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設定ががばがばです。
高杉がここーー、林算九郎邸に来た時、野村は仰天した。
野村には、高杉に命を救われた恩がある。
攘夷志士を匿っていた罪で、一時期投獄されていたのだ。
夫も亡くなり、一度罪まで背負い、まるで生きる意味を無くしていた野村を救ったのが高杉だった。
「お前の心は死んじゃいねぇ」
それが、高杉が野村に言った第一声だった。
だから、高杉が病の療養のため訪れた時、尼僧ながらに思ったのだ。
なんという神のいたずらだろうか、と。
こんなにも強く有力で、新時代の先駆けとなるはずの人に、仏様はなんという事をしてくれたのだろう、と。
しかし野村は、それを機に僧をやめる事はしなかった。
「…お前、確か野村と言ったか」
ぼそぼそと掠れた声で、此処に来て初めて、高杉が口を開いた。
「そうですが」
「毎日毎日祈ってんのな」
「私は僧ですから」
「そうか…げほっ、げほっ」
会話はそれだけだった。
伊藤俊輔という男が来ても、手紙が届いても、高杉は布団から出ようとしなかった。
いつも咳をしながら、掠れた声で追い返した。
人がいても気にせずに、うわごとを呟くこともあった。大抵は、久坂など早々に死んだ同志たちへ死に遅れたと詫びていた。
野村もなにもしなかった。
彼に必要なのは情けでも、世話を焼く事でもないと思っていたから。
ある日、雪が降った。
野村の故郷である福岡では、まれに冬に雪が降る。南国の方にある九州でも珍しく、冷たい風が吹き付けるからだそうだ。
幼い頃から野村は、雪が好きだった。
きらきらと輝く結晶は、きっと神からの贈り物なのだと、雪の大変さを知らぬ子供ながらに思ったものだった。
「高杉さま、雪です。下関では、大変珍しいのでは?」
その日は、少し気が昂っていたのかもしれない。
「……」
「見ませんか」
その日は、高杉も少しだけ、心が優しかったのかもしれない。
二人は縁側に並んで、綿入れを着込んで、しんしんと降る粉雪を見つめた。
「…俺は雪が嫌いだ」
「何故?」
「…全て掻き消してしまいそうだから」
失礼でもあるし、場違いにもほどがある。が、野村はにっこりと笑った。
「冬子かき 雪のうろなる梅の花 埋もれながらも香やは隠るる」
「思い出した…俺が、俗論派に追われて、福岡に、逃れた時…お前とは縁があるみたいだ」
「今頃ですか」
「急に謳い出す尼僧」
「失礼ですね、東行さま」
くくっと高杉が笑った。
「なんで俺の雅号を知ってる?」
「以前、酒に酔うた高杉さまがおっしゃっておりました」
酒、ねぇと遠い目をする高杉。
野村は、言ってはいけないことを言った気がして、目を逸らした。
「…懐かしいと思ってしまう時点で、己はもう、遠く離れた存在になってしまったのかな」
「戦いに明け暮れた日々が?」
「あぁ」
お前にはわかるめぇ、と、瞳がそう語っていた。
紛れもない武士の眼だった。
「寒いから入る」
先ほどの会話が嘘のように無愛想な顔に戻って、高杉は自室に戻っていった。
それから、数週間が過ぎても、二人はお互いに干渉し合わない生活を送っていた。
林邸の人々も高杉に気を遣ってなのか必要に構うこともなかったし、高杉はもちろん、周囲との接触を絶っていた。
ある日、女が訪ねてきた。
服自体は豪奢でもなんともないが趣味がよく、愛らしい花と蝶柄の羽織だった。
女の顔も少しあどけなかったので、野村には後で知った実年齢よりも数年も若く見えた。
彼女が此の糸ーー、おうのであった。
「高杉さん!」
その日から、高杉の何かが変わったのだと、野村は確信している。
少しだけ笑うことが多くなった。
残さずに飯を食うようになった。
部屋から出ることが多くなった。
家の者と話をする機会が増えた。
全て、彼女の存在がもたらしたことだった。
野村には、高杉に命を救われた恩がある。
攘夷志士を匿っていた罪で、一時期投獄されていたのだ。
夫も亡くなり、一度罪まで背負い、まるで生きる意味を無くしていた野村を救ったのが高杉だった。
「お前の心は死んじゃいねぇ」
それが、高杉が野村に言った第一声だった。
だから、高杉が病の療養のため訪れた時、尼僧ながらに思ったのだ。
なんという神のいたずらだろうか、と。
こんなにも強く有力で、新時代の先駆けとなるはずの人に、仏様はなんという事をしてくれたのだろう、と。
しかし野村は、それを機に僧をやめる事はしなかった。
「…お前、確か野村と言ったか」
ぼそぼそと掠れた声で、此処に来て初めて、高杉が口を開いた。
「そうですが」
「毎日毎日祈ってんのな」
「私は僧ですから」
「そうか…げほっ、げほっ」
会話はそれだけだった。
伊藤俊輔という男が来ても、手紙が届いても、高杉は布団から出ようとしなかった。
いつも咳をしながら、掠れた声で追い返した。
人がいても気にせずに、うわごとを呟くこともあった。大抵は、久坂など早々に死んだ同志たちへ死に遅れたと詫びていた。
野村もなにもしなかった。
彼に必要なのは情けでも、世話を焼く事でもないと思っていたから。
ある日、雪が降った。
野村の故郷である福岡では、まれに冬に雪が降る。南国の方にある九州でも珍しく、冷たい風が吹き付けるからだそうだ。
幼い頃から野村は、雪が好きだった。
きらきらと輝く結晶は、きっと神からの贈り物なのだと、雪の大変さを知らぬ子供ながらに思ったものだった。
「高杉さま、雪です。下関では、大変珍しいのでは?」
その日は、少し気が昂っていたのかもしれない。
「……」
「見ませんか」
その日は、高杉も少しだけ、心が優しかったのかもしれない。
二人は縁側に並んで、綿入れを着込んで、しんしんと降る粉雪を見つめた。
「…俺は雪が嫌いだ」
「何故?」
「…全て掻き消してしまいそうだから」
失礼でもあるし、場違いにもほどがある。が、野村はにっこりと笑った。
「冬子かき 雪のうろなる梅の花 埋もれながらも香やは隠るる」
「思い出した…俺が、俗論派に追われて、福岡に、逃れた時…お前とは縁があるみたいだ」
「今頃ですか」
「急に謳い出す尼僧」
「失礼ですね、東行さま」
くくっと高杉が笑った。
「なんで俺の雅号を知ってる?」
「以前、酒に酔うた高杉さまがおっしゃっておりました」
酒、ねぇと遠い目をする高杉。
野村は、言ってはいけないことを言った気がして、目を逸らした。
「…懐かしいと思ってしまう時点で、己はもう、遠く離れた存在になってしまったのかな」
「戦いに明け暮れた日々が?」
「あぁ」
お前にはわかるめぇ、と、瞳がそう語っていた。
紛れもない武士の眼だった。
「寒いから入る」
先ほどの会話が嘘のように無愛想な顔に戻って、高杉は自室に戻っていった。
それから、数週間が過ぎても、二人はお互いに干渉し合わない生活を送っていた。
林邸の人々も高杉に気を遣ってなのか必要に構うこともなかったし、高杉はもちろん、周囲との接触を絶っていた。
ある日、女が訪ねてきた。
服自体は豪奢でもなんともないが趣味がよく、愛らしい花と蝶柄の羽織だった。
女の顔も少しあどけなかったので、野村には後で知った実年齢よりも数年も若く見えた。
彼女が此の糸ーー、おうのであった。
「高杉さん!」
その日から、高杉の何かが変わったのだと、野村は確信している。
少しだけ笑うことが多くなった。
残さずに飯を食うようになった。
部屋から出ることが多くなった。
家の者と話をする機会が増えた。
全て、彼女の存在がもたらしたことだった。