出立の日、空は高く澄み渡っていた。ミュトスは最小限の荷をまとめ、屋敷の門前に立つ。衣類と数冊の天文書、観測記録。そして父から手渡された祖父の懐中時計。規則正しく刻む音が、不思議と心を落ち着かせた。
「いつでも帰ってきていいのよ」
母が抱きしめる。
「でも、簡単には帰りません」
ミュトスは微笑んだ。不安よりも、選んだという実感が胸にあった。
研究者の寮は塔の裏手にある。質素な石造りの部屋。小さな机と寝台、そして夜空を切り取る窓。リトスが緊張しながら案内し、ジニアスが弾む声で歓迎する。
「ミュトスさんきたよっ!」
「ジニアスさん煩いです」
会話を横目に彼女の視線はすでに塔へ向いていた。
その夜、初めて観測に加わる。主望遠鏡の前で、アトミスが告げる。
「昨夜より奥を見る」
ミュトスは息を整え、目を当てた。星々の奥に広がる沈黙の領域。今日ははっきりとわかる。闇は空白ではない。境界がわずかに脈打っている。
「……動いています」
闇の中心に、小さな光が灯った。星ではない、存在の気配。胸が強く鳴る。
――見られている。
直感が確信へと変わる。
「向こうも、観測している」
室内が凍りつく。ジニアスが計器を確認し、リトスが震える手で記録する。懐中時計が不規則に鳴り始める。光は一瞬強まり、まるで応答のように瞬いた後、静かに消えた。
再び訪れた夜の静寂。だが境界座標は、わずかに外へずれていた。
ミュトスは望遠鏡から顔を上げる。恐れはなかった。ただ確信だけがある。
「沈黙は、扉です」
その言葉を、誰も否定できなかった。
「いつでも帰ってきていいのよ」
母が抱きしめる。
「でも、簡単には帰りません」
ミュトスは微笑んだ。不安よりも、選んだという実感が胸にあった。
研究者の寮は塔の裏手にある。質素な石造りの部屋。小さな机と寝台、そして夜空を切り取る窓。リトスが緊張しながら案内し、ジニアスが弾む声で歓迎する。
「ミュトスさんきたよっ!」
「ジニアスさん煩いです」
会話を横目に彼女の視線はすでに塔へ向いていた。
その夜、初めて観測に加わる。主望遠鏡の前で、アトミスが告げる。
「昨夜より奥を見る」
ミュトスは息を整え、目を当てた。星々の奥に広がる沈黙の領域。今日ははっきりとわかる。闇は空白ではない。境界がわずかに脈打っている。
「……動いています」
闇の中心に、小さな光が灯った。星ではない、存在の気配。胸が強く鳴る。
――見られている。
直感が確信へと変わる。
「向こうも、観測している」
室内が凍りつく。ジニアスが計器を確認し、リトスが震える手で記録する。懐中時計が不規則に鳴り始める。光は一瞬強まり、まるで応答のように瞬いた後、静かに消えた。
再び訪れた夜の静寂。だが境界座標は、わずかに外へずれていた。
ミュトスは望遠鏡から顔を上げる。恐れはなかった。ただ確信だけがある。
「沈黙は、扉です」
その言葉を、誰も否定できなかった。