微熱はもう終わり。
あの朝、額に触れた熱の名残は、もうどこにもない。
夏紀は台所で鼻歌を歌い、佳世はその後ろを小さな影みたいについて回っている。弦音は窓辺で弦を鳴らし、晴馿はいつものように無言で新聞をめくる。
午後の光が、雲の上の円卓をやわらかく照らしていた。
そこは人の時間から切り離された場所。
地上の一時間が、ここではただの瞬きになる。
「……で、なんで私まで呼ばれたの」
スペルは白磁のカップを持ったまま、じとりとゼウスを見る。
ゼウスは涼しい顔で紅茶を一口。
「神だけで話す機会も必要だ」
「仕事の報告会なら帰るけど」
「違う。今日は“お茶会”だ」
その言葉に、向かい側でくすりと笑う気配。
「珍しいじゃない、あなたがそんな余裕を作るなんて」
ガイアは花びらの浮かぶハーブティーを揺らしながら言う。
彼女の足元では、小さな草花が静かに芽吹いている。
「地上が安定している今だからこそ、だ」
ゼウスは素直に認めた。
円卓には三柱。
主神、地の神、そして——止まらない神。
弦音は呼ばれていない。
これは“管理者”だけの席だ。
スペルはため息をつく。
「で? 議題は?」
「人生について」
即答だった。
「またそれ?」
「お前が一番考えているだろう」
ゼウスの視線はまっすぐだ。
ガイアが穏やかに続ける。
「最近、“未確定の可能性”が減っているの。あなたが抱えたからよ、スペル」
「抱えた覚えはない」
「抱えたわ」
やわらかな断定。
少しの沈黙。
風が円卓をなぞる。
「……私は、選んだだけ」
スペルはカップを見つめる。
「忘れないことも、見届けることも」
「それが人生だと?」
ゼウスが問う。
「少なくとも、今はそう思ってる」
ガイアは目を細めた。
「終わりを持たないあなたが、“終わりを持つ存在”の側に立つ」
「矛盾しているようで、とても自然」
ゼウスは低く笑う。
「昔のお前なら、効率を選んだ」
「うるさい」
「変わったな」
その言葉に、スペルは少しだけ視線を逸らす。
「変わるのは悪いこと?」
「いいや」
ゼウスはカップを置いた。
「神が変わらないなら、世界も固まる」
ガイアが茶菓子を差し出す。
「はい、蜂蜜菓子。甘いもの好きなんでしょ?」
「なんで知ってるの」
「地面は全部知ってるのよ」
苦い顔をしながらも、スペルは一口かじる。
甘い。
不思議と、地上の味がする。
「ねえゼウス」
「なんだ」
「あなたにとって、人生はまだ“時計”?」
少しだけ、間があった。
「いや」
ゼウスは静かに答える。
「今は“共有される時間”だ」
ガイアが頷く。
「一人で刻むだけでは、意味が薄いもの」
スペルは小さく笑った。
「じゃあ、このお茶会も人生?」
「当然だ」
ゼウスは即答する。
「無駄なようで、必要な時間だ」
雲の隙間から、地球が見える。
青く、静かに回っている。
その上では、誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが微熱から回復している。
「……守るだけじゃ足りないな」
スペルが呟く。
「一緒に、飲まないと」
ガイアが柔らかく微笑む。
「ようこそ、神のお茶会へ」
カップが三つ、静かに触れ合う。
澄んだ音が、空の上に広がった。
それは雷でも地鳴りでもない。
ただ、確かに——
鳴っている時間の音だった。
あの朝、額に触れた熱の名残は、もうどこにもない。
夏紀は台所で鼻歌を歌い、佳世はその後ろを小さな影みたいについて回っている。弦音は窓辺で弦を鳴らし、晴馿はいつものように無言で新聞をめくる。
午後の光が、雲の上の円卓をやわらかく照らしていた。
そこは人の時間から切り離された場所。
地上の一時間が、ここではただの瞬きになる。
「……で、なんで私まで呼ばれたの」
スペルは白磁のカップを持ったまま、じとりとゼウスを見る。
ゼウスは涼しい顔で紅茶を一口。
「神だけで話す機会も必要だ」
「仕事の報告会なら帰るけど」
「違う。今日は“お茶会”だ」
その言葉に、向かい側でくすりと笑う気配。
「珍しいじゃない、あなたがそんな余裕を作るなんて」
ガイアは花びらの浮かぶハーブティーを揺らしながら言う。
彼女の足元では、小さな草花が静かに芽吹いている。
「地上が安定している今だからこそ、だ」
ゼウスは素直に認めた。
円卓には三柱。
主神、地の神、そして——止まらない神。
弦音は呼ばれていない。
これは“管理者”だけの席だ。
スペルはため息をつく。
「で? 議題は?」
「人生について」
即答だった。
「またそれ?」
「お前が一番考えているだろう」
ゼウスの視線はまっすぐだ。
ガイアが穏やかに続ける。
「最近、“未確定の可能性”が減っているの。あなたが抱えたからよ、スペル」
「抱えた覚えはない」
「抱えたわ」
やわらかな断定。
少しの沈黙。
風が円卓をなぞる。
「……私は、選んだだけ」
スペルはカップを見つめる。
「忘れないことも、見届けることも」
「それが人生だと?」
ゼウスが問う。
「少なくとも、今はそう思ってる」
ガイアは目を細めた。
「終わりを持たないあなたが、“終わりを持つ存在”の側に立つ」
「矛盾しているようで、とても自然」
ゼウスは低く笑う。
「昔のお前なら、効率を選んだ」
「うるさい」
「変わったな」
その言葉に、スペルは少しだけ視線を逸らす。
「変わるのは悪いこと?」
「いいや」
ゼウスはカップを置いた。
「神が変わらないなら、世界も固まる」
ガイアが茶菓子を差し出す。
「はい、蜂蜜菓子。甘いもの好きなんでしょ?」
「なんで知ってるの」
「地面は全部知ってるのよ」
苦い顔をしながらも、スペルは一口かじる。
甘い。
不思議と、地上の味がする。
「ねえゼウス」
「なんだ」
「あなたにとって、人生はまだ“時計”?」
少しだけ、間があった。
「いや」
ゼウスは静かに答える。
「今は“共有される時間”だ」
ガイアが頷く。
「一人で刻むだけでは、意味が薄いもの」
スペルは小さく笑った。
「じゃあ、このお茶会も人生?」
「当然だ」
ゼウスは即答する。
「無駄なようで、必要な時間だ」
雲の隙間から、地球が見える。
青く、静かに回っている。
その上では、誰かが泣き、誰かが笑い、誰かが微熱から回復している。
「……守るだけじゃ足りないな」
スペルが呟く。
「一緒に、飲まないと」
ガイアが柔らかく微笑む。
「ようこそ、神のお茶会へ」
カップが三つ、静かに触れ合う。
澄んだ音が、空の上に広がった。
それは雷でも地鳴りでもない。
ただ、確かに——
鳴っている時間の音だった。
- 1.「人生」
- 2.「奇跡の星」
- 3.「夏紀」
- 4.「とある隣人は」
- 5.「立場」
- 6.徒花の行方
- 7.「幼女は」
- 8.「笑顔」
- 9.「軸柊奏」
- 10.徒花の行方
- 11.「居場所」
- 12.「弦の音」
- 13.「答え」
- 14.「日常編」
- 15.「悩むものか」
- 16.「歪み」
- 17.「信頼」
- 18.「余命」
- 19.「時歌」
- 20.「日常編」
- 21.「神として」
- 22.「忘却列車」
- 23.「微熱」
- 24.「クリスマス」
- 25.「プレゼント」
- 26.「鳴っている」
- 27.「バレンタイン」
- 28.「日常」
- 29.「誰」
- 30.「戦場」
- 31.「アレス」
- 32.「日常編」
- 33.「破会議壊」
- 34.「徒花の行方」
- 35.「戦の予兆」
- 36.「日常編」