ドアの向こうは、廊下だった。
ただの廊下のはずなのに、長さが分からない。遠近感が壊れているみたいに、先が近いのか遠いのか判断できない。
床には教室と同じ細い白線が引かれていて、その上だけが「安全」だと、説明されなくても分かった。
壁一面に、ガラス張りの掲示板が並んでいる。
中に貼られているのは、名前と数字。名前の横に、コインの数。
その下に、小さな文字で「評価」。
見覚えのある名前が、いくつもあった。同じ時間帯に入ってきた生徒。少し前に、動きがぎこちなくなっていたあの子。
評価欄には、同じ言葉が並んでいる。
「継続」
「再配置」
「保留」
「不合格」という文字は、どこにもない。
その代わり、一部の名前だけが、途中で途切れている。
コインの数が、増える途中で止まっているのだ。
その名前の横のガラスは、内側から曇っていた。
視線を逸らした瞬間、背後で足音がした。
振り向くと、誰かが立っている。制服は同じ。でも、顔がよく見えない。
輪郭だけがあって、目と口の位置が、微妙にずれていた。
「何点だった?」
声は、教師のものと似ていた。
感情がないのに、質問の形だけをしている。
答えようとして、言葉が出ない。点数なんて、知らない。コインの数も、確認したことがない。
「記録されていない?」
その瞬間、床の白線がほんの少しだけ揺れた。
線から外れたら駄目だ、という感覚が骨の奥から湧き上がる。
「分からない」と言うと、相手は少しだけ首を傾げた。
「じゃあ、まだ途中だね」
次の瞬間、その姿は消えていた。
足音も、気配も、最初から存在しなかったみたいに。
[水平線]
廊下の途中に、もう一つドアがあった。今度は番号が振られている。
「教室 2」
ドアの前に立つと、背中が勝手に伸びる。中に入る前から、体が思い出している。
ここでは、立って、数えて、答える。
逃げるという選択肢は、最初から存在していなかった。
教室2は、少しだけ違っていた。椅子がある。
全部、床に固定されている。でも、座っている生徒がいる。
全員、微動だにしない。瞬きもしない。目は開いているのに、焦点が合っていない。
床に浮かぶ数字は、もう単純じゃなかった。7の次に、意味のない記号。記号の次に、さっき見た生徒の名前。
それが「問題」らしい。
正解が何か、分からない。
それでも、時間は減っていく。
[太字]「答えろ」[/太字]
教師の声。
今度は、はっきりと前から聞こえた。
間違った答えを言った瞬間、座っている生徒の一人が、わずかに動いた。首だけが、こちらを向く。
目が合った。
その目は、僕の目だった。
視界が歪む。頭の中に、知らないはずの記憶が流れ込んで来た。
ここに来た理由。
最初のテスト。
「適性あり」と言われた日のこと。
コインを集めれば、外に出られると信じた自分。
その全部を、誰かが「教材」として使っている。
「評価更新」
教師の声と同時に、床が沈んだ。
椅子に座っていた生徒の何人かが、そのまま床の下に落ちていく。
叫び声は、途中で途切れる。
落ちる瞬間、彼らの口が、同じ言葉を形作っていた。
――まだ足りない。
残った椅子は、僕の分だけだった。
「座れ」
命令は、拒否できなかった。座った瞬間、体が固定される。視線が、強制的に前を向かされる。
黒いレンズが、今度は真上から覗き込んでいる。
数が増えている。
四つじゃない。
もっと多い。
天井一面が、目だった。
「最終評価を開始する」
床に浮かんだ数字は、一つだけ。
「1」
それは、問題じゃない。
残り人数だった。
赤い光が、ゆっくりと近づいてくる。逃げ場はない。
考えるな、という警報が鳴る前に、別の考えが浮かんでしまった。
"もし、答えなければ?"
その瞬間、教室全体がざわついた。
レンズが一斉に揺れる。教師の声が、初めて歪んだ。
「――未定義」
警報が鳴り響く。床の数字が崩れる。
白線が消え、方向感覚が失われる。
固定されていた体が、急に自由になった。
ドアが、全部開いている。どれが出口か分からない。でも、今度は数字が出ていない。
僕は走った。
視線を集めるとか、点数になるとか、どうでもよかった。
背後で、教師の声が何度も呼ぶ。
「戻れ」
「まだ評価が」
「記録が不完全だ」
最後に飛び込んだドアの向こうは、夜だった。
冷たい空気。本物の暗闇。遠くで、車の音がする。
振り返ると、建物はなかった。あるのは、何も書かれていない空き地だけ。
ポケットの中で、何かが鳴った。コインが一枚、増える音。
スマートフォンの画面が、勝手に点灯する。
《評価:継続中》
その下に、小さな文字が表示されていた。
《次の授業まで:残り 6日》
僕は画面を伏せた。
考えないようにするために。
ここでは、それが一番安全だと、もう知っているから。
ただの廊下のはずなのに、長さが分からない。遠近感が壊れているみたいに、先が近いのか遠いのか判断できない。
床には教室と同じ細い白線が引かれていて、その上だけが「安全」だと、説明されなくても分かった。
壁一面に、ガラス張りの掲示板が並んでいる。
中に貼られているのは、名前と数字。名前の横に、コインの数。
その下に、小さな文字で「評価」。
見覚えのある名前が、いくつもあった。同じ時間帯に入ってきた生徒。少し前に、動きがぎこちなくなっていたあの子。
評価欄には、同じ言葉が並んでいる。
「継続」
「再配置」
「保留」
「不合格」という文字は、どこにもない。
その代わり、一部の名前だけが、途中で途切れている。
コインの数が、増える途中で止まっているのだ。
その名前の横のガラスは、内側から曇っていた。
視線を逸らした瞬間、背後で足音がした。
振り向くと、誰かが立っている。制服は同じ。でも、顔がよく見えない。
輪郭だけがあって、目と口の位置が、微妙にずれていた。
「何点だった?」
声は、教師のものと似ていた。
感情がないのに、質問の形だけをしている。
答えようとして、言葉が出ない。点数なんて、知らない。コインの数も、確認したことがない。
「記録されていない?」
その瞬間、床の白線がほんの少しだけ揺れた。
線から外れたら駄目だ、という感覚が骨の奥から湧き上がる。
「分からない」と言うと、相手は少しだけ首を傾げた。
「じゃあ、まだ途中だね」
次の瞬間、その姿は消えていた。
足音も、気配も、最初から存在しなかったみたいに。
[水平線]
廊下の途中に、もう一つドアがあった。今度は番号が振られている。
「教室 2」
ドアの前に立つと、背中が勝手に伸びる。中に入る前から、体が思い出している。
ここでは、立って、数えて、答える。
逃げるという選択肢は、最初から存在していなかった。
教室2は、少しだけ違っていた。椅子がある。
全部、床に固定されている。でも、座っている生徒がいる。
全員、微動だにしない。瞬きもしない。目は開いているのに、焦点が合っていない。
床に浮かぶ数字は、もう単純じゃなかった。7の次に、意味のない記号。記号の次に、さっき見た生徒の名前。
それが「問題」らしい。
正解が何か、分からない。
それでも、時間は減っていく。
[太字]「答えろ」[/太字]
教師の声。
今度は、はっきりと前から聞こえた。
間違った答えを言った瞬間、座っている生徒の一人が、わずかに動いた。首だけが、こちらを向く。
目が合った。
その目は、僕の目だった。
視界が歪む。頭の中に、知らないはずの記憶が流れ込んで来た。
ここに来た理由。
最初のテスト。
「適性あり」と言われた日のこと。
コインを集めれば、外に出られると信じた自分。
その全部を、誰かが「教材」として使っている。
「評価更新」
教師の声と同時に、床が沈んだ。
椅子に座っていた生徒の何人かが、そのまま床の下に落ちていく。
叫び声は、途中で途切れる。
落ちる瞬間、彼らの口が、同じ言葉を形作っていた。
――まだ足りない。
残った椅子は、僕の分だけだった。
「座れ」
命令は、拒否できなかった。座った瞬間、体が固定される。視線が、強制的に前を向かされる。
黒いレンズが、今度は真上から覗き込んでいる。
数が増えている。
四つじゃない。
もっと多い。
天井一面が、目だった。
「最終評価を開始する」
床に浮かんだ数字は、一つだけ。
「1」
それは、問題じゃない。
残り人数だった。
赤い光が、ゆっくりと近づいてくる。逃げ場はない。
考えるな、という警報が鳴る前に、別の考えが浮かんでしまった。
"もし、答えなければ?"
その瞬間、教室全体がざわついた。
レンズが一斉に揺れる。教師の声が、初めて歪んだ。
「――未定義」
警報が鳴り響く。床の数字が崩れる。
白線が消え、方向感覚が失われる。
固定されていた体が、急に自由になった。
ドアが、全部開いている。どれが出口か分からない。でも、今度は数字が出ていない。
僕は走った。
視線を集めるとか、点数になるとか、どうでもよかった。
背後で、教師の声が何度も呼ぶ。
「戻れ」
「まだ評価が」
「記録が不完全だ」
最後に飛び込んだドアの向こうは、夜だった。
冷たい空気。本物の暗闇。遠くで、車の音がする。
振り返ると、建物はなかった。あるのは、何も書かれていない空き地だけ。
ポケットの中で、何かが鳴った。コインが一枚、増える音。
スマートフォンの画面が、勝手に点灯する。
《評価:継続中》
その下に、小さな文字が表示されていた。
《次の授業まで:残り 6日》
僕は画面を伏せた。
考えないようにするために。
ここでは、それが一番安全だと、もう知っているから。