ぐる、
[大文字]「てぇへんだぁ! てぇへんだぁ!」[/大文字]
いきなりの緊急事態。息を荒らしながら、ありったけの[漢字]瓦版[/漢字][ふりがな]かわらばん[/ふりがな]を大衆に投げ撒く者がいた。
恐らく、瓦版を配るためだけに雇われた、読売と云われる人物だろう。
今後の人生に関わるであろう大事な瓦版に群がるのは、棚から[漢字]牡丹餅[/漢字][ふりがな]ぼたもち[/ふりがな]を擬人化したような、欲の深い町民たちだった。
その光景はじつに野蛮。人の顔を押し込めるは、手をばちんと叩くは、もはや地獄の前座と云っても過言ではない。
その一方、荒波のように複雑な群衆をちょっぴり離れ、俵に腰掛けるのはたった一人の利口そうな[太字]少年[/太字]。
「まったく、あそこまでする必要もないだろうに」
少年は、あんな人波に飲まれて体がむさ苦しくなるぐらいなら、偶然流れてきたおこぼれを頂くほうが効率がいい、とここの町民たちとは少々違う価値観を持っていた。
しかしながら、そう簡単におこぼれがやってくる訳がない。騒ぎにつられた者が新たな人を呼び、また新たな群衆を成していくばかり。
おこぼれを貰うにはまだまだ程遠い。
「ふああぁ……手間取んなきゃいいけど」
少年は大欠伸をしている。
それに、ここまで熱意の伝わらない行動を見せられたら、こいつはなんて欲が浅い少年なんだ、と思われるかもしれない。
だが、こんな少年だって、この町に暮らすからには人一倍、[太字][下線]あれ[/下線][/太字]を重んじていた。
「……早く来ないかなぁ〜〜」
おこぼれの来る様子も見られず、少年の眠気が増していくばかり。
ゆっくりと首が傾き始め、瞼が落ちていく。
本格的に寝てしまう……
その時だった__。
風がばさっと吹き荒れた。
少年は腕を伸ばし、おこぼれの瓦版を我が物にしてみせる。
こんなに人の興味を惹きつけるんて、どんな内容なのだろうか、少年は瓦版に目を通した。
とても困惑した。
「……え?」
咄嗟に出てきた言葉は、これほどまでにない疑惑の念を表す。
開いた口が塞がらず、瓦版を持つ手が小刻みに震える。
「あ……ありえない。……そうだ。これは幻覚だ……悪い幻覚だ……」
その内容は、少年にとって[下線]今までの人生の否定[/下線]であり、将来の不安感を高めさせる程に不都合で残酷すぎる内容だった。
▬ ▬ ▬ ▬
[大文字][中央寄せ]元禄元年[/中央寄せ][/大文字]
やけに騒がしい寺の周りには、千人はとうに超えるであろう人だかりが成されていた。
どの人間も、今から自分に舞い降りるかもしれない未来への希望に目を輝かす。
それもそのはず、今から行われるのは、昨今で類を見ないぐらい大流行中の【[太字]富籤[/太字]】と云われる、幕府公認の賭け事だ。
富籤を一言に表せば、楽して億万長者になれるかもしれない抽選会。
少量の銀と引き換えに渡される番号札と同じ番号が出てきたら、その順番に相応して小判を貰える。
沼より深い欲を持つ町人たちにとってこれほど夢のあるものはない。
しかし、富籤も賭博の仲間、当然の事かもしれないが絶対というものはない。
[下線]人生が急激に変わった者[/下線]もいれば、[下線]人生が狂った者[/下線]もいる。
それはさておき、そろそろ始まる時だ。
ちょうどその時、寺の入口から出てきたのは、あるものを持って来た三人の[漢字]神主[/漢字][ふりがな]かんぬし[/ふりがな]。
二人はがらがらと音が鳴る木箱を、一人は細長い[漢字]錐[/漢字][ふりがな]きり[/ふりがな]を携えている。
群衆より一段上の台座に木箱は置かれた。
木箱はよく見れば、朽ちた木目がよく目立つ。
だが、それよりも目を惹かれるのは、上面に開けられた握り拳ぐらいの[下線]穴[/下線]だった。
錐を持った神主が木箱へと近づく。さっきまで騒がしかった群衆の声も、[漢字]莫大[/漢字][ふりがな]ばくだい[/ふりがな]な富を祈りゆく中で自然と静まり返る。
神主が開始の合図を叫んだ。
[太字]「これより、第五十二回、福楽寺院主催、富籤の儀を行う!!」[/太字]
この瞬間だけは瞬きも許されない。
神主は両手に握った錐を振り下ろし、木箱の穴へと突き刺した。
かっと乾いた音が鳴ったのち、錐をすっぽ抜く。
一人の人生を変えるであろう番号札が民衆の前に姿を現した。
きっと誰もが息を呑んだ。
[太字]「一回目、[漢字]壱百伍拾参/漢字][ふりがな]ひゃくごじゅうさん[/ふりがな]!! 繰り返す、壱百伍拾参!!」
[/太字]
誰しもが当たりの番号に耳を寄せる。
そして、各々自分の番号と照らし合わせた。
そこで外れちまった、と肩を落とす者が次に出来る事といったら、名乗り出る者を待つ事のみ。
人生を変える者は果たして誰だ、次々外れを引いた者たちが辺りを見回し始める。しかし、名乗り出てくる者は一向に見えなかった。
民衆たちが軽口を飛ばし合う。
もしかしたら今、不運にも腹を壊してしまった者がいて、そいつが不運な当選者なんだろう。
だが、そんな奇天烈な予想とは裏腹に、当選者は[下線]ちゃんとそこにいた[/下線]のだ。
当選者は荒い人波をかき分けて、必死に前へ出て行こうとしている。
「はあ……はあ……待って」
しかし、その事に気づかずに痺れを切らした者たちが、二回目の抽選を急がせている。
「待って……ぼく……!」
これじゃあ仕方がない、と神主が二回目の抽選を始めようとしていた。
その時だった。
群衆の間から、い草の|解《ほど》けた草履を履いた薄汚い身なりの子供が、木箱の前まで飛び出してきたのだ。
その光景を見ていた誰もが困惑したであろう。
汚れ一つ無い着物を着慣らす町人たちとは|甚《はなは》だ似つかない風貌。腰まで垂らした濡れ髪から少女なのかと思いきや、そのまんまるに光る目はどこか少年的であった。
その子供は息を震わせながら、弱弱しさと驚愕を両立させたような声でこう言った。
「……[太字]ぼく、当たったみたいです[/太字]……」