これは、私がまだ水や山と仲良く楽しくやっていた去年のお話。
12日の夕方、私は友チョコづくりに没頭していた。
溶けたチョコレートの甘い匂いが、部屋いっぱいに広がっている。鍋の中でとろりと揺れる茶色の海を、私は木べらでくるくるとかき混ぜた。表面がゆらりと波打つたび、蛍光灯の光が反射して小さな光の筋が走る。湯せんの湯気が頬に触れ、前髪がほんの少しだけ湿った。
チョコが完全に溶けるまでのあの時間。焦れば焦るほど、なかなか滑らかになってくれない。
私は何度も深呼吸をして、「大丈夫、大丈夫」と心の中でつぶやいた。
溶かしたチョコを型に流し込む。とろり、とろりと満ちていく小さな型。そこへ、ラムネをぽとん、と押し込む。白や水色の小さな粒が、茶色の中へ沈んでいく。
まるで夜の湖に星を落とすみたいに。
「よし、完璧」
そう思って、私は胸を張った。冷蔵庫に入れて、固まるのを待つ。
あれほど長く感じる数十分を、私は知らなかった。
[水平線]
いざ取り出して、型をひっくり返す。少しだけ力を込めて、そっと押す。
ぱき。
割れない。
もう一度、少し強めに。
……びくともしない。
その瞬間、背中を冷たい何かが走った。
[大文字][太字]――クッキングシート敷くの忘れてたあああああ![/太字][/大文字]
頭の中で、はっきりとした声が響いた。型にぴったり張り付いたチョコを前に、私はしばらく呆然と立ち尽くす。
指で端をいじってみても、まるで意地を張るみたいに離れない。終了のお知らせ。
私はスプーンでガリガリやりながら、半泣きでつぶやいた。さっきまでの「完璧」は、音もなく崩れ去っている。
どうして確認しなかったんだろう。
どうして、あんなに自信満々だったんだろう。それに…[大文字]これじゃあ渡せないじゃねえか![/大文字]
「……もう一回やるしかない」
小さくつぶやく。台所の時計は、何も知らない顔で時を刻んでいた。
焦りが喉の奥にひっかかったまま、私は再びチョコを刻んだ。包丁の音が、やけに大きく響く。
二度目の湯せん。今度は慎重に、丁寧に。型の下にきちんとクッキングシートを敷く。一度確認して、もう一度確認する。
それでも不安で、指で端をなぞって確かめた。
ラムネを押し込む指先には、さっきよりも強い決意がこもっていた。
今度こそ、絶対に。
その夜、胸の奥はずっとドキドキしていた。布団に入っても、チョコのことばかり考えていた。
ちゃんと固まるかな。
きれいに割れるかな。
失敗してたらどうしよう。
冷蔵庫の中で、あの小さな型は静かに夜を過ごしている。私は天井を見つめながら、小さく息を吐いた。
「前日じゃなくてよかった……」
ほんの少しだけ安心して、ほんの少しだけ眠った。
夢の中でも、私はチョコを割ろうとしていた。
[水平線]
翌朝。
冷蔵庫を開ける手が、少し震えていた。ひやりとした空気が顔に触れる。
型は静かに待っていた。昨日より、どこか堂々として見える。家族もチョコ割りを手伝ってくれた。
妹が楽しそうにパキパキ割る。父がやけにデカい包丁を使って黙々と割っていく姿は、どこか職人みたいだった。
台所に、ぱきん、ぱきん、と小気味いい音が響く。昨日の不安が、その音と一緒に砕けていく。
なんだかんだで、家族ってこういう時いちばん頼りになる。
できあがったのは四人分。
今でも仲良くしている水蓮。昔は親しかった水。同じくらい昔は大切だった山。そして、「もう一人渡したくなった時のため」の予備。
四つ並んだチョコは、少し形が違って、少しだけ欠けているものもあった。完璧じゃない。でも、確かに私の手で作った証。
私は思わず声をあげた。
[太字][大文字]「っしゃあああああああ!(意味のない奇声)」[/大文字][/太字]
あの日、私は分かった。何かを誰かのために作る時間がこんなにも胸をあたたかくすることを。
そしてきっと、あの小さな台所はあのときの私にとって世界でいちばん広い場所だったのだ。
12日の夕方、私は友チョコづくりに没頭していた。
溶けたチョコレートの甘い匂いが、部屋いっぱいに広がっている。鍋の中でとろりと揺れる茶色の海を、私は木べらでくるくるとかき混ぜた。表面がゆらりと波打つたび、蛍光灯の光が反射して小さな光の筋が走る。湯せんの湯気が頬に触れ、前髪がほんの少しだけ湿った。
チョコが完全に溶けるまでのあの時間。焦れば焦るほど、なかなか滑らかになってくれない。
私は何度も深呼吸をして、「大丈夫、大丈夫」と心の中でつぶやいた。
溶かしたチョコを型に流し込む。とろり、とろりと満ちていく小さな型。そこへ、ラムネをぽとん、と押し込む。白や水色の小さな粒が、茶色の中へ沈んでいく。
まるで夜の湖に星を落とすみたいに。
「よし、完璧」
そう思って、私は胸を張った。冷蔵庫に入れて、固まるのを待つ。
あれほど長く感じる数十分を、私は知らなかった。
[水平線]
いざ取り出して、型をひっくり返す。少しだけ力を込めて、そっと押す。
ぱき。
割れない。
もう一度、少し強めに。
……びくともしない。
その瞬間、背中を冷たい何かが走った。
[大文字][太字]――クッキングシート敷くの忘れてたあああああ![/太字][/大文字]
頭の中で、はっきりとした声が響いた。型にぴったり張り付いたチョコを前に、私はしばらく呆然と立ち尽くす。
指で端をいじってみても、まるで意地を張るみたいに離れない。終了のお知らせ。
私はスプーンでガリガリやりながら、半泣きでつぶやいた。さっきまでの「完璧」は、音もなく崩れ去っている。
どうして確認しなかったんだろう。
どうして、あんなに自信満々だったんだろう。それに…[大文字]これじゃあ渡せないじゃねえか![/大文字]
「……もう一回やるしかない」
小さくつぶやく。台所の時計は、何も知らない顔で時を刻んでいた。
焦りが喉の奥にひっかかったまま、私は再びチョコを刻んだ。包丁の音が、やけに大きく響く。
二度目の湯せん。今度は慎重に、丁寧に。型の下にきちんとクッキングシートを敷く。一度確認して、もう一度確認する。
それでも不安で、指で端をなぞって確かめた。
ラムネを押し込む指先には、さっきよりも強い決意がこもっていた。
今度こそ、絶対に。
その夜、胸の奥はずっとドキドキしていた。布団に入っても、チョコのことばかり考えていた。
ちゃんと固まるかな。
きれいに割れるかな。
失敗してたらどうしよう。
冷蔵庫の中で、あの小さな型は静かに夜を過ごしている。私は天井を見つめながら、小さく息を吐いた。
「前日じゃなくてよかった……」
ほんの少しだけ安心して、ほんの少しだけ眠った。
夢の中でも、私はチョコを割ろうとしていた。
[水平線]
翌朝。
冷蔵庫を開ける手が、少し震えていた。ひやりとした空気が顔に触れる。
型は静かに待っていた。昨日より、どこか堂々として見える。家族もチョコ割りを手伝ってくれた。
妹が楽しそうにパキパキ割る。父がやけにデカい包丁を使って黙々と割っていく姿は、どこか職人みたいだった。
台所に、ぱきん、ぱきん、と小気味いい音が響く。昨日の不安が、その音と一緒に砕けていく。
なんだかんだで、家族ってこういう時いちばん頼りになる。
できあがったのは四人分。
今でも仲良くしている水蓮。昔は親しかった水。同じくらい昔は大切だった山。そして、「もう一人渡したくなった時のため」の予備。
四つ並んだチョコは、少し形が違って、少しだけ欠けているものもあった。完璧じゃない。でも、確かに私の手で作った証。
私は思わず声をあげた。
[太字][大文字]「っしゃあああああああ!(意味のない奇声)」[/大文字][/太字]
あの日、私は分かった。何かを誰かのために作る時間がこんなにも胸をあたたかくすることを。
そしてきっと、あの小さな台所はあのときの私にとって世界でいちばん広い場所だったのだ。