正言部の正義
#1
不穏な依頼
不穏な依頼
夕方の曇り空の見える廊下から元放送室を覗くと、カフェだった。
カウンター代わりに並べられた茶色の壊れかけの机の向こう側に正言部部長が持参したラジオを聴きながらメガネをかけて優雅に新聞のクロスワードを解いている。先週僕が買ってきた小さめの棚にはきちんとコーヒー豆の袋が整列し、棚の上に片づけられたコーヒードリッパーが仄かにコーヒーの渋い匂いを漂わせて、唯一埃の被っていない窓から漏れる灰色の光が、部長の不思議な雰囲気を加速させる。
「ぶ、部長…?」建付けの悪いせいで軋んだドアを開けながら部長の前に歩き出すと部長は「やっと来たね」と窓からの光と同じ灰色のハスキーボイスで気楽に答え、新聞を机に畳む。
僕は改めて部屋を見渡してみる。音は外から聞こえる運動部の掛け声と吹奏楽部の合奏だけなのに、カフェの品のある明るい声と音楽に脳内変換される。ここまで完成させる部長の行動力と気楽さに僕は思わず「ここは喫茶部じゃありません!」と笑みをこぼす。でも、部長はその言葉を受けて少し微笑みを浮かべただけだった。正言部は二人しか部員がいないからか、元放送室が小さいからか、はたまた他の音がこの部屋で生まれないからなのか、僕の声だけが響き渡る。
そう言えば、僕は正言部に入部して間もないが、部長は己のことについて褒められるとまるで髪型を変えたことを指摘された女性のようになることに気付いた。
そんな冗談を言っていると部長は「今から十秒後、君は女性と目が合う」そう言って棚の隣のハンガーにかけられたインバネスコートと並べたテーブルたちの隣にあるシャーロック・ハットをつけて、カウンターから出てくる。
丁度十秒たったかたっていないかくらいで、鼻のついた、聞きなじみのある女性の足音が耳に忍び込む。僕はつい反射的に振り向き、その足音と目をかち合わせる。
足音の犯人は僕のクラスの担任である文月先生だった。先生は気取った服を着て、成りそこないの上品な音をたてて歩いている。先生は鼻が良いらしく、ドアの向こうからコーヒーの匂いに少しばかり顔を明るくした。先生の姿が見え、こちらに用があると見た瞬間、部長のしゃがれた声が部屋に響く。「これは文月先生。ご無沙汰です。お元気でしたか?さて、本日はどのようなご用件で?」先程の部長らしからぬ明るく、甘い気取った声。これじゃ文月先生の歩き方と同じだ。
先生は部長の正面にある長椅子に座り、僕がお茶を出すとそれを啜って、早速依頼内容を話し出す。どうやら先生は部長と同じく、無駄な時間を過ごすのが嫌いらしい。
「私の担任するクラスに一人、自殺しようととしてる子がいるの。名前は日葵さんという子で、不登校だけれど、いい子よ」僕は息をのむ。先生の重たい声とその内容がブレンドされて、今の今までしたコーヒーの匂いがしない。世界の時が止まったみたいに周りがスローだ。はっと気が戻ると部長が「つまりはその日葵さんの調査と更生ですね?」と依頼内容をまとめている。
文月先生は部長と馬が合うと勝手な想像をしてしまったようで「ええ。対価は予算の引き上げでよろしい?」と見え透いたことを言う。見抜いてはいるがそれよりも予算が上がることが余程嬉しいのか冷静な顔を浮かべていた部長の顔の糸が少しばかり緩むのを僕は見逃さない。
部長は小さな咳を一つ。「もちろんです。この私、必ず日葵さんを救い上げて見せましょう」文月先生はその言葉を聞いて嬉しそうに契約書にサインを書くと、逃げるかのように薄暗い放送室を出て行った。
夕方の曇り空の見える廊下から元放送室を覗くと、カフェだった。
カウンター代わりに並べられた茶色の壊れかけの机の向こう側に正言部部長が持参したラジオを聴きながらメガネをかけて優雅に新聞のクロスワードを解いている。先週僕が買ってきた小さめの棚にはきちんとコーヒー豆の袋が整列し、棚の上に片づけられたコーヒードリッパーが仄かにコーヒーの渋い匂いを漂わせて、唯一埃の被っていない窓から漏れる灰色の光が、部長の不思議な雰囲気を加速させる。
「ぶ、部長…?」建付けの悪いせいで軋んだドアを開けながら部長の前に歩き出すと部長は「やっと来たね」と窓からの光と同じ灰色のハスキーボイスで気楽に答え、新聞を机に畳む。
僕は改めて部屋を見渡してみる。音は外から聞こえる運動部の掛け声と吹奏楽部の合奏だけなのに、カフェの品のある明るい声と音楽に脳内変換される。ここまで完成させる部長の行動力と気楽さに僕は思わず「ここは喫茶部じゃありません!」と笑みをこぼす。でも、部長はその言葉を受けて少し微笑みを浮かべただけだった。正言部は二人しか部員がいないからか、元放送室が小さいからか、はたまた他の音がこの部屋で生まれないからなのか、僕の声だけが響き渡る。
そう言えば、僕は正言部に入部して間もないが、部長は己のことについて褒められるとまるで髪型を変えたことを指摘された女性のようになることに気付いた。
そんな冗談を言っていると部長は「今から十秒後、君は女性と目が合う」そう言って棚の隣のハンガーにかけられたインバネスコートと並べたテーブルたちの隣にあるシャーロック・ハットをつけて、カウンターから出てくる。
丁度十秒たったかたっていないかくらいで、鼻のついた、聞きなじみのある女性の足音が耳に忍び込む。僕はつい反射的に振り向き、その足音と目をかち合わせる。
足音の犯人は僕のクラスの担任である文月先生だった。先生は気取った服を着て、成りそこないの上品な音をたてて歩いている。先生は鼻が良いらしく、ドアの向こうからコーヒーの匂いに少しばかり顔を明るくした。先生の姿が見え、こちらに用があると見た瞬間、部長のしゃがれた声が部屋に響く。「これは文月先生。ご無沙汰です。お元気でしたか?さて、本日はどのようなご用件で?」先程の部長らしからぬ明るく、甘い気取った声。これじゃ文月先生の歩き方と同じだ。
先生は部長の正面にある長椅子に座り、僕がお茶を出すとそれを啜って、早速依頼内容を話し出す。どうやら先生は部長と同じく、無駄な時間を過ごすのが嫌いらしい。
「私の担任するクラスに一人、自殺しようととしてる子がいるの。名前は日葵さんという子で、不登校だけれど、いい子よ」僕は息をのむ。先生の重たい声とその内容がブレンドされて、今の今までしたコーヒーの匂いがしない。世界の時が止まったみたいに周りがスローだ。はっと気が戻ると部長が「つまりはその日葵さんの調査と更生ですね?」と依頼内容をまとめている。
文月先生は部長と馬が合うと勝手な想像をしてしまったようで「ええ。対価は予算の引き上げでよろしい?」と見え透いたことを言う。見抜いてはいるがそれよりも予算が上がることが余程嬉しいのか冷静な顔を浮かべていた部長の顔の糸が少しばかり緩むのを僕は見逃さない。
部長は小さな咳を一つ。「もちろんです。この私、必ず日葵さんを救い上げて見せましょう」文月先生はその言葉を聞いて嬉しそうに契約書にサインを書くと、逃げるかのように薄暗い放送室を出て行った。