太陽の匂い
[太字]2[/太字]
2
「ただいま」
真央が家に帰ると、お父さんの薄汚れた靴と、お母さんの真っ白な靴、お姉ちゃんの桃色のやたらゴツい靴があった。
それともう一つ、綺麗に磨かれた黒色の靴があった。
浅田家ではつねに、使わない靴は靴箱に蔵うようにしている。
一体誰の靴だろうと疑問に思いながら、リビングに行った。
「あ、真央。おかえり~」
真央に気がついたお母さんが、椅子から立ち上がって言った。
「おかえり」
「り~」
続いて、お父さんとお姉ちゃんが言う。
みんな、いつもご飯を食べる机に座っていた。
お姉ちゃんはパジャマ姿で、膝を立ててスマホを触っている。
お母さんが、玄関にある物置からバランスボールを取ってくる。
お母さんがダイエットするとか言って買ったが、次の日には押し入れに入っていた、悲しいバランスボールだ。
「美桜、こっち座りなさい」
お母さんは机の誕生日席にバランスボールを置いて、お姉ちゃんに言った。
「は?なんであたしが」
「あんた今日、一日中家にいたじゃないの。真央は学校で疲れているんだから、ちゃんとした椅子じゃないと、可哀想でしょ」
「意味不明なんだけど。こんな家にずっといたあたしも十分可哀想だと思うけど?」
「それ、どう言う意味よ」
また始まった。
最近、お母さんとお姉ちゃんはしょっちゅう口喧嘩をしている。
真央は、誰にもバレないようにため息をついたが、その様子を一人の男性が見ていた。
真央が帰ってきてから、まだ一言も話していない人。
真央が見たことがない人。あの靴の持ち主だろう。
吸い込まれそうなくらいの黒髪に、黒い眼鏡をかけてるその人は、しわひとつない黒いスーツを着ていた。
年は40歳くらいに見えたが、もっと若くにも見えた。
真央の視線に気づいた男性が、
「こんにちは。お邪魔しています」
とゆっくり言った。
それを合図にしたように、お母さんとお姉ちゃんの喧嘩が止まり、お母さんは男性の隣に、お姉ちゃんはバランスボールに座った。
真央は男の人に首だけでペコっとして、リュックを下ろした。
それから、さっきまでお姉ちゃんが座っていた椅子に座った。
この男性の向かいの席だ。
しーんと静まる部屋。
真央は、なんとなく目に入ったリビングの電気のスイッチを、ぼ~と見ていた。
すると、男性が口を開いた。
「改めまして、真衣純也と申します。AT企業の営業部に所属しています。
本日は、よろしくお願いします」
まるで機械のようにすらすらと話す男性は、真衣さんと言うようだ。
「純也さんは、私の夫になる人なの」
「え?」
真央は身を乗り出した。
「お父さんって、お母さんと結婚してなかったの!?」
真央は衝撃の事実に驚いたが、隣でお父さんがのんびり言った。
「真央、そうじゃない。
お父さんとお母さんは離婚して、お母さんは真衣さんと結婚するんだ」
「なんだ、そういうこと」
真央は安心して、麦茶を音を立てて飲んだ。
冬場の麦茶はこの時期にはもう冷たすぎて、体の中を降りていく感覚が、すごく気持ち悪い。
「その物言いですと、離婚には賛成なのですか?」 真衣さんが、メガネを上に上げながらお父さんに言った。
「娘たちをしっかりやってくれるのならば、元から反対する気はありません」
真央は視線をちょっと右にずらして、時計の秒針を見つめた。
と言っても、あの時計に秒針はついておらず、真央はその姿を想像しているだけだった。
時計は、真央が幼稚園の時に作ったものだ。
もっとも、真央がやったことは、紙皿に絵を描くだけだが。
時計の絵は象だった。
当時動物園にハマっていた真央が、二時間ずっと見ていた象を書いたのだ。
その象の名前がマオだったため、真央はとても気に入ったのだ。
「・・・だから美桜と真央、お前たちがどっちで暮らすかを決めたらいい」
「なんの話?」
真央が本気の顔で聞くと、お父さんとお母さんはため息をついて頭を抱えた。
真衣さんだけが、にこにことしている。
「あたし、お母さんの方にする。学校も変わんないんでしょ」
横を見ると、お姉ちゃんはバランスボールでぼよんぼよんしながら、スマホを見ていた。
「はい。家が変わると言いましても、それほどの距離はありませんので」
「じゃあそっちでいい」
お姉ちゃんはスマホから顔を上げて、真衣さんに言った。 「ちょっと美桜、もう少し考えないの?」
お母さんが何か言おうとすると、真衣さんが手でそれを止めた。
「いいではないですか。真央さんは、どうしますか?」
「私?」
何も話を聞いていなかったため、なんの話かもわからない。
とりあえず、真央は『神様の言うとおり』専用神様の紙を取ってこようと腰を上げた。
「真央?神様でやるんじゃないわよ?自分で決めなさい」
すかさずお母さんに禁止されてしまう。
この人エスパーなのかな。
真央は口を尖らして、あげた腰を下ろした。
真央は悩むと言うよりは、悩んでいるふりをした。
いくら考えても、答えは自分では出せないからだ。
そうしていると、真央の狙い通りの言葉を真依さんが言った。
「今すぐと言うわけでもないので、ゆっくり考えてくださいね」 真央は、心の中でガッツポーズをした。
真依さんを送ると言ってお母さんと真依さんが家を出て、真央は部屋に戻った。
真央とお姉ちゃんの部屋は同じで、カーテンで仕切っているだけだった。
カーテンがなければそれなりに大きい部屋だが、
お姉ちゃんに「カーテンから30㎝は近づかないで」と言われたため、
真央の部屋は半分+30㎝小さくなっているのだ。
大きい部屋でのんびりしたい。
真央はずっとそう言っているが、なかなかその願いは叶えられない。
真央は制服から着替えて、スマホを手に取った。
ラインのトーク欄の一番上に、真央の唯一の友達の名前である、琴奈の名前があった。
琴奈は二年生まで学校に来ていたが、最近はずっと休んでいる。
真央が図工の授業で描いた絵を褒めてくれた、周りから見たらちょっと変わっている子だ。
琴奈単体なら可愛いのに、真央と一緒にいれば遠巻きにされてしまう。
琴奈はそれが嫌になって、学校に来なくなった。
でも、真央と毎日連絡している。
『推しのグッツあったんだけど!?』
『ほんと!?すごいね』
真央が返信してすぐに送られてくる写真。
琴奈のピンクの部屋を背景にした、琴奈の推しのぬいぐるみの写真だ。
『可愛い♡』
『でしょ?手のひらサイズでマジやばい』
『やば~い(笑)』
真央がくくっと笑っていると、お姉ちゃんが部屋に戻ってきた。
そこでやっと、さっきリビングあったことを思い出した。
『私のお母さんとお父さん、離婚だって』
『え!?』
『まいさんって人が来たの』
『おお~。真央どうなるの?』
『お母さんアンドまいさんとお父さんのどっちか選ぶんだって』
『え~なんかすご。究極の選択じゃん』
『ね』
究極の選択が何か、真央はわからなかったがとりあえず返事しておいた。
ふと、真央はなんとなく、お姉ちゃんに声をかけた。
「お姉ちゃんはなんでお母さんの方って言ったの?」
真央は、お姉ちゃんには嫌われているとわかっているが、真央はお姉ちゃんのことが好きなので、いつも真央から話しかける。
お姉ちゃんから返事がある時もあるし、ない時もある。
真央はあってもなくても、「へぇ」と言う。
「あんなジジイと一緒にいるよりマシ」
ジジイ。
お姉ちゃんはお父さんのことをそう呼ぶ。
お姉ちゃんはお父さんのことが嫌いだ。
真央のクラスの中にも、自分のお父さんが嫌いな人もいる。
お父さんはお酒もタバコもやってないけど、お姉ちゃんはとにかく嫌いらしい。
「へぇ」
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「ただいま」
真央が家に帰ると、お父さんの薄汚れた靴と、お母さんの真っ白な靴、お姉ちゃんの桃色のやたらゴツい靴があった。
それともう一つ、綺麗に磨かれた黒色の靴があった。
浅田家ではつねに、使わない靴は靴箱に蔵うようにしている。
一体誰の靴だろうと疑問に思いながら、リビングに行った。
「あ、真央。おかえり~」
真央に気がついたお母さんが、椅子から立ち上がって言った。
「おかえり」
「り~」
続いて、お父さんとお姉ちゃんが言う。
みんな、いつもご飯を食べる机に座っていた。
お姉ちゃんはパジャマ姿で、膝を立ててスマホを触っている。
お母さんが、玄関にある物置からバランスボールを取ってくる。
お母さんがダイエットするとか言って買ったが、次の日には押し入れに入っていた、悲しいバランスボールだ。
「美桜、こっち座りなさい」
お母さんは机の誕生日席にバランスボールを置いて、お姉ちゃんに言った。
「は?なんであたしが」
「あんた今日、一日中家にいたじゃないの。真央は学校で疲れているんだから、ちゃんとした椅子じゃないと、可哀想でしょ」
「意味不明なんだけど。こんな家にずっといたあたしも十分可哀想だと思うけど?」
「それ、どう言う意味よ」
また始まった。
最近、お母さんとお姉ちゃんはしょっちゅう口喧嘩をしている。
真央は、誰にもバレないようにため息をついたが、その様子を一人の男性が見ていた。
真央が帰ってきてから、まだ一言も話していない人。
真央が見たことがない人。あの靴の持ち主だろう。
吸い込まれそうなくらいの黒髪に、黒い眼鏡をかけてるその人は、しわひとつない黒いスーツを着ていた。
年は40歳くらいに見えたが、もっと若くにも見えた。
真央の視線に気づいた男性が、
「こんにちは。お邪魔しています」
とゆっくり言った。
それを合図にしたように、お母さんとお姉ちゃんの喧嘩が止まり、お母さんは男性の隣に、お姉ちゃんはバランスボールに座った。
真央は男の人に首だけでペコっとして、リュックを下ろした。
それから、さっきまでお姉ちゃんが座っていた椅子に座った。
この男性の向かいの席だ。
しーんと静まる部屋。
真央は、なんとなく目に入ったリビングの電気のスイッチを、ぼ~と見ていた。
すると、男性が口を開いた。
「改めまして、真衣純也と申します。AT企業の営業部に所属しています。
本日は、よろしくお願いします」
まるで機械のようにすらすらと話す男性は、真衣さんと言うようだ。
「純也さんは、私の夫になる人なの」
「え?」
真央は身を乗り出した。
「お父さんって、お母さんと結婚してなかったの!?」
真央は衝撃の事実に驚いたが、隣でお父さんがのんびり言った。
「真央、そうじゃない。
お父さんとお母さんは離婚して、お母さんは真衣さんと結婚するんだ」
「なんだ、そういうこと」
真央は安心して、麦茶を音を立てて飲んだ。
冬場の麦茶はこの時期にはもう冷たすぎて、体の中を降りていく感覚が、すごく気持ち悪い。
「その物言いですと、離婚には賛成なのですか?」 真衣さんが、メガネを上に上げながらお父さんに言った。
「娘たちをしっかりやってくれるのならば、元から反対する気はありません」
真央は視線をちょっと右にずらして、時計の秒針を見つめた。
と言っても、あの時計に秒針はついておらず、真央はその姿を想像しているだけだった。
時計は、真央が幼稚園の時に作ったものだ。
もっとも、真央がやったことは、紙皿に絵を描くだけだが。
時計の絵は象だった。
当時動物園にハマっていた真央が、二時間ずっと見ていた象を書いたのだ。
その象の名前がマオだったため、真央はとても気に入ったのだ。
「・・・だから美桜と真央、お前たちがどっちで暮らすかを決めたらいい」
「なんの話?」
真央が本気の顔で聞くと、お父さんとお母さんはため息をついて頭を抱えた。
真衣さんだけが、にこにことしている。
「あたし、お母さんの方にする。学校も変わんないんでしょ」
横を見ると、お姉ちゃんはバランスボールでぼよんぼよんしながら、スマホを見ていた。
「はい。家が変わると言いましても、それほどの距離はありませんので」
「じゃあそっちでいい」
お姉ちゃんはスマホから顔を上げて、真衣さんに言った。 「ちょっと美桜、もう少し考えないの?」
お母さんが何か言おうとすると、真衣さんが手でそれを止めた。
「いいではないですか。真央さんは、どうしますか?」
「私?」
何も話を聞いていなかったため、なんの話かもわからない。
とりあえず、真央は『神様の言うとおり』専用神様の紙を取ってこようと腰を上げた。
「真央?神様でやるんじゃないわよ?自分で決めなさい」
すかさずお母さんに禁止されてしまう。
この人エスパーなのかな。
真央は口を尖らして、あげた腰を下ろした。
真央は悩むと言うよりは、悩んでいるふりをした。
いくら考えても、答えは自分では出せないからだ。
そうしていると、真央の狙い通りの言葉を真依さんが言った。
「今すぐと言うわけでもないので、ゆっくり考えてくださいね」 真央は、心の中でガッツポーズをした。
真依さんを送ると言ってお母さんと真依さんが家を出て、真央は部屋に戻った。
真央とお姉ちゃんの部屋は同じで、カーテンで仕切っているだけだった。
カーテンがなければそれなりに大きい部屋だが、
お姉ちゃんに「カーテンから30㎝は近づかないで」と言われたため、
真央の部屋は半分+30㎝小さくなっているのだ。
大きい部屋でのんびりしたい。
真央はずっとそう言っているが、なかなかその願いは叶えられない。
真央は制服から着替えて、スマホを手に取った。
ラインのトーク欄の一番上に、真央の唯一の友達の名前である、琴奈の名前があった。
琴奈は二年生まで学校に来ていたが、最近はずっと休んでいる。
真央が図工の授業で描いた絵を褒めてくれた、周りから見たらちょっと変わっている子だ。
琴奈単体なら可愛いのに、真央と一緒にいれば遠巻きにされてしまう。
琴奈はそれが嫌になって、学校に来なくなった。
でも、真央と毎日連絡している。
『推しのグッツあったんだけど!?』
『ほんと!?すごいね』
真央が返信してすぐに送られてくる写真。
琴奈のピンクの部屋を背景にした、琴奈の推しのぬいぐるみの写真だ。
『可愛い♡』
『でしょ?手のひらサイズでマジやばい』
『やば~い(笑)』
真央がくくっと笑っていると、お姉ちゃんが部屋に戻ってきた。
そこでやっと、さっきリビングあったことを思い出した。
『私のお母さんとお父さん、離婚だって』
『え!?』
『まいさんって人が来たの』
『おお~。真央どうなるの?』
『お母さんアンドまいさんとお父さんのどっちか選ぶんだって』
『え~なんかすご。究極の選択じゃん』
『ね』
究極の選択が何か、真央はわからなかったがとりあえず返事しておいた。
ふと、真央はなんとなく、お姉ちゃんに声をかけた。
「お姉ちゃんはなんでお母さんの方って言ったの?」
真央は、お姉ちゃんには嫌われているとわかっているが、真央はお姉ちゃんのことが好きなので、いつも真央から話しかける。
お姉ちゃんから返事がある時もあるし、ない時もある。
真央はあってもなくても、「へぇ」と言う。
「あんなジジイと一緒にいるよりマシ」
ジジイ。
お姉ちゃんはお父さんのことをそう呼ぶ。
お姉ちゃんはお父さんのことが嫌いだ。
真央のクラスの中にも、自分のお父さんが嫌いな人もいる。
お父さんはお酒もタバコもやってないけど、お姉ちゃんはとにかく嫌いらしい。
「へぇ」