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己の命

#3

最終章 己の命。

「命」というのはとても儚く残酷な物だ。
人間は生まれてきて、成長していって、死んでそれで終わり。まるで文章の「序論・本論・結論」の様になっている。簡単に終わる人生だ。だが、成長(本論)の中で色々な出来事を経験する。その経験の中で「死んでしまいたい。」と思ってしまう人も少なからず居るわけだ。そう思う理由は「不幸」だと思ってしまっているからだ。その中でも特に「いじめ」と言う物などが人間にとっては「不幸」だと思うのではないのだろうか。自分はいじめられている時にストレスを抱え込みすぎていて2〜3年前のたった最近の事なのにどういう内容の「いじめ」を受けたかが、完全に記憶から無くなってしまっている。ただ、思い出したいのに思い出せない。それが人間だ。自分の「不幸」と呼ばれる物はやはり、自分の記憶から勝手に消えてしまっている。それはなぜか。それは「いじめ」られることが「不幸」なんだと思ってしまっていたからだ。だが、「不幸」は存在しない。そう自分で思い始めてから「記憶が無くなる空間」から「記憶が覚えてられる空間」に移動したような気分になった。考え方1つで「自分のいる空間」が変わる。このことを知った。それが今の「生きやすさ」に繋がった。それは全てを「幸せ」と感じるようになったからだ。だが、今だに「いじめ」に関しては記憶の中にグッと刻み込まれているものがある。それは「自殺」だ。いじめられてる時は、自ら命を絶とうと思っていた。そして夢で何十回も「自殺」しようとする夢を見た。この事を今だに覚えてる理由は一つだった。それは、「死ねば解放される」と思ってしまっていたからだ。そう、「解放されること」を「幸せ」と思ってしまっていたんだ。だが死ねない。これが覚えている理由だろう。夢も何十回も見たが、一回も「死ねなかった」死ぬ前に目が覚めたのだ。現実でも同じだった。どうしても死ねる気になれなかった。現実、そして夢まで。死にたかったのに死なせてくれなかった。それはなぜなのか、意味がわからなかった。だが今になって分かってきた。それは、「周りの人々に支えられて今まで生きてきている。それは家族がいなくてもそうだ。そして自分にしか出来ない事などが沢山残っている。」と、無意識に「頭」じゃなく、「心」でもなく、「体」で勝手に考えて、感じていたからだ。だからどうしても実行に移せなかったのだ。「準備段階が頭」で「実行が体」と、いう風に体は作られているのだ。それゆえ死ねなかったんだ。体が拒絶した。そのお陰で今たったこの瞬間「幸せ」に囲まれながら生きていられる。この体験があったからこそ、自分はこれから何があっても絶対に「自分で己の命を壊す」という事をしない。結局は死んでしまったら絶対に「幸せ」にはなれない。死んでも何も感じれない、何も考えれない、意識も何もないから「幸せ」じゃない。「自分で命を壊す」(本論中に人生を終わらせる)ことこそが人生で初めての本当の「不幸」になるのではないのかと思う。

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作者メッセージ

今を「不幸」だと思っていてしまっている人達の考え方が変わってもらえれば嬉しいです。何があっても自分の命を見捨てないでください!

2024/02/28 16:58

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