我ら、政府直属特殊部隊「メカクレ団」!
#1
Prologue/ACT.0 白いイヤホンを耳にあて
此処は人間界の極東にある小さな島国の首都、トーキョーシティ。
首都というだけの事はあり、連日連夜酷い人だかりを巻き起こすそこだが、その人混みから少し外れたビルとビルの隙間に、人目を盗むようにこっそりと建つ家があった。
周囲のビルのせいで小さく見えるが、実際には十人は余裕で暮らせるような大きな家だ。
それでも、なぜか存在感の薄いその家に目を留める人は居ない。
しかし、入り口の表札には明朝体で“音切荘”と書いてある事から、個人の家ではない事が分かる。
さらに、周りにあるビルの壁と同化していない目新しさから、比較的新しい建物であろうという事も推察できるだろう。
事実、そこは学生ばかりが住む築五年程のシェアハウス。
賑わいからは程遠い場所だが…
どこか秘密基地らしさのある、不思議な雰囲気を纏っている。
そして今、実際にその家の居間に居るのは、長い前髪で眼帯ごと左目を覆った、茜色の髪の少女だ。
彼女の名は“夕月 シエル”。女性にしてはなかなかに高い身長を、濃い紫のパーカーに首元のゆるい赤のTシャツ、深緑の五分丈のズボンといった、少々着こなすのが難しそうな服装で全身を包んでいる。デザインこそ違うものの何時か何処かで見た事があるような気がする、そんな不思議なカラーリングだ。
そして今彼女は、小さくため息を吐きながらも何らかの…いや、何処かの誰かについて詳細に書かれた書類と向き合っている。
机の上に載っているのは“奇譚楽瀬 贋”。苗字は“きたらせ”、下の名は“がん”、と読むらしい。
少しばかり読みにくい名前が書かれたその紙には、左目にガーゼを貼って猫耳のような装飾のついた黒い帽子を被り、真っ黒いハイネックの上から白い半袖のパーカーを着込んだ、一時停止の標識のような鮮烈な赤の髪の少女の写真が添付されている。
身長や体重、果ては固有魔法など、明らかにかなり詳細な個人情報の書かれた書類だ。
もし、単なるシェアハウスの入居者の資料として保管されているとするのならば物々しすぎる。
もっと言えば、明らかに民間の場所にあっても問題が無いような類の書類ではない。
そう、あたかも政府関連の書類のような…
そんな、重厚な雰囲気だ。
シエルはその個人情報の塊を前にして、数秒ほどペンを片手に考え込んでいたが、全く動きがない。ペンを持った右手どころか、顔の表情すらも動かさないので、そこだけしばし時が止まったようにも感じられる。
それでいて、呆れるような落胆したような、それでいてどこか哀しげな雰囲気だけが漂っている。重たい空気を打ち払うように、少女は静かに席を立って伸びをした。
相も変わらず無表情のまま窓を開けると、夕暮れの風がごうごうと吹いている。黒いグラデーションの掛かったボサボサと伸びた蓬髪が一瞬だけ、激しく彼女自身の足を掠めた。
数秒前まで耳に差し込んでいた、僅かに軽いロック調のサウンドが漏れる白いイヤホンを、首に掛けようとして少しだけ手を止める。
既に、首には古ぼけた白いヘッドホンが掛かっていたからだ。
そのヘッドホンを優しい手つきで静かに外して、そっと静かに机に置く。
そのまま手元のスマートフォンをいじってイヤホンから流れる音楽を止めると、キッチンの方向に消えていった。
冷蔵庫を開けるガチャリとした音が、静謐な家の中でやけに大きく響く。
ゴソゴソと中を漁る音を数十秒続けて彼女が戻ってきた時には、幾つかの納豆のパックと、一杯のコーヒーを手に持っていた。
そのまま元の席に着くと、合間合間でコーヒーを飲みながらも、ただもしゃもしゃと無言で納豆の咀嚼を続ける。
ふと横を見ると、燦々と西陽が差し込んでいた。
シエルはそれを綺麗だとも、はたまた眩しいとも言わず、ただ狼のような深緑の目を軽く細めて、静かに静かに、茜色とオレンジ色と紺色の滲んだ、薄紫の境界線を眺めている。
先程外した白いイヤホンをもう一度耳にあて、今度はジャズ音楽を流す。表情は動かさないまま、それでいてどこか満足そうに頷いて、再び書類に向き合った。
その直後にカタカタと、階段を降りてくる音がする。
「やっほー。団長ってば、元気してる?」
後ろから聞こえた声にシエルが思わず振り向くと、ガチャリと音を立てて木製の扉を閉めている、先程の書類の少女…贋が立っていた。
顔の右半分に残る痛々しいケロイドの跡、それに見合わないような明るい、それでいてどこかタガの外れたような表情。シエルと同じく黒のグラデーションが掛かってこそいるが、髪質は完全に真逆のストレートヘアー。
その長い髪を靡かせて、カツカツと一直線に机に向かってくる。
「ちょいちょいー。何してんの、だーんちょ?」
「…なんだ、贋か。」
なんだって何さ、とヘラヘラ笑いながらも、ガーゼを貼っていない右目の眼光は鋭く、机の上の書類を眺めている。その後シエルの右手のペンに視線をずらし、机の上のヘッドホンに目をやって、最後に納得したように頷いた。
「あ、分かっちゃったー。僕が入った時の事思い出してたんでしょ?」
「…違う。」
「あはは、隠すの下手すぎぃ。」
団長は無口だけど逆に分かりやすいねぇ、などと言いながらケラケラと笑う贋。
しかしその数秒後、机の上に乗ったコーヒーと、空いた納豆のパックを見て、その表情を軽く引き攣らせて固まった。どうやら、贋の表情筋は家出してしまったらしい。
「えぇ…食べ合わせ最悪なんだけど絶対。」
「そうか?悪くないぞ。」
思わず溢れたその独り言に、あくまでも淡々と、さも当たり前のようにシエルは返答する。
それを聞いてまた一瞬だけ顔をしかめたが、今度は素早く表情筋が復活し、いつものヘラヘラとした笑顔を形作る。
「んな馬鹿な…僕だって、もーちょいマシな嘘つくよ?」
「ほう、例えば?」
「いや例えばって言われると困るけどー…」
そう言うと一度、考え込むように言葉を切って目を閉じる。
再び彼女が目を開くと、スッと空気が鋭敏になった。それはまるで、よく澄んだ真冬の川の水のようで、シエルも思わず身構える程だ。
「新しい任務があるよ、とか?」
一瞥。
「なるほどな。」
その雰囲気も含めて嘘か、と、一人合点が言ったかのようにシエルは呟く。
「そんなところー。」
ヘラリ、と表情を崩して笑う贋。どこか掴みどころの無い不思議な雰囲気を纏ったまま、極めて自然にシエルのコーヒーを強奪する。
「何だ、お前コーヒーが好きだったのか。言えば準備してやったものを。」
「えぇ、そんなことないよ?ちょっと飲んでみたくなっただけー。」
「そうか。どうだった?」
「あんま美味しくないねー。」
そうか、と表情を変えずに言うシエル。一方の贋は、今度は一緒に甘いの飲まない?とにこにこ笑っている。極めて対照的な二人だが、なぜか互いに気は合うらしい。
うんうんとお互い頷き合っていると、呆れたような声が吹き抜けの天井から響く。
「いやいや待てっての。突っ込めよ。コーヒー飲まれてんぞ。」
「あぁレイくん、君居たの。降りてきたらー?」
そう贋が言うと、上から白髪がのぞく。それと共に、どこか呆れたような声が続いた。
「…あのなぁ贋。俺の名前は“[漢字]桜玉[/漢字][ふりがな]おうぎょく[/ふりがな] [漢字]楽海[/漢字][ふりがな]らゔ[/ふりがな]”だっつの。何回言ったら分かんだよ。」
「だって君、幽霊でしょ?じゃあ幽霊のレイくんだってば。あ、ユウくんの方が良かった?」
「…その変なあだ名をやめろって言ってんだよなぁ……」
あと俺は半人半霊であって幽霊じゃねぇ、そう言うと同時に、白髪の少年…楽海は、音も無くリビングに降りて来た。全体的に薄らと半透明で、血のように赤い瞳に真っ白な出立ち。その中で黒眼鏡だけが、目を覆って鈍く光っている。
楽海は、尚も不満げに言い募る。
「大体お前なぁ、いつもいつも適当な事ばっか言いやがって。任務があんのは事実だろうが。」
「…なんと。見事に騙されたな。」
端末を確認すると、本当に任務のメールが届いている事に珍しく驚嘆を覗かせるシエル。
完璧に引っかかったねー、と楽しげにVサインを送りながらも、贋は口を開く。
「てか、そっから聞いてたんだ。そこまで聞いて何してたの逆に。」
「任務で使うナイフ研いでたんだよ…って、それは良いだろ。」
きらりと白熱灯を浴びて光るそれを翳し、それよりも、と尚も小言を続けようとする。
しかし、その直前。一瞬考え込むような素振りを見せていたシエルが、唐突に口を開いた。
「つまり…楽海は、任務よりもナイフが大事だったのか。」
「そんな、酷ーい。一般人が死にそうなのなんてどうでもいいんだー?」
けらけらと笑いながら贋が茶化す。思わず「は?」と楽海が聞き返すが構わず「だが、研ぐのに熱中してしまうのは良く分かるぞ。」とシエルは頷いている。あー、とも、うー、ともつかない呻き声をあげ、楽海は頭を掻きむしり声をあげる。
「分かるな!単なる仕事道具の手入れだ!!あとお前のそれはまた別種の何かだ絶対に!!!」
「団長と呼べ。」
「いやそこじゃねぇだろ!おい贋、お前もなんか言え!!」
キッと顔を上げて睨まれてもいなすようにけらけらと笑う贋、一切構わず至極まともな顔で頷くシエル、呆れながらもキレキレのツッコミを入れる楽海…
わいわいがやがやと騒ぐ彼らの声は、ともすれば外まで響き渡りそうな、見事なまでの三重奏だ。
しかもたった今、その声は更に追加されようとしている。
廊下側のドアがぎぃと小さく軋み、新たな団員の訪れを告げた。
「さっきからなんかうるさいねぇ…一体なんの騒ぎだよ……」
「なんだ、“楔”か。ったく…お前はお前で寝すぎなんだよ。」
「楽海が早起きすぎなんでしょ、昨日も深夜徘徊してたくせにさぁ。」
現れた内の一方…楔と呼ばれていたのは、背の高い少女だ。
ふわぁとあくびを一つして、三人を軽く睨む彼女の名は“[漢字]黒妖[/漢字][ふりがな]こくよう[/ふりがな] [漢字]楔[/漢字][ふりがな]くさび[/ふりがな]”。黒のセーターに茶色のワイドパンツといった、少年と言われても違和感のない出立ちだ。
ショートカットの赤髪から覗く萌葱色の目は、口よりもよほど雄弁に「眠い」と語っている。
「まぁまぁ、二人ともそう言わずに。ここなら、大きな声出してても、人目を引いちゃう事はないだろうし…」
「あはは、“きさらぎちゃん”てば真面目さーん。」
そしてもう一方は楔とは対照的な、オレンジ色の髪から少し尖った耳が覗く、とてもかわいらしい女性。
彼女の名は“[漢字]國時[/漢字][ふりがな]くにとき[/ふりがな] きさらぎ”。この団における数少ない成人で、職業はなんとアイドルだ。
実際に、普段からにこにこと浮かべている笑顔はまさしく「アイドルスマイル」という表現が相応しい、目を奪われるような輝きである。
最も、今はその笑顔の面影もなく、何かと喧嘩しがちな楽海と楔の二人を困り眉で宥めているのだが。
「ああ、良いところに来たな。今ここにいる全員、ちょうど揃ったわけだ。」
そんな三人を横目で見ながら、シエルは声を張り上げ呼び掛ける。
「総員、新たな任務だ!」
任務開始の、号令を。
その途端、余韻だけを残してぴたりと喧騒が収まった。
例えるならそれは、張り詰め切ったギターの弦が、Aメロとサビのわずかな間隙に次の音が弾かれるのを待っているような、そんな静寂。
「各自支給端末の情報を確認、その後は準備に取り掛かれ!」
そしてその言葉を合図に今再び、彼らの音楽は再開される。
「やっとか。ったく、俺が気づいてからもう十分以上は経ってるぞ。」
「まぁまぁ。あ、私は車の準備してくるからね。帽子とサングラスも忘れないようにしなくっちゃ。」
非常に騒がしく、それでいて優美な、彼らだけの和音を。
「んじゃ、僕は念のため武器取りに行こっと。楔も来るでしょー?」
「まぁ、せっかく起きたし。それに、学校とか行くよりはよっぽど楽しそうだしねぇ。」
そう、彼らはただの学生に非ず。
それどころか、人間ですらない者もいる。
彼らの名は「メカクレ団」。彼らの目的はただ一つ、この世界における魔法、魔術…その他ありとあらゆる神秘の隠匿だ。
政府の命によって設立され、人間界にて人知れず蔓延る悪を挫くために集まった[漢字]ヒーロー[/漢字][ふりがな]英雄症候群[/ふりがな]達……それこそが、彼らの正体。
「それでは…今回も、ヤツらの目を眩ませてやるとしよう。」
無表情のまま、それでもどこかドヤ顔に見えない事もないような調子で言うシエル。
「相変わらず微妙に締まらない合言葉だけど…まぁいっか。」
「なんか、やっぱコイツズレてるんだよなぁ……」
彼らは音切荘を去る。跡にはただ、贋と楽海のため息だけを残して。
プロローグは終演だ。幕は上がって、演者達は動き出した。
是より始まるのは、茹だるような夏の物語。
繰る狂廻る狂躁劇?
ただ空廻る乱痴気騒ぎ?
何にせよ、彼らがどんな結末を迎えるのか……それはきっと、[漢字]陽炎[/漢字][ふりがな]カゲロウ[/ふりがな]だけが知っている。
首都というだけの事はあり、連日連夜酷い人だかりを巻き起こすそこだが、その人混みから少し外れたビルとビルの隙間に、人目を盗むようにこっそりと建つ家があった。
周囲のビルのせいで小さく見えるが、実際には十人は余裕で暮らせるような大きな家だ。
それでも、なぜか存在感の薄いその家に目を留める人は居ない。
しかし、入り口の表札には明朝体で“音切荘”と書いてある事から、個人の家ではない事が分かる。
さらに、周りにあるビルの壁と同化していない目新しさから、比較的新しい建物であろうという事も推察できるだろう。
事実、そこは学生ばかりが住む築五年程のシェアハウス。
賑わいからは程遠い場所だが…
どこか秘密基地らしさのある、不思議な雰囲気を纏っている。
そして今、実際にその家の居間に居るのは、長い前髪で眼帯ごと左目を覆った、茜色の髪の少女だ。
彼女の名は“夕月 シエル”。女性にしてはなかなかに高い身長を、濃い紫のパーカーに首元のゆるい赤のTシャツ、深緑の五分丈のズボンといった、少々着こなすのが難しそうな服装で全身を包んでいる。デザインこそ違うものの何時か何処かで見た事があるような気がする、そんな不思議なカラーリングだ。
そして今彼女は、小さくため息を吐きながらも何らかの…いや、何処かの誰かについて詳細に書かれた書類と向き合っている。
机の上に載っているのは“奇譚楽瀬 贋”。苗字は“きたらせ”、下の名は“がん”、と読むらしい。
少しばかり読みにくい名前が書かれたその紙には、左目にガーゼを貼って猫耳のような装飾のついた黒い帽子を被り、真っ黒いハイネックの上から白い半袖のパーカーを着込んだ、一時停止の標識のような鮮烈な赤の髪の少女の写真が添付されている。
身長や体重、果ては固有魔法など、明らかにかなり詳細な個人情報の書かれた書類だ。
もし、単なるシェアハウスの入居者の資料として保管されているとするのならば物々しすぎる。
もっと言えば、明らかに民間の場所にあっても問題が無いような類の書類ではない。
そう、あたかも政府関連の書類のような…
そんな、重厚な雰囲気だ。
シエルはその個人情報の塊を前にして、数秒ほどペンを片手に考え込んでいたが、全く動きがない。ペンを持った右手どころか、顔の表情すらも動かさないので、そこだけしばし時が止まったようにも感じられる。
それでいて、呆れるような落胆したような、それでいてどこか哀しげな雰囲気だけが漂っている。重たい空気を打ち払うように、少女は静かに席を立って伸びをした。
相も変わらず無表情のまま窓を開けると、夕暮れの風がごうごうと吹いている。黒いグラデーションの掛かったボサボサと伸びた蓬髪が一瞬だけ、激しく彼女自身の足を掠めた。
数秒前まで耳に差し込んでいた、僅かに軽いロック調のサウンドが漏れる白いイヤホンを、首に掛けようとして少しだけ手を止める。
既に、首には古ぼけた白いヘッドホンが掛かっていたからだ。
そのヘッドホンを優しい手つきで静かに外して、そっと静かに机に置く。
そのまま手元のスマートフォンをいじってイヤホンから流れる音楽を止めると、キッチンの方向に消えていった。
冷蔵庫を開けるガチャリとした音が、静謐な家の中でやけに大きく響く。
ゴソゴソと中を漁る音を数十秒続けて彼女が戻ってきた時には、幾つかの納豆のパックと、一杯のコーヒーを手に持っていた。
そのまま元の席に着くと、合間合間でコーヒーを飲みながらも、ただもしゃもしゃと無言で納豆の咀嚼を続ける。
ふと横を見ると、燦々と西陽が差し込んでいた。
シエルはそれを綺麗だとも、はたまた眩しいとも言わず、ただ狼のような深緑の目を軽く細めて、静かに静かに、茜色とオレンジ色と紺色の滲んだ、薄紫の境界線を眺めている。
先程外した白いイヤホンをもう一度耳にあて、今度はジャズ音楽を流す。表情は動かさないまま、それでいてどこか満足そうに頷いて、再び書類に向き合った。
その直後にカタカタと、階段を降りてくる音がする。
「やっほー。団長ってば、元気してる?」
後ろから聞こえた声にシエルが思わず振り向くと、ガチャリと音を立てて木製の扉を閉めている、先程の書類の少女…贋が立っていた。
顔の右半分に残る痛々しいケロイドの跡、それに見合わないような明るい、それでいてどこかタガの外れたような表情。シエルと同じく黒のグラデーションが掛かってこそいるが、髪質は完全に真逆のストレートヘアー。
その長い髪を靡かせて、カツカツと一直線に机に向かってくる。
「ちょいちょいー。何してんの、だーんちょ?」
「…なんだ、贋か。」
なんだって何さ、とヘラヘラ笑いながらも、ガーゼを貼っていない右目の眼光は鋭く、机の上の書類を眺めている。その後シエルの右手のペンに視線をずらし、机の上のヘッドホンに目をやって、最後に納得したように頷いた。
「あ、分かっちゃったー。僕が入った時の事思い出してたんでしょ?」
「…違う。」
「あはは、隠すの下手すぎぃ。」
団長は無口だけど逆に分かりやすいねぇ、などと言いながらケラケラと笑う贋。
しかしその数秒後、机の上に乗ったコーヒーと、空いた納豆のパックを見て、その表情を軽く引き攣らせて固まった。どうやら、贋の表情筋は家出してしまったらしい。
「えぇ…食べ合わせ最悪なんだけど絶対。」
「そうか?悪くないぞ。」
思わず溢れたその独り言に、あくまでも淡々と、さも当たり前のようにシエルは返答する。
それを聞いてまた一瞬だけ顔をしかめたが、今度は素早く表情筋が復活し、いつものヘラヘラとした笑顔を形作る。
「んな馬鹿な…僕だって、もーちょいマシな嘘つくよ?」
「ほう、例えば?」
「いや例えばって言われると困るけどー…」
そう言うと一度、考え込むように言葉を切って目を閉じる。
再び彼女が目を開くと、スッと空気が鋭敏になった。それはまるで、よく澄んだ真冬の川の水のようで、シエルも思わず身構える程だ。
「新しい任務があるよ、とか?」
一瞥。
「なるほどな。」
その雰囲気も含めて嘘か、と、一人合点が言ったかのようにシエルは呟く。
「そんなところー。」
ヘラリ、と表情を崩して笑う贋。どこか掴みどころの無い不思議な雰囲気を纏ったまま、極めて自然にシエルのコーヒーを強奪する。
「何だ、お前コーヒーが好きだったのか。言えば準備してやったものを。」
「えぇ、そんなことないよ?ちょっと飲んでみたくなっただけー。」
「そうか。どうだった?」
「あんま美味しくないねー。」
そうか、と表情を変えずに言うシエル。一方の贋は、今度は一緒に甘いの飲まない?とにこにこ笑っている。極めて対照的な二人だが、なぜか互いに気は合うらしい。
うんうんとお互い頷き合っていると、呆れたような声が吹き抜けの天井から響く。
「いやいや待てっての。突っ込めよ。コーヒー飲まれてんぞ。」
「あぁレイくん、君居たの。降りてきたらー?」
そう贋が言うと、上から白髪がのぞく。それと共に、どこか呆れたような声が続いた。
「…あのなぁ贋。俺の名前は“[漢字]桜玉[/漢字][ふりがな]おうぎょく[/ふりがな] [漢字]楽海[/漢字][ふりがな]らゔ[/ふりがな]”だっつの。何回言ったら分かんだよ。」
「だって君、幽霊でしょ?じゃあ幽霊のレイくんだってば。あ、ユウくんの方が良かった?」
「…その変なあだ名をやめろって言ってんだよなぁ……」
あと俺は半人半霊であって幽霊じゃねぇ、そう言うと同時に、白髪の少年…楽海は、音も無くリビングに降りて来た。全体的に薄らと半透明で、血のように赤い瞳に真っ白な出立ち。その中で黒眼鏡だけが、目を覆って鈍く光っている。
楽海は、尚も不満げに言い募る。
「大体お前なぁ、いつもいつも適当な事ばっか言いやがって。任務があんのは事実だろうが。」
「…なんと。見事に騙されたな。」
端末を確認すると、本当に任務のメールが届いている事に珍しく驚嘆を覗かせるシエル。
完璧に引っかかったねー、と楽しげにVサインを送りながらも、贋は口を開く。
「てか、そっから聞いてたんだ。そこまで聞いて何してたの逆に。」
「任務で使うナイフ研いでたんだよ…って、それは良いだろ。」
きらりと白熱灯を浴びて光るそれを翳し、それよりも、と尚も小言を続けようとする。
しかし、その直前。一瞬考え込むような素振りを見せていたシエルが、唐突に口を開いた。
「つまり…楽海は、任務よりもナイフが大事だったのか。」
「そんな、酷ーい。一般人が死にそうなのなんてどうでもいいんだー?」
けらけらと笑いながら贋が茶化す。思わず「は?」と楽海が聞き返すが構わず「だが、研ぐのに熱中してしまうのは良く分かるぞ。」とシエルは頷いている。あー、とも、うー、ともつかない呻き声をあげ、楽海は頭を掻きむしり声をあげる。
「分かるな!単なる仕事道具の手入れだ!!あとお前のそれはまた別種の何かだ絶対に!!!」
「団長と呼べ。」
「いやそこじゃねぇだろ!おい贋、お前もなんか言え!!」
キッと顔を上げて睨まれてもいなすようにけらけらと笑う贋、一切構わず至極まともな顔で頷くシエル、呆れながらもキレキレのツッコミを入れる楽海…
わいわいがやがやと騒ぐ彼らの声は、ともすれば外まで響き渡りそうな、見事なまでの三重奏だ。
しかもたった今、その声は更に追加されようとしている。
廊下側のドアがぎぃと小さく軋み、新たな団員の訪れを告げた。
「さっきからなんかうるさいねぇ…一体なんの騒ぎだよ……」
「なんだ、“楔”か。ったく…お前はお前で寝すぎなんだよ。」
「楽海が早起きすぎなんでしょ、昨日も深夜徘徊してたくせにさぁ。」
現れた内の一方…楔と呼ばれていたのは、背の高い少女だ。
ふわぁとあくびを一つして、三人を軽く睨む彼女の名は“[漢字]黒妖[/漢字][ふりがな]こくよう[/ふりがな] [漢字]楔[/漢字][ふりがな]くさび[/ふりがな]”。黒のセーターに茶色のワイドパンツといった、少年と言われても違和感のない出立ちだ。
ショートカットの赤髪から覗く萌葱色の目は、口よりもよほど雄弁に「眠い」と語っている。
「まぁまぁ、二人ともそう言わずに。ここなら、大きな声出してても、人目を引いちゃう事はないだろうし…」
「あはは、“きさらぎちゃん”てば真面目さーん。」
そしてもう一方は楔とは対照的な、オレンジ色の髪から少し尖った耳が覗く、とてもかわいらしい女性。
彼女の名は“[漢字]國時[/漢字][ふりがな]くにとき[/ふりがな] きさらぎ”。この団における数少ない成人で、職業はなんとアイドルだ。
実際に、普段からにこにこと浮かべている笑顔はまさしく「アイドルスマイル」という表現が相応しい、目を奪われるような輝きである。
最も、今はその笑顔の面影もなく、何かと喧嘩しがちな楽海と楔の二人を困り眉で宥めているのだが。
「ああ、良いところに来たな。今ここにいる全員、ちょうど揃ったわけだ。」
そんな三人を横目で見ながら、シエルは声を張り上げ呼び掛ける。
「総員、新たな任務だ!」
任務開始の、号令を。
その途端、余韻だけを残してぴたりと喧騒が収まった。
例えるならそれは、張り詰め切ったギターの弦が、Aメロとサビのわずかな間隙に次の音が弾かれるのを待っているような、そんな静寂。
「各自支給端末の情報を確認、その後は準備に取り掛かれ!」
そしてその言葉を合図に今再び、彼らの音楽は再開される。
「やっとか。ったく、俺が気づいてからもう十分以上は経ってるぞ。」
「まぁまぁ。あ、私は車の準備してくるからね。帽子とサングラスも忘れないようにしなくっちゃ。」
非常に騒がしく、それでいて優美な、彼らだけの和音を。
「んじゃ、僕は念のため武器取りに行こっと。楔も来るでしょー?」
「まぁ、せっかく起きたし。それに、学校とか行くよりはよっぽど楽しそうだしねぇ。」
そう、彼らはただの学生に非ず。
それどころか、人間ですらない者もいる。
彼らの名は「メカクレ団」。彼らの目的はただ一つ、この世界における魔法、魔術…その他ありとあらゆる神秘の隠匿だ。
政府の命によって設立され、人間界にて人知れず蔓延る悪を挫くために集まった[漢字]ヒーロー[/漢字][ふりがな]英雄症候群[/ふりがな]達……それこそが、彼らの正体。
「それでは…今回も、ヤツらの目を眩ませてやるとしよう。」
無表情のまま、それでもどこかドヤ顔に見えない事もないような調子で言うシエル。
「相変わらず微妙に締まらない合言葉だけど…まぁいっか。」
「なんか、やっぱコイツズレてるんだよなぁ……」
彼らは音切荘を去る。跡にはただ、贋と楽海のため息だけを残して。
プロローグは終演だ。幕は上がって、演者達は動き出した。
是より始まるのは、茹だるような夏の物語。
繰る狂廻る狂躁劇?
ただ空廻る乱痴気騒ぎ?
何にせよ、彼らがどんな結末を迎えるのか……それはきっと、[漢字]陽炎[/漢字][ふりがな]カゲロウ[/ふりがな]だけが知っている。
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