“コーヒー”
凪さんはそう言って僕の隣に座った。
“ありがとうございます…。コーヒーお上手ですね”
彼女がいれたコーヒーを飲んだことはなかった。ほとんど水かお茶だったし、彼女もそれが好きだった。だからコーヒーの入れ方は稽古場などで教わったのだろう。
“恭君”
名前を呼ばれ振り向く。
“敬語じゃなくて…良いんだよ”
なんだか昔の凪さんに戻った気がした。
“えっ…”
“そっちの方が緊張しない”
あぁ。初めてここに来たときも言われた気がする。
“……………………………。いい加減言ってよ。気づいているか、気づいていないか”
凪さんは下を向いた。
“この間、舞台に出るって聞いて、舞い上がるほど嬉しかった！そしてこんな間近で再会できて……幸せだよ……”
僕は涙がこみ上げてきてしまった。凪さんは言う。
“……………、何のこと？再会？……嬉しい、幸せ？”
とぼけたように、そう言った。
“そうだよ。凪さんは…あの時ずっと一緒にいるって言ってくれた！僕と一緒にいてくれるって！…………、そして、あの時僕は凪さんに……！”
口づけをした。
“今日、あなたに口づけをされた。あなたと口づけした記憶は…………今日しかない……”
凪さんはまだ下を向いている。
“なんで……忘れたふりをするの”
問いかけると凪さんも泣き出した。
“………ッ！だって……母親としてあのままだったらあなたが自立できなくなってしまう…！…………………、それを分かっているのに……私はあなたに……ッ！”
近づきたくてたまらなかったと僕と目を合わせる。僕は黙って聞いていた。
“あなたへの想いは収まらなかった…………。だからね……お願いしたの。私を……遠くへやって、演技の稽古をさせてくださいって……。あなたのお父さんに。………。お父さんが亡くなってから私は売れてきた………。そして……あなたの行方も分からなくなってから……。”
僕は凪さんを抱き抱えた。
“凪さん。もう一度約束してよ！…僕とッ……ずっと一緒だって……！”
この瞬間も奏が頭によぎったのを疑問に思う。でもそれと同時に確信したんだ。
奏は……応援してやりたい……。頑張り屋さんで熱いところに……目を惹かれ恋人としてみていたのではなく、自分の劇団の女優のように見ていたことにーー。