一月の夜は凍りそうなほど寒かった。文久元(西暦一八六一)年のこの年、数えで十になる彼女は体力が限界をとうに超えていた。新月は町の一角に座り込んでしまい、あまりの寒さに、すぐに意識が暗転した。
[太字][斜体][大文字][明朝体]二[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
新月が目を覚ますと、布団に寝かされていた。外は既に日が昇っているようだ。新月は拾われて助かったらしいのだった。
「目が覚めましたか。」
程なくして長身の男が入ってきた。その男は虫も殺さぬ微笑を湛えていた。
「ここがどこだか、分かりますか。」
「た、確か、江戸…でしたよね。」
またもや男はにっこりと微笑んだ。
「記憶は確かなようですね。良かったです。自己紹介がまだでしたね。僕は沖田総司です。ここは試衛館ですよ。」
どうやらこの男は沖田というらしい。試衛館という場所は初めて聞いた。
「お、沖田、さん……?」
「なんでしょう?」
「すみません、この地のことは何も知らなくて……。試衛館と言いましたよね。なんの場所なのですか?」
「まぁ、知らないですよね。ここは剣の道場です。試衛館という名前のですね。」
「———剣の道場ですか。そんな所が、なぜ私を助けてくれたのですか。」
「ん〜………あ、そうそう。この子が起きたら呼べと近藤先生に言われてましたね。詳しくは近藤先生に聞きましょうか。」
そう言うと沖田は廊下に出て行った。
先生———沖田は門下生で、師匠をよんでくるのか。
暫くして、沖田と一緒にもう一人の男が、何やら会話をしながら廊下を歩いてきた。襖越しに会話が聞こえた。
「———近藤先生、あの子、やっぱり女の子ですよ。男の子はあんな丁寧な話し方しませんよ。」
「本人に聞いてみたら良いだろう。それが一番早い。」
襖が開き、沖田と大柄な男———もとい近藤勇が部屋に入ってきた。
「気分はどうですか。顔色がだいぶ良くなってますね。」
「ありがとうございます。だいぶ良くなりました。」
と、新月が言った途端、空腹で腹が鳴った。沖田がくすっと笑い、新月は顔が火照るのを感じた。思い出してみれば最後に何かを口にしたのはいつだったか。
「ひとまず、何か食べますか。」
「え、そんな……申し訳ないですよ!」
「いえ、ここには結構食客が多いのですよ。だから大丈夫です。」
それは理由にならない———と言いかけたが、そっと近藤に視線を移し、無言で頷いていたのを確認した。新月には反論する理由がなかった。
「じ、じゃあ……お願いします……。」
「素直でよろしい。」
新月が匙でぎこちなく粥を口に運んでいると、
「そういえば、何か聞くことがあったような……。」
と、沖田が首を傾げた。
「あ、そうでした。名前をまだ聞いてませんでしたね。」
「私は新月尊です。すみません、名乗ってもいなかったのに……。」
「いえ、全然気にしなくて良いですよ。」
なぜか沖田も慌てているようだった。
「もう一つ聞きたいことがある。」
近藤が口を開いた。
「男か女か、ということですね。」
新月は目つきを変えて近藤を見据えた。
「そうだ。」
「———私は女ですよ。訳があってこんな服装をしていただけで。」
新月が答えると沖田と近藤は顔を見合わせた。その雰囲気に新月は、また追い出されるのでは、という不安が隠せなかった。
「お願いします!私をここに置いてください!働かせて下さい———お願いします……。」
新月は必死に頼み込んだ。
沖田も近藤も驚いた様子だった。
「何もそんなに必死にならなくても人手はいつも足りませんよ。」
沖田はにこやかに答えた。
「うむ。では小間使いとして働いてもらおう!」
近藤も異論は無いらしい。
こうも簡単に話が進むと思っていなかった新月にとってその言葉は福音となった。
「本当ですか……ありがとうございます!」
ここから新月の運命は大きく変わっていくのだ。
新月がいない一室で近藤と沖田が話していた。
「そうそう、あの子も気になっていましたが、なぜ拾ったんです?」
「彼女にはただならぬ何かがあった気がする。」
「そうですか。それには僕も同意です。」
「あの見た目……異人では無いようだが———。」
「……そして逃げていたようでしたね。」
「ああ。やはり見た目が原因だろうな。」
「この歳でここまで逃げ続けられた———褒めるに値するほどですよ。」
「うむ、ひとまず皆に知らせてこよう。」
「そうですね。」
[太字][斜体][大文字][明朝体]三[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
試衛館で働き始めた新月だったが、意外にも沖田の言う通り、多くの食客がいることがわかった。
「尊〜!飯はまだか?」
「もうすぐです!永倉さん!」
食客の一人である永倉新八は食いしん坊の性である。剣の腕は確かなのだが、茶目っ気のある行動でそんな雰囲気がまるで無い。
「あ、永倉さん、つまみ食いしていませんよね?」
「し、してないが…?」
急に挙動不審になる永倉。
「ではどうして口に米粒がついているのですか?」
「うっ⁉︎」
完敗。
「すっかり馴染んでますね。」
「だな。」
「もう少し緊張してるかと思っていましたが、私の杞憂だったようですね。」
裏で話しているのは沖田と土方歳三であった。
土方は試衛館の門下生の一人でありながら、近藤と親友のような間柄だった。秀麗な顔立ちで女性からの人気が絶えない。本人もそれを自覚しているらしい。
沖田は愛嬌のある優しい性格で地元の子供とよく遊んでいる。だが剣を持つと変わり、腕は近藤にも勝るのではないかと言われている。道場の塾頭も務めている。
別室にて。ほとんどの食客たちが集まり、団欒とした空気でくつろいでいた。
盛り上がる会話の中心にいるのは藤堂平助と原田左之助。
藤堂は門下生の中では最年少であり、いつも笑いの中心にいた。
原田は快男児で槍の名手である。気が短く、冷やかしを受けて切腹未遂をしたこともあるとかないとか。
近藤と話しているのは山南敬助である。山南は試衛館では珍しく文武両道の人物だった。剣の腕も高く、型に忠実な剣技はとても美しいのだ。近藤に負けてから弟子入りしたらしいが、それ以来とても仲が良い。
そして、近藤である。試衛館の道場主で、天然理心流の第四代である。多くの門下生から慕われている。誰も本気で手合わせをするのを見たことがないため、実力は謎だった。
無論、新月は自分を拾ってくれたことを疑問に思っていたが、近藤は一向に教えてくれなかった。
[太字][斜体][大文字][明朝体]四[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
新月が試衛館で働き始めてから数ヶ月が経った。
ある日、新月は山菜を採りに山に来ていた。採取は試衛館に来てから始めたことだったが、新月の趣味の一つになっていた。多くの料理に使えることも魅力で、食事に出すと食客たちも喜ぶのだ。
季節の山菜を採り、使い道を考えながら帰路に着くと、まだ人通りの少ない山道で三人の男に囲まれた。男たちは刀を持ち、物々しい雰囲気を漂わせていた。完全に包囲されていた。段々と近づいてくる。最近ではこの江戸でも賊や追い剥ぎが少なくない。だが、新月のような子供を狙うとは考えにくかった。
「な、何ですか———」
気が動転して足の感覚が無かった。あの時の恐怖が蘇る。
「貴様が悪事を働いたのは知っているぞ!」
「この異人が!」
「手を組んでいるんだろう!」
口々に事実無根を突き詰めてくる。
「手を組んでいる?一体何のことですか⁉︎」
「とぼけやがって!」
「悪事に加担した異人めが!」
「これ以上とぼけるようなら……」
抜刀の音が重なる。
新月は息を整え、万が一のために持っていた短刀を抜いた。しかし、これ一本では不利なのは火を見るより明らかだ。
男たちは一斉に地面を踏み込んだ。ただ、踏み込みの音が微妙にずれていた。統制がとれていない。新月はそこに勝機を見出した。
一番近くにいた男の刀に短刀をぶつけ、弾き飛ばす。そして、呆然としている間に拾い上げ、刹那、峰打ちで気絶させる。一連の流れでまず一人いなくなった。
新月は振り向いて刀を構え直し、男たちを睨め付けた。
「嘘だろ……!」
「殺されたくなければ早く行って下さい。」
「そんなことできるか!」
「この餓鬼がッ!」
「……ッできなければ、この人を殺します。」
気絶した男に刀を突きつけた。新月は内心恐怖で満たされていたが、感情がわからないように、指先まで力を入れて男を脅し続けた。
その時、
「あれ、まだこんな所にいたんですか。」
どこか能天気な声は沖田だった。
「沖田さん……?」
「あ、なんかあった感じですか。」
沖田は抜刀しながら歩き、新月の隣に並んだ。
「沖田さん———殺さないで下さいよ?」
一応、小声で注意する。
「わかってますよ〜。」
不安になる返事だった。
いきなり沖田に一人が襲いかかった。沖田は素早く応戦しているが、笑顔のまま刀を打ち合わせていた。まるで戦いそのものを楽しんでいるようだ。
やはりもう一人と一騎討ちになるのか。手の震えを力を込めて抑え込んだ。
男が地を蹴った。新月は突きを躱し、薙ぎ払いを受け止める。新月や沖田と違い、こちらは本気で殺しにかかってきている。殺さないでおくなどと慢心を抱いていたらやられるだろう。
新月は何度目かの突きを躱したと同時に身を屈め、素早く背後にまわり、振り向きざまに峰で首を叩いた。
「おお、やるじゃないですか。」
沖田の方もいつの間にか終わっていたようである。倒れている男も気絶しているだけのようだ。
それを確認した新月は恐怖が体から抜けていくのを感じた。同時に、恐怖で感じていなかった感覚や感情が溢れ出てきた。沖田が来てくれた安心感、刀の重厚な重さ、そして何より今まで握ったことがなかった、刀で戦えたことへの疑問だった。
「ありがとうございます———沖田さん。」
「いえいえ。ところで、刀を扱えるとは驚きです。前に使っていたんですか。」
「いえ、持ったのも初めてです。私自身が驚いていますよ。」
「そうなのですか。びっくりですねぇ。さ、帰りましょうか。」
「ええ、この人たちはどうするのですか?」
「放置でいいですよ、放置で。誰がやったか分からなければ大丈夫です。」
「そう、ですか。」
沖田の適当な性格が伺えた。
「襲われた?」
「はい。私を異人と思い、悪事を働いていると考えたようでした。」
「とんだ思い違いですね。」
近藤は暫く状況を整理した。
「では、尊が二人倒したのか?」
「「はい。」」
「本当か……?もしかしたら尊には剣の才が眠っていたのかもしれないな。」
自分たちの勘は間違っていなかったのだ———と近藤は思った。
「かもしれないですね。あの連中はかなり手練れでした。その彼らに勝ったんですもの。」
沖田も賛同する。近藤は何かを決めたように頷いた。
「うむ。では尊を門下生に加えよう!」
「へ?」
「ははは、良かったじゃないですか。」
「え?」
新月はとても理解できていなかった。
「本気で言っているのですか?」
「うむ。」
「ええ———?なぜ、なのですか?」
「教え甲斐があるからな。こういうのは。」
近藤が朗らかに告げた。新月も納得した様子だった。
「そうですか!ありがとうございます!」
「では明日からだ。」
「はい!近藤先生!」
新月の数奇な運命の歯車が回り始めたのだった。
[漢字]新月[/漢字][ふりがな]あらづき[/ふりがな][漢字]尊[/漢字][ふりがな]みこと[/ふりがな]は逃げていた。原因は彼女の容姿にある。彼女の髪は色が薄く、金髪に近い髪色。白い肌、瞳は浅葱色だった。異人だと思われても仕方がないだろう。女なのだが、それがわかる者は少ない。前髪で可憐な顔立ちを隠し、袴を履いていたのだ。
新月は東北のある家に奉公していた。しかし、この容姿に噂が立ち、異人だと矛先を向けられてしまった。奉公先の主人には異人を置いてはおけないと拒絶されていた。誰も新月に近づこうとしなかった。中には新たに矛先を向けてくる者もいたくらいである。
夜の間に逃げ切らねば。新月はそのことで頭がいっぱいだった。この日は朔日で月も出ていなかった。雪あかりを頼りに逃げ続ける。大粒の雪が舞い始め、足跡を消してくれた。一歩を踏み出すたびに足が新雪に埋まった。そして、すぐ後ろの追手は振り切っただろう。歩を緩め歩き続けた。
一ヶ月程たち、新月は江戸に来ていた。奉公で稼いでいた金で食べ物などを賄っていたが、それも尽きそうになってきている。旧暦十一月の夜は凍りそうなほど寒かった。文久元(西暦一八六一)年のこの年、数えで十になる彼女は体力が限界をとうに超えていた。新月は町の一角に座り込んでしまい、あまりの寒さに、すぐに意識が暗転した。
[太字][斜体][大文字][明朝体]二[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
新月が目を覚ますと、布団に寝かされていた。外は既に日が昇っているようだ。新月は拾われて助かったらしいのだった。
「目が覚めましたか。」
程なくして長身の男が入ってきた。その男は虫も殺さぬ微笑を湛えていた。
「ここがどこだか、分かりますか。」
「た、確か、江戸…でしたよね。」
またもや男はにっこりと微笑んだ。
「記憶は確かなようですね。良かったです。自己紹介がまだでしたね。僕は沖田総司です。ここは試衛館ですよ。」
どうやらこの男は沖田というらしい。試衛館という場所は初めて聞いた。
「お、沖田、さん……?」
「なんでしょう?」
「すみません、この地のことは何も知らなくて……。試衛館と言いましたよね。なんの場所なのですか?」
「まぁ、知らないですよね。ここは剣の道場です。試衛館という名前のですね。」
「———剣の道場ですか。そんな所が、なぜ私を助けてくれたのですか。」
「ん〜………あ、そうそう。この子が起きたら呼べと近藤先生に言われてましたね。詳しくは近藤先生に聞きましょうか。」
そう言うと沖田は廊下に出て行った。
先生———沖田は門下生で、師匠をよんでくるのか。
暫くして、沖田と一緒にもう一人の男が、何やら会話をしながら廊下を歩いてきた。襖越しに会話が聞こえた。
「———近藤先生、あの子、やっぱり女の子ですよ。男の子はあんな丁寧な話し方しませんよ。」
「本人に聞いてみたら良いだろう。それが一番早い。」
襖が開き、沖田と大柄な男———もとい近藤勇が部屋に入ってきた。
「気分はどうですか。顔色がだいぶ良くなってますね。」
「ありがとうございます。だいぶ良くなりました。」
と、新月が言った途端、空腹で腹が鳴った。沖田がくすっと笑い、新月は顔が火照るのを感じた。思い出してみれば最後に何かを口にしたのはいつだったか。
「ひとまず、何か食べますか。」
「え、そんな……申し訳ないですよ!」
「いえ、ここには結構食客が多いのですよ。だから大丈夫です。」
それは理由にならない———と言いかけたが、そっと近藤に視線を移し、無言で頷いていたのを確認した。新月には反論する理由がなかった。
「じ、じゃあ……お願いします……。」
「素直でよろしい。」
新月が匙でぎこちなく粥を口に運んでいると、
「そういえば、何か聞くことがあったような……。」
と、沖田が首を傾げた。
「あ、そうでした。名前をまだ聞いてませんでしたね。」
「私は新月尊です。すみません、名乗ってもいなかったのに……。」
「いえ、全然気にしなくて良いですよ。」
なぜか沖田も慌てているようだった。
「もう一つ聞きたいことがある。」
近藤が口を開いた。
「男か女か、ということですね。」
新月は目つきを変えて近藤を見据えた。
「そうだ。」
「———私は女ですよ。訳があってこんな服装をしていただけで。」
新月が答えると沖田と近藤は顔を見合わせた。その雰囲気に新月は、また追い出されるのでは、という不安が隠せなかった。
「お願いします!私をここに置いてください!働かせて下さい———お願いします……。」
新月は必死に頼み込んだ。
沖田も近藤も驚いた様子だった。
「何もそんなに必死にならなくても人手はいつも足りませんよ。」
沖田はにこやかに答えた。
「うむ。では小間使いとして働いてもらおう!」
近藤も異論は無いらしい。
こうも簡単に話が進むと思っていなかった新月にとってその言葉は福音となった。
「本当ですか……ありがとうございます!」
ここから新月の運命は大きく変わっていくのだ。
新月がいない一室で近藤と沖田が話していた。
「そうそう、あの子も気になっていましたが、なぜ拾ったんです?」
「彼女にはただならぬ何かがあった気がする。」
「そうですか。それには僕も同意です。」
「あの見た目……異人では無いようだが———。」
「……そして逃げていたようでしたね。」
「ああ。やはり見た目が原因だろうな。」
「この歳でここまで逃げ続けられた———褒めるに値するほどですよ。」
「うむ、ひとまず皆に知らせてこよう。」
「そうですね。」
[太字][斜体][大文字][明朝体]三[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
試衛館で働き始めた新月だったが、意外にも沖田の言う通り、多くの食客がいることがわかった。
「尊〜!飯はまだか?」
「もうすぐです!永倉さん!」
食客の一人である永倉新八は食いしん坊の性である。剣の腕は確かなのだが、茶目っ気のある行動でそんな雰囲気がまるで無い。
「あ、永倉さん、つまみ食いしていませんよね?」
「し、してないが…?」
急に挙動不審になる永倉。
「ではどうして口に米粒がついているのですか?」
「うっ⁉︎」
完敗。
「すっかり馴染んでますね。」
「だな。」
「もう少し緊張してるかと思っていましたが、私の杞憂だったようですね。」
裏で話しているのは沖田と土方歳三であった。
土方は試衛館の門下生の一人でありながら、近藤と親友のような間柄だった。秀麗な顔立ちで女性からの人気が絶えない。本人もそれを自覚しているらしい。
沖田は愛嬌のある優しい性格で地元の子供とよく遊んでいる。だが剣を持つと変わり、腕は近藤にも勝るのではないかと言われている。道場の塾頭も務めている。
別室にて。ほとんどの食客たちが集まり、団欒とした空気でくつろいでいた。
盛り上がる会話の中心にいるのは藤堂平助と原田左之助。
藤堂は門下生の中では最年少であり、いつも笑いの中心にいた。
原田は快男児で槍の名手である。気が短く、冷やかしを受けて切腹未遂をしたこともあるとかないとか。
近藤と話しているのは山南敬助である。山南は試衛館では珍しく文武両道の人物だった。剣の腕も高く、型に忠実な剣技はとても美しいのだ。近藤に負けてから弟子入りしたらしいが、それ以来とても仲が良い。
そして、近藤である。試衛館の道場主で、天然理心流の第四代である。多くの門下生から慕われている。誰も本気で手合わせをするのを見たことがないため、実力は謎だった。
無論、新月は自分を拾ってくれたことを疑問に思っていたが、近藤は一向に教えてくれなかった。
[太字][斜体][大文字][明朝体]四[/明朝体][/大文字][/斜体][/太字]
新月が試衛館で働き始めてから数ヶ月が経った。
ある日、新月は山菜を採りに山に来ていた。採取は試衛館に来てから始めたことだったが、新月の趣味の一つになっていた。多くの料理に使えることも魅力で、食事に出すと食客たちも喜ぶのだ。
季節の山菜を採り、使い道を考えながら帰路に着くと、まだ人通りの少ない山道で三人の男に囲まれた。男たちは刀を持ち、物々しい雰囲気を漂わせていた。完全に包囲されていた。段々と近づいてくる。最近ではこの江戸でも賊や追い剥ぎが少なくない。だが、新月のような子供を狙うとは考えにくかった。
「な、何ですか———」
気が動転して足の感覚が無かった。あの時の恐怖が蘇る。
「貴様が悪事を働いたのは知っているぞ!」
「この異人が!」
「手を組んでいるんだろう!」
口々に事実無根を突き詰めてくる。
「手を組んでいる?一体何のことですか⁉︎」
「とぼけやがって!」
「悪事に加担した異人めが!」
「これ以上とぼけるようなら……」
抜刀の音が重なる。
新月は息を整え、万が一のために持っていた短刀を抜いた。しかし、これ一本では不利なのは火を見るより明らかだ。
男たちは一斉に地面を踏み込んだ。ただ、踏み込みの音が微妙にずれていた。統制がとれていない。新月はそこに勝機を見出した。
一番近くにいた男の刀に短刀をぶつけ、弾き飛ばす。そして、呆然としている間に拾い上げ、刹那、峰打ちで気絶させる。一連の流れでまず一人いなくなった。
新月は振り向いて刀を構え直し、男たちを睨め付けた。
「嘘だろ……!」
「殺されたくなければ早く行って下さい。」
「そんなことできるか!」
「この餓鬼がッ!」
「……ッできなければ、この人を殺します。」
気絶した男に刀を突きつけた。新月は内心恐怖で満たされていたが、感情がわからないように、指先まで力を入れて男を脅し続けた。
その時、
「あれ、まだこんな所にいたんですか。」
どこか能天気な声は沖田だった。
「沖田さん……?」
「あ、なんかあった感じですか。」
沖田は抜刀しながら歩き、新月の隣に並んだ。
「沖田さん———殺さないで下さいよ?」
一応、小声で注意する。
「わかってますよ〜。」
不安になる返事だった。
いきなり沖田に一人が襲いかかった。沖田は素早く応戦しているが、笑顔のまま刀を打ち合わせていた。まるで戦いそのものを楽しんでいるようだ。
やはりもう一人と一騎討ちになるのか。手の震えを力を込めて抑え込んだ。
男が地を蹴った。新月は突きを躱し、薙ぎ払いを受け止める。新月や沖田と違い、こちらは本気で殺しにかかってきている。殺さないでおくなどと慢心を抱いていたらやられるだろう。
新月は何度目かの突きを躱したと同時に身を屈め、素早く背後にまわり、振り向きざまに峰で首を叩いた。
「おお、やるじゃないですか。」
沖田の方もいつの間にか終わっていたようである。倒れている男も気絶しているだけのようだ。
それを確認した新月は恐怖が体から抜けていくのを感じた。同時に、恐怖で感じていなかった感覚や感情が溢れ出てきた。沖田が来てくれた安心感、刀の重厚な重さ、そして何より今まで握ったことがなかった、刀で戦えたことへの疑問だった。
「ありがとうございます———沖田さん。」
「いえいえ。ところで、刀を扱えるとは驚きです。前に使っていたんですか。」
「いえ、持ったのも初めてです。私自身が驚いていますよ。」
「そうなのですか。びっくりですねぇ。さ、帰りましょうか。」
「ええ、この人たちはどうするのですか?」
「放置でいいですよ、放置で。誰がやったか分からなければ大丈夫です。」
「そう、ですか。」
沖田の適当な性格が伺えた。
「襲われた?」
「はい。私を異人と思い、悪事を働いていると考えたようでした。」
「とんだ思い違いですね。」
近藤は暫く状況を整理した。
「では、尊が二人倒したのか?」
「「はい。」」
「本当か……?もしかしたら尊には剣の才が眠っていたのかもしれないな。」
自分たちの勘は間違っていなかったのだ———と近藤は思った。
「かもしれないですね。あの連中はかなり手練れでした。その彼らに勝ったんですもの。」
沖田も賛同する。近藤は何かを決めたように頷いた。
「うむ。では尊を門下生に加えよう!」
「へ?」
「ははは、良かったじゃないですか。」
「え?」
新月はとても理解できていなかった。
「本気で言っているのですか?」
「うむ。」
「ええ———?なぜ、なのですか?」
「教え甲斐があるからな。こういうのは。」
近藤が朗らかに告げた。新月も納得した様子だった。
「そうですか!ありがとうございます!」
「では明日からだ。」
「はい!近藤先生!」
新月の数奇な運命の歯車が回り始めたのだった。