First Movement
「これ、面白いから、観てみれば?」
冬のある日、母がそう言って指を差した。
小学六年生のその頃、母はある動画配信サービスに加入し、さまざまなアニメを楽しむようになっていた。私はといえば、アニメにはまったく興味がなかった。配信サービスに加入したと聞いても、「ふうん」としか思わなかった。ただただ、関心がなかったのだ。
その頃の私が夢中になっていたのは、学校で配られたタブレットだった。
プログラミングに興味があり、男子のクラスメイトたちと集まっては、ゲームを作ったり、タブレットをいじって遊んだりしていた。
気づけば私は、女子よりも男子と過ごす時間の方が長くなっていた。
男子の前の方が、素の自分でいられる気がして、気楽だったのだ。
朝早く登校し、ランドセルからタブレットを取り出す。
そして仲間たちと集まり、ゲームを作って遊び、時には一緒に動画も観た。
そんな日々が、私の小学校生活だった。
だからこそ、アニメなんてどうでもよかった。配信サービスにも興味なんて、なかった。
けれど、母の「観てみれば?」という言葉に、なんとなく従った。その日、私は一つのアニメの第一話を再生した。
──こんなに、あるの?
全六シーズン。今まで私が観たどんなアニメよりも、長い作品だった。にもかかわらず、私は一度も途中で止めることなく、夢中になって観続けていた。
──あれ? 意外と面白いかも。
最初は乗り気ではなかったのに、気づけば続きが気になって仕方がなかった。少しずつ、確実に、私は“沼”にはまっていった。
そして、中学生になった。
制服も、教科も、学校も、すべてが新しいものになった。
クラスメイトの半分は、小学校からの顔なじみ。
けれど、残りの半分は、まったくの初対面だった。
「貴志 柚夏です。よろしくお願いします」
自己紹介でそう告げて、軽く頭を下げた。まあ、上手く行くだろう、となんとなく思った。
──数ヶ月後、私はすっかり“オタク”になっていた。
まさか、母もここまではまるとは思わなかっただろう。推しの存在は、私の日常を彩り、心を動かす大切な存在となっていた。だからこそ、私の中学校生活は順調に進んでいくように思えた。入学式の朝、初対面のクラスメイトが「よろしく」と笑ってくれたあの瞬間が、そう信じさせたのだ。
だが──私の思いは、外れてしまった。
中学に慣れ始めた頃、私には“推し”ができた。それも、これまでとは違い、人間のキャラクターだった。
今までは、動物やファンタジーのキャラばかりを推していた。けれど今回、私の心を射抜いたのは、古いアニメに登場する、ひとりの人間のキャラクターだった。
この魅力を誰かに伝えたくて仕方がなかった。同じキャラを推す“同担”が欲しかったのかもしれない。けれど、そのアニメは古すぎた。クラスの三十人中、知っている子は三、四人だけだった。
語りたくても語れない。話したくても、通じない。
気がつけば、私は周囲に合わせて、平凡なふりをしていた。自分を偽って過ごす毎日に、私は段々とうんざりしていった。
──もう、やめよう。
私は決めた。自分の“好き”を、もっと大切にしようと。もっと、広めようと。そうして、夏休み明け、私はクラスで布教活動を始めた。
だがその頃から、私は“空気”のように扱われるようになった。視線が痛い。笑い声が自分に向けられているように感じる。無視されているような気さえした。
──ああ、まただ。
私は思い出した。小学三年生の、あの冬の記憶を。
私には友達がいた。同じアニメ[小文字][小文字](当時の)[/小文字][/小文字]が好きで、休み時間はいつもその話をしていた。けれど、三学期になって、彼女は私にこう言った。
「……私、そのアニメ、嫌い」
その一言で、世界が崩れた気がした。
今までの笑顔も、話した内容も、すべてが嘘だったのだろうか。そう思った私は、深く傷ついた。
その後、彼女の態度はどんどん変わっていき、気づけばいじめが始まっていた。いつの間にか、私はひとりになっていた。
いじめは時間とともに終わった。けれど、私の心に残った傷は、今でも消えない。
それ以来、私は女子といることに、どこかで怯えていた。そして、男子の方が気楽で、心が落ち着いたのだ。
──あのときと同じだ。
推しを好きな気持ちすら、拒絶されるなら、私は一体どうすればいいのだろう。
でも、私はもう、逃げたくない。自分の“好き”を、大切にしたい。傷ついても、それでもやっぱり、私は推しが好きだから。
冬のある日、母がそう言って指を差した。
小学六年生のその頃、母はある動画配信サービスに加入し、さまざまなアニメを楽しむようになっていた。私はといえば、アニメにはまったく興味がなかった。配信サービスに加入したと聞いても、「ふうん」としか思わなかった。ただただ、関心がなかったのだ。
その頃の私が夢中になっていたのは、学校で配られたタブレットだった。
プログラミングに興味があり、男子のクラスメイトたちと集まっては、ゲームを作ったり、タブレットをいじって遊んだりしていた。
気づけば私は、女子よりも男子と過ごす時間の方が長くなっていた。
男子の前の方が、素の自分でいられる気がして、気楽だったのだ。
朝早く登校し、ランドセルからタブレットを取り出す。
そして仲間たちと集まり、ゲームを作って遊び、時には一緒に動画も観た。
そんな日々が、私の小学校生活だった。
だからこそ、アニメなんてどうでもよかった。配信サービスにも興味なんて、なかった。
けれど、母の「観てみれば?」という言葉に、なんとなく従った。その日、私は一つのアニメの第一話を再生した。
──こんなに、あるの?
全六シーズン。今まで私が観たどんなアニメよりも、長い作品だった。にもかかわらず、私は一度も途中で止めることなく、夢中になって観続けていた。
──あれ? 意外と面白いかも。
最初は乗り気ではなかったのに、気づけば続きが気になって仕方がなかった。少しずつ、確実に、私は“沼”にはまっていった。
そして、中学生になった。
制服も、教科も、学校も、すべてが新しいものになった。
クラスメイトの半分は、小学校からの顔なじみ。
けれど、残りの半分は、まったくの初対面だった。
「貴志 柚夏です。よろしくお願いします」
自己紹介でそう告げて、軽く頭を下げた。まあ、上手く行くだろう、となんとなく思った。
──数ヶ月後、私はすっかり“オタク”になっていた。
まさか、母もここまではまるとは思わなかっただろう。推しの存在は、私の日常を彩り、心を動かす大切な存在となっていた。だからこそ、私の中学校生活は順調に進んでいくように思えた。入学式の朝、初対面のクラスメイトが「よろしく」と笑ってくれたあの瞬間が、そう信じさせたのだ。
だが──私の思いは、外れてしまった。
中学に慣れ始めた頃、私には“推し”ができた。それも、これまでとは違い、人間のキャラクターだった。
今までは、動物やファンタジーのキャラばかりを推していた。けれど今回、私の心を射抜いたのは、古いアニメに登場する、ひとりの人間のキャラクターだった。
この魅力を誰かに伝えたくて仕方がなかった。同じキャラを推す“同担”が欲しかったのかもしれない。けれど、そのアニメは古すぎた。クラスの三十人中、知っている子は三、四人だけだった。
語りたくても語れない。話したくても、通じない。
気がつけば、私は周囲に合わせて、平凡なふりをしていた。自分を偽って過ごす毎日に、私は段々とうんざりしていった。
──もう、やめよう。
私は決めた。自分の“好き”を、もっと大切にしようと。もっと、広めようと。そうして、夏休み明け、私はクラスで布教活動を始めた。
だがその頃から、私は“空気”のように扱われるようになった。視線が痛い。笑い声が自分に向けられているように感じる。無視されているような気さえした。
──ああ、まただ。
私は思い出した。小学三年生の、あの冬の記憶を。
私には友達がいた。同じアニメ[小文字][小文字](当時の)[/小文字][/小文字]が好きで、休み時間はいつもその話をしていた。けれど、三学期になって、彼女は私にこう言った。
「……私、そのアニメ、嫌い」
その一言で、世界が崩れた気がした。
今までの笑顔も、話した内容も、すべてが嘘だったのだろうか。そう思った私は、深く傷ついた。
その後、彼女の態度はどんどん変わっていき、気づけばいじめが始まっていた。いつの間にか、私はひとりになっていた。
いじめは時間とともに終わった。けれど、私の心に残った傷は、今でも消えない。
それ以来、私は女子といることに、どこかで怯えていた。そして、男子の方が気楽で、心が落ち着いたのだ。
──あのときと同じだ。
推しを好きな気持ちすら、拒絶されるなら、私は一体どうすればいいのだろう。
でも、私はもう、逃げたくない。自分の“好き”を、大切にしたい。傷ついても、それでもやっぱり、私は推しが好きだから。