午前6時13分の君へ
第4章:喪われた日常
日曜日。通勤電車もない静かな朝。
七瀬は、迷いながらも電車に乗らなかった。
代わりに向かったのは、地元の図書館。新聞記事のアーカイブや、過去の地域ニュースを確認するためだった。
受付で端末を借り、検索履歴が残らないように小さく深呼吸してから、キーボードに手を置く。
「神谷悠真 千陽駅 事故」
あの記事は、確かに存在していた。
しかも一件だけじゃなかった。
事故当日の速報、翌日の続報、そして一週間後に行われた追悼集会の様子まで、地元紙にしっかりと記録されている。
写真もある。花が手向けられたホーム、線香の煙、泣き崩れる制服姿の生徒たち。
その中に、確かに見覚えのある顔もあった。高校の同級生だ。
――それなのに、自分だけが知らなかった。
その事実が、七瀬を静かに打ちのめした。
なぜ、私はこの事故を覚えていなかった?
そのとき、手が勝手にもう一つの名前を打ち込んでいた。
「朝倉七瀬 神谷悠真」
検索には、何も引っかからない。
唯一出てきたのは、高校の卒業アルバムの記録を扱う古いブログ記事。そこに載っていたクラス写真に、悠真はいた――そして、七瀬も。
だが、不思議なことに、同じ写真に二人が並んで写っていることは一度もなかった。
手元の記憶が、急に曖昧になる。
確かに話したはずの文化祭。確かに目が合ったはずの体育祭。
だけど、その「確か」がすべて、他人からは裏付けられないものだとしたら?
図書館を出たあと、七瀬は一人で高校のある坂道を登った。
すでに卒業して1年が経つ。正門前で足を止め、当時のことを思い出そうとする。
――本当に、私は彼と関わっていたんだろうか?
その疑問に、自信を持って「はい」と答えられなかった。
断片的な記憶はある。教室の窓際、あの横顔。
けれど、それ以上は……なぜかぼんやりしている。
「ねえ、あの……」
突然、背後から声をかけられた。
振り返ると、見覚えのある女性が立っていた。高校時代のクラスメイト、佐伯萌音。
「あ、朝倉? 久しぶり」
「……萌音? ほんとに……久しぶり」
彼女は戸惑いながら、それでも少し笑った。
「どうしたの、こんなとこで」
「……ちょっとだけ、思い出したくて」
「神谷くんのこと?」
七瀬は息をのんだ。
萌音は、柔らかく首をかしげる。
「なんかさ、急に思い出して……朝倉、彼とけっこう仲良かったよね? 文化祭のときもずっと一緒にいたし。なんか、覚えてるようで……変なんだ」
「変……って?」
「わたしも、彼が亡くなった時の記憶、曖昧なの。葬式には行ったはずなのに……彼が死んだって聞いた日を、思い出せない。七瀬も……そうじゃない?」
七瀬は、何も言えなかった。
萌音の目に、確かな不安が浮かんでいた。
二人の沈黙の間を、坂道の上から吹き降ろす風がすり抜けていく。
そして七瀬は、そのとき初めて、悟った。
自分の記憶が、ただ“忘れていた”だけではないのだと。
“何かが、記憶を書き換えている”――
あるいは、“見せられている”のかもしれない。
彼に再び会ったあの日から、ずっと感じていた違和感。
彼が語る“過去”は鮮明で、彼が語れない“現在”は空白だった。
そして、今――七瀬自身の記憶にまで、その空白が広がりはじめている。
日曜日。通勤電車もない静かな朝。
七瀬は、迷いながらも電車に乗らなかった。
代わりに向かったのは、地元の図書館。新聞記事のアーカイブや、過去の地域ニュースを確認するためだった。
受付で端末を借り、検索履歴が残らないように小さく深呼吸してから、キーボードに手を置く。
「神谷悠真 千陽駅 事故」
あの記事は、確かに存在していた。
しかも一件だけじゃなかった。
事故当日の速報、翌日の続報、そして一週間後に行われた追悼集会の様子まで、地元紙にしっかりと記録されている。
写真もある。花が手向けられたホーム、線香の煙、泣き崩れる制服姿の生徒たち。
その中に、確かに見覚えのある顔もあった。高校の同級生だ。
――それなのに、自分だけが知らなかった。
その事実が、七瀬を静かに打ちのめした。
なぜ、私はこの事故を覚えていなかった?
そのとき、手が勝手にもう一つの名前を打ち込んでいた。
「朝倉七瀬 神谷悠真」
検索には、何も引っかからない。
唯一出てきたのは、高校の卒業アルバムの記録を扱う古いブログ記事。そこに載っていたクラス写真に、悠真はいた――そして、七瀬も。
だが、不思議なことに、同じ写真に二人が並んで写っていることは一度もなかった。
手元の記憶が、急に曖昧になる。
確かに話したはずの文化祭。確かに目が合ったはずの体育祭。
だけど、その「確か」がすべて、他人からは裏付けられないものだとしたら?
図書館を出たあと、七瀬は一人で高校のある坂道を登った。
すでに卒業して1年が経つ。正門前で足を止め、当時のことを思い出そうとする。
――本当に、私は彼と関わっていたんだろうか?
その疑問に、自信を持って「はい」と答えられなかった。
断片的な記憶はある。教室の窓際、あの横顔。
けれど、それ以上は……なぜかぼんやりしている。
「ねえ、あの……」
突然、背後から声をかけられた。
振り返ると、見覚えのある女性が立っていた。高校時代のクラスメイト、佐伯萌音。
「あ、朝倉? 久しぶり」
「……萌音? ほんとに……久しぶり」
彼女は戸惑いながら、それでも少し笑った。
「どうしたの、こんなとこで」
「……ちょっとだけ、思い出したくて」
「神谷くんのこと?」
七瀬は息をのんだ。
萌音は、柔らかく首をかしげる。
「なんかさ、急に思い出して……朝倉、彼とけっこう仲良かったよね? 文化祭のときもずっと一緒にいたし。なんか、覚えてるようで……変なんだ」
「変……って?」
「わたしも、彼が亡くなった時の記憶、曖昧なの。葬式には行ったはずなのに……彼が死んだって聞いた日を、思い出せない。七瀬も……そうじゃない?」
七瀬は、何も言えなかった。
萌音の目に、確かな不安が浮かんでいた。
二人の沈黙の間を、坂道の上から吹き降ろす風がすり抜けていく。
そして七瀬は、そのとき初めて、悟った。
自分の記憶が、ただ“忘れていた”だけではないのだと。
“何かが、記憶を書き換えている”――
あるいは、“見せられている”のかもしれない。
彼に再び会ったあの日から、ずっと感じていた違和感。
彼が語る“過去”は鮮明で、彼が語れない“現在”は空白だった。
そして、今――七瀬自身の記憶にまで、その空白が広がりはじめている。