境界がずれた翌朝、塔の中は異様な静けさに包まれていた。
昨夜の出来事は、誰もが夢ではないと理解している。観測記録には確かに“変位”が残っていた。わずか数秒角。それでも、星図を書き換えるには十分すぎる変化だった。
「境界が外へ広がっている……」
リトスが震える声で呟く。
「いや」
アトミスは低く否定する。
「広がったのではない。向こうが、近づいた」
その言葉に、室内の空気が張り詰めた。
ミュトスは机に広げられた星図を見つめていた。昨夜、自分が“見られた”と感じた瞬間を思い返す。恐怖はない。ただ、確かに意志があった。
――こちらを、認識した意志。
「もう一度、今夜観測します」
彼女は静かに言った。
ジニアスが顔を上げる。
「危険かもしれないよ?」
「でも、向こうはもう知っています。私たちが見ていることを」
沈黙。
やがてアトミスが頷いた。
「ならば対話の準備をしよう」
「対話……?」
「観測は一方通行ではない。光は情報だ。ならば、こちらからも送れる」
その夜、塔の屋上に即席の反射装置が組まれた。規則的な光の点滅。素数の列。単純で、だが意図的な信号。
ミュトスは主望遠鏡を覗き込む。沈黙の領域は、昨夜よりわずかに明瞭だった。境界は脈打ち、まるで呼吸のように収縮する。
「……来ます」
闇の中心に、再び光が灯る。
今度は一瞬ではない。ゆっくりと、規則的に明滅する。
一、二、三、五、七――
ジニアスが息を呑む。
「素数だ……返してきてる」
塔の中に震えるような歓喜が広がる。
だが次の瞬間、光の配列が崩れた。
素数は歪み、形を変え、やがて一つの輪郭を描き始める。
それは、星図だった。
沈黙の内側から描かれた、こちら側の星図。
「向こうにも……空がある」
リトスの声がかすれる。
ミュトスは悟る。
沈黙は壁ではない。境界でもない。
鏡だ。
互いを映し、互いを測る、対称の宇宙。
闇の奥で、最後に一つだけ強く光が瞬いた。
それは明確な一点――塔の座標。
「招いているのではない」
ミュトスは静かに言う。
[太字]「位置を、固定された」[/太字]
懐中時計が再び不規則に鳴り始める。塔全体が微かに振動した。
観測しているのは、こちらだけではない。
次に開くのは、光か、それとも扉そのものか。
ミュトスは恐れずに、ただ前を見つめた。
「続きが、始まります」
昨夜の出来事は、誰もが夢ではないと理解している。観測記録には確かに“変位”が残っていた。わずか数秒角。それでも、星図を書き換えるには十分すぎる変化だった。
「境界が外へ広がっている……」
リトスが震える声で呟く。
「いや」
アトミスは低く否定する。
「広がったのではない。向こうが、近づいた」
その言葉に、室内の空気が張り詰めた。
ミュトスは机に広げられた星図を見つめていた。昨夜、自分が“見られた”と感じた瞬間を思い返す。恐怖はない。ただ、確かに意志があった。
――こちらを、認識した意志。
「もう一度、今夜観測します」
彼女は静かに言った。
ジニアスが顔を上げる。
「危険かもしれないよ?」
「でも、向こうはもう知っています。私たちが見ていることを」
沈黙。
やがてアトミスが頷いた。
「ならば対話の準備をしよう」
「対話……?」
「観測は一方通行ではない。光は情報だ。ならば、こちらからも送れる」
その夜、塔の屋上に即席の反射装置が組まれた。規則的な光の点滅。素数の列。単純で、だが意図的な信号。
ミュトスは主望遠鏡を覗き込む。沈黙の領域は、昨夜よりわずかに明瞭だった。境界は脈打ち、まるで呼吸のように収縮する。
「……来ます」
闇の中心に、再び光が灯る。
今度は一瞬ではない。ゆっくりと、規則的に明滅する。
一、二、三、五、七――
ジニアスが息を呑む。
「素数だ……返してきてる」
塔の中に震えるような歓喜が広がる。
だが次の瞬間、光の配列が崩れた。
素数は歪み、形を変え、やがて一つの輪郭を描き始める。
それは、星図だった。
沈黙の内側から描かれた、こちら側の星図。
「向こうにも……空がある」
リトスの声がかすれる。
ミュトスは悟る。
沈黙は壁ではない。境界でもない。
鏡だ。
互いを映し、互いを測る、対称の宇宙。
闇の奥で、最後に一つだけ強く光が瞬いた。
それは明確な一点――塔の座標。
「招いているのではない」
ミュトスは静かに言う。
[太字]「位置を、固定された」[/太字]
懐中時計が再び不規則に鳴り始める。塔全体が微かに振動した。
観測しているのは、こちらだけではない。
次に開くのは、光か、それとも扉そのものか。
ミュトスは恐れずに、ただ前を見つめた。
「続きが、始まります」