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愛し、哀され

「ゲホッ、ゴホッ」
ああ、まただ。
また、耳障りな咳の音が聞こえる。
肺炎に苦しみつつ、今年で傘寿を迎える義父。
義母は五年前に他界し、義父だけが、あの古びたお屋敷に残された。
夫は「仕事が忙しいから」などと言い訳をして、義父の介護を私に押し付けた。
それからというもの、私は寝る間も惜しんで義父を介護していた。
独り立ちした息子は、全く顔を見せにこない。
当たり前だ。
こんなに咳き込んでいて、いつ死ぬかも分からないような老人のいる家に、近寄りたくはないだろう。
私だって、嫌だった。
でも、「お前しか頼れないんだ」と言われて、上手く丸め込まれてしまった。
私の自由は、失われた。













昼夜問わず聞こえてくる咳の音。
私が何をしていても、邪魔をしてくる。
咳き込んだ義父の背中を叩いてやったり、軽く水を飲ませたり。
洗濯をしていても、咳が聞こえたら飛んでいって具合を聞いてやらなきゃならない。
これがどれほど面倒か!
私の時間を削ってまで、義父の面倒を見なきゃいけないだなんて。
友達とお茶をしたり、買い物に行きたいのに。
私に自由なんて、無かった。












ある日、江戸川乱歩の芋虫という作品を読んだ。
時子は、夫に対し加虐的な感情を抱く。
夫は、時子無しでは何もできない。
まるで、私の義父のようだ。
私がいなければ、ただただ咳き込んで耳障りな音を立て、食事すらまともにできない。
また、咳の音が聞こえて、義父の部屋に向かう。
義父が苦しげな表情でこちらを向く。
優しく背中をさすってやり、落ち着いた頃にお茶を飲ませる。
「ありがとう、ありがとう」
何度も繰り返す義父の表情に、ぞくりと来た。
義父を完全に私の支配下に置きたい、私の人形にしたい。
そんな感情が湧いてきた。










その日から、私は義父に尽くした。
何が食べたいと言われれば食べさせ、何が読みたいと言われれば本を用意し、どんな服が欲しいと言われれば買ってくる。
夫は「優しいな」と言いながら仕事に向かう。
私の気持ちも知らないで。
義父は私に感謝する。
その表情が、滑稽で、哀れだった。
自分が欲望を満たすために使われているとも知らずに、私の一挙一動に感謝し、敬う。
これがどれほど私の心を満たしたか。
私は称賛が欲しいのではない、ただただ、操り人形が欲しかっただけなのだ。








数ヶ月後、義父は肺炎を拗らせて亡くなった。
安らかな顔で。
葬儀に来ていた人は、皆一様に義父に対する感謝を伝え、追悼の念を見せた。
そこで私は初めて、義父は多くの人に愛されていたのだと知った。
思い返せば見舞いに来る人は皆、義父へ励ましの言葉をかけていた。
私は葬儀に来た人達の顔を一人一人見ながら、人知れず思った。
「義父は他人を愛し、他人に愛された。だが、私からは愛されず、哀されていたのだ」と。

2024/10/15 21:41

月町 桔梗
ID:≫ 7r5tHLeuz1RfY
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