ぐるに告ぐ、
#1
一話 『ぼく、当たったみたいです』
[大文字]「てぇへんだぁ! てぇへんだぁ!」[/大文字]
突然の緊急事態に息を荒らしながら、ありったけの[漢字]瓦版[/漢字][ふりがな]かわらばん[/ふりがな]を大衆にばら撒く[漢字]読売[/漢字][ふりがな]よみうり[/ふりがな]の後ろ姿。
今後の人生に関わるであろう大事な瓦版に群がるのは、棚から[漢字]牡丹餅[/漢字][ふりがな]ぼたもち[/ふりがな]を擬人化したような、欲の深い町人たちだ。
一方、荒波のように複雑な群衆をちょっぴり離れ、米俵に腰掛けるのはたった一人の[太字]少年[/太字]。
少年は、あんな人波に飲まれて体がむさ苦しくなるぐらいなら、大衆に踏まれた砂だらけのおこぼれを頂くほうが効率がいい、と他の者とは少々違う価値観を持っていた。
しかし、群衆の勢いは一向に止まない。騒ぎにつられた者がまた新たな人を呼び、また新たな群衆を成していくばかり。それでも少年はおこぼれを待ち続けた。
もしこんな様子を[漢字]傍[/漢字][ふりがな]はた[/ふりがな]から見ていたとしたら、なんて我欲の浅い少年だろう、と思えてしまうが、少年だってこの町に暮らすからには人一倍、棚から牡丹餅と[太字][下線]あれ[/下線][/太字]を重んじていた。
「……しかし、気になるな……こんなに集まって、いったい何が書いてあるのだろうか?」
こんなに人が集まるとは一体何事か、とでも考えていたその時だった。風が突然ばさっと吹き荒れる。空にばら撒かれた大量の瓦版のうち、一枚が少年の元へ|[漢字]靡[/漢字][ふりがな]なび[/ふりがな]かれて来た。
少年は腕を伸ばし、おこぼれの瓦版を我が物にしてみせる。こんなに人の興味を惹きつけるんて、どんな内容なのだろうか、少年は瓦版に目を通した。
とても困惑した。
「……え?」
咄嗟に出てきた言葉は、これほどまでにない疑惑の念を表す。開いた口が塞がらず、瓦版を持つ手が小刻みに震える。
「……あ……ありえない。……そ……そうだ……これは幻覚だ……悪い幻覚だ……」
その内容は、少年にとって[下線]今までの人生の否定[/下線]であり、将来の不安感を高めさせる程に不都合で残酷すぎる内容だった。
▬ ▬ ▬ ▬
[大文字][中央寄せ]元禄元年[/中央寄せ][/大文字]
やけに騒がしい寺の周りには、千人はとうに超えるであろう人だかりが成していた。どの人間も、今から自分に舞い降りるかもしれない未来への希望に目を輝かす。
それもそのはず、今から行われるのは、昨今で類を見ないぐらい大流行中の【[太字]富籤[/太字]】と云われる、幕府公認の賭け事だ。
富籤を一言に表せば、楽して億万長者になれるかもしれない抽選会。少量の銀と引き換えに渡される番号札と同じ番号が出てきたら、その順番に相応して小判をいただける。
沼より深い欲を持つ町人たちにとってこれほど夢のあるものはない。しかし、富籤も賭博の仲間、当然の事かもしれないが絶対というものはない。[下線]人生が急激に変わった者[/下線]もいれば、[下線]人生が狂った者[/下線]もいる。
それはさておき、そろそろ始まる時だ。ちょうどその時、寺の入口から出てきたのは、あるものを持って来た三人の[漢字]神主[/漢字][ふりがな]かんぬし[/ふりがな]。二人はがらがらと音の鳴る木箱を、一人は細長い[漢字]錐[/漢字][ふりがな]きり[/ふりがな]を携えている。
群衆より一段上の台座に木箱は置かれた。木箱はよく見れば、朽ちた木目がよく目立つ。だが、それよりも目を惹かれるのは、上面に開けられた握り拳ぐらいの[下線]穴[/下線]だった。
錐を持った神主が木箱へと近づく。さっきまで特に騒がしかった群衆の声も、莫大な富を祈りゆく中で自然と静まり返る。神主が開始の合図を叫んだ。
[太字]「これより、第五十二回、僧来寺院主催、富籤の儀を行う!!」[/太字]
この瞬間だけは瞬きも許されない。神主は両手に握った錐を振り下ろし、木箱の穴へと突き刺した。かっと乾いた音が鳴ったのち、錐をすっぽ抜いた。
一人の人生を変えるであろう番号札が民衆の前に姿を現した。きっと誰もが息を呑んだ。
[太字]「一回目、[漢字]壱百伍拾参[/漢字][ふりがな]ひゃくごじゅうさん[/ふりがな]番!! 繰り返す、壱百伍拾参番!!」
[/太字]
誰しもが当たりの番号に耳を寄せる、そして、各々自分の番号と照らし合わせた。
外れちまった、と肩を落とす者が次に出来る事といったら、名乗り出る者を待つ事のみ。人生を変える者は果たして誰だ、次々外れを引いた者たちが辺りを見回し始める。しかし、名乗り出てくる者は一向に見えなかった。
民衆たちが軽口を飛ばし合う。もしかしたら今、不運にも腹を壊してしまった者がいて、そいつが不運な当選者なんだろう。だが、そんな奇天烈な予想とは裏腹に、当選者は[下線]ちゃんとそこにいた[/下線]のだ。
荒い人波をかき分けて、必死に前へ出て行こうとしているうちに、時間が経ってしまっただけであった。
その事に気づかずに痺れを切らした者たちが、二回目の抽選を急がせる。これじゃあ仕方がない、と神主が二回目の合図を知らせようとした、その時だった。
群衆の間から、い草の|解《ほど》けた草履を履き慣らした薄汚い身なりの子供が、木箱の前まで飛び出してきたのだ。その光景を見ていた誰もが困惑したであろう。
汚れ一つ無い着物を着慣らす町人たちとは|甚《はなは》だ似つかない風貌に、腰まで垂らした濡れ髪から少女なのかと思いきや、そのまんまるに光る目はどこか少年的であった。
その子供は息を震わせながら、弱弱しさと驚愕を両立させたような声でこう言った。
「……あの、[太字]ぼく、当たったみたいです[/太字]……」
突然の緊急事態に息を荒らしながら、ありったけの[漢字]瓦版[/漢字][ふりがな]かわらばん[/ふりがな]を大衆にばら撒く[漢字]読売[/漢字][ふりがな]よみうり[/ふりがな]の後ろ姿。
今後の人生に関わるであろう大事な瓦版に群がるのは、棚から[漢字]牡丹餅[/漢字][ふりがな]ぼたもち[/ふりがな]を擬人化したような、欲の深い町人たちだ。
一方、荒波のように複雑な群衆をちょっぴり離れ、米俵に腰掛けるのはたった一人の[太字]少年[/太字]。
少年は、あんな人波に飲まれて体がむさ苦しくなるぐらいなら、大衆に踏まれた砂だらけのおこぼれを頂くほうが効率がいい、と他の者とは少々違う価値観を持っていた。
しかし、群衆の勢いは一向に止まない。騒ぎにつられた者がまた新たな人を呼び、また新たな群衆を成していくばかり。それでも少年はおこぼれを待ち続けた。
もしこんな様子を[漢字]傍[/漢字][ふりがな]はた[/ふりがな]から見ていたとしたら、なんて我欲の浅い少年だろう、と思えてしまうが、少年だってこの町に暮らすからには人一倍、棚から牡丹餅と[太字][下線]あれ[/下線][/太字]を重んじていた。
「……しかし、気になるな……こんなに集まって、いったい何が書いてあるのだろうか?」
こんなに人が集まるとは一体何事か、とでも考えていたその時だった。風が突然ばさっと吹き荒れる。空にばら撒かれた大量の瓦版のうち、一枚が少年の元へ|[漢字]靡[/漢字][ふりがな]なび[/ふりがな]かれて来た。
少年は腕を伸ばし、おこぼれの瓦版を我が物にしてみせる。こんなに人の興味を惹きつけるんて、どんな内容なのだろうか、少年は瓦版に目を通した。
とても困惑した。
「……え?」
咄嗟に出てきた言葉は、これほどまでにない疑惑の念を表す。開いた口が塞がらず、瓦版を持つ手が小刻みに震える。
「……あ……ありえない。……そ……そうだ……これは幻覚だ……悪い幻覚だ……」
その内容は、少年にとって[下線]今までの人生の否定[/下線]であり、将来の不安感を高めさせる程に不都合で残酷すぎる内容だった。
▬ ▬ ▬ ▬
[大文字][中央寄せ]元禄元年[/中央寄せ][/大文字]
やけに騒がしい寺の周りには、千人はとうに超えるであろう人だかりが成していた。どの人間も、今から自分に舞い降りるかもしれない未来への希望に目を輝かす。
それもそのはず、今から行われるのは、昨今で類を見ないぐらい大流行中の【[太字]富籤[/太字]】と云われる、幕府公認の賭け事だ。
富籤を一言に表せば、楽して億万長者になれるかもしれない抽選会。少量の銀と引き換えに渡される番号札と同じ番号が出てきたら、その順番に相応して小判をいただける。
沼より深い欲を持つ町人たちにとってこれほど夢のあるものはない。しかし、富籤も賭博の仲間、当然の事かもしれないが絶対というものはない。[下線]人生が急激に変わった者[/下線]もいれば、[下線]人生が狂った者[/下線]もいる。
それはさておき、そろそろ始まる時だ。ちょうどその時、寺の入口から出てきたのは、あるものを持って来た三人の[漢字]神主[/漢字][ふりがな]かんぬし[/ふりがな]。二人はがらがらと音の鳴る木箱を、一人は細長い[漢字]錐[/漢字][ふりがな]きり[/ふりがな]を携えている。
群衆より一段上の台座に木箱は置かれた。木箱はよく見れば、朽ちた木目がよく目立つ。だが、それよりも目を惹かれるのは、上面に開けられた握り拳ぐらいの[下線]穴[/下線]だった。
錐を持った神主が木箱へと近づく。さっきまで特に騒がしかった群衆の声も、莫大な富を祈りゆく中で自然と静まり返る。神主が開始の合図を叫んだ。
[太字]「これより、第五十二回、僧来寺院主催、富籤の儀を行う!!」[/太字]
この瞬間だけは瞬きも許されない。神主は両手に握った錐を振り下ろし、木箱の穴へと突き刺した。かっと乾いた音が鳴ったのち、錐をすっぽ抜いた。
一人の人生を変えるであろう番号札が民衆の前に姿を現した。きっと誰もが息を呑んだ。
[太字]「一回目、[漢字]壱百伍拾参[/漢字][ふりがな]ひゃくごじゅうさん[/ふりがな]番!! 繰り返す、壱百伍拾参番!!」
[/太字]
誰しもが当たりの番号に耳を寄せる、そして、各々自分の番号と照らし合わせた。
外れちまった、と肩を落とす者が次に出来る事といったら、名乗り出る者を待つ事のみ。人生を変える者は果たして誰だ、次々外れを引いた者たちが辺りを見回し始める。しかし、名乗り出てくる者は一向に見えなかった。
民衆たちが軽口を飛ばし合う。もしかしたら今、不運にも腹を壊してしまった者がいて、そいつが不運な当選者なんだろう。だが、そんな奇天烈な予想とは裏腹に、当選者は[下線]ちゃんとそこにいた[/下線]のだ。
荒い人波をかき分けて、必死に前へ出て行こうとしているうちに、時間が経ってしまっただけであった。
その事に気づかずに痺れを切らした者たちが、二回目の抽選を急がせる。これじゃあ仕方がない、と神主が二回目の合図を知らせようとした、その時だった。
群衆の間から、い草の|解《ほど》けた草履を履き慣らした薄汚い身なりの子供が、木箱の前まで飛び出してきたのだ。その光景を見ていた誰もが困惑したであろう。
汚れ一つ無い着物を着慣らす町人たちとは|甚《はなは》だ似つかない風貌に、腰まで垂らした濡れ髪から少女なのかと思いきや、そのまんまるに光る目はどこか少年的であった。
その子供は息を震わせながら、弱弱しさと驚愕を両立させたような声でこう言った。
「……あの、[太字]ぼく、当たったみたいです[/太字]……」
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