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この日、高杉は体調が芳しくなかった。
午前中から昼時までは高熱にうなされ、どうにか飯が食べられるようになったのが夕暮れ時であった。
「高杉さま。今日、買い出しに行った時におうのさまがこれを」
おうのは高杉の命で街へ出向き、手紙を長州藩士に渡していたため、今日は一日不在だった。
「昼に一度だけお戻りになったのです」
野村が小皿に乗せて運んできたのは、瑞々しく熟れた[漢字]桜桃[/漢字][ふりがな]さくらんぼ[/ふりがな]だった。
「春だな」
「ーーーええ」
ひょいと皿から桜桃を一房奪い取って、口に放り込んだ。
「お行儀が悪い」
野村は顔をしかめる。この程度の小言は日常茶飯事になってしまい、高杉は返事をするのみでまるで聞いていない。
せめてもの仕返しに、野村も桜桃をかじる。
「あっ、おうのが俺に呉れたんだぞ」
「おうのさまは『お二人で食べなさって』といっておられました」
「嘘をつけ」
じろりと高杉が睨む。
泣く子も黙りそうな形相だが、野村は少しもひるまない。
「わたくしは尼僧。仏に誓って嘘などつきませぬ」
「ふうん」
高杉は気のない返事をした。
「高杉さまは…」ふと野村は、この男の内面というものを知りたくなった。
「なにゆえ、神を信じぬのですか」
唐突な質問に、彼は少しだけ目を見開いた。
「さあーーー、なにゆえ、か」
遠くに視線をやる。つられて野村も、遠くを見る。
「俺は、己の心を信じているから、…かな」
どこかぼうっとした口調で、高杉がつぶやいた。
「心、ですか。貴方様がそのような不確定要素に頼るとは」
高杉は思わず半眼で野村を見た。
「お前本当に僧か?心からの願いは仏に通じるんじゃねぇのか」
「心が壊れてしまった時は、どうなさるのですか」
野村は高杉の質問を無視した。
「壊れねぇ」
「はい?」
「心が壊れた時は、生きる意味を失ったときだ。そして、生きる意味を失えば、武士は自ら死ぬ。だから俺の心はなにがあっても壊れねえ。俺の理想を燃料に、心はいつまでも燃え続ける」
どきっとした。
一度俗世を離れると決めた時に、もう己の中にある心はひび割れて、からからになってしまったような気がする。いくら経を唱えても、夫が死んだ悲しみも癒えぬし、生きがいも見つからなかった。いっときは、尼僧になったのは間違いだったかとさえ思った。
でもーーー。
野村に生きがいを与えたのは、世界を変えんと奔走する志士たちだった。
生き死によりも、これからの世界を案ずる男達。
野村は、ほんの少しでも彼らの役に立ちたかった。
それが、野村の生き甲斐になった。
「…そうですね」
野村はほんのりと微笑した。
そういえば、牢獄から己を助け出した時も、彼はそんな台詞を吐いていた。
「熱上がってきたから、寝る」
そういって、高杉は背を向けて寝転がった。
「いつでも起こして下さいませ」
幕末の夜は更けてゆく。
午前中から昼時までは高熱にうなされ、どうにか飯が食べられるようになったのが夕暮れ時であった。
「高杉さま。今日、買い出しに行った時におうのさまがこれを」
おうのは高杉の命で街へ出向き、手紙を長州藩士に渡していたため、今日は一日不在だった。
「昼に一度だけお戻りになったのです」
野村が小皿に乗せて運んできたのは、瑞々しく熟れた[漢字]桜桃[/漢字][ふりがな]さくらんぼ[/ふりがな]だった。
「春だな」
「ーーーええ」
ひょいと皿から桜桃を一房奪い取って、口に放り込んだ。
「お行儀が悪い」
野村は顔をしかめる。この程度の小言は日常茶飯事になってしまい、高杉は返事をするのみでまるで聞いていない。
せめてもの仕返しに、野村も桜桃をかじる。
「あっ、おうのが俺に呉れたんだぞ」
「おうのさまは『お二人で食べなさって』といっておられました」
「嘘をつけ」
じろりと高杉が睨む。
泣く子も黙りそうな形相だが、野村は少しもひるまない。
「わたくしは尼僧。仏に誓って嘘などつきませぬ」
「ふうん」
高杉は気のない返事をした。
「高杉さまは…」ふと野村は、この男の内面というものを知りたくなった。
「なにゆえ、神を信じぬのですか」
唐突な質問に、彼は少しだけ目を見開いた。
「さあーーー、なにゆえ、か」
遠くに視線をやる。つられて野村も、遠くを見る。
「俺は、己の心を信じているから、…かな」
どこかぼうっとした口調で、高杉がつぶやいた。
「心、ですか。貴方様がそのような不確定要素に頼るとは」
高杉は思わず半眼で野村を見た。
「お前本当に僧か?心からの願いは仏に通じるんじゃねぇのか」
「心が壊れてしまった時は、どうなさるのですか」
野村は高杉の質問を無視した。
「壊れねぇ」
「はい?」
「心が壊れた時は、生きる意味を失ったときだ。そして、生きる意味を失えば、武士は自ら死ぬ。だから俺の心はなにがあっても壊れねえ。俺の理想を燃料に、心はいつまでも燃え続ける」
どきっとした。
一度俗世を離れると決めた時に、もう己の中にある心はひび割れて、からからになってしまったような気がする。いくら経を唱えても、夫が死んだ悲しみも癒えぬし、生きがいも見つからなかった。いっときは、尼僧になったのは間違いだったかとさえ思った。
でもーーー。
野村に生きがいを与えたのは、世界を変えんと奔走する志士たちだった。
生き死によりも、これからの世界を案ずる男達。
野村は、ほんの少しでも彼らの役に立ちたかった。
それが、野村の生き甲斐になった。
「…そうですね」
野村はほんのりと微笑した。
そういえば、牢獄から己を助け出した時も、彼はそんな台詞を吐いていた。
「熱上がってきたから、寝る」
そういって、高杉は背を向けて寝転がった。
「いつでも起こして下さいませ」
幕末の夜は更けてゆく。