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触れて、滲む

#1


それは、ただの塵だった。
目に見えない。風に紛れ、呼吸とともに肺へ、血へ、あるいは思考の深部へと入り込むような——。

隕石は、夜中に落ちた。誰も気づかなかった。ただ気象庁の観測衛星が、大気圏突入時の熱異常を0.3秒だけ捉えたにすぎない。

佐倉遼はその夜、山中の研究小屋で一人だった。かつて東京大学で意識哲学を教えていたが、ある出来事を機にすべてを投げ出し、山へ移り住んだ。
——それは十年前、妻が自死した冬だった。彼女は遺書にこう書いた。

「あなたの言う“私”は、本当に私だったの? 私には、もうわからなかった。」

それから佐倉は、問いを探していた。
意識とは何か? 他者とは? 自分とは?
翌朝、彼は何かに「目覚めた」。
目覚めた、というよりも「目覚めさせられた」感覚だった。

室内の空気はいつもより重く、光は濁り、物音の輪郭が曖昧だった。
だが、それよりも——思考の中に、自分ではない思考が混ざっていた。

「どうして、こんなに寒いの?」
「……私の名前は、なんだった?」

それは声ではなかった。言語でもない。
だが佐倉の中に、確かに「誰か」がいた。

彼は恐怖とともに、好奇心に駆られた。
記録を取り始め、日々の感覚をノートに記した。
やがて彼は、ただの幻覚ではないことを確信する。
声は複数に分かれ、時に議論を始め、時に沈黙し、時に泣いた。
7日目、彼はふと立ち上がり、外に出た。
谷に下りると、村の郵便局に若い女性職員が一人、窓口に座っていた。

「こんにちは」
彼女が言うと、佐倉の中の“声”がざわついた。

「ああ、この声、懐かしい……」
「この人、昔、母だったことがある」
「いや、まだ会ってないはずだ」

佐倉は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
彼女の中にも、“それ”がいる——いや、彼女自身が“それ”であるのかもしれない。
隕石の成分を分析したところ、未知のナノ構造体を含んでいた。
明らかに「情報処理機能」を備えている。しかも、分子レベルで拡散する。

佐倉は一つの仮説に辿り着いた。

極小の隕石は、宇宙的な知性の断片だった。
それは「観測可能な知性」ではない。むしろ、人間の意識に「潜る」ことで接触する。

意識と意識は融合する。
彼の中の“私”は、すでに彼のものではない。
そしてそのことに、彼は次第に安らぎを感じていた。
数日後、再び彼は郵便局を訪れる。
女性が目を細めて微笑んだ。

「最近、変な夢を見るんです。
 私の中に知らない男の人がいて……山に住んでるらしいの。
 よくわからないけど、すごく悲しそうで、でも……あたたかい。」

佐倉は言った。

「その人は、きっともう、ひとりじゃない。」

彼女は言った。

「……それって、怖くないんですか?」

佐倉はしばらく考えたあと、笑った。

「怖いよ。でもね、
 “私”が“私”じゃなくなった瞬間、
 はじめて“あなた”がわかった気がした。」
佐倉は山に戻り、日記を燃やした。
問いはもう不要だった。

夜、満天の星を見上げながら、彼は自問した。

「意識は個か、つながりか?」

答えは出なかった。
それでも、ひとつだけ確かだったのは——

“私”は、もうひとりではないという感覚だった。

それは終わりか始まりか。
孤独か救済か。
それは、読む者の中にある。

2025/05/31 22:37

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