燃揺る魂、その刃に乗せて
最初は抵抗があった。
「ひぃ!こっ…ころさないで…!」
尻もちをついて後ずさる、植物族の一人。さっきまで威勢良く振っていた剣は無残な姿で地面に転がり、一目で戦う意思がないとわかる。
剣を天へと掲げる。彼ら頼みの綱の太陽は雲に隠れ、もう逃げる場所もない…俺の、勝ちだ。
植物族は再生力が強い。――しかし、それは高位なものに限った話であり、数多く存在する雑兵であればあるほど、その能力は弱くなっていく。…特に、こんな前線に駆り出されるような雑魚なら猶更。
目の前の彼に至っては、日の元に立とうともただの小さな切り傷一つ治せないぐらいに貧弱だった。
俺は、剣を降り下ろせないでいた。
仲間が、傷つけられたというのに。家族は、魔族に殺されたというのに。人間の育む命の価値を測る授業は、良くも悪くも俺に一定の効果を見せていた。内に抱いた憎しみすらも、搔き消してしまうほどに――
いや、と己の中の[漢字]悪魔[/漢字][ふりがな]てんし[/ふりがな]が口を開く。
コイツは、一人殺しただろう?二人に一生モノの傷を負わせただろう?と。おまえが一人殺したのなら、たとえその代わりにおまえの命を奪っても、文句は言えないよなあ。寧ろ軽いくらいだろう――?と。
俺たちがここまでの犠牲を払って倒したように、もし魔族の異能が全て無くなったとしても、人間が一対一で正面から勝つことは難しい。具体的には、人間族六人で魔族一人を相手取れると言われている。
その強固な体による防御は鋼の剣を弾き、強靭な腕から来る膂力は柔い人間の体をいともたやすく打ち砕く。だから物量で押し込む、或いは作戦を立てて[漢字]ハメる[/漢字][ふりがな]・・・[/ふりがな]。そうして人族は魔族に打ち勝ってきた。これまでも、そしておそらくこれからも――当時はそう思ったものである。
であるからこそ、魔族を一人でも打ち倒せるこのチャンス、逃すわけにはいかない。
しかし、手は動かない。少年然としたその声は、今なお命乞いの声を上げている。
――殺せ。
一歩、その足を進める。魔族は後ろに下がろうとするが、しかし壁に阻まれて動くことはできない。
―――殺せ。
「ひぃッ」
幻視する。自分もいつか、[漢字]こうなるのか[/漢字][ふりがな]・・・・・・[/ふりがな]と。
掲げた剣が、少し震える。
―――――殺せ!
刹那、手の中の剣が閃いて――敵の喉を掻き切った。勢いあまって地面に刺さった剣を握る手は、ふるふると小さく震えている――突如として口に広がる酸っぱい味。耐え切れず地面にぶちまけて、俺は地面に膝をついた。
俺は、自我ある生物を殺したのだ――もしかしたら、自分と仲良くなれていたかもしれない、その命を。
「げォ――ごぼっ…」
俺が生き残るには殺すしかない。
誰が仇だとか、高尚なことを考えている思考のスペースはない。そんなことをしていれば、俺がコイツみたいに真っ二つになってしまう。
カチリと何かがハマった音がした。俺はその時気が付いたのだ。魔族狩りに己を持ち込んじゃいけない。俺を殺せ、憎しみも怒りも無くしたほうが[漢字]都合がいい[/漢字][ふりがな]・・・・・[/ふりがな]、と。
そこからは早かった。一つ、また一つと魔族の武装集団を打ち破り、いつしか俺は年を重ねていた。かつてともに戦場を駆けた仲間は次々と死に、俺はたくさんの人とチームを組んだ。殆どが三か月と持たなかったけれど。
たった一人で魔族を打ち倒す術も手に入れた。気とか延閃とか、気付けば使えるようになっていたものだ――伝承にも度々出てくる『加護』の一つだとかなんとか言って、当時色々と騒がれたものだ。
どうせそんなもの渡すなら、ずっと前にくれりゃよかったのにな。俺は、もっともっと殺しを重ねた。
そして遂に、魔王もこの手で打ち滅ぼした。共に魔王を打ち滅ぼした戦友は、何時しか救世の英傑だのと仰々しい名前で呼ばれるようになっていた。
『白亜』、フィルゴール。
『蒼海』、エヴァレスタ。
『藤黄』、テレスト。
そして『黒緋』、ジード。
俺達はみんな、死んでいた。余さず残さず魔族を打ち滅ぼす機械として、ただそこに存在し続けていただけだった。
俺達はみんな、虚ろだった。英雄と幾ら持て囃されても、王に謁見しても、相当な地位と名誉を賜った時だって、俺たちはずっと虜囚だった。ずっと、戦場に心を捕らわれた囚人だった。
―――――
「理解できないな」
「何?」
だからこそ、その一言は見過ごせない。何が理解できないんだ。
怒りで殺されるのがそんなに不服か?いいだろ。…まあ、そうか。自分も相手も自我を持った存在だと認知するのはツライよな。わかるよ。
「貴様が言ったのだろう。罪なき人を殺すから、我らは悪なのだと。――貴様らも、同じことをしていただろう?」
「…は?」
「忘れたか?十一年と二ヶ月と五日前――滅ぼしただろう、鬼の村を」
「鬼の…村…鬼がうじゃうじゃいる洞窟とか、島なら思い出せるんだがな。村となっちゃわからん」
俺がイヤミに言葉を紡ごうが、鬼は振り上げた剣を下す気配はない。小さく、震えている。
「貴様が殺したのだ。滅ぼしたのだ。貴様の言う、罪なき命を――!」
「あ?だいいち魔族は全員罪だらけみたいなモンだろ。つーか仮に罪がなかったとしても、虐殺しに攻めてきていい理由にはならねえ」
「[漢字]帰ってきているぞ!全て[/漢字][ふりがな]・・・・・・・・ ・・[/ふりがな]ッ!」
「は?」
「己は鬼、貴様に滅ぼされた村の生き残り!平穏を無くし、家族を失ったただ一人の生き残り!貴様の言ったことは全て、犯してきた罪の告白に過ぎない――虐殺したのだ!仲間を!この右目の傷は――貴様に傷つけられた証明に他ならない!」
鬼が、錆び切った金色の兜を外して適当にぶん投げた。相当な高級品のはずだが、音を立てて転がっても気にする様子は全くない。
地獄の炎を思わせる黒と赤を半分で割ったような色の肌。浮かんだ窪みと盛り上がりから、相当な筋肉があることがうかがえる。然し、気にするべきはそこではない。その、両目だ。
閉じた右目に一本の白い傷が入っている。幼少期に深い傷を受けたのだろう――見かけ上ほぼ治りきっているが、その右目は恐らく失われている。
対称的に左目はかっと開き、奥には揺らめく炎が見えるかのようだ。――怒りの、炎が。かつての、俺の目が。
ああ、そうか――お前もか。良かったな、十年前が最盛期とかじゃなくて。お前はまだ自分を殺さずに済んでる。羨ましいよ。
「…そんな目を向けるな…」
「向けるんじゃない…!」
「[漢字]己[/漢字][ふりがな]おれ[/ふりがな]は!お前のような!機械ではないッ――――!」
とうとう、剣が振り下ろされた。
「ひぃ!こっ…ころさないで…!」
尻もちをついて後ずさる、植物族の一人。さっきまで威勢良く振っていた剣は無残な姿で地面に転がり、一目で戦う意思がないとわかる。
剣を天へと掲げる。彼ら頼みの綱の太陽は雲に隠れ、もう逃げる場所もない…俺の、勝ちだ。
植物族は再生力が強い。――しかし、それは高位なものに限った話であり、数多く存在する雑兵であればあるほど、その能力は弱くなっていく。…特に、こんな前線に駆り出されるような雑魚なら猶更。
目の前の彼に至っては、日の元に立とうともただの小さな切り傷一つ治せないぐらいに貧弱だった。
俺は、剣を降り下ろせないでいた。
仲間が、傷つけられたというのに。家族は、魔族に殺されたというのに。人間の育む命の価値を測る授業は、良くも悪くも俺に一定の効果を見せていた。内に抱いた憎しみすらも、搔き消してしまうほどに――
いや、と己の中の[漢字]悪魔[/漢字][ふりがな]てんし[/ふりがな]が口を開く。
コイツは、一人殺しただろう?二人に一生モノの傷を負わせただろう?と。おまえが一人殺したのなら、たとえその代わりにおまえの命を奪っても、文句は言えないよなあ。寧ろ軽いくらいだろう――?と。
俺たちがここまでの犠牲を払って倒したように、もし魔族の異能が全て無くなったとしても、人間が一対一で正面から勝つことは難しい。具体的には、人間族六人で魔族一人を相手取れると言われている。
その強固な体による防御は鋼の剣を弾き、強靭な腕から来る膂力は柔い人間の体をいともたやすく打ち砕く。だから物量で押し込む、或いは作戦を立てて[漢字]ハメる[/漢字][ふりがな]・・・[/ふりがな]。そうして人族は魔族に打ち勝ってきた。これまでも、そしておそらくこれからも――当時はそう思ったものである。
であるからこそ、魔族を一人でも打ち倒せるこのチャンス、逃すわけにはいかない。
しかし、手は動かない。少年然としたその声は、今なお命乞いの声を上げている。
――殺せ。
一歩、その足を進める。魔族は後ろに下がろうとするが、しかし壁に阻まれて動くことはできない。
―――殺せ。
「ひぃッ」
幻視する。自分もいつか、[漢字]こうなるのか[/漢字][ふりがな]・・・・・・[/ふりがな]と。
掲げた剣が、少し震える。
―――――殺せ!
刹那、手の中の剣が閃いて――敵の喉を掻き切った。勢いあまって地面に刺さった剣を握る手は、ふるふると小さく震えている――突如として口に広がる酸っぱい味。耐え切れず地面にぶちまけて、俺は地面に膝をついた。
俺は、自我ある生物を殺したのだ――もしかしたら、自分と仲良くなれていたかもしれない、その命を。
「げォ――ごぼっ…」
俺が生き残るには殺すしかない。
誰が仇だとか、高尚なことを考えている思考のスペースはない。そんなことをしていれば、俺がコイツみたいに真っ二つになってしまう。
カチリと何かがハマった音がした。俺はその時気が付いたのだ。魔族狩りに己を持ち込んじゃいけない。俺を殺せ、憎しみも怒りも無くしたほうが[漢字]都合がいい[/漢字][ふりがな]・・・・・[/ふりがな]、と。
そこからは早かった。一つ、また一つと魔族の武装集団を打ち破り、いつしか俺は年を重ねていた。かつてともに戦場を駆けた仲間は次々と死に、俺はたくさんの人とチームを組んだ。殆どが三か月と持たなかったけれど。
たった一人で魔族を打ち倒す術も手に入れた。気とか延閃とか、気付けば使えるようになっていたものだ――伝承にも度々出てくる『加護』の一つだとかなんとか言って、当時色々と騒がれたものだ。
どうせそんなもの渡すなら、ずっと前にくれりゃよかったのにな。俺は、もっともっと殺しを重ねた。
そして遂に、魔王もこの手で打ち滅ぼした。共に魔王を打ち滅ぼした戦友は、何時しか救世の英傑だのと仰々しい名前で呼ばれるようになっていた。
『白亜』、フィルゴール。
『蒼海』、エヴァレスタ。
『藤黄』、テレスト。
そして『黒緋』、ジード。
俺達はみんな、死んでいた。余さず残さず魔族を打ち滅ぼす機械として、ただそこに存在し続けていただけだった。
俺達はみんな、虚ろだった。英雄と幾ら持て囃されても、王に謁見しても、相当な地位と名誉を賜った時だって、俺たちはずっと虜囚だった。ずっと、戦場に心を捕らわれた囚人だった。
―――――
「理解できないな」
「何?」
だからこそ、その一言は見過ごせない。何が理解できないんだ。
怒りで殺されるのがそんなに不服か?いいだろ。…まあ、そうか。自分も相手も自我を持った存在だと認知するのはツライよな。わかるよ。
「貴様が言ったのだろう。罪なき人を殺すから、我らは悪なのだと。――貴様らも、同じことをしていただろう?」
「…は?」
「忘れたか?十一年と二ヶ月と五日前――滅ぼしただろう、鬼の村を」
「鬼の…村…鬼がうじゃうじゃいる洞窟とか、島なら思い出せるんだがな。村となっちゃわからん」
俺がイヤミに言葉を紡ごうが、鬼は振り上げた剣を下す気配はない。小さく、震えている。
「貴様が殺したのだ。滅ぼしたのだ。貴様の言う、罪なき命を――!」
「あ?だいいち魔族は全員罪だらけみたいなモンだろ。つーか仮に罪がなかったとしても、虐殺しに攻めてきていい理由にはならねえ」
「[漢字]帰ってきているぞ!全て[/漢字][ふりがな]・・・・・・・・ ・・[/ふりがな]ッ!」
「は?」
「己は鬼、貴様に滅ぼされた村の生き残り!平穏を無くし、家族を失ったただ一人の生き残り!貴様の言ったことは全て、犯してきた罪の告白に過ぎない――虐殺したのだ!仲間を!この右目の傷は――貴様に傷つけられた証明に他ならない!」
鬼が、錆び切った金色の兜を外して適当にぶん投げた。相当な高級品のはずだが、音を立てて転がっても気にする様子は全くない。
地獄の炎を思わせる黒と赤を半分で割ったような色の肌。浮かんだ窪みと盛り上がりから、相当な筋肉があることがうかがえる。然し、気にするべきはそこではない。その、両目だ。
閉じた右目に一本の白い傷が入っている。幼少期に深い傷を受けたのだろう――見かけ上ほぼ治りきっているが、その右目は恐らく失われている。
対称的に左目はかっと開き、奥には揺らめく炎が見えるかのようだ。――怒りの、炎が。かつての、俺の目が。
ああ、そうか――お前もか。良かったな、十年前が最盛期とかじゃなくて。お前はまだ自分を殺さずに済んでる。羨ましいよ。
「…そんな目を向けるな…」
「向けるんじゃない…!」
「[漢字]己[/漢字][ふりがな]おれ[/ふりがな]は!お前のような!機械ではないッ――――!」
とうとう、剣が振り下ろされた。
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