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頭が良くなる薬


 私は晴嵐高校の化学準備室に、コーヒーカップを片手に腰を下ろした。放課後の夕陽が窓から差し込み、白衣の袖をオレンジ色に染める。肩まで伸びた黒髪を眼鏡の奥で整え、机の上の化学ジャーナルを眺める。今日は科学部の活動日だが、他の部員はまだ来ていない。静かな準備室は、活動前の落ち着いた空気に満ちている。

 目の前では、3年生の梶浦彩花がロングヘアをポニーテールにまとめ、ブレザーのポケットに手を突っ込んだラフな姿勢で書類を広げている。机に置かれたエナジードリンクの缶が、彼女の軽快な雰囲気を引き立てる。次の科学部の公開講座の書類を準備しているらしい。私はカップを置き、彼女の動きに視線を向けた。

「先生、公開講座の書類なんですけど、顧問の名前、フルネームで書く欄があるんです。葛城先生の下の名前、教えてください」

 私は微笑み、ジャーナルを軽く叩いた。彩花の几帳面さに、感心する。

「そうね。私は葛城玲奈。漢字は『玲』の『奈』で、玲奈よ」

 彩花がポニーテールを揺らし、ペンでサラサラと書き込む。私は彼女の真剣な横顔を見て、科学部の頼れる先輩としての成長を感じた。彼女が書類をまとめながら口を開く。

「次の公開講座、蛍光色素の合成はどうですか? 中学生向けだし、派手な方がウケると思うんです」

 私は頷き、視線を彩花のエナジードリンクの缶に移した。彼女の提案はいつも部員たちの好奇心を刺激する。
「いい案ね。フルオレセインなら安全で視覚的だし、中学生も喜ぶわ。反応条件を詰めましょう」

 彩花が満足げに缶を手に取った瞬間、ドアが勢いよく開いた。私は視線をドアにやり、1年生の瀬尾美咲が飛び込んでくるのを見た。ショートカットの髪を揺らし、焦った表情で手に持った参考書を握りしめている。彼女のすがるような瞳に、中間テストの惨敗が透けて見える。科学の話には目を輝かせるのに、勉強は少し苦手な子だ。

「先生! 頭が良くなる薬ってないですか!?」

 私はコーヒーカップを机に置き、穏やかに答えた。美咲の声が、準備室の静けさを一気に破る。

「頭が良くなる薬? そんなのがあれば、国が教育予算削って国民に配ってるわよ。集中したいなら、カフェインを取るのが無難ね。コーヒーやエナジードリンクに入ってる。脳の血流を良くして、集中力を上げるの」

 美咲が頬を膨らませ、参考書を机に置いた。私は彼女の顔をしかめる様子を見て、科学への情熱と勉強への苦手意識のギャップを思う。

「うっ、コーヒーとか苦手なんですよね。カフェイン以外で、もっと特別なやつはないですか? 誰も知らないようなやつ!」

 美咲の声に、彩花がニヤリと笑って会話に割って入った。私は視線を彩花に移し、彼女の軽快な口調に科学部の活気を思った。ポニーテールを揺らし、美咲に応じる。

「誰も知らないようなやつ、か。ちょっと古い話だけど、進学塾の噂で、浅田飴で頭が冴えるってのがあったよ。知ってる?」

 美咲が目を輝かせ、身を乗り出した。私は彼女の好奇心に、科学の探求心を見る。

「浅田飴? のど飴ですよね? どんな効果?」

 彩花が缶を軽く振って飲みながら、得意げに説明した。私は彼女の塾の裏話のような口調に、部員たちの結束を感じた。

「浅田飴には麻黄って漢方薬の植物が入ってるんだけど、そこから抽出されるエフェドリンって成分がポイントなの。アドレナリンに似た構造で、交感神経を刺激して覚醒作用があるんだ。昔、塾で『これ食べて集中!』みたいな感じで流行ったらしいよ」

 美咲が首を振って意見を挟んだ。私は彼女の科学知識を披露する姿に、成長を認めつつ視線を向けた。

「エフェドリンって、たしか風邪薬にも入っている成分ですよね? 前に書いてあるのを見たことあります! でも、勉強に効くって本当ですか?」

 私はクスクス笑い、ノートを軽く叩いた。美咲の具体的な質問が、準備室に良い化学反応を生む。

「いい質問ね、美咲。エフェドリンの覚醒効果はカフェインほど勉強向きじゃないわ。麻黄から取れるエフェドリンは、風邪薬や鼻炎薬で気管支を広げたり鼻づまりを解消するのが主な役割。集中力アップには微妙だし、昔、一部の塾で浅田飴が流行ったのも、今じゃ古い話ね」

 私は彩花に視線をやり、軽く眉を上げた。彼女のエナジードリンクの缶が目に入る。

「浅田飴だけだと効果が薄いし、大量に食べるのも危ないわ。市販の風邪薬と成分が重なるから、知らずに過剰摂取するリスクもある。それに比べてカフェインは集中力アップに手軽よ。ただ、ガブガブ飲むと不整脈や不眠の原因になるから、適量が大事ね」

 彩花がハッとしたように缶を後ろ手にそっと隠した。私は彼女の苦笑いとポニーテールの揺れを見て、毎日のエナジードリンク習慣を暗に指摘したことを悟る。美咲は気づかず、真剣に頷いた。

「うわ、怖い…ちゃんと気をつけないと」

 美咲が椅子の背もたれに凭れ、感心した様子で呟いた。私は彼女の真剣な表情に、科学のリスクを理解した兆しを見る。彩花がポニーテールを揺らし、軽く笑って口を開いた。

「まあ、浅田飴はレトロな感じで面白いよね。でも、テスト勉強には効かなそうかな」

 私は彩花のフォローに微笑み、彼女の視線を受けながら話を引き取った。美咲の好奇心に応え、科学の冒険を共有したいと思った。

「メチレンブルーって知ってる? 化学染料で、観賞魚の治療に使われるんだけど、最近、脳機能の研究で注目されてるの。ミトコンドリアのエネルギー産生を助けて、認知機能を高める可能性があるって話。実は私、数年前に話題になった時に、好奇心で飲んでみたのよ」

 美咲と彩花が一斉に身を乗り出し、私は二人の熱い視線を感じた。準備室の空気が、突飛な話への期待でざわめく。

「え、数年前!? 実際に飲んでみたんですか!?」

 私は苦笑いし、眼鏡をずらして語り始めた。過去の失敗を笑う軽やかさを意識した。

「少量を水に溶かして飲んでみたんだけど、正直、頭が良くなった実感はなかった。ネットで騒がれてるほどじゃないね。効果を吹聴するのは無責任かな。ただ、びっくりしたのが、おしっこが真っ青! トイレで笑ったけど、その後、しばらく緑色のままだったの。元に戻らないんじゃないかって、本気で怖かったわ」

 美咲が目を丸くし、数秒経ってようやく話を理解したのか、その場から若干身を引いた。私は彼女の抵抗感に、科学のリスクを伝える重要性を再確認する。彩花はクスクス笑い、ポニーテールを揺らした。

「さすがにそういう変なもの飲むのは…ちょっと嫌かも」

「先生、またその話! 青から緑って、めっちゃ笑える」

 私は肩をすくめ、ジャーナルを閉じた。夕陽が眼鏡に反射し、キラリと光る。

「まあ、科学の冒険には代償がつきもの。笑い話にはなったけど、効果は微妙だったわ」

 私は声を低くし、真剣な表情で続けた。二人の視線を捉え、指導者としての責任を果たす。

「でもね、美咲。メチレンブルーみたいな話、面白いけど、こういうので頭を良くしようとするのは危険な道よ。世の中には『スマートドラッグ』とか、昔は『合法ドラッグ』なんて呼ばれたものもある。普通の錠剤やサプリの形で、集中力や記憶力を高めるって謳ってるの」

 美咲が眉をひそめ、首を振った。私は彼女の反応に、危険性を理解した兆しを見る。

「それ、ニュースとかで良くないってやってましたよね…」

 私は頷き、静かに続けた。準備室の空気が、警告に引き締まる。

「その通り。スマートドラッグには色々あるけど、どれもリスクがあるの。効果が科学的にハッキリ証明されてるものは少ない。で、問題は製造過程。ちゃんとした製薬会社が作る薬なら品質が安定してるけど、怪しいルートで売られてるスマートドラッグは、薬効にムラがあるの。成分の濃度がバラバラだったり、雑に作られてたり」

 私は一息置き、二人に問いかけた。日常の例で、危険性を身近に感じてほしいと思った。

「ねえ、二人とも、ホットケーキとかお好み焼きを作ったことある?」

 美咲が少し驚きつつ頷き、彩花が笑顔で手を挙げた。私は二人の視線を受け、話を進めた。

「あります! ホットケーキ、よく作ります」

「お好み焼きなら! 家族でよく焼くよ」

 私は微笑み、ユーモアを織り交ぜた。警告が重くなりすぎないよう、工夫した。

「じゃあ、分かりやすいね。あれって、焼く前にしっかりと混ぜておかないと、粉がダマになって、焼き上がったときに粉のままの部分があったりするでしょ? 素人の薬品製造もそれと一緒。ちゃんと成分を均質化しないと、成分が偏るの。最悪、致死量の結晶が固まってるのを運悪く飲んじゃって、死ぬこともある」

 美咲が頷き、納得した様子で呟いた。私は彼女の理解に、指導の成果を感じた。

「たしかに、素人製造じゃムラがありそう…」

 彩花もポニーテールを揺らし、同意した。準備室に落ち着いた空気が広がる。

「たしかにそうかも。ダマって怖いね」

 私は軽い口調で畳みかけた。ユーモアで、重い話題を和らげる。

「そう。で、そもそも論よ。何を触ったか分からないおじさんが、汚い地下室で作った薬、飲みたい?」

 美咲が首を振った。私は彼女のゾッとした表情に、危険性が伝わったと確信した。

「絶対嫌です! キモい!」

 彩花も笑いながら頷き、準備室に笑いが戻った。

「だよね。想像したらゾッとする」

 私はコーヒーカップを手に取り、穏やかに締めた。夕陽が準備室を温かく照らす。

「頭を良くするには、結局、努力が一番安全で確実。科学は近道をくれるけど、リスクを忘れちゃダメよ」

 美咲が参考書を見つめ、静かに頷いた。私は彼女の決意の深呼吸に、科学好きの心が現実を受け止めた瞬間を見る。美咲が口を開いた。

「薬に頼るの、バカみたいだったかも。ちゃんと勉強します! 真面目に頑張る!」

 彩花が美咲の肩をポンと叩いた。私は二人の絆に、科学部の未来を思う。

「その意気よ!」

 私は満足げに微笑み、眼鏡を軽く上げた。指導者としての温かさが胸に広がる。

「いい心がけね」

 その時、ドアがバーンと開き、部員の三輪陽菜が息を切らして飛び込んできた。乱れた髪と紅潮した頬が、ニュースの衝撃を物語る。私は視線を陽菜に移し、彼女の興奮した声に驚く。

「みんな! 国の緊急会見! ネットで見て! 日本海にダンジョンが出て、なんかステータスが上がるらしいよ! ヤバすぎ!」

 美咲がスマホを手に取り、私は視線を彼女の画面に落とした。陽菜の興奮が、準備室の空気を一気に変える。政府関係者の会見映像が映し出される。

[太字]「日本海沿岸で発見された地下構造物、通称『ダンジョン』について報告します。内部からはゴブリンやスライムに似た生物が確認され、ゲームのような世界が現実化しています。さらに、ダンジョン内で活動した調査員から、身体能力や知力などの『ステータス』が向上したとの報告が上がっています。この現象の科学的解明を急ぎますが、現時点では原因不明です」[/太字]

 私は美咲たちの目を丸くした顔を見た。美咲が困惑した表情で呟く。

「ダンジョン? ゴブリン? 何これ、めっちゃ変なんですけど…」

 陽菜がスマホを手に、興奮を抑えきれず声を弾ませた。私は彼女の輝く目に、ニュースを把握した無邪気さを見る。

「でしょ!? ゲームみたい! ステータス上がるって、なんか魔法とかアイテム出てくるのかも!」

 彩花がポニーテールを揺らし、陽菜のノリに便乗して笑った。私は彼女の楽しそうな雰囲気を観察する。

「え、ダンジョンってことは、将来的にポーションとか出てくるかも! もしかしたら、頭が良くなるポーションなんかもあるかもね」

 美咲が目を輝かせ、身を乗り出した。私は彼女の反応に、科学部の好奇心旺盛な空気を感じる。

「え、頭が良くなるポーション!? それ、欲しい!」

 私は眼鏡を外し、呆れ混じりに呟いた。夕陽が顔を柔らかく照らし、指導者としての穏やかさが部員たちの騒ぎを包む。

「真面目に勉強する覚悟を決めたそばから、ダンジョンのポーションで頭を良くしようだなんて…。せっかくいい流れだったのに、驚いたわ」

 美咲がハッと我に返り、慌てて手を振った。私は彼女の焦った表情に、決意の揺らぎと成長を見る。

「いえ! やっぱり真面目に勉強します! ポーションとか、冗談です!」

 準備室にクスクスと笑いがこぼれた。彩花がポニーテールを揺らし、ニヤリと笑う。遅れて入ってきた陽菜は首を傾げつつ、つられて笑みを浮かべた。

 私は陽菜の無邪気な表情に、科学部の和やかな絆を感じる。美咲が参考書を手に取り、照れ笑いを浮かべる姿を見ながら、私は静かに思う。この子たちの好奇心と努力が、晴嵐高校科学部の未来を切り開くだろう。窓の外では、夕陽がオレンジ色に輝き、新たな冒険を予感させる。



(了)

作者メッセージ

うんちく語りだけだと少し平坦かなと思ったので、最後にファンタジー要素を入れて、話をひっくり返すことにしました。

楽しんで頂けたなら幸いです。

2025/05/08 20:07

はまち
ID:≫ 04xrkcEZ9vJ2Y
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