温泉と聞いて一瞬気が緩みそうになるが、霊案件であることを忘れてはならない。私はお札をしっかりと握りしめ、覚悟を決めた。　

「よし、じゃあ準備して行こうか」

藍は嬉しそうに頷き、さっそく支度に取りかかる。私は念のため追加のお札を持ち、簡単な霊除けの道具も用意した。八ヶ岳の温泉地といえば美しい自然に囲まれた癒しの空間だが、そこに霊が絡むとなれば話は別だ。

「どうやら旅館の人たちも困っているみたいでね、夜になると決まって不思議な音がするとか、影がちらつくとか……」

藍がスマホを見ながら説明する。話を聞く限り、ただの気のせいでは済まなさそうだ。私は静かに息をつき、決意を固めた。

「温泉も楽しみだけど、まずは霊の調査だね」

こうして、私たちは長野県へ向かうことになった──。

東京から長野まで新幹線で1時間半ほどかかり、目的地に着いた。
藍は大きく伸びをしながら、「やっぱり空気が違うねぇ」と目を細める。
私はお札を確認しながら、きっと気を引き締めた。
駅前で手配していた車に乗り込み、温泉旅館へ向かう。
道中、木々の緑が深まり、標高が上がるにつれ空気はさらに澄んでいく。
藍は車窓からの景色を楽しみつつ、

「この辺りって、昔から霊の噂があるんだよね」

と何気なく言った。

「どんな噂？」

私は気になり、尋ねる。

「うーん、八ヶ岳の霊道の話とか。旅館の敷地が昔の霊道と重なってる可能性もあるかもね」

霊道—霊たちが行き交う道。
それがもし旅館と関わっているなら、単なる「気のせい」では済まされない。私は背筋を正し、窓の外を見つめた。
やがて目的の旅館へ到着する。
木造の立派な建物が温泉街の中にひっそりと佇み、歴史を感じさせる趣だ。
玄関に入ると、女将が困ったような顔で迎えてくれた。

「お二人が調査をしてくださる方ですね……ありがとうございます。本当に、夜になると奇妙なことばかり起こるんです」

女将の言葉を聞きながら、私は静かにお札を握りしめた。
いったい、何が起きているのか—これから、解き明かしていくしかない。