いつのまにか寝ていて、いつのまにか日が暮れていて、いつのまにか朝になっていて、いつのまにか昼前になっていた。
美歌のライブの日。
僕はいつも通り目玉焼きを焼いて、食パンを一枚取り出し、簡素な朝食を済ませる。
クローゼットを開ける。
いつものだぶたぶのパーカーに、着古したジャージを取り出す。使い慣れたナップザックに少ない荷物を詰め込む。
駅へ向かう。
もう間に合わない。
とっくにライブは始まっているのに。
昨日ふてくされて寝たのは紛れもなく自分であるのに。
切符を買い、改札を抜ける。
涼しい風に髪が靡いた。
僕は、遠い過去を思い出していた。
「りーつっ!」
透き通るような高い声の少女が、僕の名前を呼ぶ。
「ミカ!」
僕も彼女の名前を呼ぶ。
「明日天気にになーぁっれ!」
美歌がブランコから靴を飛ばす。
片方はくるくると弧を描いた後綺麗に上向きに着地し、もう片方は真っ逆様に地面に突き刺さった。
「間をとって、曇りかなぁ?」
美歌が空を眺めながら笑った。
僕の口は、自然と旋律を奏でていた。
「明日模様を探せ
ずっと君の中にあるモノ」
美歌がわずかに目を見開き、それから笑顔になって、口を開いた。
「ちゃんときっと、このココロに」
心が弾ける。次から次へとメロディを奏でる。
時なんて初めからないように、ゆるゆると穏やかな曲がながれ、時に激しくぶつかって曲が続く。
「自転車のペダルの音」
律が口ずさむ。
「何故か大きく聞こえて」
美歌が目を閉じて呟く。
「明日も今日も」
「昨日も過去も」ーーー。
この頃、美歌は悩むことが多くなった気がする。
歌っている時もどこか悲しげで、かと思えば将来を見据えた真剣な瞳で僕に語りかけてくるのだった。
「律!!あっごめん律華!!」
「律で良いってば」
「えへへ…でも、芸名ってかっこいいじゃん!」
「美歌は?なんか付けないの?」
「私、自分の名前が好きだから!“美しい歌”って」
歌、という言葉を口にすると、美歌はまた真剣な瞳をする。
「…そっか」
雰囲気の暗さを感じ取ったのか、美歌が心配そうに僕の顔をのぞきこんだ。
「律?体調悪いの?」
「ううん、ちょっと寝不足なだけ」
僕は嘘をついた。
「今日は何を歌う?」
話題を変えるように明るい口調で僕は尋ねる。
お決まりのこの問答と共に、僕らの1日は始まる。
「何処かで泣いている人がいる」
美歌の心を震わす声が、隣で響く。
「助けてと呟いている人がいる」
少し悲しげな美歌の声が聞こえる。
「私は平和を叫ぶ」
僕はいつものように歌う。
「……」
この次は、美歌のパート。
空気に沈黙がみたされた。
「美歌?」
美歌は唇を震わせて泣いていた。
「どこかで、泣いてる人がいるんだよ、律」
「…え?」
「私は、お母さんもお父さんも妹もいて、みんなしあわせで、お金にも困っていないし温かい家がある。でも、周りは?私は、みんなに平和を届けられる歌手になりたい。不幸なこどもを、救える人に。律もそうでしょ?」
美歌は早口でまくしたてた。
目の周りには涙が溜まっていた。
僕は、…。
「皆、自分のことで精一杯なんだよ」
僕は一般論を口にした。
いや、本当は言い訳だった。
「歌は、お金を取るためにあるんじゃない!世界を平和にするためにあるんだよ、律!!」
「じゃあ好きにすれば良いさ!僕らに世界を平和にする力なんてない!!」
「律…?」
美歌のかぼそい悲鳴のような声が僕の心に刺さった。
「君はそうさ。父親が議会の議員で母親が有名なバレリーナだったもんな。でも、僕は違う。この場所で出会わなかったら、僕と君は絶対に分かり合うことなんて出来なかった。そもそもが、違うんだよ」
「…律っ!!」
「君に僕の何が分かる!!綺麗事言ってんじゃねぇっ!」
僕は踵を返して猛然と走った。
言い過ぎてしまったにも関わらず、心がすっきりしてしまった自分が憎かった。
それから、僕と美歌は離れて生活をした。
僕はアルバイトを始めた。
心が暗くなって仕方がなかった。
ある日ふと、気が向いていつも歌う公園へ行った。
秘密基地、と呼んで毎日のように遊んだトンネルに入った。
持ち寄った小さなテーブルと椅子には、薄く埃に覆われていた。
その上に、置き手紙があった。
“律へ”
正義のために私はここを出ます。お元気で。
なぜ君があんな事を言ったのかはわからないけれど、律の心にも、いつか光を。
“美歌”
なんだ、結局分からないのか。
あんなに酷い事を言ったのに、美歌は僕の事を一ミリたりとも理解していなかった。
僕は、[大文字]“美歌と違って歌っていられなくなったのだ。”[/大文字]
両親が離婚し、祖父母は事故で他界、まだ小さな弟のために、僕は放課後にのんきに歌っている暇などなくなった。
音楽系の進路を選びたいと思っていたが、それも出来そうになく、忙しさに意識を取られた生活を送っていた。
美歌にはわかるまい。
好きなことを奪われた凡人は、たまらなくつまらない存在であると。
美歌はどんどん有名になっていった。
彼女は次々に新曲を発表し、都会で歌い、戦場で叫んだ。
誰も新星の歌手を止められなかった。
美歌は危険な場所で歌うことも厭わなかった。
銃弾が肩をかすっても、無料で天使の声を聞かせた。
僕は奨学金制度でどうにか大学へ行き、職を転々としながら金を稼ぎ、インターネットという文明の利器で曲を作り、ぼうっと生きている。
あの日僕が美歌に言った言葉も変わらなければ、あの日の美歌の涙も変わらなかった。
どこからか、誰かの歌声が聞こえてくる。
僕の意識は現実に引き戻された。
美歌だ。美歌のマイク越しの声が、会場の外にまで漏れていた。
「君は嘘つきなんかじゃない
ただ笑っていたいんだ
あの日、二人で草原を
走ったときのように
風が、頰を撫でる
ずっと、そんな日が続けば良い
不朽を願ひ、不滅を願ひ、
僕らは、また」
僕が作った曲だ。
あの頃、ふたりではしゃいで即興で作った歌。
美歌は歌手になってから、めっきり僕の歌を歌うことは少なくなっていた。
僕が作った曲は全て、美歌のものだと遠い昔に誓ったことを覚えているのかもしれない。
気づけば、僕は走り出していた。
美歌のライブの日。
僕はいつも通り目玉焼きを焼いて、食パンを一枚取り出し、簡素な朝食を済ませる。
クローゼットを開ける。
いつものだぶたぶのパーカーに、着古したジャージを取り出す。使い慣れたナップザックに少ない荷物を詰め込む。
駅へ向かう。
もう間に合わない。
とっくにライブは始まっているのに。
昨日ふてくされて寝たのは紛れもなく自分であるのに。
切符を買い、改札を抜ける。
涼しい風に髪が靡いた。
僕は、遠い過去を思い出していた。
「りーつっ!」
透き通るような高い声の少女が、僕の名前を呼ぶ。
「ミカ!」
僕も彼女の名前を呼ぶ。
「明日天気にになーぁっれ!」
美歌がブランコから靴を飛ばす。
片方はくるくると弧を描いた後綺麗に上向きに着地し、もう片方は真っ逆様に地面に突き刺さった。
「間をとって、曇りかなぁ?」
美歌が空を眺めながら笑った。
僕の口は、自然と旋律を奏でていた。
「明日模様を探せ
ずっと君の中にあるモノ」
美歌がわずかに目を見開き、それから笑顔になって、口を開いた。
「ちゃんときっと、このココロに」
心が弾ける。次から次へとメロディを奏でる。
時なんて初めからないように、ゆるゆると穏やかな曲がながれ、時に激しくぶつかって曲が続く。
「自転車のペダルの音」
律が口ずさむ。
「何故か大きく聞こえて」
美歌が目を閉じて呟く。
「明日も今日も」
「昨日も過去も」ーーー。
この頃、美歌は悩むことが多くなった気がする。
歌っている時もどこか悲しげで、かと思えば将来を見据えた真剣な瞳で僕に語りかけてくるのだった。
「律!!あっごめん律華!!」
「律で良いってば」
「えへへ…でも、芸名ってかっこいいじゃん!」
「美歌は?なんか付けないの?」
「私、自分の名前が好きだから!“美しい歌”って」
歌、という言葉を口にすると、美歌はまた真剣な瞳をする。
「…そっか」
雰囲気の暗さを感じ取ったのか、美歌が心配そうに僕の顔をのぞきこんだ。
「律?体調悪いの?」
「ううん、ちょっと寝不足なだけ」
僕は嘘をついた。
「今日は何を歌う?」
話題を変えるように明るい口調で僕は尋ねる。
お決まりのこの問答と共に、僕らの1日は始まる。
「何処かで泣いている人がいる」
美歌の心を震わす声が、隣で響く。
「助けてと呟いている人がいる」
少し悲しげな美歌の声が聞こえる。
「私は平和を叫ぶ」
僕はいつものように歌う。
「……」
この次は、美歌のパート。
空気に沈黙がみたされた。
「美歌?」
美歌は唇を震わせて泣いていた。
「どこかで、泣いてる人がいるんだよ、律」
「…え?」
「私は、お母さんもお父さんも妹もいて、みんなしあわせで、お金にも困っていないし温かい家がある。でも、周りは?私は、みんなに平和を届けられる歌手になりたい。不幸なこどもを、救える人に。律もそうでしょ?」
美歌は早口でまくしたてた。
目の周りには涙が溜まっていた。
僕は、…。
「皆、自分のことで精一杯なんだよ」
僕は一般論を口にした。
いや、本当は言い訳だった。
「歌は、お金を取るためにあるんじゃない!世界を平和にするためにあるんだよ、律!!」
「じゃあ好きにすれば良いさ!僕らに世界を平和にする力なんてない!!」
「律…?」
美歌のかぼそい悲鳴のような声が僕の心に刺さった。
「君はそうさ。父親が議会の議員で母親が有名なバレリーナだったもんな。でも、僕は違う。この場所で出会わなかったら、僕と君は絶対に分かり合うことなんて出来なかった。そもそもが、違うんだよ」
「…律っ!!」
「君に僕の何が分かる!!綺麗事言ってんじゃねぇっ!」
僕は踵を返して猛然と走った。
言い過ぎてしまったにも関わらず、心がすっきりしてしまった自分が憎かった。
それから、僕と美歌は離れて生活をした。
僕はアルバイトを始めた。
心が暗くなって仕方がなかった。
ある日ふと、気が向いていつも歌う公園へ行った。
秘密基地、と呼んで毎日のように遊んだトンネルに入った。
持ち寄った小さなテーブルと椅子には、薄く埃に覆われていた。
その上に、置き手紙があった。
“律へ”
正義のために私はここを出ます。お元気で。
なぜ君があんな事を言ったのかはわからないけれど、律の心にも、いつか光を。
“美歌”
なんだ、結局分からないのか。
あんなに酷い事を言ったのに、美歌は僕の事を一ミリたりとも理解していなかった。
僕は、[大文字]“美歌と違って歌っていられなくなったのだ。”[/大文字]
両親が離婚し、祖父母は事故で他界、まだ小さな弟のために、僕は放課後にのんきに歌っている暇などなくなった。
音楽系の進路を選びたいと思っていたが、それも出来そうになく、忙しさに意識を取られた生活を送っていた。
美歌にはわかるまい。
好きなことを奪われた凡人は、たまらなくつまらない存在であると。
美歌はどんどん有名になっていった。
彼女は次々に新曲を発表し、都会で歌い、戦場で叫んだ。
誰も新星の歌手を止められなかった。
美歌は危険な場所で歌うことも厭わなかった。
銃弾が肩をかすっても、無料で天使の声を聞かせた。
僕は奨学金制度でどうにか大学へ行き、職を転々としながら金を稼ぎ、インターネットという文明の利器で曲を作り、ぼうっと生きている。
あの日僕が美歌に言った言葉も変わらなければ、あの日の美歌の涙も変わらなかった。
どこからか、誰かの歌声が聞こえてくる。
僕の意識は現実に引き戻された。
美歌だ。美歌のマイク越しの声が、会場の外にまで漏れていた。
「君は嘘つきなんかじゃない
ただ笑っていたいんだ
あの日、二人で草原を
走ったときのように
風が、頰を撫でる
ずっと、そんな日が続けば良い
不朽を願ひ、不滅を願ひ、
僕らは、また」
僕が作った曲だ。
あの頃、ふたりではしゃいで即興で作った歌。
美歌は歌手になってから、めっきり僕の歌を歌うことは少なくなっていた。
僕が作った曲は全て、美歌のものだと遠い昔に誓ったことを覚えているのかもしれない。
気づけば、僕は走り出していた。