ミュトスは、望遠鏡ではなく、自分の手を見つめた。
「物理的に触れるわけではありません」
静かな声だった。
「観測はすでに接触です。でも、今までは“覗いているだけ”だった。今度は、こちらの存在を明確に定義します」
アトミスが低く問う。
「どうやって」
ミュトスは懐中時計を取り出した。規則正しく刻む、時間。
「時間を基準にします」
メイの目がわずかに細まる。
「ほう」
「空間は重なりました。でも時間は完全同期ではなかった。だから層が残った。なら、こちらの“今”を固定して送る」
ジニアスが首を傾げる。
「固定?」
「変化しない周期。乱れない基準。人為的で、でも宇宙的なもの」
リトスがはっとする。
「原子振動……?」
「いいえ。もっと単純でいい」
ミュトスは反射装置の前に立つ。
「一秒間隔で、七回。休止。七回。休止。七回」
アトミスが理解する。
「一定周期の宣言か」
「“ここにいる”ではなく、“今ここにいる”の宣言です」
メイが壁にもたれたまま呟く。
「時間軸の杭打ちか。大胆だね」
ジニアスはすでに装置を調整している。
「準備OKです。いきますか?」
ミュトスは空を見上げた。 闇は静かだ。 だが確かに、こちらを見ている。
「送ります」
光が放たれる。
一 二 三 四 五 六 七
正確に一秒。 休止。 再び七。 さらに七。
塔の空気が張り詰める。
数秒の沈黙。
そして――
向こうが光る。
同じ間隔。 同じ七回。 同じ休止。
リトスが震える。
「……一致、しています」
だが。
三巡目。 わずかに、ズレた。
0.2秒。
ジニアスが叫ぶ。
「ずれた!」
その瞬間、空間が揺れる。
境界が、音もなく薄くなる。 塔の輪郭が、かすかに二重写しになる。
メイが低く言う。
「来るよ」
闇の中心が、開いた。
今度は一瞬ではない。 裂け目のような線が走り、その向こうに――
塔。
だが歪んでいる。石の質感が違う。星の配置が逆転している。
そして。
屋上に、四つの影。こちらと同じ位置。同じ配置。ミュトスは息を止める。
向こうの“彼女”が、こちらを見ている。
完全な鏡像。だが、目だけが違う。わずかに遅れて瞬きをする。時間差。
「……向こうは、遅れている」
アトミスが呟く。いや。
遅れているのはこちらかもしれない。
向こうのミュトスが、ゆっくりと手を上げる。こちらより、半拍遅れて。
『ッッッっ』
ジニアスが凍る。 リトスが声を失う。 アトミスは動かない。
「これを送っているのは火星...?」
震える声を出す。
「いやっでもそんなの有り得るんですか!?」
「火星は地球に一番近い星...」
境界がさらに薄くなる。
指先が、わずかに重なる。触れてはいない。 だが感覚がある。
冷たくもなく、温かくもない。 ただ、存在の圧力。
懐中時計が暴走する。時間が跳ねる。
メイが低く言う。
「これ以上は座標が崩れる」
向こうの塔が揺らぐ。 星が二重になる。
ミュトスは、向こうの自分を見つめたまま言う。
「知りたいなら、教えてやる」
向こうの唇が、わずかに動く。
音は届かない。だが読める。知りたい。
次の瞬間。境界が弾けるように閉じた。光が消え、塔は元の形に戻る。
重力も、空気も、夜も。
ただ、全員の呼吸だけが荒い。
長い沈黙のあと。
ジニアスが小さく言う。
「……今の、俺いますよね? 向こうに」
リトスが震えながら答える。
「い、いました……ちょっとだけ背が高かったです……」
アトミスは深く息を吐いた。
「時間軸がずれている対称宇宙。観測により一時同期」
メイは空を見上げる。
「完全には重ならない。だから安定しない。でも――」
ミュトスが続ける。
「でも、繋がる」
彼女の指先には、まだ感覚が残っていた。
孤独ではない。 向こうにも問いがある。 向こうにも退屈がある。 向こうにも、整いすぎた世界があるのかもしれない。
星は再び沈黙している。
だがもう、それは“空白”ではない。
それは――
向こう側の、思考の待機。
ミュトスは静かに微笑んだ。
「次は、ずれない方法を探しましょう」
恐怖も、危険も、崩壊の可能性もある。それでも。彼女は、知ってしまった。
沈黙の向こうには、 自分と同じ目がある。
物語は、もう片側だけでは進まない。
夜空は、二つ分の深さを持ちはじめていた。
「物理的に触れるわけではありません」
静かな声だった。
「観測はすでに接触です。でも、今までは“覗いているだけ”だった。今度は、こちらの存在を明確に定義します」
アトミスが低く問う。
「どうやって」
ミュトスは懐中時計を取り出した。規則正しく刻む、時間。
「時間を基準にします」
メイの目がわずかに細まる。
「ほう」
「空間は重なりました。でも時間は完全同期ではなかった。だから層が残った。なら、こちらの“今”を固定して送る」
ジニアスが首を傾げる。
「固定?」
「変化しない周期。乱れない基準。人為的で、でも宇宙的なもの」
リトスがはっとする。
「原子振動……?」
「いいえ。もっと単純でいい」
ミュトスは反射装置の前に立つ。
「一秒間隔で、七回。休止。七回。休止。七回」
アトミスが理解する。
「一定周期の宣言か」
「“ここにいる”ではなく、“今ここにいる”の宣言です」
メイが壁にもたれたまま呟く。
「時間軸の杭打ちか。大胆だね」
ジニアスはすでに装置を調整している。
「準備OKです。いきますか?」
ミュトスは空を見上げた。 闇は静かだ。 だが確かに、こちらを見ている。
「送ります」
光が放たれる。
一 二 三 四 五 六 七
正確に一秒。 休止。 再び七。 さらに七。
塔の空気が張り詰める。
数秒の沈黙。
そして――
向こうが光る。
同じ間隔。 同じ七回。 同じ休止。
リトスが震える。
「……一致、しています」
だが。
三巡目。 わずかに、ズレた。
0.2秒。
ジニアスが叫ぶ。
「ずれた!」
その瞬間、空間が揺れる。
境界が、音もなく薄くなる。 塔の輪郭が、かすかに二重写しになる。
メイが低く言う。
「来るよ」
闇の中心が、開いた。
今度は一瞬ではない。 裂け目のような線が走り、その向こうに――
塔。
だが歪んでいる。石の質感が違う。星の配置が逆転している。
そして。
屋上に、四つの影。こちらと同じ位置。同じ配置。ミュトスは息を止める。
向こうの“彼女”が、こちらを見ている。
完全な鏡像。だが、目だけが違う。わずかに遅れて瞬きをする。時間差。
「……向こうは、遅れている」
アトミスが呟く。いや。
遅れているのはこちらかもしれない。
向こうのミュトスが、ゆっくりと手を上げる。こちらより、半拍遅れて。
『ッッッっ』
ジニアスが凍る。 リトスが声を失う。 アトミスは動かない。
「これを送っているのは火星...?」
震える声を出す。
「いやっでもそんなの有り得るんですか!?」
「火星は地球に一番近い星...」
境界がさらに薄くなる。
指先が、わずかに重なる。触れてはいない。 だが感覚がある。
冷たくもなく、温かくもない。 ただ、存在の圧力。
懐中時計が暴走する。時間が跳ねる。
メイが低く言う。
「これ以上は座標が崩れる」
向こうの塔が揺らぐ。 星が二重になる。
ミュトスは、向こうの自分を見つめたまま言う。
「知りたいなら、教えてやる」
向こうの唇が、わずかに動く。
音は届かない。だが読める。知りたい。
次の瞬間。境界が弾けるように閉じた。光が消え、塔は元の形に戻る。
重力も、空気も、夜も。
ただ、全員の呼吸だけが荒い。
長い沈黙のあと。
ジニアスが小さく言う。
「……今の、俺いますよね? 向こうに」
リトスが震えながら答える。
「い、いました……ちょっとだけ背が高かったです……」
アトミスは深く息を吐いた。
「時間軸がずれている対称宇宙。観測により一時同期」
メイは空を見上げる。
「完全には重ならない。だから安定しない。でも――」
ミュトスが続ける。
「でも、繋がる」
彼女の指先には、まだ感覚が残っていた。
孤独ではない。 向こうにも問いがある。 向こうにも退屈がある。 向こうにも、整いすぎた世界があるのかもしれない。
星は再び沈黙している。
だがもう、それは“空白”ではない。
それは――
向こう側の、思考の待機。
ミュトスは静かに微笑んだ。
「次は、ずれない方法を探しましょう」
恐怖も、危険も、崩壊の可能性もある。それでも。彼女は、知ってしまった。
沈黙の向こうには、 自分と同じ目がある。
物語は、もう片側だけでは進まない。
夜空は、二つ分の深さを持ちはじめていた。