己の命
人間は楽しいこと、嬉しいことなどがあればすぐに周りの人への対応、気分などが今までとは一瞬にして変わり「ああ、この人機嫌良いなぁ。」と、感じさせるようになる。人はそれを「幸せ」と呼ぶ。そして嫌なこと、辛いことなどがあればこれもまた気分、周りの人への対応などが変わり「ああ、この人機嫌悪いなぁ。」と、感じさせる。このことを人は「不幸」という。だが自分は「不幸」は存在しないと思っている。つまりは「幸せ」しかないと思っているのだ。人間は「不幸」と呼ばれるものがとても嫌いだ。人間はいつも「幸せ」で満たされたいと思っている。だがそれが思うように上手くいかない。どうしても「不幸」と呼ばれる物からは逃げたくても逃げられないのだ。それなのに、「不幸」と呼ばれるものを経験するのはとても当たり前のことだ。だが、それは本当に「不幸」なのだろうか。どれだけ苦しく、辛くても「不幸」ができあがっているからこそ、自分にとってとても気分が良い物のことを「幸せ」と呼んでいるのではないのだろうか。つまり「幸せ」の土台は「不幸」なのだ。「不幸」の経験が多い人ほど「幸せ」を経験している数が多いということだ。だからこそ、「幸せ」を作れること自体も自分にとって有利な事。それゆえに、その土台の「不幸」こそが「幸せ」になるのでは無いのかと思う。
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