硝子の鳥と、約束の声
その男は、声を失っていた。
ある朝目覚めると、彼の喉からは、囁きさえも紡ぎ出すことができなかった。
医者も、周囲の人々も、原因がわからなかった。
彼は突然の静寂に押し潰されそうになり、森の中へと逃げ込んだ。
誰にも会いたくなかった。
深く分け入った森の奥、彼は一本の奇妙な木を見つけた。
その枝には、無数のガラス細工の小鳥たちがぶら下がり、かすかな風に揺られて、澄んだ、しかし決して調和しない音を奏でていた。
それは、奪われた彼の声のように、美しくもどこか空虚な響きだった。
「気に入ったかい?」 不意に声がした。振り返ると、そこには灰色のローブをまとった、年の知れない人物が立っていた。
その手には、まだ完成していない真っ白なガラスの小鳥が握られている。
「ここにあるのは、失われた声だよ」と、灰色の男は言った。
「悲しみに飲まれた声、怒りに歪んだ声、誰にも言えなかった愛の言葉……そういったものたちを、私は形にする。
そうすれば、誰もそれに苦しむことはないからね」 男は、必死に身振りで訴えた。
〈私の声は? 返してくれ。〉
灰色の男は、ほぼ完成したひとつの小鳥を指さした。
それは彼の声に違いない。
透き通り、どこか懐かしい輝きを放っていた。
「返そう。だが、代わりに約束してほしい」と灰色の男は言い、手にしていた真っ白な小鳥を差し出した。
「この子に、『色』をくれるのだ。お前の一番大切な記憶で、この子を染めてほしい。そうすれば、声は返してやる」 声を取り戻すためなら、彼は何でもするつもりだった。
彼はうなずき、白い小鳥を受け取った。
冷たい感触が、彼の掌に染み渡る。
家に帰り、彼は小鳥を机の上に置いた。
そして、一番大切な記憶とは何か、考え始めた。
幼い日、母が歌ってくれた子守唄。
彼はその旋律を思い出し、心の中で歌った。
すると、小鳥の尾羽の先が、優しい夕焼けのような橙色に染まった。
初恋の人が笑った顔。
その思い出がよみがえると、小鳥の胸元が、桜色にほんのりと色づいた。
友達と喧嘩して、涙した夜。
その悔しさを思い出すと、小鳥の翼の縁が、深い藍色に変わった。
そうして、日々が過ぎるにつれ、白かった小鳥は、彼の人生そのものを映すカラフルな宝石のようになっていった。
彼は、声を失った悲しみを忘れ、むしろ、この美しいものを「育てている」という喜びに満たされていった。
声が戻らなくても、もういいかもしれない。そうさえ思う瞬間があった。
そして、ついに小鳥全体が、彼の心の色で埋め尽くされた夜のことだ。
彼はふと、灰色の男との約束を思い出した。
明日、森へ行き、声と交換しなければならない。 色とりどりの小鳥を掌に載せ、彼は深くため息をついた。
ふと、ある疑問が頭をよぎる。 〈この小鳥は、いったい何の声になるのだろう?〉その瞬間、小鳥がかすかに震えた。
そして、彼の耳にだけ聞こえる、か細い、しかし愛おしい声で囁いた。
《ありがとう……》 彼は凍りついた。
小鳥は、ただの器ではなかった。
彼が注ぎ込んだすべての記憶、すべての感情……それ自体が、新しい「声」として結晶しようとしていたのだ。
翌日、彼は色とりどりの小鳥を胸のポケットにしまい、森の奥へと向かった。あの奇妙な木の下には、相変わらず灰色の男が待っていた。
彼は完成したガラスの小鳥を見て、満足そうに目を細めた。
「やはり、君の記憶は美しい色をしている。さあ、約束通り、君の声と交換しよう」
灰色の男が、透き通った小鳥を手に取ろうとした時、彼は一歩後退った。
そして首を振った。 「……どうした?」灰色の男の声に、初めて戸惑いが混じる。
彼は胸ポケットから色とりどりの小鳥を取り出す。
それは彼の人生のすべて——母の子守唄、初恋の痛み、友情の温もり——で彩られていた。
声を失った悲しみさえも、今では深い藍色の模様として、小鳥の羽根に刻まれている。
(この子を手放すことは、自分自身を手放すことだ) 彼は灰色の男をもう一度見つめ、ゆっくりと首を横に振った。
そして、声の代わりに、はっきりとした意思を持ったその瞳で、こう伝えた。
〈約束は破る。声はいらない。この子を連れて帰る〉 灰色の男の表情が曇った。
「それはできない。この取引は……」 その瞬間、彼のポケットから微かな光が漏れた。
色とりどりの小鳥が、まるで彼の決意に応えるかのように輝き始めたのだ。
「……まさか」灰色の男は息をのんだ。
「その小鳥が……『意思』を持っただと?」 彼はうなずいた。
そして、色とりどりの小鳥をそっと掌に載せると、もう一度森の外へ歩き出した。
背後から灰色の男の声が聞こえる。
「待て! その小鳥はまだ未完成だ! あれはただの器に過ぎない!」 彼は振り返らず、歩みを止めなかった。
もう決めていた。声が戻らなくてもいい。
この小さな命——彼自身の記憶と感情で紡がれたこの存在——と共に生きていくことを。
森を出ると、色とりどりの小鳥は再びかすかに震えた。
そして、今度はもっと明確な「声」が彼の心に直接響いてきた。
《名前が欲しい》 彼は微笑んだ。もう声は必要なかった。
この会話に必要なのは声じゃないと知っていたから。
心の中で、彼は問いかけた。
〈君は、いったい何者なんだい?〉 小鳥は答えた。
《私は、あなたが失くしたもの。そして、あなたが得たもの》 彼は深くうなずき、そっと小鳥を撫でた。
ガラスは驚くほど温かく、まるで生きているかのようだった。
家に帰り着くと、彼は色とりどりの小鳥を窓辺に置いた。
夕日が差し込み、小鳥は虹のような輝きを放つ。彼は椅子に座り、新しい「会話」を始めた。
声なき対話は、これから永遠に続いていく。
彼が語りかける思いに、小鳥は色を変えて答える。
橙色は喜び、藍色は哀しみ、桜色は優しさ——もはや言葉など必要ないほどの、豊かな会話がそこにはあった。
窓の外では、夕焼けが空を染めていた。
彼は色とりどりの小鳥を見つめ、静かに微笑んだ。
声を失う代わりに、彼はもっと大切なもの——自分自身の声ではない、かけがえのない対話者——を得たのだから。
クリップボードにコピーしました