1月某日、私は京都に観光に来ていた。京都の夜は、提灯の灯りがゆらゆら揺れる中、静かに息をしているようだ。
観光客のざわめき、のれんの裾の音、自転車のベル――それらが混ざり合い、独特のリズムを生んでいる。でも、私はそのリズムに耳を傾ける余裕もなく、ひたすら空腹で歩き続けていた。
何軒目かもわからない「本日終了」の札を横目に、もうコンビニでいいか……と諦めかけたその時、視界の端に光る看板。
――や◯い軒。
「やった……」
心の中でそっとガッツポーズ。
まるで長い旅路の末に、やっと休める場所を見つけた旅人の気分だった。旅人って大変だね。
そもそも、ここまで夕食をとるのが遅れたのは名も知らぬおばちゃんに思いのほか長く足止めされたからである。
[水平線]
世界遺産は夕方近くということもあってか、意外と人が少なかった。私はその前で、特に何も考えず立っていたのだった。
「すみません、写真お願いできます?」
声をかけられて振り向く。見知らぬおばちゃんがスマホを差し出している。
「分かりました」
それだけのやりとり。私は画面を確認して、少し下がって、ちゃんと全体が入るように構図を調整した。慣れた動作だ。はい、とシャッターを切る。おばちゃんは写真を見て満足そうにうなずいたあと、何気ない調子で聞いた。
「ねえ、どこの国の人?」
一瞬、風の音だけがやけに大きく聞こえた。喉から反論の言葉が出るが、グッとこらえる。
[明朝体][太字]なんでそうなった?[/太字][/明朝体]
今の会話のどこにヒントがあったのか、頭の中で巻き戻す。「分かりました」の言い方?立ち方?顔?存在?
「日本へようこそ!」
ようこそじゃないwww
私は今日も普通に電車に乗って来たし、住民票もあるし、燃えるゴミの日も把握している。
長年の生活は、一体どこへ行ったのか。
おばちゃんは「ありがとう」と言って、人混みに消えていった。私は世界遺産を見上げながら、静かにため息をつく。
次に同じ質問をされたら、こう答えようと思う。
「出身は外国ですけど、もうだいぶ前から“ようこそ”される側じゃないです。」
[水平線]
てなことがあった。私は決しておばちゃんに苛ついたわけではなく、十数年も日本語を話しているのにバレてしまった自分のイントネーションの変さに苛ついたのだ。
そんなことを思い出しながらも店内に滑り込み、メニューを見ずともハンバーグ定食を注文する。鉄板の音、白いごはん、湯気の立つ味噌汁。その光景だけで、心の中の疲れが一気に溶けていく。
ナイフでハンバーグを切ると、ジュワッと肉汁があふれ、香ばしい香りが立ち上る。
思わず「うわ……」と小さく声を漏らす。
幸せはこんなにもシンプルでいいのだ。
――その時だった。
店内BGMが、ふっと切り替わった。
イントロ一音目で分かる。
かから始まってうで終わる、私の大好きな曲。
…
え、まじで?
京都で?
や◯い軒で?
ハンバーグ食べてるこのタイミングで??
平然を装いながらも、心の中は静かに爆発していた。拳を握ったりジャンプしたりはしない。
ただ胸の奥で、小さな花火が弾けるような――それが爆発だった。
ハンバーグを口に運ぶ。白米をかき込む。味噌汁をすする。隣のテーブルのサラリーマンが無言で定食を食べている。その隣ではカップルがスマホを覗き込んでいる。私は彼らの存在に気付かないフリをして、ただ音楽に集中する。
ありがとう、と心の中でつぶやく。
本当の感謝は、サから始まってンで終わるあのバンドに向けられている。
誰も見ていないけど、構わない。
世界は今、この奇跡を私だけに許してくれた気がした。
曲はサビに入り、リズムが自然に体に乗ってくる。知らない街、知らない店。でもこの瞬間だけは完全に「知っている」時間だった。
店を出る頃、夜風が肩に触れた。京都の街は変わらず静かで、でも私の中の何かは確実に弾けたままだった。
ありがとう、京都。
ありがとう、や◯い軒。
そしてありがとう、サから始まってンで終わるバンド。
小さな奇跡と、小さな幸せが積み重なった夜は、もう何にも代えられない。私は一口水分を取り、心の中でひっそりともう一度だけ言った。
[太字][大文字]ありがとう!![/大文字][/太字]
観光客のざわめき、のれんの裾の音、自転車のベル――それらが混ざり合い、独特のリズムを生んでいる。でも、私はそのリズムに耳を傾ける余裕もなく、ひたすら空腹で歩き続けていた。
何軒目かもわからない「本日終了」の札を横目に、もうコンビニでいいか……と諦めかけたその時、視界の端に光る看板。
――や◯い軒。
「やった……」
心の中でそっとガッツポーズ。
まるで長い旅路の末に、やっと休める場所を見つけた旅人の気分だった。旅人って大変だね。
そもそも、ここまで夕食をとるのが遅れたのは名も知らぬおばちゃんに思いのほか長く足止めされたからである。
[水平線]
世界遺産は夕方近くということもあってか、意外と人が少なかった。私はその前で、特に何も考えず立っていたのだった。
「すみません、写真お願いできます?」
声をかけられて振り向く。見知らぬおばちゃんがスマホを差し出している。
「分かりました」
それだけのやりとり。私は画面を確認して、少し下がって、ちゃんと全体が入るように構図を調整した。慣れた動作だ。はい、とシャッターを切る。おばちゃんは写真を見て満足そうにうなずいたあと、何気ない調子で聞いた。
「ねえ、どこの国の人?」
一瞬、風の音だけがやけに大きく聞こえた。喉から反論の言葉が出るが、グッとこらえる。
[明朝体][太字]なんでそうなった?[/太字][/明朝体]
今の会話のどこにヒントがあったのか、頭の中で巻き戻す。「分かりました」の言い方?立ち方?顔?存在?
「日本へようこそ!」
ようこそじゃないwww
私は今日も普通に電車に乗って来たし、住民票もあるし、燃えるゴミの日も把握している。
長年の生活は、一体どこへ行ったのか。
おばちゃんは「ありがとう」と言って、人混みに消えていった。私は世界遺産を見上げながら、静かにため息をつく。
次に同じ質問をされたら、こう答えようと思う。
「出身は外国ですけど、もうだいぶ前から“ようこそ”される側じゃないです。」
[水平線]
てなことがあった。私は決しておばちゃんに苛ついたわけではなく、十数年も日本語を話しているのにバレてしまった自分のイントネーションの変さに苛ついたのだ。
そんなことを思い出しながらも店内に滑り込み、メニューを見ずともハンバーグ定食を注文する。鉄板の音、白いごはん、湯気の立つ味噌汁。その光景だけで、心の中の疲れが一気に溶けていく。
ナイフでハンバーグを切ると、ジュワッと肉汁があふれ、香ばしい香りが立ち上る。
思わず「うわ……」と小さく声を漏らす。
幸せはこんなにもシンプルでいいのだ。
――その時だった。
店内BGMが、ふっと切り替わった。
イントロ一音目で分かる。
かから始まってうで終わる、私の大好きな曲。
…
え、まじで?
京都で?
や◯い軒で?
ハンバーグ食べてるこのタイミングで??
平然を装いながらも、心の中は静かに爆発していた。拳を握ったりジャンプしたりはしない。
ただ胸の奥で、小さな花火が弾けるような――それが爆発だった。
ハンバーグを口に運ぶ。白米をかき込む。味噌汁をすする。隣のテーブルのサラリーマンが無言で定食を食べている。その隣ではカップルがスマホを覗き込んでいる。私は彼らの存在に気付かないフリをして、ただ音楽に集中する。
ありがとう、と心の中でつぶやく。
本当の感謝は、サから始まってンで終わるあのバンドに向けられている。
誰も見ていないけど、構わない。
世界は今、この奇跡を私だけに許してくれた気がした。
曲はサビに入り、リズムが自然に体に乗ってくる。知らない街、知らない店。でもこの瞬間だけは完全に「知っている」時間だった。
店を出る頃、夜風が肩に触れた。京都の街は変わらず静かで、でも私の中の何かは確実に弾けたままだった。
ありがとう、京都。
ありがとう、や◯い軒。
そしてありがとう、サから始まってンで終わるバンド。
小さな奇跡と、小さな幸せが積み重なった夜は、もう何にも代えられない。私は一口水分を取り、心の中でひっそりともう一度だけ言った。
[太字][大文字]ありがとう!![/大文字][/太字]