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ずっとそばにいてくれた貴方へ。

「ただいま」

私は、やっと"あの日"振りに帰ってこれた我が家にそう声を掛けた。

「おかえり」

そう、優しく答えてくれるのは愛おしい夫だ。

**

"あの日"、死を覚悟して次に目覚めた時に見えたのは、1年前のような、始業式を迎えた3年D組の生徒たちの顔ではなく、懸命に私の無事を祈るように手を握った夫の顔だった。

そして、1年かけて変えてきた生徒達も集まってくれていて、そこには鵜久森さんの姿も見えた。

"先生は、大丈夫だよ"

そう言ってくれた気がして、花壇も含め私は鵜久森さんに生かされたんだなと改めて思った。

**

目覚めてからすぐ、主治医がやってきた。

蓮は入院の準備をするとのことで、一旦帰宅した頃だ。

背中の裂傷についての説明を受け、暫くは腕の上げ下げなどに困難を伴うかもしれないが行く行くは解消されるだろうとの事だった。

傷は幸い、浅く神経などにも問題はないとのこと。

「九条さん、他に気になることはありますか」

そう尋ねられ、私は無事に"2週目"の人生を継続出来たら確かめたいと思ってたことを主治医にお願いした。

**

退院の日、我が家には夏穂、智美が訪ねてきてくれた。

もちろん、退院祝いをとのことだったのだが退院した日は丁度5回目の結婚記念日だったのだ。

誕生日の時に、この人たちにまた会いたいと願ったことが無事に叶えられ涙で少し視界がぼやけた。

入院してすぐに2人は、血相を変えて飛んできた。

そして、何故こんなことになるかもしれない可能性があったのに言わなかったのかと責められた。

「ごめん、2人を巻き込みたくなくて」

そう言うと、夏穂は深いため息をついた。

「は〜里奈は相変わらず甘えるのが下手だな」

「いったでしょ?この前。この2人のためには何でもしたいって」

「ふふふ、ありがとう。でも十分2人は私を助けてくれた。今こうしていきていられるのも2人のおかげ。」

そう言うと、夏穂は照れたのかくさいセンサー発動、と騒いだ。

**

ふたりが帰ったあと、片付けしようとしたが蓮に病人は病人らしく、と言われてしまいソファに連れてかれご丁寧にひざ掛けまで掛けられてしまい、大人しくしないわけにはいかなかった。

「里奈、今年はどうする?」

洗い物が終わったところで、そう声をかけられた。

わたしたちは、毎年結婚記念日に少し豪華な晩酌をすることにしていて、それは今年は何がいいとのことだった。

きっと、蓮のことだから何種かのお酒を用意してくれているのだろう。

なんでもどうぞ、という顔でこちらを見ていた。

でも

「ごめん、今年は晩酌はなしでもいいかな?蓮は飲んで、私は蓮の美味しい紅茶でも貰おうかな」

そう言うと、蓮はごめんと謝った。

「まだ退院したばっかだもんな。ごめん、癖で用意しちゃった」

その言葉に、違うのと制した。

私は立ってる蓮の手を取り、座ってと食卓の椅子に促した。私も目の前の席に腰を下ろす。

「里奈?」

突然座らせられたことに、蓮はきょとんとしていた。

「蓮、話したいことがあるの。」

その言葉に、蓮はうん、と優しく頷いた。

「私ね」

「妊娠した…9週だって。」

まだ、膨らんではいないが確かに小さな命の宿ったお腹を触りながらそう伝えた。

蓮は、驚いたのか時が止まったかのように口をポカンと開けて私の顔を見ていた。

「蓮…?」

「ほんとに?」

そう尋ねた夫は、既に泣きそうで。そして、私の傷口に触れぬよう優しく抱きしめてくれた。

「里奈の中に、もうひとつの未来が生まれてたんだな…ほんとに生きてて良かった」

私はその言葉を聞いて、惜しみなく好きという感情を私に向けてくれる夫をより愛おしく思った。

「で、いつ分かったんだ?妊娠」

「うん、診察した時に色々聞かれてその時に、そう言えば遅れてるなって思って」

「そっか、で、里奈お腹の子は大丈夫?星崎くん引き上げたり、倒れたり負担かかったよな?」

「うん、大丈夫検査してもらったけど元気だって」

触ってみる?と聞くと、蓮はいいの?と勢いよく椅子から立ち上がり私の元へ駆け寄った。

目が消えそうなほど細めて、私のお腹に顔をくっつける連を見ると幸せで、幸せで。

「里奈、お風呂入るだろ?沸かすから待ってて」

「いや、お風呂はやめとこうかな。まだ上手く腕上げられなくて。」

大きな傷は、背中だけで済んだが抜糸は済んでいたが縫ったせいもあり、皮膚の突っ張りで腕を上げるのが難しかった。

しかし長い入院生活。蓮はせっかくお風呂に入れるんだからと入浴することを譲らなかった。

手伝うからさ?と言われ、どちにしろ体を拭くにも手伝ってもらわなければならなかったので、お願いすることにした。

お風呂が湧くと、蓮はせっせとお風呂の準備を始めた。

「腕上げて」

久しぶりに見られることに、ドキドキした。上に来ていたブラウスを脱ぐと、背中の傷が顕になる。

ごめんこんなものを見せて、と言うと蓮は黙って首を振って、私の傷口にキスをした。

「里奈」

久しぶりに触れた、大好きな人の体温に涙が溢れた。

ただ、名前を呼ばれるだけでも、この大切な人の温もりを失うかもしれない感覚を味わってしまうと、それさえ愛おしく感じた。

**

夜、緊張の糸が解けたのか安心して眠る夫の顔を眺めながら最近のことを振り返った。

蓮には、入院時に気づいたと嘘をついたが実際は、少し前に妊娠したかも、という予感はあった。

数週間前から、油物や匂いの強いものが苦手になった。

初めは、"卒業式"が近づいてることへのストレスだと何とも思ってなかったが、夕飯時にお米の炊けた匂いを嗅いで吐き気を催しこれは、ストレスではないと感じた。

思い返せば、生理が来たのは2ヶ月前で妊娠の可能性を考えるには十分だった。

一瞬、直ぐに検査をすることも考えたが、もし私が2回目の卒業式で1度目同様、命を落とすことになってしまった時のことを考えると容易に妊娠を知ることも出来ず、もちろん蓮に知らせることも出来なかった。

それは、"死にゆくもの"より"遺されるもの"の方が何倍も辛く、悲しいことを私は知っていたからだ。

なので、無事に2度目を乗り越えたら、検査することに決めた。

入院は予定外だったが、主治医に話すとすぐに産婦人科を紹介してくれ、妊娠していることを知った。

自分が助かったことよりも、自分の中で新たな命が芽生えていることが嬉しくて、ここ数日は寝不足だ。

でも、隣で眠る聞き慣れた心臓の鼓動はまるで子守唄のように私の眠気をさそった。

**

しかし、妊娠はゴールじゃなくスタートというが本当にその通りだった。

妊娠した、と知った日からあらゆるものが口に出来なくなり、トイレから離れられない日なんてのもざらにあった。

有難かったのは、卒業式の日に刺された件で私は3ヶ月間の休職を言い渡されていたことだ。

次年度の担任も外されることになった。

お陰で、このしんどい体を引きづって学校に行くことはなく、また安定期まで職場への報告はしないで済みそうだ。

その日起床すると時計は午前9時を指していた。

基本的に、私も蓮も朝型なので普段は5時半には起床し、6時半には一緒に朝食を摂った。

なのでこんな時間まで寝ていることは滅多になく、予想以上の寝坊に飛び起きた。

リビングへ向かうと、既に蓮の姿はなく1枚の置き手紙が残されていた。

"おはよう。よく眠ってたので、起こさないまま出社しました。驚かせたらごめん。ご飯作ったけど、悪阻もあるだろうから無理はせず。とにかく無理をしないこと!"

蓮らしい気遣いの嵐に思わず、笑みがこぼれた。

でも、それとは裏腹に朝だからなのか、起き抜けからずっと気持ち悪く、蓮が用意してくれた食事には手もつけられそうになかった。

でも、食事の他に大量のフルーツとゼリーを用意してくれていたので、食べられそうなものにだけ口をつけた。

蓮の作ってくれたオレンジゼリーは程よい酸味で美味しく、あの頃の男握りを思うと、ほんとに腕を上げたなと我が夫ながら誇らしかった。

しかし、この食べづわりとは厄介で食べても食べなくても気持ち悪い。

一日トイレを行ったり来たりし、夕方にはもう吐くものもないくらいになったが、その吐き気は一向におさまらなかった。

**

帰宅すると、家の中は真っ暗で洗面所の一室だけ明かりがついており、変に明るかった。

何か嫌な予感がし、慌てて靴を脱ぎ捨て洗面所に飛び込むとそこには、ぐったりと洗面所に座り込む里奈の姿があった。

「里奈…!」

「あ…蓮、おかえり」

里奈は力なく笑って、俺の肩にしがみついた。流しっぱなしの水道や、タオルが2、3枚散乱しているのをみて状況を察した。

黙って、里奈の背中を摩ると里奈は泣きじゃくった。

「食べても、食べなくても気持ち悪い…もう移動するのもしんどくて、午後からずっとここ」

「気づいてあげられなくてごめん、もっと早く帰ればよかった」

すると、里奈はううん、と首を振る。

「蓮の仕事は理解してるつもりだから、無理はしないで。」

「ありがとう…でも里奈も辛かったら辛いって言っていいからな?里奈と赤ちゃん以上に大切なものは無いんだからさ?」

そう言うと、里奈はありがとうと言ってまた少し泣いた。

「立てるか?寝室で休もう?」

「寝室まで行ったら、トイレも洗面所も遠いから今日リビングで寝ていいかな?」

「いいけど、狭いだろ?お客さん用の布団しくからそこで寝て?俺がソファで寝るからさ。」

「蓮は寝室で寝ていいよ。それこそ疲れとれないよ、蓮の方が背大きくて背中丸めないと寝れない」

「俺がそばにいたいから。変わることは出来ないからそれくらいはしたい」

そう言って里奈の髪を撫でると、ありがとうと頷いてゆっくり立ち上がった。

抱っこしようかと聞くと、少し背伸びして腕を広げたので俺は抱えて、リビングへ向かった。

**

その夜、里奈は布団に、そして俺はソファで眠っているとねえ、と里奈が呟いた。

「どうした?気持ち悪い?」

起き上がって、里奈を見るとううん、違くてと首を振った。

「来て」

「いや、狭いだろ?里奈はゆっくり休まなきゃ」

そう言うと、いいから来て、と里奈は布団を捲り俺に来るよう促した。

拒む理由もなく、むしろ今にでも離れられないくらい強く、強く抱きしめたいと思ってた気持ちが溢れ、里奈の布団に入り込んだ。

布団に入ると、里奈は俺にくっつき、背中に手を回すと深く、強く、抱きしめた。

「里奈?」

そう聞くと、里奈の震えた声が静かなリビングに響く。

「私、生きてるなって」

そう言うと、蓮助けてくれてありがとうと涙を零しながら笑った。

「里奈、生きててくれてありがとう」

そう呟くと、里奈はふふっと笑って、さらに目に溜まった涙が落ちた。

**

昼夜問わず襲う悪阻に、里奈は耐えていた。

夜中目を覚ますと、ベッドがもぬけの殻であることはしょっちゅうだった。

トイレで、座り込む里奈の背中を摩り夜明けを迎えたこともあった。

そうして耐えた3ヶ月、やっと悪阻が収まり、里奈は教師として復帰した。

**

始業式の朝、早めに起きようといつもより15分早く目覚ましをセットしたのに、既に蓮は起床しベッドは蛻の殻だった。

私も準備をしようと、寝室を出ようとしたところに蓮がエプロン姿で入ってきた。

おはよう、と声をかけると何故か蓮は仁王立ちで私の前に立ち、里奈?と少し怒ったような声でそう声をかけた。

その表情を見て、私はすっかり忘れていたことに気がついた。

妊娠中期に入り、元々貧血気味ではあった私は、よく立ちくらみを起こすようになった。

我が家の寝室は2階で、私がひとりで階段を降りる時に立ちくらみを起こして落ちたらと心配らしく、蓮は朝起きたら迎えに行くから電話してと言われていたのだ。

しかし、初日からすっかり忘れご立腹ということである。

「ごめん、すっかり忘れてて」

私が手を合わせて、蓮の方をちらりと見ると蓮はため息をついた。

「何かあってから遅いんだからな?ほんとに明日からは忘れるなよ?」

そう言って、私の手を取り寝室を出た。

正直、元々スキンシップなどが多い訳ではなく、結婚5年目の私たちが手を繋いで階段を降りるなんて少し照れてしまう。

でも、隣で嬉しそうにしている夫を見ると満更でもなかった。

リビングへ行くと、既に朝食はできており今朝のメニューは私の大好物、フレンチトーストだ。

「いただきます」

口へ含むと、甘いバターの香りが鼻をくすぐり思わず笑みがこぼれる。

つい最近までこれさえも受け付けない体だったからか、余計に身に染みた。

「里奈、今日仕事終わったら電話して、迎えに行くから」

その言葉に驚き、危うく握っていたフォークを落とすところだった。

「大丈夫だよ、蓮は仕事忙しいでしょ。今年は専科の授業だけだし、休み休み帰るから。」

そう言うと、蓮はダメだよ、と頑なに譲らなかった。

「先週、検診の帰りに動けなくなったばっかりだろ?お願いだから、迎えに行かせて?その方が俺も安心だから。」

確かに、先週は残暑でやられてしまい休憩していた公園から動けなくなってしまったばかりだった。

「分かった、ありがとう。でもホントに忙しい時は無理しないで?私も気をつけて帰るようにするから。」

「俺が行けない日は夏穂に頼むから安心して。もう話はしてある。」

申し訳ないと思いつつ、夫の抜け目のない行動に思わず笑ってしまう。

これだけ心配されるのは、愛されている証拠ということで有難く受け入れることにし、夏穂にはお礼のLINEを入れておくことにした。

**

「いってきます」

鳳来高校の前で、夫の車から降り私は正門をくぐった。

まだ始まってもいないと言うのに、車の中で聞かされた蓮からの諸注意が細すぎて、長すぎて既に疲れを感じている。

昨年のことを思うと、心配で堪らないのは分かるし、有難いが向き合うことが最善策と知った私は1歩を踏み出すだけだった。

**

夏休み中に訪問した際に、上司や同僚たちに妊娠の件は伝えており、久しぶりに再会した同僚はいつでも手伝うから、と自ら手伝いを申し出てくれた。

久しぶりに入った、化学準備室は懐かしく、そしてここで過ごした日々を思うと胸がいっぱいになった。

所狭しと並ぶ薬品や、教材は1年前と何ら変わりは無いのに、何かぽっかりと空いてしまった埋まることない寂しさがを感じた。

今日は始業式で、始業式の際に復帰の挨拶だけで終わりだったが、久しぶりの授業ということもあり予想以上にやることは多く、帰宅は夕飯時を過ぎそうだ。

しかし、私は始業式を終えると足早にある場所へと向かった。

そこは、もちろん新校舎

復帰したら、初めに手を合わせに行かなければと思っていた。

もう献花台は、撤去されていたがそこには半年前と変わらず美しい花々が咲いていた。

私が、卒業式を迎えた頃はまだ新校舎は生徒達に公開されておらず人っ子一人見かけなかったのに対し、今はもうあちらこちらに生徒達が群がり、談笑する姿が見られた。

丁度、鵜久森さんが倒れていた位置に設置された花壇の前に膝をつき、目を閉じた。

"ただいま戻りました、鵜久森さんから託されたバトンは必ず繋ぎます"

そんな思いを込めて、手を合わせていると頭上から聞きなれた声が聞こえてきた。

「九条先生?」

驚いて、顔を上げるとそこには阿久津さんと、東風谷さんが花束を持って立っていた。

「阿久津さん、東風谷さん…!」

まだ卒業から半年というのに、すっかり大人びた2人が立っていた。

久しぶりに会えた、あの1年間を共に乗り越えた生徒の成長した姿に喜び勢いよく立ち上がった途端、自分が貧血気味であったことを忘れ、視界が揺れた。

「九条先生!?」

しかし、転びそうなところをふたりが支えてくれ何とか転ばずに済んだ。

**

「九条先生、大丈夫ですか?」

私がよろめき倒れかけたところを助けてくれた2人は、自販機でミネラルウォーターを買ってきてくれて、それを手渡しながらそう聞いてくれた。

「迷惑をおかけしてすいません。最近、貧血気味で。勢いよく立ち上がってしまったからだと思います。」

せっかく再開できた時にこのようなところを見せて申し訳ないと謝ると2人は助けられて良かったですと微笑んでくれた。

「九条先生、もしかして、、?」

安定期を迎え、少し膨らみはじめたお腹を見ながら東風谷さんは尋ねた。

「はい、少し積もる話になるので、場所を変えませんか?」

時間は大丈夫かと聞くと、2人は今日は九条先生に会えないかと思ってたから元々予定入れてないと快く応じてくれた。

**

立ちくらみはすぐに収まったが、転けてはいけないと2人が支えてくれて私たちは化学準備室へと向かった。

「どうぞ、はいって下さい」

2人を部屋に入るよう促すと、懐かしいと嬉しそうな、でもどこか私と同じで寂しそうな感嘆の声を上げた。

それは、いつもこの部屋にいる時は鵜久森さんの姿があったからだろう。

懐かしい配置でテーブルに腰をかけると、2人は変わらないですね、ここもと懐かしそうに辺りを見渡した。

「そう言えば、2人はなぜここに?」

「実は、毎月月命日に阿久津さんと花束を持って来てるんです。教頭先生に許可をいただいて。」

そう言って、2人はピンクの可愛らしいガーベラを供えていたことを思い出した。

「毎月、ありがとうございます。私も、退院してからは1度来れたのですがその後は体調が芳しくなくて。」

「そうだったんですね。で、先生さっきの話の続きだけど、もしかして?」

今まで何人もの人に報告してきたはずなのに、報告する相手が生徒だと思うと少し照れくさかった。

「はい、実は。今年の秋に産まれる予定なんです。」

そう伝えると、2人は満面の笑みで交互におめでとうございますとお祝いの言葉をくれた。

「ありがとうございます。」

「お腹大きいですよね?今は何ヶ月くらいですか?」

「今、6ヶ月を迎えたところです。背中の傷のことがあって、今日まで休職していたんです。」

「はい、それは教頭先生から伺って、実は今日から復帰することを知っていたんです。だから、今日なら九条先生に会えるかなって期待してたんです。」

2人にとって、3年D組の生徒達にとっていい教師でいれたのか不安だった。

でも、彼女達の笑顔と言葉に少しは自分のしてきたことに自信が持てる気がした。

「会いに来てくださってありがとうございます。私もおふたりとお会いしたかったです。大人になりましたね。」

そう言うと2人は嬉しそうにふふと微笑んだ。

「九条先生にお会いできてよかったです。貧血はもう大丈夫ですか?」

「はい。おかげさまで、すっかり。この事話したら、夫には叱られてしまいますけど。あれほど注意しろっていったのにって。」

「九条先生も注意とかされるんだね。いつも注意してくれる側だから意外かも。」

「沢山注意されますよ。今日も行きは車で送ってくれたのですが、朝から何度無理するなと言われたかわかりません。心配してくれるのは分かってるんですけどね。」

「九条先生も、そんなこと思ったりするんだ?でも卒業式の日も、ずっと心配そうに九条先生のお名前呼ばれてましたよ。」

そう言うと、阿久津さんが愛されてるねと笑った。

そう言われて、"あの日"のことを思い出す。記憶が朧気な中、"里奈"と繰り返し叫ばれた声の主はいつだって大切に思ってくれた蓮だった。

「そうですね。」

"あの日"を懐かしむようにそう答えると、2人は惚気〜?と笑った。

その時、化学準備室の戸が開いた。

こんな急に入ってくる人物に思い当たる人は1人しかいなかった。

「星崎くん…!」

「やっぱここか。先生、久しぶり。元気?」

彼はリュックを背負って、卒業式の日より大分髪をのばしていた。

"生きてる"それが当たり前じゃなくなった経験した彼だからこそ、そのことに涙が溢れそうになる。

「お久…しぶりですね」

涙を堪えながらそう言うと、先生泣きそうじゃんと星崎くんがからかってきた。

もしあの1年がなければ、私もいなければ星崎くんも存在しないかもしれない。

そう思うと、目の前で笑っててくれるだけで十分だった。星崎くんは、私の目の前の椅子に腰かけた。

「星崎くんは、今日なんで?」

そう尋ねると、九条先生に会いにと笑いながら答えた。

「今日復帰するって、東風谷達から聞いて。俺も先生にまだお礼言えてなかったし。会いたいなって。」

「そうでしたか…」

自分に"会いたい"そう思ってもらえるだけで、こんなにも嬉しいとは。

1度目の人生ではありえなかったなと思うと、また視界が涙で滲んだ。

「先生、助けてくれてありがとう。俺、毎日が楽しいよ。先生の言うとおり、生きててよかったって思う瞬間が沢山あった。」

もうこれ以上の言葉ないと思った。初めは、自分のためだったかもしれない。

でも救いたいと思った相手が、こうして救われたことを良かったと言ってくれて、あの日を迎え未来を生きることを諦めなくてよかったと心から思った。

「そう言ってくれてありがとうございます。星崎くん、あなたの世界は色づきましたか?」

そう尋ねると、もちろんと笑った。

暫く、昔話に花を咲かせていると突然、星崎くんがあれ?と私の方を指さした。

「どうかしましたか?」

「先生、もしかして子ども?!」

星崎くんは、私の少し大きくなったお腹を指しながらえ?え?と驚気を隠せない様子だった。

「え、星崎今更気づいたの??」

「えうん、なんか見たらお腹大きいしびっくりしたわ」

「普通、入ってきた時に気づくでしょう?」

阿久津さんは、そう言いながら苦笑した。でも、星崎らしいかと東風谷さんと顔を見合せて笑っていた。

「先生、触っていい?」と星崎くんは、興味津々のようだった。

「もちろんです。触ってあげてください。」

恐る恐る手を近づけ触った手は、温かくて優しい手だった。

その時、もにょっとお腹が動く感覚がした。

「…!なんか動いたんだけど!」

「胎動…かもしれません。私も初めてで」

そろそろかなと思っていたが、まさかこのタイミングで初めて胎動を感じるとは思わず私自身も驚いた。

すると、星崎くんは私のお腹をゆっくり撫でながららいきてるんだなと呟いた。

「生きててよかった」

さらにそう呟いた星崎くんの目から、涙がこぼれ落ちた。

その言葉に、私も泣きそうになった。

「生きててくれて良かったです」

そう言って、星崎くんの頭を撫でると、またひとつ彼の目から涙がこぼれおちた。

「先生、私たちも触っていい?」

「もちろんです。」

東風谷さんも阿久津さんも思ったより激しい胎動に感動していた。

「先生、かわいいね…産まれたら会いに行っていい?」

「はい、ぜひ会いに来てください。皆さんの近況も伺いたいですし。」

そう言うと、2人はやったあと微笑んだ。大人びたと言え、その反応は高校生の時と変わらず、安心する。

その時、携帯が鳴った。もちろん、差出人は蓮。

「はい、もしもし」

「里奈?まだ学校だよな?初日から飛ばしすぎじゃないか?」

「ごめん、3年D組の子達が私に会いに来てくれて。懐かしくて、盛り上がっちゃったの。もう帰れるよ。」

「じゃあ、迎えに行く。もう学校付近にいるから。どこにいる?」

「いいよ、ひとりで降りれる。全く過保護なんだから。」

でも、と譲らない押し問答を聞いていたからか阿久津さんたちが下まで送ります、と言ってくれた。まだ名残惜しいと思っていた私にとってはこれ以上ない提案だった。

「阿久津さん達が送ってるから下にいて。大丈夫だから。」

そう言うならとれ 蓮は渋々承諾してくれた。

「先生、旦那さん来てるの?」

帰りの準備をしていると、星崎くんがそう尋ねた。

「はい、迎えに。」

「先生の旦那さんにもお礼が言いたいんだけど、いい?」

先生と一緒に引き上げてくれたでしょ?と星崎くんは言った。

「もちろんです。夫も星崎くんの元気そうなところを見たら喜ぶと思います。」

「ありがとう」

私達が、化学準備室を出ようとすると東風谷さんが、暗くなった部屋を見て呟く。

なんかさみしいね、と。

それを見た阿久津さんと星崎くんも静かに頷いた。みんな考えてる事は同じだ。

「また、鵜久森さんに会いに行きましょう。きっと喜びます。」

そう言って、東風谷さんの髪を撫でると東風谷さんは、はいと寂しそうにでも嬉しそうに微笑んだ。

**

「里奈…!」

下へ降りると、正門の前で蓮は待っていた。躊躇いもなく生徒の前でも、名前で呼んでいた。それを恥ずかしいなあと呟く。

「ちょっと、生徒の前で名前で呼ばないで」

「ごめんごめん。遅いから心配した。」

話をそらさないで、と窘めると阿久津さんが大丈夫と口を開いた。

「先生、大丈夫だよ。卒業式の日に先生の名前をよぶ旦那さん、死ぬほど聞いた。」

そう言って阿久津さんはふふっと笑った。

もう、と蓮を見るとごめん、癖でと謝った。

そして

「旦那さん…?」

星崎くんは、蓮に近づき話しかけた。

「星崎くん?だよね?」

「はい、その節は助けていただきありがとうございました。旦那さんにもお礼を言いたくて。」

そう言うと、蓮は真剣な眼差しで星崎くん見つめ元気だったか、と尋ねた。

星崎くんが元気にはい、と応えるとそれで十分だよ、と蓮は星崎くんの肩を抱いた。

**

「みなさん、気をつけて帰ってください。本当に送らなくていいのですか?」

夕方になり、日もくれ始めたので送ることを提案したが先生も疲れてるからと断られてしまった。

「大丈夫です。みんなすぐそこなので。」

「わかりました。みなさん、元気に頑張ってください。お会いできて良かったです。」

そう言って、車に乗り込むとあ、と阿久津さんが引き止めた。

「あの、旦那さん、九条先生今日貧血で倒れかけたんです。大丈夫との事ですが、一応。」

それだけ言うと、じゃあと3人並んで歩き出した。

私は、怖くて右を向けなかった。黙ってればバレないと思ったのに。

阿久津さんは私のことを気遣ってとのことだが、やはり朝の今じゃ決まりが悪かった。

暫く黙ってると、蓮の方から口を開いた。

「里奈、、?」

「はい…?」

「貧血で倒れたって言ってたけどほんと?」

「倒れてない!ちょっと勢いよく、立ち上がったら立ちくらんだだけ。いつものことだから。」

「あれだけ気をつけてって言ったよね?」

心配してくれてるのか分かっているので、真剣な顔でそう言われると言い訳はできなかった。

「暫く、1人じゃどこも行かせられないな」

「大丈夫だよ…今日勢いよく立ち上がったのはごめん、でも気をつけるから」

そうは言ってみたものの、暫く何処へ行くにも蓮が付いてきたのは言うまでも無い。

**

1ヶ月後

「おかえり」

「ただいま」

1か月前は、自力で帰れると思ってのも一瞬あっという間にお腹は大きくなり、今になっては動くのも大変になり行き帰りの送迎は素直に甘えることにしている。

10月に入り、私は31週を迎えた。

仰向けで眠れなくなり、そして胎動が激しくなり。いつだって、"生きてる"実感をくれるのはこの子の存在だ。

学校生活も順調で、今年は担任を持っていないため生徒と関わることはあまりないと思ったが、度々質問に来てくれる生徒もいて、なんなら移動が大変な私を気遣って荷物を持ってくれる生徒もいた。

端的に言って、とても幸せだった。

家に着くと、蓮に車で待っててと言われ、はいはいと笑って答えた。

なぜなら、今日は1年に1度のバレバレ誕生日サプライズパーティの日だから。

**

暫くすると、蓮がお待たせと迎えに来てくれた。

玄関で靴を脱ぐと、先導を切っていたはずの蓮が後ろに回ったと同時に、ビデオの起動音が聞こえた。

「蓮?何してるの?」

「今年は、この子もいるしビデオ回しとこうかなって」

いくら、毎年恒例のバレバレ誕生日サプライズパーティだとしても、露骨すぎじゃないだろうか。

そんなことを考えながら進み、リビングの扉を開けた。

すると、クラッカー音と共に毎年恒例、夏穂のバースデーソングが聞こえてきた。

「恋が芽生えた記念日も〜愛が産まれた記念日も〜」

「今年はハジ→なんだ笑」

毎年変わる、夏穂の歌ってくれる歌が毎年の楽しみだったりする。

「里奈、32歳のお誕生日おめでとう!」

「ありがとう!」

ロウソクを吹き消すと、いぇーいと夏穂が歓声を上げた。

そして、昨年同様抱負をどうぞ、と促される。

「抱負というか、感謝なんだけどさ?昨年、ここでみんなにまた会いたいって言ったじゃない?だからみんなのおかげでまたここでこうやってパーティ出来てると思うので、ほんとありがと。」

そう言うと、蓮は慈愛に満ちた表情でこちらを見て微笑んでいた。

一方夏穂は、

「くっさー!!」

その場の空気を打ち破るように、そう叫んだ。その夏穂らしい反応に、智美と笑っていた。

「夏穂、お前せっかくの雰囲気台無しだぞ。」

「うっさいなー!とりあえずお前の裏切りがなくて安心したよ。」

夏穂がそう言うと、お前それ今言うことかー?と蓮は苦笑していた。

いつもなら、この流れでご飯を食べながら談笑するところだが、私はみんなにちょっとしたサプライズを用意していた。

座っていた食卓から立ち上がろうとすると、蓮に止められる。

「里奈?何か欲しいものあるなら俺とるよ」

「ううん、違うの。ちょっとね。」

そう言って私は冷蔵庫から、白い箱を取りだした。

「えなに?」

夏穂は興味津々にキッチンにやってきた。

「今年は、私からサプライズしようと思って」

そう言いながら、その白い箱を崩さぬよう食卓に運んだ。

「開けるね?」

3人が注目する中、出てきたのは巷で話題のジェンダーリビングケーキだ。

「里奈…、これって」

「一昨日、検診行った時に性別が分かって。今日みんなパーティしてくれるんだろうなっておもってたから、発表するにはちょうどいいかなって。」

「里奈、検診行ったけどまだ性別分からなかったって言ったなかったか?」

「ごめん、びっくりさせたくて。」

ケーキの上にはboy or girl?と書いたプレートと、モモとマスカットが乗せられていた。

女の子ならモモ、男の子なら、マスカットが出てくる。

「蓮、切って」

キッチンから持ってきた包丁を渡すと、蓮は今にも泣きそうだ。この子のこととなると、すぐに泣いてしまう感動屋になったのはいつからだろうか。

「ちょっと、あんた泣くの早いんじゃない?!」

「うるさいな」

Tシャツの肩でその涙を拭う。そんな涙脆いところも私にとっては愛おしい。

「男と女どっちがいいの?」

「私は無事に産まれてくれたらどっちでも。でも蓮は女の子がいいんだよね?」

「俺だって無事に産まれてくたらそれで十分だよ、でも里奈に似た女の子だったらかわいいだろうなって思う」

「お前ほんと里奈のこと好きだな。平和で何よりだけど」

夏穂がやいやいと、蓮をからかうと照れたのか頭をかきながら、うるさいなと照れた顔を隠した。

「じゃあきるぞ」

緊張した面持ちでカットされた、ケーキからは中からモモが飛び出した。

「里奈…」

「うん、今のところ女の子みたい」

そう言うと蓮は私に飛びついた。そして抱きしめて、泣いた。

「これ以上幸せなことってないな」

「ふふ…そうだね」

**

夏穂と智美が帰ったあと、私たちはソファに腰かけ、まだ誕生日気分を味わった。

「里奈、お誕生日おめでとう」

「ありがとう」

昨年みたいにお酒で乾杯とはいかないが、私たちは炭酸水で乾杯した。

グラスに入っていた、炭酸水を一気に飲み干すと蓮はしみじみと噛み締めるように、女の子か〜〜と叫んだ。

「楽しみ?」

「そりゃもちろん、俺今から溺愛する自信しかないわ」

「想像つく」

里奈は、大きくなったお腹を撫でながら笑った。

「お腹触っていい?」

どうぞ、と言うと蓮は私のお腹に手を当てゆっくりと撫でた。

「なんか信じられないな。一年前は里奈と2人でここで酒飲んでたのに、来年には3人なんだよな」

「うん、私も信じられない。こんな幸せな未来は想像できなかった」

そう呟くと、その幸せを実感してか涙がこぼれ落ちた。

それを見た蓮は、私の肩を引き寄せ頭を撫でてくれた。

**

その日は、当たり前の日常の中で突然訪れた。

産休に入って2日、休みだからと家事をすることを申し出ると安静の一言で家事の禁止を言い渡され、ソファでゆっくりとしている時だった。

「…っ」

急に締め付けられるような痛みを感じた。時計と睨めっこしながら時間を見ると定期的な痛みであることを確認し、それが所謂陣痛であることを理解した。

直ぐに産科に連絡し、マタニティタクシーを呼んだ。蓮にも"陣痛が始まったので、産科に行きます"と一言連絡を入れておいた。

**

産婦人科に着くと、看護師さんが車椅子を持ち待機していてくれ、なんとか移乗し分娩室へ向かった。
看護師さんと話しながら、向かっているとバタバタという足音が聞こえてきた。

「里奈!」

そこには見たこともないくらい、焦った顔の夫が立っていた。

「蓮…!もう着いたの?仕事は?」

「前もって予定日については伝えてたからな。陣痛きたって言ったら、言ってやれっていってくれたんだよ。里奈、大丈夫か?」

そう経緯を説明しながら、蓮は背中を摩ってくていた。

「来てくれてありがとう…心強い」

いよいよとなり、今まで経験した"死"の感覚よりは怖くないと思ってたが、感じたことのない未知な痛みを思うと同等の恐怖感を感じていた。だからこそ、いつもと同じ温かい手の温もりを感じると安心した。

分娩室に入り、着替えを済ませNST装置を装着する頃には、より定期的に強い痛みを感じるようになっていた。

「…っ」

痛みが来る度に、予想を遥かに超える激痛に泣きそうになったが、その都度私の見たことないような苦悶の表情に狼狽える夫を見て、あからさまに慌てる夫の顔にいつもの冷静さはどこえやらと思わずふっと笑いが漏れ、幾分か気が紛れた。

しかし、そんな余裕があったのもつかの間で、3時間経つ頃には痛みの波が来れば話せないほどの痛みだった。

「痛い……っ」

我慢できず、気づくとそう叫んでいた。と共に我慢できず思わず溢れた涙は、蓮が指で拭ってくれた。

「里奈、大丈夫か?一緒に頑張ろうな」

3時間ずっと離れず、腰を摩ってくれていた蓮の優しさを感じる度にこの人が夫で良かったと実感する。

「蓮…」

縋る思いで、蓮の手を握ると強く握り返してくれた。そして、陣痛がピークを達した頃、助産師さんが内診し、いよいよ出産となった。

「九条さん、子宮口が全開になりました。いきむ練習をしましょう。」

担当してくれていた、助産師さんの掛け声に合わせてヒーヒーフーと息を吐く練習をする。

「…!」

助産師さんのいきんでー!という言葉に合わせていきむ。

そんな時私の脳裏に蘇ったのは、2週目の人生の1年間だった。

殺された時

離婚を言い渡された時

色んな辛いことが、浮かんだがそれ以上に幸せだった記憶の方が強く浮かんできた。

離婚をやめようと言ってくれたこと

なんでも話しを聞いてくれたこと

眠れぬ夜は一緒に起きて、涙を流せば落ち着くまで背中をさすってくれたこと

蓮、蓮、蓮。

無意識に名前を呼ぶ。

こんなにも好きで、大切で堪らない夫がそばにいてくれることが、どんなに奇跡で幸せなことか。

「最後、息吐きましょう、赤ちゃん出るよ!」

オギャァァァァァ

元気な産声が響いた。

「お母さん、おめでとうございます。かわいい女の子です。」

早速、助産師さんが連れてきてくれて私の胸に乗せてくれた。

初めて見た娘は、小さくて、温かくて。

そして、心臓のトクトクという音が伝わってきて、この1年生と死について痛いほど考えた私は、その音に涙が溢れた。

視界が涙でぼやける中で、赤ちゃんを見つめる。

「かわいい…蓮、かわいいね」

そう言って夫の方を向くと、目を真っ赤にしながらこちらを見ていた。

「里奈…ありがとう…生きててくれてありがとう」

そう言って、目から涙がこぼれ落ちた。

その時思った。あぁ、不安だったのは私だけじゃなかったのだと。

蓮はこの1年、どんなときも大丈夫、と励ましてくれ1度も弱音を吐いたことはなかった。

でも、私を失うかもしれない恐怖を感じながらこの1年過ごしてきたのだ。

私は、助産師さんに夫に抱っこを、と赤ちゃんを預けた。

「蓮、抱っこしてあげて。私たちの娘だよ」

そう言うと、蓮は緊張した面持ちで娘を受け取った。初めて見る、赤ちゃんを抱えた夫の姿はぎこちなかった。

でもその不器用さが愛おしく、またぎこちないながらも大切そうに抱える姿を見て、目からはまたひとつ、ふたつと涙がこぼれ落ちた。

「かわいい…かわいいな」

噛み締めるようにそう呟いていた。

「生まれてきてくれてありがとう」

私たちは、そう伝えながらと生まれたばかりの娘の手に指を置くと、しっかりと握り返してくれた。

**

1年後

「やば、遅くなった〜」

出産から半年で、私は教師に復帰した。そして復帰してからそろそろ半年が経とうとしていた。

そして、今日は私の誕生日だ。

通い慣れた道を歩きながら、帰路につくと既に家には明かりが灯っていた。

私は自分が、帰宅したことを知らせるようにわざと音を立てて玄関の扉を開けた。

そして、リビングへ向かい扉を開くと。

「まっま〜!」

今年、最初に迎えてくれたのは夏穂のバースデーソングではなく、娘が最近覚えたばかりの"ママ"だった。

「里奈、お誕生日おめでとう!」

そこには変わらずのメンバーが集まってくれていて、バースデーケーキを運びながら、夏穂は相変わらずバースデーソングを歌ってくれ、蓮はまだ覚束無い足取りの娘を抱えておかえり、と言った。

しかし、私の姿を見ると夫の抱っこを降りたがり私へ小さな手を伸ばし、抱っこを求めてきた。娘を抱っこしながら、ケーキのロウソクを消した。

「相変わらずママっ子なんだね」

智美が私の腕に収まった、娘の頭を撫でながらそう言った。

「そうなんだよ、私がいると片時も離れないの。だから、パパはちょっと不満なんだよね?」

ね?と蓮の方を向くと、ちょっと不満そうに頷きその姿を見た夏穂は、声を上げて笑った。

そんな光景を見ながら、2年前の誕生日パーティを思い出した。

またみんなに会いたい、と誓った一昨年

そして会えたことを感謝した、昨年

そして、今年も変わらずみんなに会えたことに嬉し涙が溢れそうになる。

さらに、1人増えて。

「里奈、またなんかくっさいこと言おうとしてるね?」

溢れそうになる涙を指で拭ってると、夏穂がそう言った。

「母になると、涙脆くなるの!」

そう言うと、うそだ〜と夏穂はやいやいとからかった。

この当たり前だと思ってた日常を失う事を知り、そして当たり前の日常がいかに尊いことかも知った。

だからこうして今私の腕の中に収まる小さな温もりに愛おしいと、伝えきれぬほどの愛を伝えたい。

季節が秋に成り代わり、娘の生まれた記念に植えた金木犀のいい匂いが開けた窓から嗅ぐわい始めていた。

the end.

2025/03/02 13:46

mayu.418
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