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君に捧げるカクテル

#6

最後の一杯 ギムレット

「カランカラン」
聞き慣れた鈴の音。
薄暗い店内に入り、いつもの席に向かって、座る。
「ああ、いらっしゃい」
グラスを拭いていたマスターが顔を上げ、私に声をかける。
「おや、元気がないみたいだねェ。何かあったのかい?」と、マスターは濡れた手を拭きながら私を気遣うように尋ねてきた。
「最近、仕事が繁忙期でね。あまり休みが取れていないんだよ」と掠れた声で答えた。
この人といると心を見透かされているようで落ち着かない。




「繁忙期ねェ…うちには縁のない言葉だな、ははっ」なんて反応しづらい自虐ネタを飛ばしてくるマスターを無視し、思い出した。
妻は、マスターの大して面白くもないような話を聞くと、毎度笑っていた。
呆れたような笑顔の時もあれば、子供が笑っているかのような無邪気な笑顔の時もあった。
私はそんな妻の笑顔を眺めながらお酒を飲むのが一番好きな時間だった。
今は、そんな些細な願いさえも叶わない。
妻の笑顔を思い出すと、いつのまにか涙がこぼれていた。
いい年して情けないと思って泣くのをやめようと思っても、涙は私の頬を伝い落ちる。
マスターはそんな私を見て笑うわけでもなく、慰めるわけでもなく、ただじっと見つめていた。





私は嗚咽を漏らしながら、マスターに告げた。
「ギムレットを、一杯」
マスターは「ギムレット?君が度数の高いカクテルを飲むだなんて、珍しいねェ」と言いつつ、シェーカーにジン、ライムジュース、シュガーシロップを入れて混ぜた。
混ぜ終えたものをグラスに入れると、私の方にそっと差し出してきた。



私は、「ありがとう」と短く言うと、カクテルを口に入れた。
ジンの香りとライムの香りが混ざり合い、爽やかな味わいだった。
一口飲み込むごとに、不思議と心が軽くなった。
「それにしても、どうしてギムレットを?」とマスターが興味津々に尋ねてくる。
「遠い人を思う、この言葉がキーワードさ。私は今まで、妻と過ごした日々の記憶を思い出しては憂うばかりだった。でも、度数の高い爽やかなこのカクテルを飲んで、過去を憂いてばかりの自分や、妻との別れを決心したのさ。あとは向こうにいる妻を思ってのことだ」
私がそう答えると、マスターは目を細めて笑った。
「過去を振り返るのが悪いことだとは思っていないさ。しかし、前を向いて生きるのも大切なことだと思うんだ。そうは思わないかい?マスター」
私が尋ねると、マスターは微笑みながらこう言った。
「その通りだ。変えられない過去を嘆くよりも、今を全力で生きる方が素敵だ」





今までの憂いてばかりの自分を捨て去って、今を大切にする。
私は心に決めると、椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、私はもう帰るよ。夜も更けてきたしね」
私がマスターにそう告げると、マスターは「分かった。それじゃあ、またいつか」と言って手を振ってきた。
私も手を振り返して、店を出た。
外は晴れて、綺麗な三日月だった。
完璧ではないが、私は今日も全力で生きていく。
マスターとのおしゃべりを楽しんで、妻との思い出を心の奥にしまって。
またあのバーに、妻と足を運べる日が来るのを願いながら。

2024/11/04 17:28

月町 桔梗
ID:≫ 7r5tHLeuz1RfY
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