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これらの要素はフィクションであり、現実の制度・団体・文化とは一切関係ありません。
読み進める際は、作品世界の設定としてご理解いただければ幸いです。
街が、呼吸している。
そんな馬鹿げた感覚を覚えたのは、今朝が初めてだった。
斎賀透は、通勤途中の歩道で足を止めた。
アスファルトの表面が、ほんのわずかに上下しているように見えたのだ。
気のせいだ、と自分に言い聞かせる。この街では、時々こういう“錯覚”が起きる。
死体資源文明――ネクロ・インフラが発達してからは特に。
街灯が点滅する。
その一瞬、地面に赤い筋が浮かび上がった。血管のような、細くて不気味な模様。
透は眉をひそめたが、すぐに歩き出した。
見なかったことにするのが、この街で生きるコツだ。
第弐課の主任技官として働くようになって七年。死体資源を扱う仕事は、慣れればどうということはない。
骨材は軽くて丈夫だし、筋繊維は電力伝達効率が高い。
神経束は都市の制御回路として優秀だ。
人々はそれを“技術”と呼び、便利さに酔いしれている。
だが透は、どうしても好きになれなかった。
死者を“資源”と呼ぶことも、その上に街が成り立っていることも。
「おはようございます、斎賀さん!」
背後から明るい声が飛んできた。
振り返ると、後輩・三輪が駆け寄ってくる。
いつも通りの笑顔。
「今日、加工ラインの点検ですよね?昨日のデータ、ちょっと気になるところがあって――」
「後で確認する。急ぐぞ」
透は短く答え、歩き出す。
三輪は慌ててついてきた。
[水平線]
資源化施設の巨大な建物が見えてくる。
外壁は白く滑らかで、一見すると近未来的な工場だ。
だが透には、その壁が“脈打っている”ように見えた。
ドクン……
ドクン……
微かな振動が足元から伝わってくる。
まるで巨大な心臓の上に立っているような感覚。
「……また、か」
昨日も同じだった。一昨日も、その前も。
都市全体が、少しずつ“生き物”のように変わってきている。だが、誰も気づかない。いや、気づこうとしないのだ。
透は施設の入り口に手を伸ばした。
その瞬間――
壁が、脈動した。
確かに、はっきりと。
透の掌に、温かい鼓動が伝わってきた。
「……っ」
思わず手を引く。三輪が不思議そうに首をかしげた。
「どうしたんですか?」
「いや……なんでもない」
透は答えながら、胸の奥に広がる不安を押し殺した。
この街は、何かがおかしい。ずっと前から、少しずつ、静かに狂い始めている。
そして――
その“狂気”は、今日もまた、透のすぐそばで脈打っていた。施設の自動扉が開くと、内部の空気がゆっくりと流れ出てきた。
冷たく、乾いていて――それなのに、どこか湿った匂いが混じっている。
「今日、なんか匂いません?」
三輪が鼻をひくつかせる。
「気にするな。いつもの薬剤だ」
透はそう言ったが、自分でも違うと分かっていた。薬剤の匂いではない。
もっと、生々しいものの匂いだ。
エレベーターに乗り、加工ラインの階層へ向かう。
金属の箱の中で、三輪が落ち着かない様子で口を開いた。
「斎賀さん、昨日のデータ……やっぱり変ですよ。ライン3の骨材、脈動パターンが通常の倍で――」
「倍?」
透は眉を寄せた。
「はい。なんか……心臓みたいに」
エレベーターが静かに停止した。
扉が開くと、加工ラインの低い唸りが耳に届く。
――ドクン。
その音に、透の心臓が一瞬止まった。
「……聞こえたか?」思わず口に出していた。
「え? 何がです?」三輪は首をかしげる。
やはり、透にしか聞こえていない。
ライン3の前に立つと、巨大な骨材タンクが、まるで呼吸するように膨らんでいた。
「……おい、三輪」
透は低く呼びかけた。
「はい?」
「後ろに下がれ」
「え、なんで――」
その瞬間。
タンクの表面が、“内側から”叩かれた。
[太字][大文字]ドンッ。[/大文字][/太字]
三輪が悲鳴を上げて飛び退く。
「な、なんですか今の!」
透はタンクに近づき、そっと手を触れた。
温かい。
金属なのにまるで皮膚のように、微かに震えている。
「……やっぱり」
「え? 何がやっぱりなんですか?」
透は答えなかった。
答えられなかった。
タンクの奥から、かすかな声が聞こえた気がした。
――いたい。
透は目を閉じる。
聞こえた。確かに。
「……三輪。今日は俺がライン3を担当する。お前は課長に報告してこい」
「え、でも――」
「いいから行け」
透の声は、いつもより低かった。三輪は戸惑いながらも走り去る。
静寂が戻る。
透はタンクに手を当てたまま、
小さく息を吐いた。
「……まだ、言葉になってないな。でも……痛いのは分かる」
タンクが、ゆっくりと脈打った。
まるで返事をするかのように。
そんな馬鹿げた感覚を覚えたのは、今朝が初めてだった。
斎賀透は、通勤途中の歩道で足を止めた。
アスファルトの表面が、ほんのわずかに上下しているように見えたのだ。
気のせいだ、と自分に言い聞かせる。この街では、時々こういう“錯覚”が起きる。
死体資源文明――ネクロ・インフラが発達してからは特に。
街灯が点滅する。
その一瞬、地面に赤い筋が浮かび上がった。血管のような、細くて不気味な模様。
透は眉をひそめたが、すぐに歩き出した。
見なかったことにするのが、この街で生きるコツだ。
第弐課の主任技官として働くようになって七年。死体資源を扱う仕事は、慣れればどうということはない。
骨材は軽くて丈夫だし、筋繊維は電力伝達効率が高い。
神経束は都市の制御回路として優秀だ。
人々はそれを“技術”と呼び、便利さに酔いしれている。
だが透は、どうしても好きになれなかった。
死者を“資源”と呼ぶことも、その上に街が成り立っていることも。
「おはようございます、斎賀さん!」
背後から明るい声が飛んできた。
振り返ると、後輩・三輪が駆け寄ってくる。
いつも通りの笑顔。
「今日、加工ラインの点検ですよね?昨日のデータ、ちょっと気になるところがあって――」
「後で確認する。急ぐぞ」
透は短く答え、歩き出す。
三輪は慌ててついてきた。
[水平線]
資源化施設の巨大な建物が見えてくる。
外壁は白く滑らかで、一見すると近未来的な工場だ。
だが透には、その壁が“脈打っている”ように見えた。
ドクン……
ドクン……
微かな振動が足元から伝わってくる。
まるで巨大な心臓の上に立っているような感覚。
「……また、か」
昨日も同じだった。一昨日も、その前も。
都市全体が、少しずつ“生き物”のように変わってきている。だが、誰も気づかない。いや、気づこうとしないのだ。
透は施設の入り口に手を伸ばした。
その瞬間――
壁が、脈動した。
確かに、はっきりと。
透の掌に、温かい鼓動が伝わってきた。
「……っ」
思わず手を引く。三輪が不思議そうに首をかしげた。
「どうしたんですか?」
「いや……なんでもない」
透は答えながら、胸の奥に広がる不安を押し殺した。
この街は、何かがおかしい。ずっと前から、少しずつ、静かに狂い始めている。
そして――
その“狂気”は、今日もまた、透のすぐそばで脈打っていた。施設の自動扉が開くと、内部の空気がゆっくりと流れ出てきた。
冷たく、乾いていて――それなのに、どこか湿った匂いが混じっている。
「今日、なんか匂いません?」
三輪が鼻をひくつかせる。
「気にするな。いつもの薬剤だ」
透はそう言ったが、自分でも違うと分かっていた。薬剤の匂いではない。
もっと、生々しいものの匂いだ。
エレベーターに乗り、加工ラインの階層へ向かう。
金属の箱の中で、三輪が落ち着かない様子で口を開いた。
「斎賀さん、昨日のデータ……やっぱり変ですよ。ライン3の骨材、脈動パターンが通常の倍で――」
「倍?」
透は眉を寄せた。
「はい。なんか……心臓みたいに」
エレベーターが静かに停止した。
扉が開くと、加工ラインの低い唸りが耳に届く。
――ドクン。
その音に、透の心臓が一瞬止まった。
「……聞こえたか?」思わず口に出していた。
「え? 何がです?」三輪は首をかしげる。
やはり、透にしか聞こえていない。
ライン3の前に立つと、巨大な骨材タンクが、まるで呼吸するように膨らんでいた。
「……おい、三輪」
透は低く呼びかけた。
「はい?」
「後ろに下がれ」
「え、なんで――」
その瞬間。
タンクの表面が、“内側から”叩かれた。
[太字][大文字]ドンッ。[/大文字][/太字]
三輪が悲鳴を上げて飛び退く。
「な、なんですか今の!」
透はタンクに近づき、そっと手を触れた。
温かい。
金属なのにまるで皮膚のように、微かに震えている。
「……やっぱり」
「え? 何がやっぱりなんですか?」
透は答えなかった。
答えられなかった。
タンクの奥から、かすかな声が聞こえた気がした。
――いたい。
透は目を閉じる。
聞こえた。確かに。
「……三輪。今日は俺がライン3を担当する。お前は課長に報告してこい」
「え、でも――」
「いいから行け」
透の声は、いつもより低かった。三輪は戸惑いながらも走り去る。
静寂が戻る。
透はタンクに手を当てたまま、
小さく息を吐いた。
「……まだ、言葉になってないな。でも……痛いのは分かる」
タンクが、ゆっくりと脈打った。
まるで返事をするかのように。