コード:リヴィングデッド
「―――やあ、俺らの『[漢字]北極星[/漢字][ふりがな]ポラリス[/ふりがな]』―――ビスタの兄ちゃん。お疲れかい?」
職務終わりにバーで一飲み。…友に言われ、この店に通い始めて何年が経つだろうか。マスターはいつもと変わらず、俺の座る席の正面で酒を振り続けている。
皺が段々隠せなくなってきたその顔には、かつての枯れ切った町の雰囲気が未だ残っている。
「……」
「だんまりかい。いっつも辛そうだけども、今日は特段大変そうだねえ……そんなに軍部ってのは辛いのかい、新兵のアンタに無茶させるぐらいには」
「マスター、[漢字]蜂蜜酒[/漢字][ふりがな]ミード[/ふりがな]を一杯」
「はいよ」
まるでいつ何を注文することが知られていたかのように、マスターは直ぐにコップを差し出してくる。それをぐいと煽れば、アルコールの不健康な旨味が口に広がった。からりとコップの中の氷が音を立てる――直ぐ様注がれるもう一杯。
「あれからもう二年経つ。―――今この町があるのは他でもない、アンタらのお陰だ。これは俺らのお礼ってヤツさ」
「そうか。………、……ありがとう」
「いえいえ」
店内を見回してみれば、悲しみを抑えるように真新しく光り続けた木材たちも、もうすっかり傷だらけになっている。それを肴に今度はコップを軽く傾けるだけに留めた。
「…甘いな」
「ん?口に合わなかったかい?」
「いや。寧ろ良い味だ…変えたのか?」
と問いかけてみれば、先方からは微かな笑いが響いてきた。
「いいや、変えて―――いや、変えたよ。次からこの酒にするかい?」
「頼む」
少し値は張るかもしれない、少なくとも一般的な新兵には重い金額なのかも――サービスと言ってくれたな、もしかしたら非売品の可能性もある。しかし、マスターは二つ返事で了承してくれた……有難い、訓練の疲れも飛ぶというものだ。
ふと壁にかかった時計を見てみれば、針は十を越していた―――行かなくては。
「………む、もうこんな時間か。明日早いのでな、失礼する……お会計を」
「おっと…ロクに休日もないのか、大変だなあ」
「そういう訳でもないが。訓練と―――明日は視察があるのでな」
酒が回っている。今はつい、言ってはいけないことを漏らしそうだ。
自分は酒を飲むのには向いていないと、解ってはいるのだがな。
「ほい、お代」
「金額の値を間違えてないか?」
「ふむ、ちょっと確認させてくれ。………いや、間違えてないな。〇…アンタの仕事と差引ゼロさ」
「そうか…ありがとう」
「それほどでも…んじゃ気をつけて帰りなよ、北極星さん?」
「ああ。感謝する」
扉を開けて、暗闇に染まった町へ一歩を踏み出す。
からんとドアベルが子気味良い音を立てた。
▼▽▼
「…や、兄ちゃん」
去る英雄の背中をじっと見つめる青年が一人居た。マスターは無言でカウンター席を指差して、ここに来るよう促した。
「どうだい?君イチオシの英雄さんの生の姿は?」
「いえ、まあ。……ちょっと意外でした」
マスターは無言でオレンジジュースを注ぎ、彼の前にそっと置く。
青年は傾けるでも煽るでもなく、ただその氷の行く末をじっと見つめている。
「―――伝説となるであろう人が、こんなところで酒を飲んで酔いつぶれかけてるとは」
「"伝説となるであろう人"、ねぇ……そいつぁ違うよ、兄ちゃん」
「違う?」
マスターは他客の注文を受けながら、ゆっくり話し始める。その立派な髭が、少しだけ汗に濡れて輝いていた。
「彼は伝説じゃない。英雄でもない。……確かにあの日、俺達を救ってくれたのは彼だ。兄ちゃんもそのクチだろう?」
「ええ、まあ。―――確認ですが、あの日というのは」
「君の想像するものと一緒さ。『[漢字]星幽崩壊[/漢字][ふりがな]アストラル・コラプス[/ふりがな]』って言えば早いかい?」
「いえ、一応聞いてみただけです」
「ま、知らないヤツいないもんな――――んで、話戻すな。確かに彼は俺たちを守ってくれたさ。盾になって矛になって――軍部の記録ほどじゃないのはわかってるが、獅子奮迅の活躍をしたってのは俺にもわかる。
でも、でもだ。彼、一年前に軍に入ったばっかりだぜ?英雄とかいうクソでけえ肩書持たせるにはちょっと重荷にしかなり得ねえ。英雄である前に、アイツはきっと一人の人間で、一人の軍人で、そのくせ一人の新兵なのさ。皆忘れてるけどな」
「…」
「アイツは張り詰めた釣り糸と同じなのさ。自然に切れるか、自分で切るか―――どっちかは俺にもアンタらにもわからんが、リール引っ張ってんのはアンタらのほうだろう?現状こうやって時々緩めに来てくれるが、いつ切れたもんかわかったもんじゃねえ。アンタらは精一杯、切れないで居させてあげな」
「…わかりました。では俺もそろそろ、お会計を…」
「そうだな。良い子はもう帰る時間だ」
マスターは注文票を軽く振り、そこに書かれている値を読み上げた―――少し高いような気もするが、青年の飲んだオレンジジュースの量を考えればまあ納得もできる―――青年は懐からコインを取り出し、カウンターの上に置く。
「……はい、ちょうど。んあ、兄ちゃん。名前は?」
「…名前、ですか?」
「うん、名前。うち常連になりそうな客の名前はメモしてるんだよ」
「なるほど。―――アレフです。アレフ・ヴァルキス」
「しっかりメモしたぜ。じゃ、いい夜を」
「ありがとうございます」
扉を開け、また一人が出ていく。ころんとドアベルが音を鳴らしたのに少々驚いたのか、はたまた忘れ物がないか確認したのか―――青年は若干振り返りつつも店内を出た。
「二年か。早いねえ」
コーヒーをすすりながら、マスターは独り言ちる。
喧噪に包まれた店内で、その声は誰に聞かれることもなく店内の木に溶けていった。
職務終わりにバーで一飲み。…友に言われ、この店に通い始めて何年が経つだろうか。マスターはいつもと変わらず、俺の座る席の正面で酒を振り続けている。
皺が段々隠せなくなってきたその顔には、かつての枯れ切った町の雰囲気が未だ残っている。
「……」
「だんまりかい。いっつも辛そうだけども、今日は特段大変そうだねえ……そんなに軍部ってのは辛いのかい、新兵のアンタに無茶させるぐらいには」
「マスター、[漢字]蜂蜜酒[/漢字][ふりがな]ミード[/ふりがな]を一杯」
「はいよ」
まるでいつ何を注文することが知られていたかのように、マスターは直ぐにコップを差し出してくる。それをぐいと煽れば、アルコールの不健康な旨味が口に広がった。からりとコップの中の氷が音を立てる――直ぐ様注がれるもう一杯。
「あれからもう二年経つ。―――今この町があるのは他でもない、アンタらのお陰だ。これは俺らのお礼ってヤツさ」
「そうか。………、……ありがとう」
「いえいえ」
店内を見回してみれば、悲しみを抑えるように真新しく光り続けた木材たちも、もうすっかり傷だらけになっている。それを肴に今度はコップを軽く傾けるだけに留めた。
「…甘いな」
「ん?口に合わなかったかい?」
「いや。寧ろ良い味だ…変えたのか?」
と問いかけてみれば、先方からは微かな笑いが響いてきた。
「いいや、変えて―――いや、変えたよ。次からこの酒にするかい?」
「頼む」
少し値は張るかもしれない、少なくとも一般的な新兵には重い金額なのかも――サービスと言ってくれたな、もしかしたら非売品の可能性もある。しかし、マスターは二つ返事で了承してくれた……有難い、訓練の疲れも飛ぶというものだ。
ふと壁にかかった時計を見てみれば、針は十を越していた―――行かなくては。
「………む、もうこんな時間か。明日早いのでな、失礼する……お会計を」
「おっと…ロクに休日もないのか、大変だなあ」
「そういう訳でもないが。訓練と―――明日は視察があるのでな」
酒が回っている。今はつい、言ってはいけないことを漏らしそうだ。
自分は酒を飲むのには向いていないと、解ってはいるのだがな。
「ほい、お代」
「金額の値を間違えてないか?」
「ふむ、ちょっと確認させてくれ。………いや、間違えてないな。〇…アンタの仕事と差引ゼロさ」
「そうか…ありがとう」
「それほどでも…んじゃ気をつけて帰りなよ、北極星さん?」
「ああ。感謝する」
扉を開けて、暗闇に染まった町へ一歩を踏み出す。
からんとドアベルが子気味良い音を立てた。
▼▽▼
「…や、兄ちゃん」
去る英雄の背中をじっと見つめる青年が一人居た。マスターは無言でカウンター席を指差して、ここに来るよう促した。
「どうだい?君イチオシの英雄さんの生の姿は?」
「いえ、まあ。……ちょっと意外でした」
マスターは無言でオレンジジュースを注ぎ、彼の前にそっと置く。
青年は傾けるでも煽るでもなく、ただその氷の行く末をじっと見つめている。
「―――伝説となるであろう人が、こんなところで酒を飲んで酔いつぶれかけてるとは」
「"伝説となるであろう人"、ねぇ……そいつぁ違うよ、兄ちゃん」
「違う?」
マスターは他客の注文を受けながら、ゆっくり話し始める。その立派な髭が、少しだけ汗に濡れて輝いていた。
「彼は伝説じゃない。英雄でもない。……確かにあの日、俺達を救ってくれたのは彼だ。兄ちゃんもそのクチだろう?」
「ええ、まあ。―――確認ですが、あの日というのは」
「君の想像するものと一緒さ。『[漢字]星幽崩壊[/漢字][ふりがな]アストラル・コラプス[/ふりがな]』って言えば早いかい?」
「いえ、一応聞いてみただけです」
「ま、知らないヤツいないもんな――――んで、話戻すな。確かに彼は俺たちを守ってくれたさ。盾になって矛になって――軍部の記録ほどじゃないのはわかってるが、獅子奮迅の活躍をしたってのは俺にもわかる。
でも、でもだ。彼、一年前に軍に入ったばっかりだぜ?英雄とかいうクソでけえ肩書持たせるにはちょっと重荷にしかなり得ねえ。英雄である前に、アイツはきっと一人の人間で、一人の軍人で、そのくせ一人の新兵なのさ。皆忘れてるけどな」
「…」
「アイツは張り詰めた釣り糸と同じなのさ。自然に切れるか、自分で切るか―――どっちかは俺にもアンタらにもわからんが、リール引っ張ってんのはアンタらのほうだろう?現状こうやって時々緩めに来てくれるが、いつ切れたもんかわかったもんじゃねえ。アンタらは精一杯、切れないで居させてあげな」
「…わかりました。では俺もそろそろ、お会計を…」
「そうだな。良い子はもう帰る時間だ」
マスターは注文票を軽く振り、そこに書かれている値を読み上げた―――少し高いような気もするが、青年の飲んだオレンジジュースの量を考えればまあ納得もできる―――青年は懐からコインを取り出し、カウンターの上に置く。
「……はい、ちょうど。んあ、兄ちゃん。名前は?」
「…名前、ですか?」
「うん、名前。うち常連になりそうな客の名前はメモしてるんだよ」
「なるほど。―――アレフです。アレフ・ヴァルキス」
「しっかりメモしたぜ。じゃ、いい夜を」
「ありがとうございます」
扉を開け、また一人が出ていく。ころんとドアベルが音を鳴らしたのに少々驚いたのか、はたまた忘れ物がないか確認したのか―――青年は若干振り返りつつも店内を出た。
「二年か。早いねえ」
コーヒーをすすりながら、マスターは独り言ちる。
喧噪に包まれた店内で、その声は誰に聞かれることもなく店内の木に溶けていった。
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