私を見る世間の目は哀れみに満ちていた。
「四肢のない母を一人で介護するだなんて、たった15歳なのになんて可哀想なんだろう。」
「父も失って、母の身体も不自由で大変な思いをしている」
私はこんな声をよく耳にした。
親戚も私を「可哀想な子」と思っていた。
でも、私は母の介護がとりわけ苦痛というでもなかった。
むしろ、私は嬉しかった。
四肢のない人間。まるで達磨のようになった、私にとって唯一の肉親。
それを自分の好きなように操れる幸せ。
父は私が小学校低学年の時に事故死した。
母はその時の事故に巻き込まれて、手足を失った。
「辛い思いをさせないように」と、母の療養が終わるまで私は祖父母の家に預けられていた。
今は、母と一緒に祖父母の家でお世話になっている。
しかし、私は母と二人でいたかった。
二人きりで、誰にも邪魔されずに生きていきたかった。
でも、優しい祖父母の提案を断るわけにもいかず、二人の家でお世話になることになった。
母は口は利けるので、よく一緒にお話していた。
でも、母はどうしても義足や義手を嫌がって、車椅子で生活することを望んでいた。
私の内に眠る衝動に気づくまで、私はずっと「どうしてこの二つを使いたがらないんだろう。練習すれば、昔みたいに手や足を自由に使えるのに」と考えていた。
でも、今なら母の考えが分かる気がする。
母は、「手足を失った可哀想な自分」を世間に見せつけたいのだ。
自己顕示欲の塊と化した母を、私は自身の操り人形にしようとしていた。
私も母と同様に「手足を失くした母親を介護するいい子」を見せつけようとしていた。
周りから「可哀想」と言われる母を愛していた。
自由に手足を扱えず、"私がいなければ"転がり落ちて死んでしまいそうな母を、心の底から愛していた。
「幸、ごめんね」
私が母の世話を焼くとき、母は決まって私にそう言う。
謝らないでほしいのに。
謝るべきなのは、私なのに。
手足を失くすまで母親を愛していなかった私が謝らなきゃいけないのに。
そう思っていても私の感情とは裏腹に、私の口は「大丈夫だよ!気にしないで」と答えてしまう。
私は自身の異常さなんてとうに理解していた。
四肢欠損。
私はそんな人を愛している。
母がその代表例だ。
私は本当のことを言うと、母が事故に遭って療養が終わって帰ってくるまで母に対する感謝や愛情は子供ながらに微塵もなかった。
母が達磨のようになって帰ってきた日から、私は母を愛すようになった。
自分がいないと何もできない。
そんな状態が私の優越感を満たした。
私を頼り続けて、私に感謝し続ける。
そんな人が欲しかったのだ。
「可哀想な自分」を見せつけたい母と、「自分がいないと何もできない人間」が欲しかった私。
二つの思いが合わさったから、母は義手や義足を作らなかったのだ。
作らせなかったのは、私が頼んだのも原因の一つに入るだろう。
ごめんね、母さん。
でも、貴女は今、幸せでしょ?
周りに心配してもらえて、最愛の娘にも愛してもらえて。
「四肢のない母を一人で介護するだなんて、たった15歳なのになんて可哀想なんだろう。」
「父も失って、母の身体も不自由で大変な思いをしている」
私はこんな声をよく耳にした。
親戚も私を「可哀想な子」と思っていた。
でも、私は母の介護がとりわけ苦痛というでもなかった。
むしろ、私は嬉しかった。
四肢のない人間。まるで達磨のようになった、私にとって唯一の肉親。
それを自分の好きなように操れる幸せ。
父は私が小学校低学年の時に事故死した。
母はその時の事故に巻き込まれて、手足を失った。
「辛い思いをさせないように」と、母の療養が終わるまで私は祖父母の家に預けられていた。
今は、母と一緒に祖父母の家でお世話になっている。
しかし、私は母と二人でいたかった。
二人きりで、誰にも邪魔されずに生きていきたかった。
でも、優しい祖父母の提案を断るわけにもいかず、二人の家でお世話になることになった。
母は口は利けるので、よく一緒にお話していた。
でも、母はどうしても義足や義手を嫌がって、車椅子で生活することを望んでいた。
私の内に眠る衝動に気づくまで、私はずっと「どうしてこの二つを使いたがらないんだろう。練習すれば、昔みたいに手や足を自由に使えるのに」と考えていた。
でも、今なら母の考えが分かる気がする。
母は、「手足を失った可哀想な自分」を世間に見せつけたいのだ。
自己顕示欲の塊と化した母を、私は自身の操り人形にしようとしていた。
私も母と同様に「手足を失くした母親を介護するいい子」を見せつけようとしていた。
周りから「可哀想」と言われる母を愛していた。
自由に手足を扱えず、"私がいなければ"転がり落ちて死んでしまいそうな母を、心の底から愛していた。
「幸、ごめんね」
私が母の世話を焼くとき、母は決まって私にそう言う。
謝らないでほしいのに。
謝るべきなのは、私なのに。
手足を失くすまで母親を愛していなかった私が謝らなきゃいけないのに。
そう思っていても私の感情とは裏腹に、私の口は「大丈夫だよ!気にしないで」と答えてしまう。
私は自身の異常さなんてとうに理解していた。
四肢欠損。
私はそんな人を愛している。
母がその代表例だ。
私は本当のことを言うと、母が事故に遭って療養が終わって帰ってくるまで母に対する感謝や愛情は子供ながらに微塵もなかった。
母が達磨のようになって帰ってきた日から、私は母を愛すようになった。
自分がいないと何もできない。
そんな状態が私の優越感を満たした。
私を頼り続けて、私に感謝し続ける。
そんな人が欲しかったのだ。
「可哀想な自分」を見せつけたい母と、「自分がいないと何もできない人間」が欲しかった私。
二つの思いが合わさったから、母は義手や義足を作らなかったのだ。
作らせなかったのは、私が頼んだのも原因の一つに入るだろう。
ごめんね、母さん。
でも、貴女は今、幸せでしょ?
周りに心配してもらえて、最愛の娘にも愛してもらえて。