舌の引っ越し
私は四歳で国籍より先に言葉を失った。
正確には、失ったのではなく、置いてきたのだと思う。
帰るつもりのないまま、振り返りもしないで。
そのころの私は、きっとあまり好かれない子どもだっただろう。泣き虫でもなく、臆病でもなく、むしろ強すぎた。欲しいものを欲しいと言い、怒りたいときに怒った。
世界が自分の思い通りに動かないことに、本気で腹を立てていた。
[水平線]
中国の遊園地。
夕方の空は、溶けかけた飴のように粘りつき、観覧車の影を長く引き延ばしていた。帰る者の背中にまとわりつく、甘くて、離れがたい色。
友達が言った。
「[漢字]明天幼儿园休息[/漢字][ふりがな]幼稚園休みなんだよね明日[/ふりがな]」
その言葉は、祝福のように軽かった。
明日が自由だという事実は、まるで特権のように響いた。
私は明日、幼稚園だった。
世界は均等にできていない。空は同じ色なのに、明日は違う。
それを、初めて知った瞬間だった。
「[漢字]为什么幼儿园不休息,气死我了![/漢字][ふりがな]なんで私の幼稚園は休みじゃねえんだよおおおお![/ふりがな]」
私は怒った。同じ文を、壊れたおもちゃみたいに繰り返した。壊れたのはおもちゃじゃなくて、私のほうだったのに。
本当は、あの子に怒っていたわけじゃない。
自分だけが帰らなければならないことに、怒っていた。自分だけが明日に縛られている気がして、悔しかった。
でも四歳の私は、感情を分解できない。
羨望と怒りと寂しさを、別々に並べることができない。
だから世界を丸ごと悪者にした。
四歳の怒りは、正義に似ている。自分が不公平だと感じた瞬間、それは世界の罪になるから。
もうひとつ。
隣の子に、おばあちゃんが優しくしていた。柔らかい声で、名前を呼び、頭を撫でる。
その手の動きは、私の知っている温度だった。
それが許せなかった。
「[漢字]那是我的姥姥。去找自己的姥姥吧[/漢字][ふりがな]それ自分のおばあちゃんなんだが。お前のおばあちゃんを探せ[/ふりがな]」
堂々としすぎていて、もはや滑稽だった。小さな体で、縄張りを主張する獣みたいに。
最近知ったことだが、あの子のおばあちゃんはもういなかったらしい。
あの子は、ほんの少しの「代わり」を撫でていただけだった。本物じゃないぬくもりでも、手の形さえあればよかったのだ。
私はそれを、奪った。
四歳の残酷さは、悪意ではない。無知という名前の、純度の高い刃物だ。
曇りがないから深くまで切れる。
あの子の寂しさを想像できる年齢になって、私はようやく、自分の刃の形を知った。
[水平線]
でも、四歳で私は変わった。
私が日本語で最初に言った言葉は、「ママ」ではない。友達の名前だった。呼びかけるための音。
私は誰かに届くために日本語を選んだ。
理解されるために。 笑われないために。遅れないために。
そこから私は、日本語を選び続けた。
中国語は使わなければ錆びる。錆びた舌はやがて音の形を忘れる。
とある日。
「ルゥース!ルゥース!」
魔法の呪文を唱えているわけではありません。
「『ルゥース』じゃなくて『[漢字]录色[/漢字][ふりがな]緑色[/ふりがな]』だって!」
母に何度も訂正され、もう一度言おうとした。
「る…」
でもその音は喉に引っかかり、どうしても正しく発音できず、結局、変な『るぅ』になってしまう。
父は、中国に謎の誇りを持っていた。歴史を背負い、血を背負い、祖先を背負う誇り。
私もそれを受け取っていたはずなのに、舌だけが静かに引っ越していった。
家の中では中国語。外では日本語。二重生活は、やがて二重人格のように分裂していく。
気づけば、中国語は「過去」になり、日本語は「現在」になり、英語が「未来」として待っている。
三つの言語。三つの時間。でも体はひとつだ。どの時間に立っても、もうひとつの時間が足を引く。
過去が現在を責め、現在が未来を急かし、未来はいつも遠くから冷たく光る。
中国人、と言えば、中国語が拙いことを責められる。
日本人、と言えば、血が違うと言われる。
外国人、と言えば、なぜか少しだけ優しくされる。
どこにも完全には属さない。けれど、どこにも完全には拒絶されない。中途半端という場所。そこが、私の住所。
言語は橋だと言うけれど、私は橋の上に立ったままどちらの岸にも降りられない。言葉をたくさん持つほど本当に言いたいことから遠ざかる気がする。
四歳の私は、世界を丸ごと悪者にした。年を取った私は、自分を丸ごと曖昧にした。
均等でない世界を知ったあの日から、私はずっと均等な自分を探している。
でも均等な人間なんて、たぶんどこにもいない。
だから私は、今日も日本語で絶望を書き、中国語で夢を見て、英語で未来を計算する。
どの言語でも、完全な私にはなれないまま。
それでも明日が来る。明日は、休みじゃない。
正確には、失ったのではなく、置いてきたのだと思う。
帰るつもりのないまま、振り返りもしないで。
そのころの私は、きっとあまり好かれない子どもだっただろう。泣き虫でもなく、臆病でもなく、むしろ強すぎた。欲しいものを欲しいと言い、怒りたいときに怒った。
世界が自分の思い通りに動かないことに、本気で腹を立てていた。
[水平線]
中国の遊園地。
夕方の空は、溶けかけた飴のように粘りつき、観覧車の影を長く引き延ばしていた。帰る者の背中にまとわりつく、甘くて、離れがたい色。
友達が言った。
「[漢字]明天幼儿园休息[/漢字][ふりがな]幼稚園休みなんだよね明日[/ふりがな]」
その言葉は、祝福のように軽かった。
明日が自由だという事実は、まるで特権のように響いた。
私は明日、幼稚園だった。
世界は均等にできていない。空は同じ色なのに、明日は違う。
それを、初めて知った瞬間だった。
「[漢字]为什么幼儿园不休息,气死我了![/漢字][ふりがな]なんで私の幼稚園は休みじゃねえんだよおおおお![/ふりがな]」
私は怒った。同じ文を、壊れたおもちゃみたいに繰り返した。壊れたのはおもちゃじゃなくて、私のほうだったのに。
本当は、あの子に怒っていたわけじゃない。
自分だけが帰らなければならないことに、怒っていた。自分だけが明日に縛られている気がして、悔しかった。
でも四歳の私は、感情を分解できない。
羨望と怒りと寂しさを、別々に並べることができない。
だから世界を丸ごと悪者にした。
四歳の怒りは、正義に似ている。自分が不公平だと感じた瞬間、それは世界の罪になるから。
もうひとつ。
隣の子に、おばあちゃんが優しくしていた。柔らかい声で、名前を呼び、頭を撫でる。
その手の動きは、私の知っている温度だった。
それが許せなかった。
「[漢字]那是我的姥姥。去找自己的姥姥吧[/漢字][ふりがな]それ自分のおばあちゃんなんだが。お前のおばあちゃんを探せ[/ふりがな]」
堂々としすぎていて、もはや滑稽だった。小さな体で、縄張りを主張する獣みたいに。
最近知ったことだが、あの子のおばあちゃんはもういなかったらしい。
あの子は、ほんの少しの「代わり」を撫でていただけだった。本物じゃないぬくもりでも、手の形さえあればよかったのだ。
私はそれを、奪った。
四歳の残酷さは、悪意ではない。無知という名前の、純度の高い刃物だ。
曇りがないから深くまで切れる。
あの子の寂しさを想像できる年齢になって、私はようやく、自分の刃の形を知った。
[水平線]
でも、四歳で私は変わった。
私が日本語で最初に言った言葉は、「ママ」ではない。友達の名前だった。呼びかけるための音。
私は誰かに届くために日本語を選んだ。
理解されるために。 笑われないために。遅れないために。
そこから私は、日本語を選び続けた。
中国語は使わなければ錆びる。錆びた舌はやがて音の形を忘れる。
とある日。
「ルゥース!ルゥース!」
魔法の呪文を唱えているわけではありません。
「『ルゥース』じゃなくて『[漢字]录色[/漢字][ふりがな]緑色[/ふりがな]』だって!」
母に何度も訂正され、もう一度言おうとした。
「る…」
でもその音は喉に引っかかり、どうしても正しく発音できず、結局、変な『るぅ』になってしまう。
父は、中国に謎の誇りを持っていた。歴史を背負い、血を背負い、祖先を背負う誇り。
私もそれを受け取っていたはずなのに、舌だけが静かに引っ越していった。
家の中では中国語。外では日本語。二重生活は、やがて二重人格のように分裂していく。
気づけば、中国語は「過去」になり、日本語は「現在」になり、英語が「未来」として待っている。
三つの言語。三つの時間。でも体はひとつだ。どの時間に立っても、もうひとつの時間が足を引く。
過去が現在を責め、現在が未来を急かし、未来はいつも遠くから冷たく光る。
中国人、と言えば、中国語が拙いことを責められる。
日本人、と言えば、血が違うと言われる。
外国人、と言えば、なぜか少しだけ優しくされる。
どこにも完全には属さない。けれど、どこにも完全には拒絶されない。中途半端という場所。そこが、私の住所。
言語は橋だと言うけれど、私は橋の上に立ったままどちらの岸にも降りられない。言葉をたくさん持つほど本当に言いたいことから遠ざかる気がする。
四歳の私は、世界を丸ごと悪者にした。年を取った私は、自分を丸ごと曖昧にした。
均等でない世界を知ったあの日から、私はずっと均等な自分を探している。
でも均等な人間なんて、たぶんどこにもいない。
だから私は、今日も日本語で絶望を書き、中国語で夢を見て、英語で未来を計算する。
どの言語でも、完全な私にはなれないまま。
それでも明日が来る。明日は、休みじゃない。
クリップボードにコピーしました