カフェの中では迷惑になるからと、一同は一旦楊翠書店へと戻った。
そして、鳴翠たちは机を挟んで板原史紀と相手の女性──[漢字]酒井十和子[/漢字][ふりがな]さかいとわこ[/ふりがな]と向かい合った。
「それで?"妻は私です"って、どういうこと?」
先ほどの気弱そうな態度とは一変して、高圧的な口調で鈴香は尋ねた。
空気が重くまとわりつく。
「あの、その……」
小さく答えようとして、十和子は黙り込んでしまった。
目に涙をいっぱいにしているのを見て、栄は思わず同情してしまいそうになった。
「2年前、西夏茶館で史紀さんと出会ったんです。奥さんとは離婚してて、今はフリーだって言われてて…。それで、去年結婚の話が持ち上がったんです。お恥ずかしい話ですが、私もう32歳で、結婚に対する焦りもあったんです。今すぐにでも婚姻届を出したかったんですが、「今親戚間でのゴタゴタに巻き込まれてるから、まだ入籍は厳しい。でも、ひと段落ついたら、必ず結婚しよう」って言われたんです。だから、指輪だけ買って、内縁の妻という扱いになってたんです」
あの、と真奈佳が口を挟んだ。
「鈴香さんの話を聞いたとき、休日に家を空けるっておっしゃってたんですが、そのことについて違和感を覚えたりしなかったんですか?」
十和子はうつむいた。
「史紀さんは仕事が忙しいからって、平日は会いに来なかったんです。同棲も、親戚が家に突撃してきたら大変だからって、してなくて……」
そこまで話すと、十和子はついに泣き出してしまった。
鈴香は大きなため息をつくと、
「泣きたいのはこっちなんですけど?」と冷たく言った。
十和子をなだめようとして肩を抱こうとする史紀を視線で制すると、十和子は淡々と言葉を紡いだ。
「いくら事情を知らなかったとはいえ罪は罪。反省してくださいね。次に史紀。離婚よ。慰謝料も請求しますからね」
十和子はこくこくと頷き、史紀の方に向き直った。
「史紀さん、別れましょ。私、そんな人だとは思わなかった」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!別れたら取引先になんて言われるか…」
「取引先?」
十和子に詰められ、史紀はポツポツと話し始めた。
しかし、全文を書くと面倒なので要約しよう。
[水平線]
どうやら十和子は史紀の取引先の社長令嬢だったらしく、取引先と商談を行った際、史紀は社長に気に入られ、十和子との見合いを勧められたらしい。
今後のことを考えると、史紀は断れなかったそうだ。
「西夏茶館で出会った」というのは半ば仕込みだったらしく、社長が十和子に茶館へ行くよう促し、そこに史紀が行ったとのこと。
そこから先は十和子が話した通りだ。
全てを聞いて、鈴香はまたため息をついた。
「もう付き合いきれない。ありえないわ!」
大声で怒鳴ると、鈴香は足早に去っていった。
その背を追いかけるように、史紀たちも店を出ていった。
[水平線]
「やぁーっと静かになりましたね。先生」
真奈佳が伸びをしながらつぶやいた。
「まさかの真相だったね」
栄がしみじみと答える。
「まるで陳世美と秦香蓮ネ」
鳴翠が嬉しそうに言う。
「何です?それ」と栄が尋ねると、鳴翠は話し始めた。
───その昔、中国に陳世美と秦香蓮という夫婦がいた。
二人は年老いた両親と二人の子供と貧乏ながらも仲睦まじく暮らしていた。
夫の世美は頭脳明晰で努力家、妻の香蓮は優しく働き者だった。
世美は科挙(今で言う公務員試験)に合格し、役人になってこの生活から抜け出そうと勉強を続けていた。
時は進み、ついに試験を受ける日が近づいた。
世美は家族に「必ず手紙を出すから」と約束して都へと発った。
試験も終わり、さあ結果とご対面!
結果は合格。その上首席ときた。
「長年の苦労が報われた…さあ、都に家族を呼び寄せよう」
そのとき、事件は起きた。
皇帝に謁見する際、世美はこう言われた。
「喜べ、皇太后様は科挙の首席合格者を陛下の娘婿にしようとお考えだぞ」
しかし世美は妻子ある身……。
悶々としていると、皇太后から呼び出された。
「陳世美よ、お前に妻子はいるか?」
世美は心が痛むのを感じたが、「両親は早くに亡くなり、妻も子もおりませぬ」と答えた。
皇太后は大喜びし、早速彼を孫娘の婿に迎えることを決めた。
[水平線]
都では盛大な結婚式が行われ、世美が贅沢三昧な日々を過ごす一方、故郷では手紙ひとつ寄越さない息子を心配するあまり両親は病気になり、亡くなってしまった。
妻の香蓮は自身の髪の毛を切って売り、そのお金で[漢字]舅姑[/漢字][ふりがな]きゅうこ[/ふりがな]を葬った。
その後、母子三人で貧しい暮らしをしながら都へ夫を探しに行った。
[水平線]
都で話を聞くうち、夫が科挙に首席で合格したこと、皇女の婿になったことを知った。
香蓮たちは宮殿へ赴いたものの、相手にされなかった。
こっそりと世美のいる奥へ入ると、ばったり会ってしまった。
世美は妻子の姿を見て心が痛むも、「皇帝にバレたら首が吹っ飛ぶだけじゃすまない」と、知らないふりをした。
「私はあなたの妻の香蓮です。あなたが村を離れてから、村は飢饉に襲われ、お父様やお母様も亡くなられた。今では二人の棺を買うお金もありません」
妻の言葉にまたもや世美は心が痛んだが、皇帝を欺いた罪に問われることや手に入れた地位を失うことを考え、しらを切り通した。
幼い子供たちは「なんでお父さんはぼくたちを知らないふりするの?」と尋ねる。
香蓮はその言葉を聞き、「私のことは知らないふりをしてくれて構わない。でも、二人の子供たちのことは引き取ってほしい」と頼み込んだ。
世美は今の暮らしを捨てる覚悟ができず、ついに刀を抜いて香蓮たちを脅した。
香蓮はなおも夫を責め立てたが、世美は香蓮たちを追い出した。
それだけでなく、彼女たちに刺客を放った。
しかし、刺客は香蓮たちの話を聞いて同情し、迷った挙句に自ら命を絶ってしまった。
[水平線]
その後、香蓮は清廉潔白で有名な[漢字]開封府[/漢字][ふりがな]かいほうふ[/ふりがな](古代中国の役所的なもの)の役人・[漢字]包拯[/漢字][ふりがな]包拯[/ふりがな]に事を訴えた。
そして、世美は有罪とされたが、皇女や皇太后が包拯に圧力をかけた。
しかし、包拯は「己の知ったことではない。罪は罪である」とし、世美を処刑した。
[水平線]
「これが陳世美と秦香蓮の話ネ。中国だと[漢字]铡美案[/漢字][ふりがな]さつびあん[/ふりがな]って言うヨ」
「なんか、酷い話ですねぇ」
真奈佳がぼんやりと言う。
「陳世美は虎頭鍘──ギロチンの亜種で処刑されたヨ。龍頭鍘と狗頭鍘もある。龍は皇族を処刑する用で、虎は役人、狗は平民用ネ。狗が一番切れ味悪いヨ」
嫌な知識ついた…と、栄はため息をついた。
「香蓮さん、すごい人ですね」
栄は鳴翠の方を向いて言った。
「旦那さんの悪事を突き詰めて、しっかり裁いてもらうなんて。昔の中国じゃだいぶ難しかったんじゃ?」
そうだネェと鳴翠は答えた。
「勇気のいるコトだったと思うヨ。これでもし無罪だったら、今度は自分に罪が課せられるネ」
「鈴香さん、強く生きてくれるといいですね」
真奈佳がしみじみとつぶやいた。
「哎呀!」
「何ですか?!」
「お昼ゴハン…食べてないヨ!チャーハン!」
「そんなことで騒ぐな!」
真奈佳と鳴翠のやりとりを見て、栄はクスッと笑った。
「ホラ、栄サンも行くよ!」
鳴翠に手を引かれ、栄は書店を後にした。
そして、鳴翠たちは机を挟んで板原史紀と相手の女性──[漢字]酒井十和子[/漢字][ふりがな]さかいとわこ[/ふりがな]と向かい合った。
「それで?"妻は私です"って、どういうこと?」
先ほどの気弱そうな態度とは一変して、高圧的な口調で鈴香は尋ねた。
空気が重くまとわりつく。
「あの、その……」
小さく答えようとして、十和子は黙り込んでしまった。
目に涙をいっぱいにしているのを見て、栄は思わず同情してしまいそうになった。
「2年前、西夏茶館で史紀さんと出会ったんです。奥さんとは離婚してて、今はフリーだって言われてて…。それで、去年結婚の話が持ち上がったんです。お恥ずかしい話ですが、私もう32歳で、結婚に対する焦りもあったんです。今すぐにでも婚姻届を出したかったんですが、「今親戚間でのゴタゴタに巻き込まれてるから、まだ入籍は厳しい。でも、ひと段落ついたら、必ず結婚しよう」って言われたんです。だから、指輪だけ買って、内縁の妻という扱いになってたんです」
あの、と真奈佳が口を挟んだ。
「鈴香さんの話を聞いたとき、休日に家を空けるっておっしゃってたんですが、そのことについて違和感を覚えたりしなかったんですか?」
十和子はうつむいた。
「史紀さんは仕事が忙しいからって、平日は会いに来なかったんです。同棲も、親戚が家に突撃してきたら大変だからって、してなくて……」
そこまで話すと、十和子はついに泣き出してしまった。
鈴香は大きなため息をつくと、
「泣きたいのはこっちなんですけど?」と冷たく言った。
十和子をなだめようとして肩を抱こうとする史紀を視線で制すると、十和子は淡々と言葉を紡いだ。
「いくら事情を知らなかったとはいえ罪は罪。反省してくださいね。次に史紀。離婚よ。慰謝料も請求しますからね」
十和子はこくこくと頷き、史紀の方に向き直った。
「史紀さん、別れましょ。私、そんな人だとは思わなかった」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!別れたら取引先になんて言われるか…」
「取引先?」
十和子に詰められ、史紀はポツポツと話し始めた。
しかし、全文を書くと面倒なので要約しよう。
[水平線]
どうやら十和子は史紀の取引先の社長令嬢だったらしく、取引先と商談を行った際、史紀は社長に気に入られ、十和子との見合いを勧められたらしい。
今後のことを考えると、史紀は断れなかったそうだ。
「西夏茶館で出会った」というのは半ば仕込みだったらしく、社長が十和子に茶館へ行くよう促し、そこに史紀が行ったとのこと。
そこから先は十和子が話した通りだ。
全てを聞いて、鈴香はまたため息をついた。
「もう付き合いきれない。ありえないわ!」
大声で怒鳴ると、鈴香は足早に去っていった。
その背を追いかけるように、史紀たちも店を出ていった。
[水平線]
「やぁーっと静かになりましたね。先生」
真奈佳が伸びをしながらつぶやいた。
「まさかの真相だったね」
栄がしみじみと答える。
「まるで陳世美と秦香蓮ネ」
鳴翠が嬉しそうに言う。
「何です?それ」と栄が尋ねると、鳴翠は話し始めた。
───その昔、中国に陳世美と秦香蓮という夫婦がいた。
二人は年老いた両親と二人の子供と貧乏ながらも仲睦まじく暮らしていた。
夫の世美は頭脳明晰で努力家、妻の香蓮は優しく働き者だった。
世美は科挙(今で言う公務員試験)に合格し、役人になってこの生活から抜け出そうと勉強を続けていた。
時は進み、ついに試験を受ける日が近づいた。
世美は家族に「必ず手紙を出すから」と約束して都へと発った。
試験も終わり、さあ結果とご対面!
結果は合格。その上首席ときた。
「長年の苦労が報われた…さあ、都に家族を呼び寄せよう」
そのとき、事件は起きた。
皇帝に謁見する際、世美はこう言われた。
「喜べ、皇太后様は科挙の首席合格者を陛下の娘婿にしようとお考えだぞ」
しかし世美は妻子ある身……。
悶々としていると、皇太后から呼び出された。
「陳世美よ、お前に妻子はいるか?」
世美は心が痛むのを感じたが、「両親は早くに亡くなり、妻も子もおりませぬ」と答えた。
皇太后は大喜びし、早速彼を孫娘の婿に迎えることを決めた。
[水平線]
都では盛大な結婚式が行われ、世美が贅沢三昧な日々を過ごす一方、故郷では手紙ひとつ寄越さない息子を心配するあまり両親は病気になり、亡くなってしまった。
妻の香蓮は自身の髪の毛を切って売り、そのお金で[漢字]舅姑[/漢字][ふりがな]きゅうこ[/ふりがな]を葬った。
その後、母子三人で貧しい暮らしをしながら都へ夫を探しに行った。
[水平線]
都で話を聞くうち、夫が科挙に首席で合格したこと、皇女の婿になったことを知った。
香蓮たちは宮殿へ赴いたものの、相手にされなかった。
こっそりと世美のいる奥へ入ると、ばったり会ってしまった。
世美は妻子の姿を見て心が痛むも、「皇帝にバレたら首が吹っ飛ぶだけじゃすまない」と、知らないふりをした。
「私はあなたの妻の香蓮です。あなたが村を離れてから、村は飢饉に襲われ、お父様やお母様も亡くなられた。今では二人の棺を買うお金もありません」
妻の言葉にまたもや世美は心が痛んだが、皇帝を欺いた罪に問われることや手に入れた地位を失うことを考え、しらを切り通した。
幼い子供たちは「なんでお父さんはぼくたちを知らないふりするの?」と尋ねる。
香蓮はその言葉を聞き、「私のことは知らないふりをしてくれて構わない。でも、二人の子供たちのことは引き取ってほしい」と頼み込んだ。
世美は今の暮らしを捨てる覚悟ができず、ついに刀を抜いて香蓮たちを脅した。
香蓮はなおも夫を責め立てたが、世美は香蓮たちを追い出した。
それだけでなく、彼女たちに刺客を放った。
しかし、刺客は香蓮たちの話を聞いて同情し、迷った挙句に自ら命を絶ってしまった。
[水平線]
その後、香蓮は清廉潔白で有名な[漢字]開封府[/漢字][ふりがな]かいほうふ[/ふりがな](古代中国の役所的なもの)の役人・[漢字]包拯[/漢字][ふりがな]包拯[/ふりがな]に事を訴えた。
そして、世美は有罪とされたが、皇女や皇太后が包拯に圧力をかけた。
しかし、包拯は「己の知ったことではない。罪は罪である」とし、世美を処刑した。
[水平線]
「これが陳世美と秦香蓮の話ネ。中国だと[漢字]铡美案[/漢字][ふりがな]さつびあん[/ふりがな]って言うヨ」
「なんか、酷い話ですねぇ」
真奈佳がぼんやりと言う。
「陳世美は虎頭鍘──ギロチンの亜種で処刑されたヨ。龍頭鍘と狗頭鍘もある。龍は皇族を処刑する用で、虎は役人、狗は平民用ネ。狗が一番切れ味悪いヨ」
嫌な知識ついた…と、栄はため息をついた。
「香蓮さん、すごい人ですね」
栄は鳴翠の方を向いて言った。
「旦那さんの悪事を突き詰めて、しっかり裁いてもらうなんて。昔の中国じゃだいぶ難しかったんじゃ?」
そうだネェと鳴翠は答えた。
「勇気のいるコトだったと思うヨ。これでもし無罪だったら、今度は自分に罪が課せられるネ」
「鈴香さん、強く生きてくれるといいですね」
真奈佳がしみじみとつぶやいた。
「哎呀!」
「何ですか?!」
「お昼ゴハン…食べてないヨ!チャーハン!」
「そんなことで騒ぐな!」
真奈佳と鳴翠のやりとりを見て、栄はクスッと笑った。
「ホラ、栄サンも行くよ!」
鳴翠に手を引かれ、栄は書店を後にした。