空の果て。人間が「神」の存在を夢想するほど高い場所に、その神殿は浮かんでいる。
『聖共鳴教』────表向きは苦しめる魂を癒やす聖域だが、その実態は、教祖フィニティによる「感情の収穫祭」の会場に過ぎなかった。
「……はぁ、今日も今日とて、どいつもこいつも」
豪奢な玉座に座るフィニティは、先ほどまで跪いていた信者の背中を冷めた瞳で見送った。
その指先には、淡く光る「記憶の破片」が握られている。彼女はそれを無造作に口へ放り込み、奥歯で噛み潰した。
「……ッ、ぺっ! しょっぺぇ……! 救いようがねえほどしょっぺぇな!!」
彼女は美貌を台無しにするほど顔を歪め、大理石の床に唾を吐き捨てる仕草をした。
フィニティにとって、人間の感情は「味」だ。
不倫の末の罪悪感、商売敵を陥れた後の薄暗い愉悦、病死への恐怖……。
それらはすべて、彼女の舌には「泥を混ぜた塩」のような、不快な刺激として伝わる。
それでも彼女は食べ続けた。エルフという永劫の時間を生きる種族にとって、飢えとは「肉体の消失」ではなく、「心が無に還る恐怖」だからだ。
「どいつもこいつも、アタシを塩分過多で殺す気かよ。……ああ、どっかにねえのかね。とろけるような、極上の『あめぇ』絶望がさぁ……」
フィニティは、遠い昔に一度だけ食べた、ある「甘い」記憶を思い出そうとした。
それは温かくて、甘くて、けれど最後には胸が焼けるような切なさが残る……。
しかし、数百年という時間はその記憶を霧のように薄め、今の彼女の舌には、刺激の強い「しょっぱい」ゴミしか届かない。
その時。
静寂を極める神殿に、場違いなほど軽やかな足音が響いた。
[太字]「おねえちゃん!ちぇす、やろ!」[/太字]
フィニティの眉が跳ね上がる。
アタシの許可なくこの空間に入れる人間など、地上には存在しないはずだ。
振り返った先にいたのは、ぼろぼろの服を着た、透き通るような肌のガキ─────フェリスだった。
「……あ? なんだ、その薄汚いガキは。……何でこんなとこいんだよ?!」
フィニティは苛立ちを隠さず、フェリスの首根っこを掴もうと手を伸ばす。
だが。
「……ッ!?」
手は、抵抗もなくガキの体をすり抜けた。
幽霊だから当たり前だが、フィニティが驚いたのはそこではない。
触れた瞬間に、「味」がしなかった。
通常、彼女が魂に触れれば、嫌でもその持ち主の感情が舌に伝わる。
だが、このガキからは「しょっぱい」刺激も、「苦い」苦しみも、何一つ感じられない。
まるで、透明な水を飲まされているような……。
けれど、奇妙な感覚がフィニティを襲う。
(……なんだ? 味はしねえのに、腹が……膨れる?)
何百年も満たされなかった、心の奥底にある「飢え」の穴が、このガキの存在に触れるだけで、ほんの少しだけ埋まる感覚。
「ふっふーん! わたし、ちぇす?っての上手いんだよ! お姉ちゃん、負けるのが怖いの?」
ガキはアタシの困惑を知ってか知らずか、生意気な笑みを浮かべて幻影のチェス盤を広げた。
「……ハッ、笑わせんね」
フィニティは不敵な笑みを浮かべ、玉座から立ち上がる。
無味。けれど、アタシを満足させる「主食」。
このガキを逃す手はない。
「いいぜ。その生意気な口、盤上でボコボコに塞いでやるよ。……ただし、タダじゃ済まねえ。アタシが勝ったら、お前のその『空っぽの魂』、一滴残らず食い尽くしてアタシの糧にしてやるからな!」