生きる意味
あなたはなんのために生きていますか。いろんな理由があると思います。ですが、それらに共通することは、「幸せ」を感じることだと思います。僕は時々生きる意味を考えることがあります。結局、死んだら何も感じないわけですよね。なら、生前していたことも無になるんじゃないですか?だったらなぜ生きるんですか?そもそも、人生自体も楽しいものなのですか?僕は「不幸は幸せの土台」という話を聞いたことがありますが、僕はそうではなく、「幸せは不幸の土台」だと思います。(決して前者の考えを否定する訳でなく、考え方はたくさんあっていいと思います。)僕達の今の状況は奇跡であると言っても良いくらい恵まれています。おそらく、みなさんも当たり前のようにご飯を食べ、当たり前のように服を着ているでしょう。ですが、それらは本来「当たり前」ではないですよね。あなたがいきなり地球に一人になったら生きていけますか。その地球さえも存在自体奇跡ですよね。僕達が「当たり前」に感じていることは、本来とてつもない「幸せ」なのです。つまり、非日常的な幸福は幸せに感じているかもしれませんが、本来感じれるはずの幸せを感じれていないのです。一方、そんな当たり前が悪い方に傾く時が「不幸」です。これが、「幸せは不幸の土台」ですかね。不幸は、当たり前のハードルが高い故にとても敏感に感じると思います。つまり、人生においてほとんどの人は幸せより不幸の方が多く感じているのです。話が長くなりましたが、以上の理由から、人生はあまり楽しくないと思います。
では、本題です。なぜ人は生きるのでしょうか。人生は不幸に感じることが多いならさっさと死んだらいいじゃないですか。つまり、「自殺」です。ですが、そんな救済と思える「自殺」にも欠点があり、自殺するには同時に苦しみも感じなければならないことです。どんな手段をとるにしろ、自殺には苦しみが伴います。これは、自殺する上での「代償」なのです。この「代償」を恐れて自殺をためらう人も多いかと思います。なので、死ねずに毎日を送っているのです。「老衰」という、楽とされる死に方を求めて。
僕が出した生きる意味は、自殺の代償を恐れるから、あまり楽しくないような人生を送ることだと思います。代償を一気に受けたくないから少しずつ苦しむのですね。
では、本題です。なぜ人は生きるのでしょうか。人生は不幸に感じることが多いならさっさと死んだらいいじゃないですか。つまり、「自殺」です。ですが、そんな救済と思える「自殺」にも欠点があり、自殺するには同時に苦しみも感じなければならないことです。どんな手段をとるにしろ、自殺には苦しみが伴います。これは、自殺する上での「代償」なのです。この「代償」を恐れて自殺をためらう人も多いかと思います。なので、死ねずに毎日を送っているのです。「老衰」という、楽とされる死に方を求めて。
僕が出した生きる意味は、自殺の代償を恐れるから、あまり楽しくないような人生を送ることだと思います。代償を一気に受けたくないから少しずつ苦しむのですね。
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