その部屋には、窓がなかった。
デスディチャは、カビ臭い地下室の隅で膝を抱えていた。薄暗い電球の光が、腰まで伸びた彼女の白髪をぼんやりと照らしている。
「あつい……」
独り言が、熱を帯びた吐息となって溢れる。
彼女の体温は、常に50℃近い。
触れるものを火傷させ、自分自身の内側をも焼き焦がす呪い。親からは「化け物」と罵られ、熱を抑えるための苦い薬と引き換えに、自由を奪われてきた。
───だれか、たすけて。
───だれでもいいから、触れても熱くない「温もり」を。
願うことさえ諦めかけていたその時、地下室の重い扉が、内側の鍵を破壊するような轟音とともに蹴り破られた。
光が差し込む。
埃が舞う逆光の中に立っていたのは、驚くほど背の高い男だった。
「……ひどい環境だな。これが世界トップレベルの『魔素異常体』の扱いか」
男は冷ややかな声で言った。
整った顔立ちに、知的な眼鏡。耳の先は少し尖っており、エルフであることを示している。清潔な白衣を翻し、彼はデスディチャを見下ろした。
「お前がデスディチャか」
「……だれ、なの」
デスディチャが震える声で問うと、男は眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように答えた。
「ペテンテ。お前のような非効率な個体を調査しに来た、しがない科学者だ」
彼はデスディチャのそばに歩み寄ると、彼女が触れるのを拒む暇もなく、その細い手首を掴んだ。
「あ……っ、熱いよ! 触らないで!」
反射的に叫ぶ。50℃の手首に触れれば、普通の人間なら火傷では済まない。
しかし、ペテンテは顔色ひとつ変えなかった。それどころか、心底面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「騒ぐな。お前の熱など、私の術式で抑え込んでいる。……おい、そんな顔で見るな。嫌っているのはこちらのセリフだ。お前を救うのは、ただの『研究』に過ぎない」
突き放すような冷たい言葉。
けれど、彼が掴んだ手首から伝わってくる感覚は、デスディチャが生まれて初めて感じた「自分を傷つけない他人」の温度だった。
「行くぞ。こんなゴミ溜めにいては、私のデータが汚れる」
ペテンテは彼女の手を引き、強引に立ち上がらせる。
デスディチャにとって、それが人生で初めて「外の世界」へと一歩を踏み出した瞬間だった。
─────────────────────────────────────────
地下室の外へ出ると、そこは月明かりに照らされた荒野だった。
自由の空気を吸い込む暇もなく、ペテンテはデスディチャの手を離し、無慈悲に宣告する。
「さて。救出費用に見合う価値があるか、検分させてもらおう。……来い、追手だ」
ペテンテが指さした先、闇の中から十数人の武装した傭兵たちが現れた。デスディチャを「商品」として連れ戻そうとする、親が雇った連中だ。
「え……でも、わたし、戦い方なんて……」
「黙れ。教わらなければ歩けないのか? お前の体内の魔素はすでに飽和状態だ。薬で汗を止めている今、その熱を逃がす場所は一つしかないだろう」
ペテンテは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、冷酷な笑みを浮かべる。
「殺せ。……いや、死なない程度に焼け野原にしろ。それがお前の『魔力測定』だ」
冷たい圧。逆らえない威圧感。
デスディチャは震える手を見つめた。心臓の鼓動が速まるたびに、体温が跳ね上がる。皮膚がパチパチと音を立て、視界がジワリと赤く染まっていく。
「…………っ!!」
デスディチャの黒い瞳が、鮮血のような紅色へと反転した。
ドクン、と大気が震える。彼女の腰まである白髪が、自身の発する熱気でふわりと浮き上がった。
「あ、あああああああ!」
彼女が地面を蹴った瞬間、足元の土が熱でガラス状に融解した。
一筋の紅い閃光。
それは少女の形をした、ふたつの100℃の小さな太陽だった。
轟音が止み、あたりには鼻を突く焦げた匂いと、陽炎のような熱気だけが残った。
さきほどまでデスディチャを取り囲んでいた傭兵たちは、武器も鎧もドロドロに溶かされ、戦意を喪失して地面に転がっている。
「はぁ、はぁ……っ……」
デスディチャの紅い瞳が、ゆっくりと黒に戻っていく。
全身から立ち上る蒸気が、彼女の孤独な戦いの激しさを物語っていた。あまりの熱量に、着ていたボロ布の裾が炭のように黒ずんでいる。
そこへ、カツ、カツ、と乾いた靴音を響かせてペテンテが歩み寄った。
彼は倒れた兵士たちには一瞥もくれず、手元の魔導端末に表示されるグラフを淡々と眺めている。
「出力効率は最悪。制御もなっていない。……だが、素材としての純度は予想以上だ」
ペテンテは眼鏡の奥の瞳を細め、デスディチャの顔をのぞき込んだ。
「ふん。それなりの価値はある、か。……これなら私の研究を一つ、二つ進めるための『道具』くらいには使ってやれる」
「……どう、ぐ」
デスディチャが虚脱感の中でその言葉を繰り返すと、ペテンテはわざとらしく大きなため息をついた。
「そうだ。感謝しろ。お前をただの化け物として腐らせるより、私の輝かしい業績の一部にしてやる方がよっぽど有意義だ。……おい、立て。これ以上ここにいたら、お前の熱で私の白衣にシワが寄る」
彼はそう毒づきながらも、デスディチャがよろめくと、その細い肩を乱暴に、けれど力強く支えた。
「……ペテンテ、さん」
「様、をつけろと言いたいところだが、お前の低い知能では無理か。……行くぞ、デスディチャ。次の『実験場』へ案内してやる」
月明かりの下、長身の男が、小さな少女を連れて歩き出す。
二人の影が長く伸びる中、デスディチャは、彼に掴まれた肩が不思議と「痛くない」ことに、戸惑いながらも小さな安らぎを感じていた。
デスディチャは、カビ臭い地下室の隅で膝を抱えていた。薄暗い電球の光が、腰まで伸びた彼女の白髪をぼんやりと照らしている。
「あつい……」
独り言が、熱を帯びた吐息となって溢れる。
彼女の体温は、常に50℃近い。
触れるものを火傷させ、自分自身の内側をも焼き焦がす呪い。親からは「化け物」と罵られ、熱を抑えるための苦い薬と引き換えに、自由を奪われてきた。
───だれか、たすけて。
───だれでもいいから、触れても熱くない「温もり」を。
願うことさえ諦めかけていたその時、地下室の重い扉が、内側の鍵を破壊するような轟音とともに蹴り破られた。
光が差し込む。
埃が舞う逆光の中に立っていたのは、驚くほど背の高い男だった。
「……ひどい環境だな。これが世界トップレベルの『魔素異常体』の扱いか」
男は冷ややかな声で言った。
整った顔立ちに、知的な眼鏡。耳の先は少し尖っており、エルフであることを示している。清潔な白衣を翻し、彼はデスディチャを見下ろした。
「お前がデスディチャか」
「……だれ、なの」
デスディチャが震える声で問うと、男は眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように答えた。
「ペテンテ。お前のような非効率な個体を調査しに来た、しがない科学者だ」
彼はデスディチャのそばに歩み寄ると、彼女が触れるのを拒む暇もなく、その細い手首を掴んだ。
「あ……っ、熱いよ! 触らないで!」
反射的に叫ぶ。50℃の手首に触れれば、普通の人間なら火傷では済まない。
しかし、ペテンテは顔色ひとつ変えなかった。それどころか、心底面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「騒ぐな。お前の熱など、私の術式で抑え込んでいる。……おい、そんな顔で見るな。嫌っているのはこちらのセリフだ。お前を救うのは、ただの『研究』に過ぎない」
突き放すような冷たい言葉。
けれど、彼が掴んだ手首から伝わってくる感覚は、デスディチャが生まれて初めて感じた「自分を傷つけない他人」の温度だった。
「行くぞ。こんなゴミ溜めにいては、私のデータが汚れる」
ペテンテは彼女の手を引き、強引に立ち上がらせる。
デスディチャにとって、それが人生で初めて「外の世界」へと一歩を踏み出した瞬間だった。
─────────────────────────────────────────
地下室の外へ出ると、そこは月明かりに照らされた荒野だった。
自由の空気を吸い込む暇もなく、ペテンテはデスディチャの手を離し、無慈悲に宣告する。
「さて。救出費用に見合う価値があるか、検分させてもらおう。……来い、追手だ」
ペテンテが指さした先、闇の中から十数人の武装した傭兵たちが現れた。デスディチャを「商品」として連れ戻そうとする、親が雇った連中だ。
「え……でも、わたし、戦い方なんて……」
「黙れ。教わらなければ歩けないのか? お前の体内の魔素はすでに飽和状態だ。薬で汗を止めている今、その熱を逃がす場所は一つしかないだろう」
ペテンテは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、冷酷な笑みを浮かべる。
「殺せ。……いや、死なない程度に焼け野原にしろ。それがお前の『魔力測定』だ」
冷たい圧。逆らえない威圧感。
デスディチャは震える手を見つめた。心臓の鼓動が速まるたびに、体温が跳ね上がる。皮膚がパチパチと音を立て、視界がジワリと赤く染まっていく。
「…………っ!!」
デスディチャの黒い瞳が、鮮血のような紅色へと反転した。
ドクン、と大気が震える。彼女の腰まである白髪が、自身の発する熱気でふわりと浮き上がった。
「あ、あああああああ!」
彼女が地面を蹴った瞬間、足元の土が熱でガラス状に融解した。
一筋の紅い閃光。
それは少女の形をした、ふたつの100℃の小さな太陽だった。
轟音が止み、あたりには鼻を突く焦げた匂いと、陽炎のような熱気だけが残った。
さきほどまでデスディチャを取り囲んでいた傭兵たちは、武器も鎧もドロドロに溶かされ、戦意を喪失して地面に転がっている。
「はぁ、はぁ……っ……」
デスディチャの紅い瞳が、ゆっくりと黒に戻っていく。
全身から立ち上る蒸気が、彼女の孤独な戦いの激しさを物語っていた。あまりの熱量に、着ていたボロ布の裾が炭のように黒ずんでいる。
そこへ、カツ、カツ、と乾いた靴音を響かせてペテンテが歩み寄った。
彼は倒れた兵士たちには一瞥もくれず、手元の魔導端末に表示されるグラフを淡々と眺めている。
「出力効率は最悪。制御もなっていない。……だが、素材としての純度は予想以上だ」
ペテンテは眼鏡の奥の瞳を細め、デスディチャの顔をのぞき込んだ。
「ふん。それなりの価値はある、か。……これなら私の研究を一つ、二つ進めるための『道具』くらいには使ってやれる」
「……どう、ぐ」
デスディチャが虚脱感の中でその言葉を繰り返すと、ペテンテはわざとらしく大きなため息をついた。
「そうだ。感謝しろ。お前をただの化け物として腐らせるより、私の輝かしい業績の一部にしてやる方がよっぽど有意義だ。……おい、立て。これ以上ここにいたら、お前の熱で私の白衣にシワが寄る」
彼はそう毒づきながらも、デスディチャがよろめくと、その細い肩を乱暴に、けれど力強く支えた。
「……ペテンテ、さん」
「様、をつけろと言いたいところだが、お前の低い知能では無理か。……行くぞ、デスディチャ。次の『実験場』へ案内してやる」
月明かりの下、長身の男が、小さな少女を連れて歩き出す。
二人の影が長く伸びる中、デスディチャは、彼に掴まれた肩が不思議と「痛くない」ことに、戸惑いながらも小さな安らぎを感じていた。