敵か味方か【終】
《湘南工場》
森田「俺たちの工場なくなるんですか!?」
唐木田「府中工場に吸収されるそうだ。ついでに高崎工場も、我孫子工場に吸収されるって言ってたよ」
森田「じゃあ、俺たちが作ってきたあれは?」
唐木田「おそらく府中工場の保有になるだろうな。ここにいる3分の2の社員もリストラになるっていうから、とんでもない話だ」
まったく納得のできない話である。2年前、浜松トランシスに影響されて、自分たちで鉄道車両用の新型水素エンジンを必死で作り上げてきたのに奪われるのだ。それに加えてリストラが待っているのだ。
《土曜日 東京ビッグサイト》
唐木田「すごい盛り上がりだなぁ」
水野「今年の目玉は、うちの新型水素エンジンだから、いろいろな業界が来てくれますね」
ニュースで放送され、なんといってもJR東海よりも早く完成させることができた。
???「唐木田」
唐木田が振り返ると、
唐木田「大沢さん!」
大沢吉行がいた。かつて常務取締役として権勢を誇った大沢は、本社役員を外され、業績の悪化した金融子会社に出向したのは、3月のことであった。
唐木田「まさかこんなところでお会いできるとは思いませんでした」
大沢「嫌みか?w」
唐木田と大沢は、ブースに用意してあったパイプ椅子に座った。
大沢「客観的に判断していたつもりだったんだかな。どこかで中村を見返しやりたいと思っていた。あいつとは大学時代に、よく貧乏だった私をバカにしては愉しんでいたよ。だから買収を持ちかけられたとき、アイツの会社を乗っ取ってやるつもりだったんだ。」
天敵だと思っていた男が、本音を出してきた。
どこか哀愁を漂わせている。
唐木田「1つ申し上げておきたいんですが、」
唐木田「あのナカムラ商事の隠蔽工作を暴露した報告書ですが…」
大沢「君が調べたんだってな」
唐木田「はい。ですがあれは、取締役会の1週間も前に林野さんに上げていました。あの報告書は取締役会であんなふうに使われるとは思いませんでした」
大沢「だが林野は、私を追い落とすために使った。」
唐木田「私には大沢さんを追い落とす意図はありませんでした。それだけはお伝えしておきます。あの後、中村さんとは何かやりとりはありましたか?」
大沢「ないね。」
大沢「中村が私に近づいてきたのは、自分の会社を買い取ってもらいたかったからだ。目的が頓挫してしまえば、もう用はないんだろうな。中村は生き残るのに必死だ。代理人の東京キャピタルを通じて、この件はなんとしても伏せてくれと言ってきたよ。四葉商戦には知らせないでくれとね」
大沢「だが君もよく調べたな。正直あの報告書には感服したよ。自分の目がいかに節穴か気付かされたよ。まさか資金を引き出した銀行口座の明細まで調べ上げるとは。私の負けだ。」
唐木田「えっ?」
唐木田「私の報告書には、そんな項目はありませんでした。たしかに、現金を渡したという上原の証言と、三船教授の受領書のコピーがあっただけです。」
大沢「どういうことだ?」
唐木田「わかりません。」
大沢「…どうやら本当に敵は、私ではなく、別の誰かだったようだな。」
大沢はしばらくすると歩き出したが、数歩歩いたところで足を止めた。
大沢「君を湘南工場に飛ばしたのは、私じゃないからな。私はそんなケチなことはしないからな」
大沢「いつも論敵ではあったが、君のような奴は経営戦略室に必要な人間だと思ってる。」
大沢はその場をあとにした。
水野「唐木田くん、ちょっといいかな?」
唐木田「はい」
???「君が唐木田くんだね、話は聞いているよ」
唐木田「あなたは…‼︎」
[水平線]
《湘南工場》
唐木田は受話器を下ろした。
森田「どうかされましたか?」
唐木田「これだよ」
唐木田は書類を見せた。
森田「取締役会議事録?」
唐木田「土曜日のイベント、大沢さんが来てた」
森田「えっ?」
驚くのも無理はない。役員関係者には招待状が送られているから、おそらく自費で当日チケットを買ったのだろう。
唐木田「そのときどうも引っ掛かることがあってな。」
唐木田「ナカムラ商事の不正を暴いた報告書には私が調べてなかった、資金が引き出された銀行口座の明細まで添付されていた。これをいったいどこで手に入れたのか…。」
森田「…今の電話って、もしかして林野さん?」
唐木田「あの人も当時出席していたから聞いてみたんだが、役員でもない君には関係ないってさ」
森田「なんか、林野さんが怪しいですね…」
唐木田「上原さんに聞いてくるか。」
《ナカムラ商事》
上原「中村社長の通帳のコピーが?」
上原「最初にナカムラ商事が買収を持ちかけたとき、中村社長が林野さんに挨拶ぐらいはしたと思いますが、それ以上のことまではわかりませんね…。御社とのやりとりは、代理人を通じていましたし。」
上原の言う通りであった。M &Aの場合、当事者同士だけでやりとりするのではなく、様々な手続きや交渉は、間に入っている代理人が行う。今回の買収でカシワ自動車は、東京キャピタルを指名した。
東京キャピタルと唐木田で繋がりのある人間だと、社長の雪村だ。経営戦略室にいた頃、何度か使ったことのある会社だ。
《東京キャピタル》
雪村「いやぁ、買収が成立すれば巨額の手数料が入ってくるところだったから、ウチとしては大ダメージですよ…」
唐木田「その件で聞きたいことがあるんですが、林野と中村社長が直接やりとりしたことはありましたか?」
雪村「…ここだけの話…」
雪村は姿勢を低くした。
雪村「林野さんと中村社長は、高校時代の同級生なんですよ」
唐木田「同級生…?」
雪村「高校時代の同窓会で林野さんと再開した中村社長は、そこで大沢さんがカシワ自動車で常務取締役になっていることを聞かされたんですよ。そのとき中村社長は、自分の会社を売却したいと林野さんに言ったところ、そういう話は大沢さんに持ち込んでみろと。」
唐木田は驚いた。当時の唐木田はナカムラ商事の買収について、高すぎると否定的な見解を示していたが、林野はどっちとも言えない曖昧な態度であった。ことの発端が林野なら、その態度には納得がいく。
唐木田「大沢は、林野と中村が面識があることを知ってたんですか?」
雪村「いや、林野さんから、話せば面倒なことになるから黙ってくれと言われていたそうです。」
中村と親交があるのなら明かすのが本来の姿だが、林野には他意があるようだ。
雪村「最初は裏で、林野さんが中村社長にいろいろとアドバイスをしていたそうなんですが、中村社長が欲張って1000億円を提示したのは誤算だったようです。林野さんは価格を下げるよう求めましたが、なかなか聞き入れなかったと、中村社長はおっしゃっていました。」
雪村「ですが私の見たところ、林野さんがそこまでして中村社長を助けるとは思えないんですよね。たぶん、林野さんは中村社長を最初から利用するつもりで近づいたんだと思いますよ。本当の目的は、大沢さんに買収を成功させて、後になってナカムラ商事がとんでもない会社だとカシワ自動車を混乱させる、そうすれば大沢さんを追い落とせる。これはワナだったんです。ですがそうするには、買収に反対するあなたが邪魔だった。だからあなたを湘南工場に飛ばした。」
唐木田の異動後、再び買収計画が復活し、ついに林野の計画が遂行する見込みがついた。だがそうなってしまうと経営戦略室の力不足が露呈し、いったん切り捨てた唐木田を戻そうとしたのだ。
雪村「本当の悪人は、林野さんだった。」
唐木田「ですが、あなたはその悪人と仕事をしています。」
雪村「はい。ですが私も見捨てられましたよ」
唐木田「どうして?」
雪村「カシワ自動車との取引の永久禁止を食らいましたよ」
唐木田「…だとすると、林野さんは最後の最後にやり方を間違えましたね。出禁にせず東京キャピタルを最後まで使い続ければ、この話はたぶん守られていたはずです。あなたも自分の会社だけ儲かればいいんですから。」
雪村「ですね。ところで唐木田さん、この話、どうされます?」
唐木田「もちろん、きっちりとカタを付けます。ただし伝聞では弱いので、証拠が必要です。協力してくれますね?」
雪村「見返りは、カシワ自動車との取引復活でお願いします」
雪村「私にいい考えがあります。」
[水平線]
《取締役会》
運命の1日だ。この日の議案は4つ。3つ目の議案が終了して休憩が挟まれ、15分後に再開した。
藤間「さて、本日最大の議案だな。」
唐木田が立ち上がった。
唐木田「このほど、我が湘南工場が製作している、鉄道車両用の新型水素エンジンについて動きがあったため、ご説明させていただきます。」
唐木田「先日、東京ビッグサイトで行われた鉄道技術公開ショーでは、多くの企業にご理解いただき、弊社でも鉄道車両事業に介入していくべきだと考えました。」
藤間「……。」
やはり本業を大事にする藤間は難しい顔をする。
林野「ちょっと待ちなさい。ウチは自動車会社として長年やってきたんだ。それを今さら鉄道を介入させるなんて、途方もない話だ」
唐木田「承知しております。ですが湘南工場はこの度、JAPATAXグループの1つである北陸旅客鉄道との業務提携を打診されました。それもJAPATAXの社長直々にです」
取締役たちが驚いた。それもそのはず、天下のJAPATAXとの業務提携だ。
[水平線]
沖田「実はね、我がJAPATAXの子会社に鉄道会社があるんだが、新型車両の導入検討の話が出ているんだ。これを、カシワ自動車湘南工場にお願いしたいんだ。」
唐木田「ウチにですか!?」
沖田「この技術はきっと期待以上の鉄道車両になるし、成功すれば我がJAPATAXグループ全体だけでなく、カシワ自動車さんにも多大な利益貢献になると見ている」
沖田「もちろん開発技術はウチが全て面倒見るし、製造工場もうちが用意する。」
水野「唐木田くん、これはチャンスじゃないか。カシワ自動車の技術力と品質なら、きっと上手くいくと思うんだ」
唐木田「本社の取締役会で提案させてもらいます」
沖田「話が早くて助かるよ」
唐木田「ただし1つだけ条件があります」
沖田「なんだね?」
[水平線]
藤間「唐木田くん、詳しく説明してくれ」
唐木田「かしこまりました。」
唐木田「JAPATAXから提示された出資金額は、720億円です」
林野「720億だと…⁉︎」
唐木田「北陸旅客鉄道は、最新の設備が揃った工場を建設し、量産化を目指している新型エンジンの技術開発も面倒を見ていただけると、沖田社長は申しておりました。さらに新型車両に搭載されて成功すれば、カシワ自動車にも多くのフィードバックが見込まれます。加えて新工場に配置する社員を、今回の主力工場合併で余剰した社員全員で補填していただけることに取り付けました」
藤間「リストラした社員全員を…」
あとは藤間の意見を聞くだけだ。
藤間「唐木田くん、素晴らしい提案じゃないか」
唐木田「ありがとうございます!」
藤間「我が社は本業に注力し、常に自動車で世界と戦ってきた。最高品質の自動車製造にはいつも浜松トランシスとというライバルが立ちはだかり、研鑽しあってきた。そんな浜松トランシスは船舶分野に手を出し、今や“世界のハママツ”とまで言われている。我々も、変わるべきときがきた。今のままでは近いうちに、あっという間に成長は見込めなくなる。したがって鉄道事業の展開を決定しようじゃないか。JAPATAXグループも、我々の技術力と品質に期待して提案してきたんだ、どうだろうか」
取締役たちの間で拍手が起こった。その中でただ1人、林野だけは少し悔しそうな顔をしていた。
藤間「さて、最後の議案に移ろう。」
議題を記載した表紙には「コンプライアンス問題に関する報告」という漠然としたタイトルが付けられている。
林野は、ふと唐木田の顔を見た、議事が進行しても唐木田が退出しないままそこに立っているからだ。
林野「唐木田、もう終わったんだよ。」
林野が不機嫌に言い放った。
林野「さっさと出てけ。」
藤間「いや、最後の議案は、唐木田くんから私に提案されたものだ。」
林野「唐木田からの…?」
藤間「唐木田くん、引き続き頼むよ」
唐木田「かしこまりました。」
唐木田の合図で、新たな資料が取締役全員に配布された。
どよめきが起こった。中でも最も驚いたのが林野であった。
唐木田「本年2月、この取締役会で否決されましたナカムラ商事買収事案について、新たにコンプライアンス上の問題が見つかりましたので、ご報告させていただきます。」
唐木田が説明したのは、東京キャピタル社長の雪村からの情報提供によって明らかにされた事実であった。
唐木田「また、この資料にあたっては、証人をこちらに呼んでいます。藤間社長、よろしいでしょうか?」
藤間「わかった。」
会議室のドアが開き、入ってきたのは、
林野「なっ…‼︎」
唐木田「ナカムラ商事社長、中村秀社長です」
[水平線]
《前夜》
唐木田「中村商事は最初から買収なんか成功しないんです。このまま行けば、あなたは近いうちに億単位もの損害賠償を請求される運命です。」
大沢「中村、お前は林野にまんまと嵌められたんだ。」
中村「……なんだと…‼︎」
中村「ぬあぁぁ…‼︎ あぁぁっ…‼︎ 林野っー!」
[水平線]
中村「唐木田さん、何でも聞いてください。データ偽装も何もかも、林野の指示でやった!」
[大文字]中村「林野っ!」[/大文字]
林野「!?」
中村「よくも俺を嵌めてくれたな!」
藤間「さて林野くんの意見を聞こうじゃないか。どうぞ」
ついに林野は何も出てこなかった。
[水平線]
唐木田が2年数ヶ月に及ぶ工場勤務から、経営戦略室長として本社へ戻ったのは12月であった。
大沢「唐木田、やはり戻ってきたんだな」
大沢は今、金融子会社の社長として大車輪の活躍を見せていた。いずれ近いうちに本社へ戻るだろう。そのときは、藤間の後任として社長の座に就くだろう。
一方、全てを裏で操っていた林野は処分が下され、特別背任の罪で告訴するか、顧問弁護士と判断をしているところだ。
大沢「中身のない奴が一時の栄華を誇ったとしても、所詮は泡沫の夢だ。」
唐木田「それは、林野さんのことを言っているんですか?」
大沢「全部だよ。私も君も、もっというとこの国もだ。」
唐木田もそう思った。
自浄作用がなくなったとき、それが崩れるのだ。
森田「俺たちの工場なくなるんですか!?」
唐木田「府中工場に吸収されるそうだ。ついでに高崎工場も、我孫子工場に吸収されるって言ってたよ」
森田「じゃあ、俺たちが作ってきたあれは?」
唐木田「おそらく府中工場の保有になるだろうな。ここにいる3分の2の社員もリストラになるっていうから、とんでもない話だ」
まったく納得のできない話である。2年前、浜松トランシスに影響されて、自分たちで鉄道車両用の新型水素エンジンを必死で作り上げてきたのに奪われるのだ。それに加えてリストラが待っているのだ。
《土曜日 東京ビッグサイト》
唐木田「すごい盛り上がりだなぁ」
水野「今年の目玉は、うちの新型水素エンジンだから、いろいろな業界が来てくれますね」
ニュースで放送され、なんといってもJR東海よりも早く完成させることができた。
???「唐木田」
唐木田が振り返ると、
唐木田「大沢さん!」
大沢吉行がいた。かつて常務取締役として権勢を誇った大沢は、本社役員を外され、業績の悪化した金融子会社に出向したのは、3月のことであった。
唐木田「まさかこんなところでお会いできるとは思いませんでした」
大沢「嫌みか?w」
唐木田と大沢は、ブースに用意してあったパイプ椅子に座った。
大沢「客観的に判断していたつもりだったんだかな。どこかで中村を見返しやりたいと思っていた。あいつとは大学時代に、よく貧乏だった私をバカにしては愉しんでいたよ。だから買収を持ちかけられたとき、アイツの会社を乗っ取ってやるつもりだったんだ。」
天敵だと思っていた男が、本音を出してきた。
どこか哀愁を漂わせている。
唐木田「1つ申し上げておきたいんですが、」
唐木田「あのナカムラ商事の隠蔽工作を暴露した報告書ですが…」
大沢「君が調べたんだってな」
唐木田「はい。ですがあれは、取締役会の1週間も前に林野さんに上げていました。あの報告書は取締役会であんなふうに使われるとは思いませんでした」
大沢「だが林野は、私を追い落とすために使った。」
唐木田「私には大沢さんを追い落とす意図はありませんでした。それだけはお伝えしておきます。あの後、中村さんとは何かやりとりはありましたか?」
大沢「ないね。」
大沢「中村が私に近づいてきたのは、自分の会社を買い取ってもらいたかったからだ。目的が頓挫してしまえば、もう用はないんだろうな。中村は生き残るのに必死だ。代理人の東京キャピタルを通じて、この件はなんとしても伏せてくれと言ってきたよ。四葉商戦には知らせないでくれとね」
大沢「だが君もよく調べたな。正直あの報告書には感服したよ。自分の目がいかに節穴か気付かされたよ。まさか資金を引き出した銀行口座の明細まで調べ上げるとは。私の負けだ。」
唐木田「えっ?」
唐木田「私の報告書には、そんな項目はありませんでした。たしかに、現金を渡したという上原の証言と、三船教授の受領書のコピーがあっただけです。」
大沢「どういうことだ?」
唐木田「わかりません。」
大沢「…どうやら本当に敵は、私ではなく、別の誰かだったようだな。」
大沢はしばらくすると歩き出したが、数歩歩いたところで足を止めた。
大沢「君を湘南工場に飛ばしたのは、私じゃないからな。私はそんなケチなことはしないからな」
大沢「いつも論敵ではあったが、君のような奴は経営戦略室に必要な人間だと思ってる。」
大沢はその場をあとにした。
水野「唐木田くん、ちょっといいかな?」
唐木田「はい」
???「君が唐木田くんだね、話は聞いているよ」
唐木田「あなたは…‼︎」
[水平線]
《湘南工場》
唐木田は受話器を下ろした。
森田「どうかされましたか?」
唐木田「これだよ」
唐木田は書類を見せた。
森田「取締役会議事録?」
唐木田「土曜日のイベント、大沢さんが来てた」
森田「えっ?」
驚くのも無理はない。役員関係者には招待状が送られているから、おそらく自費で当日チケットを買ったのだろう。
唐木田「そのときどうも引っ掛かることがあってな。」
唐木田「ナカムラ商事の不正を暴いた報告書には私が調べてなかった、資金が引き出された銀行口座の明細まで添付されていた。これをいったいどこで手に入れたのか…。」
森田「…今の電話って、もしかして林野さん?」
唐木田「あの人も当時出席していたから聞いてみたんだが、役員でもない君には関係ないってさ」
森田「なんか、林野さんが怪しいですね…」
唐木田「上原さんに聞いてくるか。」
《ナカムラ商事》
上原「中村社長の通帳のコピーが?」
上原「最初にナカムラ商事が買収を持ちかけたとき、中村社長が林野さんに挨拶ぐらいはしたと思いますが、それ以上のことまではわかりませんね…。御社とのやりとりは、代理人を通じていましたし。」
上原の言う通りであった。M &Aの場合、当事者同士だけでやりとりするのではなく、様々な手続きや交渉は、間に入っている代理人が行う。今回の買収でカシワ自動車は、東京キャピタルを指名した。
東京キャピタルと唐木田で繋がりのある人間だと、社長の雪村だ。経営戦略室にいた頃、何度か使ったことのある会社だ。
《東京キャピタル》
雪村「いやぁ、買収が成立すれば巨額の手数料が入ってくるところだったから、ウチとしては大ダメージですよ…」
唐木田「その件で聞きたいことがあるんですが、林野と中村社長が直接やりとりしたことはありましたか?」
雪村「…ここだけの話…」
雪村は姿勢を低くした。
雪村「林野さんと中村社長は、高校時代の同級生なんですよ」
唐木田「同級生…?」
雪村「高校時代の同窓会で林野さんと再開した中村社長は、そこで大沢さんがカシワ自動車で常務取締役になっていることを聞かされたんですよ。そのとき中村社長は、自分の会社を売却したいと林野さんに言ったところ、そういう話は大沢さんに持ち込んでみろと。」
唐木田は驚いた。当時の唐木田はナカムラ商事の買収について、高すぎると否定的な見解を示していたが、林野はどっちとも言えない曖昧な態度であった。ことの発端が林野なら、その態度には納得がいく。
唐木田「大沢は、林野と中村が面識があることを知ってたんですか?」
雪村「いや、林野さんから、話せば面倒なことになるから黙ってくれと言われていたそうです。」
中村と親交があるのなら明かすのが本来の姿だが、林野には他意があるようだ。
雪村「最初は裏で、林野さんが中村社長にいろいろとアドバイスをしていたそうなんですが、中村社長が欲張って1000億円を提示したのは誤算だったようです。林野さんは価格を下げるよう求めましたが、なかなか聞き入れなかったと、中村社長はおっしゃっていました。」
雪村「ですが私の見たところ、林野さんがそこまでして中村社長を助けるとは思えないんですよね。たぶん、林野さんは中村社長を最初から利用するつもりで近づいたんだと思いますよ。本当の目的は、大沢さんに買収を成功させて、後になってナカムラ商事がとんでもない会社だとカシワ自動車を混乱させる、そうすれば大沢さんを追い落とせる。これはワナだったんです。ですがそうするには、買収に反対するあなたが邪魔だった。だからあなたを湘南工場に飛ばした。」
唐木田の異動後、再び買収計画が復活し、ついに林野の計画が遂行する見込みがついた。だがそうなってしまうと経営戦略室の力不足が露呈し、いったん切り捨てた唐木田を戻そうとしたのだ。
雪村「本当の悪人は、林野さんだった。」
唐木田「ですが、あなたはその悪人と仕事をしています。」
雪村「はい。ですが私も見捨てられましたよ」
唐木田「どうして?」
雪村「カシワ自動車との取引の永久禁止を食らいましたよ」
唐木田「…だとすると、林野さんは最後の最後にやり方を間違えましたね。出禁にせず東京キャピタルを最後まで使い続ければ、この話はたぶん守られていたはずです。あなたも自分の会社だけ儲かればいいんですから。」
雪村「ですね。ところで唐木田さん、この話、どうされます?」
唐木田「もちろん、きっちりとカタを付けます。ただし伝聞では弱いので、証拠が必要です。協力してくれますね?」
雪村「見返りは、カシワ自動車との取引復活でお願いします」
雪村「私にいい考えがあります。」
[水平線]
《取締役会》
運命の1日だ。この日の議案は4つ。3つ目の議案が終了して休憩が挟まれ、15分後に再開した。
藤間「さて、本日最大の議案だな。」
唐木田が立ち上がった。
唐木田「このほど、我が湘南工場が製作している、鉄道車両用の新型水素エンジンについて動きがあったため、ご説明させていただきます。」
唐木田「先日、東京ビッグサイトで行われた鉄道技術公開ショーでは、多くの企業にご理解いただき、弊社でも鉄道車両事業に介入していくべきだと考えました。」
藤間「……。」
やはり本業を大事にする藤間は難しい顔をする。
林野「ちょっと待ちなさい。ウチは自動車会社として長年やってきたんだ。それを今さら鉄道を介入させるなんて、途方もない話だ」
唐木田「承知しております。ですが湘南工場はこの度、JAPATAXグループの1つである北陸旅客鉄道との業務提携を打診されました。それもJAPATAXの社長直々にです」
取締役たちが驚いた。それもそのはず、天下のJAPATAXとの業務提携だ。
[水平線]
沖田「実はね、我がJAPATAXの子会社に鉄道会社があるんだが、新型車両の導入検討の話が出ているんだ。これを、カシワ自動車湘南工場にお願いしたいんだ。」
唐木田「ウチにですか!?」
沖田「この技術はきっと期待以上の鉄道車両になるし、成功すれば我がJAPATAXグループ全体だけでなく、カシワ自動車さんにも多大な利益貢献になると見ている」
沖田「もちろん開発技術はウチが全て面倒見るし、製造工場もうちが用意する。」
水野「唐木田くん、これはチャンスじゃないか。カシワ自動車の技術力と品質なら、きっと上手くいくと思うんだ」
唐木田「本社の取締役会で提案させてもらいます」
沖田「話が早くて助かるよ」
唐木田「ただし1つだけ条件があります」
沖田「なんだね?」
[水平線]
藤間「唐木田くん、詳しく説明してくれ」
唐木田「かしこまりました。」
唐木田「JAPATAXから提示された出資金額は、720億円です」
林野「720億だと…⁉︎」
唐木田「北陸旅客鉄道は、最新の設備が揃った工場を建設し、量産化を目指している新型エンジンの技術開発も面倒を見ていただけると、沖田社長は申しておりました。さらに新型車両に搭載されて成功すれば、カシワ自動車にも多くのフィードバックが見込まれます。加えて新工場に配置する社員を、今回の主力工場合併で余剰した社員全員で補填していただけることに取り付けました」
藤間「リストラした社員全員を…」
あとは藤間の意見を聞くだけだ。
藤間「唐木田くん、素晴らしい提案じゃないか」
唐木田「ありがとうございます!」
藤間「我が社は本業に注力し、常に自動車で世界と戦ってきた。最高品質の自動車製造にはいつも浜松トランシスとというライバルが立ちはだかり、研鑽しあってきた。そんな浜松トランシスは船舶分野に手を出し、今や“世界のハママツ”とまで言われている。我々も、変わるべきときがきた。今のままでは近いうちに、あっという間に成長は見込めなくなる。したがって鉄道事業の展開を決定しようじゃないか。JAPATAXグループも、我々の技術力と品質に期待して提案してきたんだ、どうだろうか」
取締役たちの間で拍手が起こった。その中でただ1人、林野だけは少し悔しそうな顔をしていた。
藤間「さて、最後の議案に移ろう。」
議題を記載した表紙には「コンプライアンス問題に関する報告」という漠然としたタイトルが付けられている。
林野は、ふと唐木田の顔を見た、議事が進行しても唐木田が退出しないままそこに立っているからだ。
林野「唐木田、もう終わったんだよ。」
林野が不機嫌に言い放った。
林野「さっさと出てけ。」
藤間「いや、最後の議案は、唐木田くんから私に提案されたものだ。」
林野「唐木田からの…?」
藤間「唐木田くん、引き続き頼むよ」
唐木田「かしこまりました。」
唐木田の合図で、新たな資料が取締役全員に配布された。
どよめきが起こった。中でも最も驚いたのが林野であった。
唐木田「本年2月、この取締役会で否決されましたナカムラ商事買収事案について、新たにコンプライアンス上の問題が見つかりましたので、ご報告させていただきます。」
唐木田が説明したのは、東京キャピタル社長の雪村からの情報提供によって明らかにされた事実であった。
唐木田「また、この資料にあたっては、証人をこちらに呼んでいます。藤間社長、よろしいでしょうか?」
藤間「わかった。」
会議室のドアが開き、入ってきたのは、
林野「なっ…‼︎」
唐木田「ナカムラ商事社長、中村秀社長です」
[水平線]
《前夜》
唐木田「中村商事は最初から買収なんか成功しないんです。このまま行けば、あなたは近いうちに億単位もの損害賠償を請求される運命です。」
大沢「中村、お前は林野にまんまと嵌められたんだ。」
中村「……なんだと…‼︎」
中村「ぬあぁぁ…‼︎ あぁぁっ…‼︎ 林野っー!」
[水平線]
中村「唐木田さん、何でも聞いてください。データ偽装も何もかも、林野の指示でやった!」
[大文字]中村「林野っ!」[/大文字]
林野「!?」
中村「よくも俺を嵌めてくれたな!」
藤間「さて林野くんの意見を聞こうじゃないか。どうぞ」
ついに林野は何も出てこなかった。
[水平線]
唐木田が2年数ヶ月に及ぶ工場勤務から、経営戦略室長として本社へ戻ったのは12月であった。
大沢「唐木田、やはり戻ってきたんだな」
大沢は今、金融子会社の社長として大車輪の活躍を見せていた。いずれ近いうちに本社へ戻るだろう。そのときは、藤間の後任として社長の座に就くだろう。
一方、全てを裏で操っていた林野は処分が下され、特別背任の罪で告訴するか、顧問弁護士と判断をしているところだ。
大沢「中身のない奴が一時の栄華を誇ったとしても、所詮は泡沫の夢だ。」
唐木田「それは、林野さんのことを言っているんですか?」
大沢「全部だよ。私も君も、もっというとこの国もだ。」
唐木田もそう思った。
自浄作用がなくなったとき、それが崩れるのだ。
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