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「高杉さん、嫌だ、嫌です、…」
啜り泣く声が、天井にまで反響して、そのままぐさりと野村の心を突く。
漆喰の壁の一点を、野村はひたすらに見つめていた。
「戻ってきて下さい、高杉さん…私、まだ高杉さんとしたいこと、いっぱいあるのに…」
先ほどから、泣きながら高杉の名を呟くおうのを見て、野村の心は張り裂けそうだった。
ほんとうに、高杉は己の死期を悟っていた?
うんともすんとも言わない寝顔を見る。
死ぬ時くらい、自分の好きなようにしたいというのは、人としてあたりまえの[漢字]性[/漢字][ふりがな]さが[/ふりがな]ではないのか。
だとしたら、己はなんということをしてしまったのだろう。
仏に合わせる顔がない。
高杉の死に顔に合わせる顔もない。
ひたすらに自問自答を続ける。
でも、一人ぼっちで高杉に寄り添うおうのが見過ごせなくて、野村はこうしてここにいる。
とく、とく、と弱い拍動とともに、微かに高杉の胸元は上下している。
それが、彼の生命のしるしだった。
前日、高杉と喧嘩をした野村が最後に見たのは、罵倒されてなお微笑する青年の姿だった。
「意識のある高杉を見たのは」それが最後だった。
今宵を越えられるやもわからぬと、医者は言った。
それから、おうのは高杉の寝る布団の脇に座って、泣き伏している。
己のしでかしたことは罪だ、と思った。
人の気持ちを考えもしないで、仏の意思を汲み取ることもまた出来まい、と思った。
なんだか生きながらえていること自体が、なにか不吉で、情けないことのように思えてくる。
夜の空気が、春なのにしんと冷たく、戸の隙間から入り込んでくる。
部屋の明かりがあるのに、何故か視界は真っ暗に見えた。
不意に、がらりと障子が開けられて、壮年の額の禿げ上がった男が入ってきた。
おうのが街に降りて呼んだ医者である。
「調子はどうですか」
ざらざらした声で、風呂敷から器具を取り出す。
「ずっと寝たきりなんです、いくら呼びかけても返事がなくて…」
おうのの語尾は、部屋の空気に吸い込まれたか如く尻すぼみになった。
幾度も涙を拭った衣の袖は、丸いしみができていた。
医者が、布団から手を引っ張り出して、高杉の脈を取って、額に手を当てて、それから首の後ろを掻きながら、……言った。
あたりが暗くなり、野村は何も見えなくなった気がした。
「もう……」
医者のくせにはっきりとした事をいえぬ奴だと、野村は思った。
しかしその後で、彼も革命の一人として駆けた男の死の宣告を告げるのが痛ましいのだと、どこか他人事のようにも思った。
医者は当惑したようすでおろおろとあたりを見回した。
野村は、いつもにもまして無表情を取り繕った。
わあっとおうのが高杉の手を握って泣き崩れた。
「……高杉さま、申し訳御座いません」
野村は、それだけを言うのがやっとだった。心のうちは、後悔で押しつぶされそうだった。
「今のその発言、土下座してもう一度言ってもらおうか」
「…は?」
医者と同じく、ざらざらした声だった。
けれどもそれは、紛れもなくーーーー、
「高杉さま?」
おうのが目を見開いたまま固まった。あ、う、と赤子のように、声にならない声を上げた。
「……もう、回復してらっしゃるのですが……」
小さな声で、医者がつぶやいたが、もはや、誰も医者の言葉など聞いていなかった。
「すまないことをしたと思っている」
ゆっくりと体を起こしながら、高杉が言った。
何がです、貴方様に謝罪をされる心当たりがありすぎてもうよくわかりません、と、そう、言いたかった。
でも、野村の口からは、「こちらこそ、済みません……」と、蚊の鳴くような、おうのと大差ない気弱な声が出た。
高杉が、ふっと笑みをこぼす。
まだ顔は白かったが、おうのの肩を抱くその姿は明らかに先程まで寝ていたそれではない。
「あの野村が謝るとは、明日は槍が降るな」
そそくさと帰ってゆく医者を尻目に、高杉は薄暮のような笑みを浮かべた。
啜り泣く声が、天井にまで反響して、そのままぐさりと野村の心を突く。
漆喰の壁の一点を、野村はひたすらに見つめていた。
「戻ってきて下さい、高杉さん…私、まだ高杉さんとしたいこと、いっぱいあるのに…」
先ほどから、泣きながら高杉の名を呟くおうのを見て、野村の心は張り裂けそうだった。
ほんとうに、高杉は己の死期を悟っていた?
うんともすんとも言わない寝顔を見る。
死ぬ時くらい、自分の好きなようにしたいというのは、人としてあたりまえの[漢字]性[/漢字][ふりがな]さが[/ふりがな]ではないのか。
だとしたら、己はなんということをしてしまったのだろう。
仏に合わせる顔がない。
高杉の死に顔に合わせる顔もない。
ひたすらに自問自答を続ける。
でも、一人ぼっちで高杉に寄り添うおうのが見過ごせなくて、野村はこうしてここにいる。
とく、とく、と弱い拍動とともに、微かに高杉の胸元は上下している。
それが、彼の生命のしるしだった。
前日、高杉と喧嘩をした野村が最後に見たのは、罵倒されてなお微笑する青年の姿だった。
「意識のある高杉を見たのは」それが最後だった。
今宵を越えられるやもわからぬと、医者は言った。
それから、おうのは高杉の寝る布団の脇に座って、泣き伏している。
己のしでかしたことは罪だ、と思った。
人の気持ちを考えもしないで、仏の意思を汲み取ることもまた出来まい、と思った。
なんだか生きながらえていること自体が、なにか不吉で、情けないことのように思えてくる。
夜の空気が、春なのにしんと冷たく、戸の隙間から入り込んでくる。
部屋の明かりがあるのに、何故か視界は真っ暗に見えた。
不意に、がらりと障子が開けられて、壮年の額の禿げ上がった男が入ってきた。
おうのが街に降りて呼んだ医者である。
「調子はどうですか」
ざらざらした声で、風呂敷から器具を取り出す。
「ずっと寝たきりなんです、いくら呼びかけても返事がなくて…」
おうのの語尾は、部屋の空気に吸い込まれたか如く尻すぼみになった。
幾度も涙を拭った衣の袖は、丸いしみができていた。
医者が、布団から手を引っ張り出して、高杉の脈を取って、額に手を当てて、それから首の後ろを掻きながら、……言った。
あたりが暗くなり、野村は何も見えなくなった気がした。
「もう……」
医者のくせにはっきりとした事をいえぬ奴だと、野村は思った。
しかしその後で、彼も革命の一人として駆けた男の死の宣告を告げるのが痛ましいのだと、どこか他人事のようにも思った。
医者は当惑したようすでおろおろとあたりを見回した。
野村は、いつもにもまして無表情を取り繕った。
わあっとおうのが高杉の手を握って泣き崩れた。
「……高杉さま、申し訳御座いません」
野村は、それだけを言うのがやっとだった。心のうちは、後悔で押しつぶされそうだった。
「今のその発言、土下座してもう一度言ってもらおうか」
「…は?」
医者と同じく、ざらざらした声だった。
けれどもそれは、紛れもなくーーーー、
「高杉さま?」
おうのが目を見開いたまま固まった。あ、う、と赤子のように、声にならない声を上げた。
「……もう、回復してらっしゃるのですが……」
小さな声で、医者がつぶやいたが、もはや、誰も医者の言葉など聞いていなかった。
「すまないことをしたと思っている」
ゆっくりと体を起こしながら、高杉が言った。
何がです、貴方様に謝罪をされる心当たりがありすぎてもうよくわかりません、と、そう、言いたかった。
でも、野村の口からは、「こちらこそ、済みません……」と、蚊の鳴くような、おうのと大差ない気弱な声が出た。
高杉が、ふっと笑みをこぼす。
まだ顔は白かったが、おうのの肩を抱くその姿は明らかに先程まで寝ていたそれではない。
「あの野村が謝るとは、明日は槍が降るな」
そそくさと帰ってゆく医者を尻目に、高杉は薄暮のような笑みを浮かべた。