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ー人生ー

#21

「神として」

夜でも朝でもない時間が、境界に滞っていた。
空は暗いのに星はなく、世界全体が息を止めている。
スペル・アルオクイスは、ひとり歩いていた。
足音はしない。地面が、音を拒んでいる。
「……静かすぎる」
呟きは、すぐに溶けた。
ここでは言葉すら長く留まれない。
境界の空気は薄い。
呼吸はできるのに、吸った感覚が曖昧で、吐いた息が自分のものか分からなくなる。
神であるはずの感覚が、どこか鈍っていた。
視界の端に、壊れた時計が浮かんでいる。
針は止まり、文字盤だけが妙に鮮明だ。
「……また、止まってる」
胸の奥が、きしりと鳴った。
最近、こういうものが増えた。
止まった針。途切れた音。最後まで鳴らなかった歌。
思い出そうとしなくても、浮かんでくる。
白い病室。小さな手。震える声。
「……トキ」
名前を呼んだだけで、世界の静けさが深まった。
忘れられない。その事実が、重い。
風が吹いた。
正確には、風が吹いたことになった。
音も匂いもないのに、背中だけが押される。
視線の先に、一本の線が現れる。
レールだ。
「……やっぱり、来るよね」
知っていた。
忘却列車の前触れは、いつもこれだ。
レールの脇に立つと、金属の冷たさが伝わる。
それだけで、少し安心してしまう自分が嫌だった。
忘れれば、楽になる。
神としては、正しい選択だ。
「……でも」
スペルは、線の先を見つめる。
忘れたら、自分は何になる?
神に戻るだけのはずなのに、それが怖い。
遠くで、何かが近づく気配がした。
音ではない。存在の圧。
足は動かない。
逃げられるのに、逃げない。
「……少しだけ、考えさせて」
誰にともなく呟いた瞬間、
まだ見えないはずの扉の音が、確かに胸の奥で鳴った。
それは、もう戻れない前触れだった。

作者メッセージ

これは言えば忘却列車の前置きですね。

2026/02/07 06:19

徒花
ID:≫ 5.NCXqW.yLBqg
コメント

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創作長期ファンタジー天文

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