ぐる、
よくある平凡な木造建築の家とは違い、それは他より群を抜いて豪勢な建物だった。
町人どもは[下線]それ[/下線]に怯え、半ば強制的に一目置かされている。
そう、ここは[太字]奉行所[/太字]と云い、町の行政や司法を担当する役所であった。
今日もこの部屋では、ある法令に関しての会議が行われていた。
畳に座る五人の男たち、彼らは[下線]ある役職[/下線]に就いている。
その名も、[漢字]火付盗賊改方[/漢字][ふりがな]ひつけとうぞくあらためかた[/ふりがな]。
放火や違法賭博などの裁かれるべき重罪を犯した罪人を取り締まり、時には現場の捜査まで行う、いわば[下線]武装した役人[/下線]だ。
床に敷き詰められた黄金色に輝く畳には、五人の男が膝が座っていた。
左右の席に二人ずつ面を向かわせて、奥にはお頭と思われる一人が堂々と背筋を伸ばす。
彼らの美しすぎる姿勢は、人間のお手本とも云って良いだろう。
こうして彼らに見惚れている間にも、会議は終わりを迎えてしまいそうだ。
そんな静けさの最中、一人の男が質疑を響かせた。
「本当にこの内容で、果たして民は納得してくれるのでしょうか? 少なくとも、ここでやるには、あまりにも難しいと思われますが……」
「いや、構わぬ。すべては幕府の名の下にやり遂げるまでだ。それに、私情にはなってしまうが、亡き友人の仇を討つためにも丁度良い時であった」
冷静沈着に言葉を返すお頭の男。その眼には意志の籠った決意がうかがえる。
お頭の言葉もあり、正式に決まったかと思われたが、また違う一人が身を乗り出して異議を唱え始めた。
「……で、ですが! やはり町人による一揆の可能性が十二分にあり得ます! その時はどう対処なされるのですか!?」
お頭の男は少々顎に手を当て、残酷すぎることを口にした。
「楯突く者は処せば宜しい。仕方がなければ、罪人の首でも晒しておけ」
「……は、はあ」
異議を唱えた男も唖然の表情と声を見せる。
誰もがお頭の衝撃発言に息を呑んだ。
しかし、当のお頭本人は眉一つ動かさず、会議の終わりを告げる。
「それでは、この法令を記した原稿を版屋に摺らせて、明日中に読売の者たちに配らせてくれ。
彼らは働き者だから、すぐに人気者になれるはずだろう。では、ここらでお終いとしようか」
「……承知しました。[漢字][太字]汱溤[/太字][/漢字][ふりがな]けんま[/ふりがな]様!!」
■ ■ ■ ■
[太字]「……嘘だ……嘘だ……」[/太字]
一枚の瓦版の為に出かけた金平は、魂が抜かれたような表情のまま店へと帰ってきた。
何があったのかと問い詰めたいところだが、金平は早々に床に倒れ込む。
「…………むしられた……ぼくの将来が……根っ子ごと」
かなり心に来ているらしい、床に突っ伏したまま微動だにもしない。
それもそのはず、瓦版に書かれたことは、過去の否定であり、未来の拒絶。
その名も[太字]富籤禁止令[/太字]。
[太字]富籤を実施することはもちろん禁止、富籤の実施を推進させることも禁止、富籤を世に広めることも禁止[/太字]、富籤をこの町から無くすことだけを徹底させた、まさに極めすぎた法令。
もしも、この法令を破った場合は、[太字]有無を言わせず獄門、否が応にも獄門、承知も不承知も獄門。[/太字]それは金平も含めて、町人たちにとって死罪宣告と同じようなものだった。
瓦版曰く、明日中に富籤に関係する全てを[漢字]掃除[/漢字][ふりがな]破棄[/ふりがな]しなければならないらしい。
どうにもならない残酷な現実が金平の心を抑え込む。
「せっかく、のってきた所だったのに……」
一生続く店なんて無いのは分かってたが、あまりにも短すぎる。
まだまだ悔いは残るも、店の掃除へと取り掛かり始めた金平。
真っ先に目に入ったのは、昨日まで狂ったように予想を書き連ねていた和紙だった。
(これも明日から、ただの[下線]塵紙[/下線]か……)
金平は自分の言葉にどこか引っかかりを覚えた。
(……[下線]塵紙[/下線]……今、塵紙って言ったか? ……この馬鹿! 昨日、あれだけ熱心に向き合ったくせして、今更なんてこと言うんだよ……!)
店を諦めた金平の目には、その和紙が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、尻を拭く塵紙と同じ価値に見えていた。
昨日までの愛が一瞬で崩れていくような、自分の手で愛を掻き乱すような感覚。
それは富籤に命を救われた金平にとって、富籤で食わせてもらった金平にとって、恩を仇で返す屈辱以外の何者でもない。
(ごめんよ……本意じゃないんだ)
すると、金平は何かを思い出したのか、散らかった店の奥に潜り込んだ。
大事にしまっていた一枚の富札を手に取る。
番号は[漢字]壱百伍拾参[/漢字][ふりがな]ひゃくごじゅうさん[/ふりがな]番、人生のきっかけだった。
(せめて、これだけでも……)
どれだけ今までの過去が否定されたとしても、この肯定だけは懐に残しておきたかったようだ。
■ ■ ■ ■
暮れ六つが経つ夕方、長きにわたる大掃除が幕を遂げた。
久々の肉体労働に体中が悲鳴を上げている。
そのお陰というべきか、富籤に関する物はなんとか片すことの出来た。
これで首が飛ぶ心配は無い。
これから何をしようか、どんな自分になろうか、どんな人生を送ろうか、新たな人生の計画を練り直す金平。
ただ[漢字]只管[/漢字][ふりがな]ひたすら[/ふりがな]、これからについて考えた。
富籤が無くなった今、明日から町人たちは別の新たな趣味へと移るだろう。
しかし金平だけは違う。
なぜなら、今までに新たな趣味を持とうと色々とやってみたが、どれも自分に合ってないと思い、全部辞めてしまった過去があった。
金平は富籤に関する事、そして経営学に関しては天才的な地頭を使えるのだが、それ以外の物事についてはさっぱりである。
「明日から何しよう……」
このままでは、職に就けず浪人になってしまう。
つまり稼げない。
今まで稼いだ貯金も残っているが、いずれ底を尽きてしまうのは予想がついている。
「このままじゃ、また浪人に……」
金平の脳裏に、全てを失った自分の姿が浮かび上がった。
まるで脳を針でつんと突くような、声にも出せない痛みが胸に絡みつく。
「……はあ、はあ。焦るな、大丈夫。きっと見つかるさ」
金平は床にどさっと座り込み、再び考え始めた。
ただひたむきに、そして無心に、肩の力を抜き、目を瞑る。
金平には、一般に集中を遮るとされる野鳥の鳴き声さえも全く通じない。
自分の可能性、特技、知能など、自分に関してあらゆる適合性を探してみるが……
「……ない」
いかなる趣味も不採用。
やはり金平には、[太字]あれ[/太字]しか無かった。
(……何にも代えがたい出逢い……)
心はずっと、[太字]あれ[/太字]に取り憑かれていた。
(……それはまるで幻のように、あるいは妖怪のように……)
[太字]あれ[/太字]しか、頭に無かった。
(……ぼくを魅せた)
[太字]あれ[/太字]にしか頭が働かない
「まずい……!!」
「[太字][大文字]富籤以外、あり得ない……!![/大文字][/太字]」
もはや金平には富籤が恋人、富籤以外に浮気なんて出来る訳がない。
そして、滅茶苦茶に頭を使った金平は、気休めに散歩へ出かけることにした。
「はあ……法令さえなければこんな思いしなかったのに」
言葉にも表せないほどの哀愁に落ち込んでいながらも、藁にも縋るような気持ちで、金平は懐から[漢字]富札[/漢字][ふりがな]きっかけ[/ふりがな]を取り出した。
金平にとって、その富札を見ている間は何もかも忘れられる。
しかしそれだけ、一箇所を凝視しながら歩いていれば、周りに注意が行き渡らないのは当然。
奥からどすどす歩いてくる、八頭身ほどの大男に気付くことさえままならない。
誰もがどちらかが避けるだろうと思った。
しかし、[太字]まさかのまさか[/太字]、どちらも気に留める様子もなく、二人は流れるかのようにぶつかってしまった。
大男と金平は尻もちをついてしまう。金平は手に持っていた富札を落としてしまった。
何が起きたのかも分からなかった金平も、すぐにこの状況を理解して声を掛ける。
「す、すみません! 怪我はありませんか?」
大男はのっさりと顔を上げながら腰をさする。
金平の鼓動が異常に早くなる。
大男の返答は……
「いやいや、こちらこそすまない! ちょっと考え事をしていてね。怪我はないよ」
「そ、そうでしたか、よかったです……!」
思ったよりも大男は優しそうで内心、[漢字]杞憂[/漢字][ふりがな]きゆう[/ふりがな]に終わる金平。
落とした富札を拾い上げて、その場を立ち去ろうとした。
「……じゃあ、失礼します!」
しかし、簡単には帰れない。
「なあ、ちょっと待ってくれないか!」
立ち去ろうとする金平を、大男が呼び止めた。
今度は何かと金平が振り向く。大男が[下線]あれ[/下線]を指さした。
「……それ、富札か?」
「……え?」
再び金平の鼓動が高鳴った。
(……今になって、富札に目を付けるなんて、この人……)
まさか、この大男は奉行所の人間なのか。
しかし、禁止令が発令されるのは明日からのはず。
要らぬ予想が恐怖心として頭の中を駆け巡る。
しかし、そんな予想とは裏腹に、大男から聞こえてきた声はあまりにも気さくすぎた。
「君と話をしたい。今のご時世に、富札を持ち歩くような命知らずを待ちわびた私からのお願いだ!」
「……ちょ……ちょっと待ってくださいよ! これはそういうわけじゃなくて……単純にお守り的な感じでして……」
「なんと、富札をお守りにしているのか! お天道様より、自分の運を信じるとは、なんと喜ばしい……!」
「……だから、自分で話を進めないでくださいよ。えぇっと……帰っていいですか?」
金平がそそくさと帰ろうとするが、大男に首根っこを掴まれる。
「どうか頼む! 寿司でも奢るから、ぜひ話を聞いてくれ!!」
「……そこまで言うなら……いいですけど」
眼の前の大男の必死の懇願に耐えきれず、承認してしまった金平。
近くの寿司屋に嫌々ながらも着いていくことになってしまった。
町人どもは[下線]それ[/下線]に怯え、半ば強制的に一目置かされている。
そう、ここは[太字]奉行所[/太字]と云い、町の行政や司法を担当する役所であった。
今日もこの部屋では、ある法令に関しての会議が行われていた。
畳に座る五人の男たち、彼らは[下線]ある役職[/下線]に就いている。
その名も、[漢字]火付盗賊改方[/漢字][ふりがな]ひつけとうぞくあらためかた[/ふりがな]。
放火や違法賭博などの裁かれるべき重罪を犯した罪人を取り締まり、時には現場の捜査まで行う、いわば[下線]武装した役人[/下線]だ。
床に敷き詰められた黄金色に輝く畳には、五人の男が膝が座っていた。
左右の席に二人ずつ面を向かわせて、奥にはお頭と思われる一人が堂々と背筋を伸ばす。
彼らの美しすぎる姿勢は、人間のお手本とも云って良いだろう。
こうして彼らに見惚れている間にも、会議は終わりを迎えてしまいそうだ。
そんな静けさの最中、一人の男が質疑を響かせた。
「本当にこの内容で、果たして民は納得してくれるのでしょうか? 少なくとも、ここでやるには、あまりにも難しいと思われますが……」
「いや、構わぬ。すべては幕府の名の下にやり遂げるまでだ。それに、私情にはなってしまうが、亡き友人の仇を討つためにも丁度良い時であった」
冷静沈着に言葉を返すお頭の男。その眼には意志の籠った決意がうかがえる。
お頭の言葉もあり、正式に決まったかと思われたが、また違う一人が身を乗り出して異議を唱え始めた。
「……で、ですが! やはり町人による一揆の可能性が十二分にあり得ます! その時はどう対処なされるのですか!?」
お頭の男は少々顎に手を当て、残酷すぎることを口にした。
「楯突く者は処せば宜しい。仕方がなければ、罪人の首でも晒しておけ」
「……は、はあ」
異議を唱えた男も唖然の表情と声を見せる。
誰もがお頭の衝撃発言に息を呑んだ。
しかし、当のお頭本人は眉一つ動かさず、会議の終わりを告げる。
「それでは、この法令を記した原稿を版屋に摺らせて、明日中に読売の者たちに配らせてくれ。
彼らは働き者だから、すぐに人気者になれるはずだろう。では、ここらでお終いとしようか」
「……承知しました。[漢字][太字]汱溤[/太字][/漢字][ふりがな]けんま[/ふりがな]様!!」
■ ■ ■ ■
[太字]「……嘘だ……嘘だ……」[/太字]
一枚の瓦版の為に出かけた金平は、魂が抜かれたような表情のまま店へと帰ってきた。
何があったのかと問い詰めたいところだが、金平は早々に床に倒れ込む。
「…………むしられた……ぼくの将来が……根っ子ごと」
かなり心に来ているらしい、床に突っ伏したまま微動だにもしない。
それもそのはず、瓦版に書かれたことは、過去の否定であり、未来の拒絶。
その名も[太字]富籤禁止令[/太字]。
[太字]富籤を実施することはもちろん禁止、富籤の実施を推進させることも禁止、富籤を世に広めることも禁止[/太字]、富籤をこの町から無くすことだけを徹底させた、まさに極めすぎた法令。
もしも、この法令を破った場合は、[太字]有無を言わせず獄門、否が応にも獄門、承知も不承知も獄門。[/太字]それは金平も含めて、町人たちにとって死罪宣告と同じようなものだった。
瓦版曰く、明日中に富籤に関係する全てを[漢字]掃除[/漢字][ふりがな]破棄[/ふりがな]しなければならないらしい。
どうにもならない残酷な現実が金平の心を抑え込む。
「せっかく、のってきた所だったのに……」
一生続く店なんて無いのは分かってたが、あまりにも短すぎる。
まだまだ悔いは残るも、店の掃除へと取り掛かり始めた金平。
真っ先に目に入ったのは、昨日まで狂ったように予想を書き連ねていた和紙だった。
(これも明日から、ただの[下線]塵紙[/下線]か……)
金平は自分の言葉にどこか引っかかりを覚えた。
(……[下線]塵紙[/下線]……今、塵紙って言ったか? ……この馬鹿! 昨日、あれだけ熱心に向き合ったくせして、今更なんてこと言うんだよ……!)
店を諦めた金平の目には、その和紙が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、尻を拭く塵紙と同じ価値に見えていた。
昨日までの愛が一瞬で崩れていくような、自分の手で愛を掻き乱すような感覚。
それは富籤に命を救われた金平にとって、富籤で食わせてもらった金平にとって、恩を仇で返す屈辱以外の何者でもない。
(ごめんよ……本意じゃないんだ)
すると、金平は何かを思い出したのか、散らかった店の奥に潜り込んだ。
大事にしまっていた一枚の富札を手に取る。
番号は[漢字]壱百伍拾参[/漢字][ふりがな]ひゃくごじゅうさん[/ふりがな]番、人生のきっかけだった。
(せめて、これだけでも……)
どれだけ今までの過去が否定されたとしても、この肯定だけは懐に残しておきたかったようだ。
■ ■ ■ ■
暮れ六つが経つ夕方、長きにわたる大掃除が幕を遂げた。
久々の肉体労働に体中が悲鳴を上げている。
そのお陰というべきか、富籤に関する物はなんとか片すことの出来た。
これで首が飛ぶ心配は無い。
これから何をしようか、どんな自分になろうか、どんな人生を送ろうか、新たな人生の計画を練り直す金平。
ただ[漢字]只管[/漢字][ふりがな]ひたすら[/ふりがな]、これからについて考えた。
富籤が無くなった今、明日から町人たちは別の新たな趣味へと移るだろう。
しかし金平だけは違う。
なぜなら、今までに新たな趣味を持とうと色々とやってみたが、どれも自分に合ってないと思い、全部辞めてしまった過去があった。
金平は富籤に関する事、そして経営学に関しては天才的な地頭を使えるのだが、それ以外の物事についてはさっぱりである。
「明日から何しよう……」
このままでは、職に就けず浪人になってしまう。
つまり稼げない。
今まで稼いだ貯金も残っているが、いずれ底を尽きてしまうのは予想がついている。
「このままじゃ、また浪人に……」
金平の脳裏に、全てを失った自分の姿が浮かび上がった。
まるで脳を針でつんと突くような、声にも出せない痛みが胸に絡みつく。
「……はあ、はあ。焦るな、大丈夫。きっと見つかるさ」
金平は床にどさっと座り込み、再び考え始めた。
ただひたむきに、そして無心に、肩の力を抜き、目を瞑る。
金平には、一般に集中を遮るとされる野鳥の鳴き声さえも全く通じない。
自分の可能性、特技、知能など、自分に関してあらゆる適合性を探してみるが……
「……ない」
いかなる趣味も不採用。
やはり金平には、[太字]あれ[/太字]しか無かった。
(……何にも代えがたい出逢い……)
心はずっと、[太字]あれ[/太字]に取り憑かれていた。
(……それはまるで幻のように、あるいは妖怪のように……)
[太字]あれ[/太字]しか、頭に無かった。
(……ぼくを魅せた)
[太字]あれ[/太字]にしか頭が働かない
「まずい……!!」
「[太字][大文字]富籤以外、あり得ない……!![/大文字][/太字]」
もはや金平には富籤が恋人、富籤以外に浮気なんて出来る訳がない。
そして、滅茶苦茶に頭を使った金平は、気休めに散歩へ出かけることにした。
「はあ……法令さえなければこんな思いしなかったのに」
言葉にも表せないほどの哀愁に落ち込んでいながらも、藁にも縋るような気持ちで、金平は懐から[漢字]富札[/漢字][ふりがな]きっかけ[/ふりがな]を取り出した。
金平にとって、その富札を見ている間は何もかも忘れられる。
しかしそれだけ、一箇所を凝視しながら歩いていれば、周りに注意が行き渡らないのは当然。
奥からどすどす歩いてくる、八頭身ほどの大男に気付くことさえままならない。
誰もがどちらかが避けるだろうと思った。
しかし、[太字]まさかのまさか[/太字]、どちらも気に留める様子もなく、二人は流れるかのようにぶつかってしまった。
大男と金平は尻もちをついてしまう。金平は手に持っていた富札を落としてしまった。
何が起きたのかも分からなかった金平も、すぐにこの状況を理解して声を掛ける。
「す、すみません! 怪我はありませんか?」
大男はのっさりと顔を上げながら腰をさする。
金平の鼓動が異常に早くなる。
大男の返答は……
「いやいや、こちらこそすまない! ちょっと考え事をしていてね。怪我はないよ」
「そ、そうでしたか、よかったです……!」
思ったよりも大男は優しそうで内心、[漢字]杞憂[/漢字][ふりがな]きゆう[/ふりがな]に終わる金平。
落とした富札を拾い上げて、その場を立ち去ろうとした。
「……じゃあ、失礼します!」
しかし、簡単には帰れない。
「なあ、ちょっと待ってくれないか!」
立ち去ろうとする金平を、大男が呼び止めた。
今度は何かと金平が振り向く。大男が[下線]あれ[/下線]を指さした。
「……それ、富札か?」
「……え?」
再び金平の鼓動が高鳴った。
(……今になって、富札に目を付けるなんて、この人……)
まさか、この大男は奉行所の人間なのか。
しかし、禁止令が発令されるのは明日からのはず。
要らぬ予想が恐怖心として頭の中を駆け巡る。
しかし、そんな予想とは裏腹に、大男から聞こえてきた声はあまりにも気さくすぎた。
「君と話をしたい。今のご時世に、富札を持ち歩くような命知らずを待ちわびた私からのお願いだ!」
「……ちょ……ちょっと待ってくださいよ! これはそういうわけじゃなくて……単純にお守り的な感じでして……」
「なんと、富札をお守りにしているのか! お天道様より、自分の運を信じるとは、なんと喜ばしい……!」
「……だから、自分で話を進めないでくださいよ。えぇっと……帰っていいですか?」
金平がそそくさと帰ろうとするが、大男に首根っこを掴まれる。
「どうか頼む! 寿司でも奢るから、ぜひ話を聞いてくれ!!」
「……そこまで言うなら……いいですけど」
眼の前の大男の必死の懇願に耐えきれず、承認してしまった金平。
近くの寿司屋に嫌々ながらも着いていくことになってしまった。